酒場にて
ナナシイ
酒場にて
がらりと引き戸が開いた。
「いらっしゃ……。ああ何だ、貴方か。もう閉めようと思っていたのだけれど。」
「か~っ、せっかく酒飲んであったまろうと思って来たのに、お前は今日も冷たいな。」
「貴方は何時も通り煩いわね。」
「……誰もいないのかい?」
「閉店間際に来るのは貴方だけですから。」
「ははは。ま、これで気兼ねなくお前と話せるってもんだ。よっこいせっと。」
「ほら、貴方が好きなやつよ。」
「あ、こうやって酒勝手に出して金をせしめようっていうんだな。しかもこれ、高い奴じゃないか。全く迷惑しちゃうなもう。」
「よく言うわ。どうせ飲む癖に。」
「ははっ、ご明察。」
「所で、貴方こう何回もこの店に来て、例の彼女には怒られたりはしないの。」
「ああ、彼女とはもう別れた。」
「あらそ。」
「ま、長続きする訳ないわな。俺みたいな男と。」
「…貴方、これで何人目か覚えてる?」
「え~と……。ああ駄目だ、忘れた。」
「六人目よ。」
「ああなんだ、そんなもんか。」
「私が知る限りではね。」
「う~ん。お前に言ってない娘もいるような……。ま、いいか。」
「そうね。数には興味ないわ。」
「……俺はその時その時が楽しけりゃそれでいいのによ。長く付き合ってると、それ以上を要求してきやがる。」
「保証が欲しいんでしょ。」
「ああそうだろう。全く、つまらんな。」
「貴方、貯金は?」
「0。」
「今の職は?」
「明日にも消えそうな中小企業の工場要員。」
「保険は?」
「当然国民健康保険だけだ。」
「将来の展望は?」
「楽しく遊べりゃそれで良しだ。」
「ま、でしょうね。」
「……何かを目指して努力する、それも結構なことだ。だが、その努力に見合う分のリターンがあるかなんかわかんねえし、そこまで自分を過信する事も出来ねえ。だったら程々に今を楽しむだけでいいじゃねえか。それにな、努力してる時も、努力しなかったツケが回ってきた時も、辛ぇのは一緒だからな。流れに任せて楽しむだけよ。」
「……貴方は鷹ね。」
「鷹?」
「地上の喧騒を無視して、一人で何処かに飛び去ってしまう。誰も貴方を捕まえられないし、何かに煩わされる事もない。孤独に生きる強者よ。」
「よせやい。照れるでねえか。」
「……。」
「……ああ、そういえばお前にもいたんじゃねえか。恋人。」
「ああ、彼。別れたわ。」
「何だ、お前もか。何か気に要らないことでもあったのかい。」
「そんなんじゃないわ。ただ、彼は私を理解していなかっただけ。」
「理解? どの点で?」
「私は一人で生きていけるという点においてよ。」
「ああ。二人でこの店を盛り立てていこうとか、俺が君を支えるからとか、まあそんな言葉で上辺だけ飾ってたんだろ。」
「そんなとこね。」
「かと言って、奉仕の美学を追及しているわけでもなかった。」
「そう。」
「何でそんな男と付き合ってたんだい?」
「さあね。分からないわ。」
「何でい。いい加減、適当な男捕まえて乗りつぶしてしまえばいいんじゃないか。お前ならそれもできるだろう。」
「……結婚もいいかもしれない。確かに、それで幸せに暮らす人間もいるでしょう。でも、私はそれが人生だとは思わない。」
「何故?」
「私は私が死んだ時、何かをやったという確証が欲しいのよ。幸せに暮らしました、それじゃ何もやったとは言えないわ。」
「その何かってのはこの店?」
「そうよ。」
「ふーん。なら尚更、例の男と別れずに、そいつの人生潰してやりゃあ良かったじゃん。」
「それじゃ困るのよ。」
「また何で。」
「この店をやる意味がないじゃない。」
「はあ。」
「……客を元気にして、明日働かせるのが私の仕事よ。」
「……何かをさせる為に?」
「そう。」
「何かしてくれねえと意味がないと。」
「そう。」
「ある意味、他力本願だな。それじゃ、お前は一人では生きていけないのでは?」
「いいえ。確かに、支える相手は必要だけれど、それは勝手に店に来るもの。私を支える必要はないの。そういう意味で、私は一人で大丈夫なのよ。」
「成る程。」
「……貴方、杯が空よ。渡しなさい。」
「また高いの注ぐ気じゃねえだろうな。」
「……。」
「おい、黙って注ぐんじゃあない。」
「私に長々と喋らせた罰。」
「ちぇ。全く、よくそんな性格で客商売が務まるな。」
「大丈夫よ。客の前では猫被るから。」
「……なあ、俺みたい何もしようとしない奴に、腹は立たないのか?」
「別に。今の世の中、貴方みたいな人の方が多いもの。それにね……。」
「それに?」
「騎士と遊び人は案外相性が良いのよ。」
「何故?」
「一方は休めない。他方は無限に休んでる。休んでる人を見て私も休むわ。」
「……ああ、成る程。」
2017/01/11
酒場にて ナナシイ @nanashii
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