虚無の弁証
ナナシイ
虚無の弁証
「被告人、前へ。」
一人の青年が壇上へと歩み出る。その足取りはゆったりとしており、しかし確かなものである。三人の裁判官と、六人の裁判員、そして、多数の傍聴人がその様子を見守っている。
「本法廷は被告人の罪、即ち自殺未遂の罪を裁くものである。被告人は八月二日午後一時頃、自殺を企て自室にて市販薬物の過剰摂取を行った。しかし同日二時半頃、同居人たる母親によって倒れ伏す被告人が発見され、即座に被告人は救急搬送、一命を取り留める所となった。被告人、以上の公訴事実に誤りは無いか。」
「はい、間違いありません。」
「よろしい。以上の行為は我が国における刑法第千二百十一条に定める所の自殺未遂罪にあたる疑いがある。よって本法廷はこれより、被告人に自殺意図の存在有無を確認せしめたいと思う。被告人、よろしいか。」
「はい。」
「では被告人、本法廷において嘘偽りを申さぬことを誓うか。」
「はい、誓います。」
「被告人、まずこちらを見て頂きたい。」
裁判長はファイルの中から一封の封筒を取り出し、その内より一枚の紙を取り出した。
「本書状は被告人の遺書である。宛名は全ての恩人に対してとされており、本文には、『私はこの度命を絶つ事に致しました。これからの未来において己が積む罪の重さと、その罪を贖えぬ無力さに打ち勝つことはできませんでした。本当に申し訳ございません。』と記されている。被告人、この遺書はお前が書いたものであるか。」
「はい、私が書いたものであります。」
「自殺の意図を明確に持って書いたものであるか。」
「はい、そうであります。」
「よろしい。検察からの報告によれば、本遺書の筆跡は被告人の日常における筆跡とも一致しており、また本遺書から被告人以外の指紋も検出されなかった。よって、本書状は被告人が自殺の意図を持って筆記したものであると認定する。被告人、異論はあるか。」
「ございません。」
「次に被告人、警察の取り調べにおいてお前は自殺の意図を自白したとの報告がある。被告人、お前は自白を行ったか。」
「はい、自白しました。私は自殺を行おうとしたのであります。」
「その言葉に間違いはないか。」
「はい、ありません。」
「では被告人、第三者による自殺強要等の事実はないかね。」
「はい、ありません。私は確かにただ一人で死のうとしたのであります。」
「よろしい。以上の証拠と自白から、被告の自殺の意図は明白であることから、これより……」
「ちょっと待って下さい!」
傍聴席から一人の女が立ち上がった。
「あんた! あんたは誰かに脅されて自殺したんだろう? そうじゃないかね? 自分で自分を殺そうだなんて、そんな事する子じゃないだろう?」
「御母堂、お静かにお願いします。」
「いいえ言わせておくれ! ね、あんた、これまで何不自由無く育ててきてやっただろう? この前まで幸せそうにしてたじゃないか。そんなお前が自殺なんてする筈がないだろう。ね、母さんに言っておくれ。誰かに強要されたのだろう。誰かがお前を苦しめたのだろう。そうだと言っておくれ! 母さんがそいつをとっちめてやるから!」
「御母堂……」
青年が手を挙げ裁判長を制した。
「母さん。誰も俺を苦しめたりなんかしていないし、まして、自殺の強要なんかもされちゃあいない。俺は、確かに自分で自分を殺そうとしたんだ。」
「何で、そんな……。」
「母さん、貴方は私が何を考え、何に悩んでいたか、全く理解していないし、想像した事もないのだろう。貴方は自分の見える範囲の事しか見ていないのだし、それで幸せだったのだろう。だが、それでは駄目なのです。」
青年は裁判長の方へ向き直った。
「裁判長、次は量刑判断の為の、私の弁明でありますか。」
「その通りだ。お前は今から自由に自分の行為に対する弁明を行うことができる。本権利は被告人の利益と尊厳を守るため、我が国が被告人に対して与えた正当な権利である。では被告人、弁明を始めたまえ。」
「裁判長、まず初めに確認したいことがあります。」
「何だね。」
「我が国において自殺を罪としたる法源は、即ち自殺が社会及び国家に対する背信行為だと見做されたからでありますね。」
「その通りだ。自殺とは、即ちその者に対して社会が行った投資、即ち教育、食料の付与、健康の保障等々の行為を無駄なものにせしめ、かつこれから先その者が行うであろう社会に対する利益をも滅するものである。故に本行為は社会及び国家に対して有害である。加えて本行為は生命の価値を軽視した行為である。故に本行為の濫用は社会及び国家の崩壊を招きうるものであることから、我が国に於いて自殺は有罪なるものとして禁止されているのである。」
