デグウの画廊

 人のつらをした獅子に先導されて森の小道の中を歩いてゆくと、一軒の画廊があった。

 赤く塗られた屋根の下、薄い色の薔薇の絡み付いた小階段を上って行くと、硝子戸の向こうに幾つもキャンバスが見えた。

 先に上り切って私を待っていた獅子は、黒いケープをかけたその異様に広い肩をかすかな息で上下させつつ扉に手をかけ、ゆっくり開く。

 埃の匂いがいっぺんに奥から噴き出してきて、私は咳き込んだ。まるで、百年も封印されていた屋敷のような薫りだ。中を覗きこめば、霞をかけたように一面薄白く染まっていて、実際もう死んでいるようにも思われた。

 獅子は頭に被っていたクラウンの高いブラックハットを脱ぐと、恭しく小脇に抱えて私を促した。先に入れというらしい。時計を持ちそうにもないこの怪物にとっては、画廊が何百年前のものであろうと、別にどうでもいいのであろう。

 ハンケチで鼻を抑えながら踏み込んで、手近なところにあったスツールを引き寄せ、表面の埃を拭きとってから、座る。

 幾日も森の中を歩いて来たから、さすがに疲れていた。

 そのまま眠り込んでしまいたかったが、後ろに続いてのっしりと入りこんできた獅子が、懐から布巾を出して、キャンバスの幾つかを丁寧に拭き始めたので、そうもいかないという事が改めてわかった。

 獅子は長い顎と揉み上げから続く草原のような顎髭とを備え、昔の銅版画に出て来る男のような、整っているがゆえに感情の全くうかがわれない、無色の顔をしている。

 それが巨大な広い体に、アンバランスに載っていて、大変な猫背で窮屈そうに低い天井の下を歩き回る。

 私は自分の外套の嚢を探った――手元に幾枚かの冷たい感触。それは生来持っている精神的通貨、古式ゆかしい言い方をすれば、魂というやつだった。

 獅子が、並べられた一つ一つのキャンバスから、薄い帳を取り外している。

 それは、或いは帳に見せかけた、悠久の時間の累積なのかもしれず、那由他と重ねられた忘却を、かの神秘の獣はその手で剝がし去っているのかもしれなかった。

 その下から現れようとしている絵を、私は、小さなスツールに座ったまま、恐ろしいような、嬉しいような、不可思議な気持ちで、ただ眺めていた。

 画廊の名――「地獄デグウ」というその名に反して、静かで、穏やかで、そして、安らかな時間であった。……

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