青年は深く頷いた。
「確かに、その文言は一見してもっともなものである。」
言いながら、青年は聴衆を見回した。
「だが、この文言には数多の欺瞞と偽りが含まれている!」
「諸君、そもそも人間は何の為に生きているのだろうか。人によってその答えは様々であろう。だがもし、その答えを持たず、かつ探しもせずに生きている者がいるのであれば、私はその者こそ、罪人であると主張したい。何故ならば、人は生きることによって罪を重ねているからである。
人は誰しも生きる為にパンを喰らう。しかし、そのパンは数多の努力と生命の結晶である。麦を作る人々、麦をこねる人々、こねられしパンを焼く人々……。」
そこで裁判官の一人が立ち上がり、青年の話を遮った。
「裁判長! この者は悪戯に話を引き延ばしています。先ほどからこの者は意味のないことを話し続け、その中身は空虚なものであります!」
裁判長が答える。
「この者の話はまだ終わっていない。今の話が必要なものかどうか、それは後になってわかることだ。」
「しかし裁判長……。」
「静かにしろと言っておるのだ。言葉を発することは、自己を表現する最も基本的で、最も有効な方法である。この自由を妨げることは人間の尊厳を奪うことに等しい。だからこそ我が国は被告人に対して弁明の権利を与えているのだ。黙り給え裁判官。」
「……。」
「被告人、話を続けたまえ。」
青年が頷く。
「……しかし、人の努力だけではパンは作られない。小麦にも命がある。小麦とて成長するために大地の生命を喰らう。パンは努力と生命の犠牲の上に成り立っているのである。つまり我々人間は、努力と生命を犠牲にしながら、パンを喰らうのである。
当然、人間の生存にはパン以外にも様々なものが必要である。それらを得るために、我々は更に様々なものを犠牲にする。生存とは犠牲の上に成り立つものなのである。
故に人は、生きる限り他者を犠牲にせずにはいられない。人間は、生きる限り罪を犯し続けるのである。
故に人間は罪を贖わなければならない。罪を贖うだけの、善を為さなければならない。人間は生まれながらにして、災厄を背負っているのである。
なればこそ、目的を持たない、善を為そうとしないものは大罪人なのである。」
別の男が立ち上がった。裁判員の一人である。
「ならば貴様もまた大罪人の一人ではないか! 貴様は善を為す事を諦め、死を選んだのではないか! 貴様は己の弁明をするどころか、自ら墓穴を掘ったのであるぞ。裁判長、このような無駄な弁明は省略して頂いて、さっさと量刑の判断を致しましょう。」
「……被告人、まだ弁明を続けるつもりか。」
「はい、まだ私の弁明は終わっておりません。」
「では続けたまえ。」
「裁判長、まだ続けるおつもりですか。自殺を行うものに、まともな弁明ができる筈はありませぬ。」
「静粛にせよ、裁判員。そのような差別的な発言は許されぬぞ。私はこの者が気狂いであるようには思われぬ。私はこの者の話が聞きたいのだ。」
裁判長は青年を真っ直ぐに見据えた。
「弁明を続けよ、被告人。」
「裁判長、私の弁明を聞いてくださることを感謝致します。
さて諸君、確かに、私はその者の言う通り、善を為す事を諦め、死を選んだ者である。しかし、先に述べた目的を持たざる者達とは決定的に違う点がある。残念ながら、私はこうして自殺に失敗してまだ生きている身である。しかしながら、もし自殺に成功していたならば、私はそれらの大罪人とは違って、これ以上、罪を重ねるという事は、絶対にしない、否、絶対に出来ないのである。
故に私は罪を重ねぬ者に成り得たという点において、先に述べた大罪人よりは罪が軽いと言えるのである。」
再び、別の男が立ち上がった。裁判員の一人である。
「お前は……お前は……命の価値というものを冒涜している! 人類がどれだけ生存の為に努力してきたかわかっているのか!」
「否。生存そのものに意味などない。その生存によってもたらされることにこそ意味があるのだ。善を為す命こそが善であり、罪を犯す命は悪なのだ。」
そこで、ある一人の女が手を挙げた。この女もまた、裁判員の一人である。
「裁判長、発言の許可を。」
「弁明を遮る目的ではないのだな。」
「いいえ、違います。被告人に対して質問があるのです。」
「では許可しよう。」
「被告人、確かに貴方の言う事はもっともだ。目的を持たざる者に比べ自殺に成功した貴方の罪は軽いものであるだろう。しかし、目的を持たない者であろうと、生きている限り何らかの善を為し得るのではなくて? もしその善が大なるものならば、その罪の贖罪は為されるのでは? とすると、その者の罪は貴方の罪より軽くなるのでは?」
「確かに、その可能性はあるだろう。しかし、それは可能性に過ぎぬ。そしてその可能性は、同時に罪を為し得るという事にも言えるのではないか。つまり善を志向せぬものは、善を為し得るかもしれないが、同時に更なる罪を重ねるかもしれないのだ。生きる為の罪に加えて、である。」
「成る程。ではいっそ、善を知る他者に自分の運命を任せてみるというのでは駄目だったので?」
「他者に任せるというのも同じことである。善を為しうる可能性と同時に、罪を重ねる可能性が存在する。確かなのは、己の行為のみである。」
「では、もう一つ質問させて頂きたい。貴方は何故、生きる目的を持たぬ者を、善を目指さぬ者らをそのように明敏に批判しながら、己で善を目指さなかったのだ。」
「ただ私はその目的を、善を見つけられなかった故である。
中世以来の伝統的な価値観は崩壊し、神は死に、王は死に、名誉は死んだ。我々人間に縋るべきものは残されず、ただ自由のみが与えられた。人間は自由の刑に処されたのだ。
だから私は考えた。己自身で考えた。
だが考えれば考える程確かなものは消えていった。経験という枷から善を独立させることはできず、その価値に絶対性を見出すことは出来なかった。相対性の渦に飲まれた私は、やがて虚無の底に落ちたのだ。
そもそも、この世のあらゆる事象はうつろうのだ。善とてその例外ではない。
人に贖罪の機会は与えられず、ただ罪のみが残るのである。
もしかしたら、この結論は私の才が不足したる故に至った結論であるかもしれない。だが少なくとも私にはこの結論に至る以外の道はなかった。決してこれ以外の結論が演繹されることはなかった。
だから私は、死を選んだのである。」
裁判員の女はいつの間にか、俯いていた。
「裁判長、私の弁明は以上になります。何かご質問は?」
「いや結構。では量刑の判断に移る。裁判官及び裁判員、意見がある者は挙手を。」
七人の手が上がった。手を上げていない者は裁判長と先の女のみである。
裁判長が一人を手で指す。
「では君。」
「裁判長、被告人は全く反省しておりません。それに加え、被告人は弁明の最初に自殺規制の法源に関する文言を否定していながら、その論拠を明確に説明しなかった。被告人のこの姿勢は、法に対する侮辱であるとすら見受けられます。よって被告人に情状酌量の余地無し。本法律で定められた最大の刑罰、即ち強制労働二百年の刑に処するべきであると提言します。」
「異議なし!」
「断罪を!」
「断罪を!」
「断罪を!」
「断罪を!」
「断罪を!」
裁判官と裁判員の叫びは傍聴人へと伝播した。被告人に対する大衆の答えがこだまする。
断罪を!
断罪を!
断罪を!
断罪を!
断罪を!
断罪を!
断罪を!
断罪を!
断罪を!
「静粛に!」
ドンッ!
――……
……――。
静寂の後、裁判長が口を開いた。
「……被告人、最後に一つだけ君に言いたいことがある。」
「なんでありましょうか、裁判長。」
「被告人、お前は目的を持たぬものと同じ罪を犯している。それは即ち、怠慢である。」
青年の顔は、みるみる紅潮した。
「裁判長、虚無を前にしながら、それでも努力せよと申すのですか!」
「そうだ。」
「その道がとても険しく、例え不可能な道だとしてもですか!」
「そうだ。」
「そこまでして、人間は生きねばならないのですか!」
「そうだ。それこそ、人が人として生まれた災厄である。」
「……判決を言い渡す。本法廷は被告人に対して我が国における二百年間の強制労働を課すものとする。被告人の詳細な労働内容等について労働省の管轄とし、被告人はこれより、労働省より勧告があるまで監獄で待機とする。では次の裁判は二分間の休憩の後に行う。本裁判の傍聴人らは休憩時間の間に退出することを願う。
以上、閉廷。」
2017/03/14
虚無の弁証 ナナシイ @nanashii
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます