ナナシイ

 我が家の裏手には小さな川がある。しかし、それは綺麗な川ではない。生活排水であるとか、誰かが投げ入れたであろう空き缶などが流れるドブ川である。臭いがあたりに立ち込めるほどの汚さではないが、しかし、この川に落ちた日にはその汚泥の臭いが体に染みつき、何度も何度も風呂で洗わねば、その臭いが抜けることはなかった。

 しかし、この川の問題はそのような汚さだけでない。この川は住宅街の中にありながら、何の蓋も、除菌もなされていない。故に、この川は夏になれば、蚊の繁殖元になるのである。この川の中においてウジウジと動いているボウフラ達が、夏、成長して蚊となり、周囲の民家へと飛来するのである。その量がまた恐ろしい。私の母などはよく玄関先で、花なぞをいじっているのであるが、二十分ほど花に水をやりに外に出たかと思えば、右腕に三箇所、左腕に四箇所、また足首に二箇所なぞと、夥しい数の赤い丘を作ってくる。またある時、私が外出先から帰ってくると母がまた花をいじっていた。するとその時、母の腕には五六匹もの蚊が群がっているではないか。私は少々気味が悪くなった。母も気づけば殺しているのではあるが、しかし中々追いつかないようである。

戸外の様子がこのような有様であるから、当然家中もただでは済まない。どこから入ってきたのか、家の中をもプーンプーンと蚊が飛んでいるのである。私もまた気づけば殺している。しかし、幾ら殺そうと、いつの間にやらまた別の蚊が入ってくる。気づけば私の腕や足にも赤い丘がポツリポツリとできている。これが痒い、ひどく痒いのである。蚊という虫はなんと恩知らずな虫であろうか。我々人間から血を得て生きているのに、わざわざ痒みを残していくのである。何とも腹が立つからやはり叩きつぶしてしまう。しかし追いつかない。なお腹立たしい。

しかし、私はそんな蚊に同情したことがあった。しか

もその同情は散々な結果につながってしまった。


ある初夏の日のことである。それは酷く蒸し暑い日であった。しかもなお運の悪いことに、冷房が壊れてしまっていた。しようがないから私はあらゆる家中の窓を開けて回った。しかし、それでも暑い。汗がたらたらと垂れてくる。酷く喉が渇き、体もだるい。このような日は体を動かそうなぞという気にはとてもなれない。そこで私はテレビの前に陣取って、延々と録画した映画などを見て暇をつぶすことにした。そんな私の所へ蚊が幾匹も寄ってきた。窓を開けているから、家の中まで蚊がわらわらと入ってくるのはやむを得まい。私が動かないから蚊も止まりやすいのであろう。仕方がないから気づく度に叩きつぶしていった。

私は初め、潰した蚊をごみ箱へと捨てに行っていたのであるが、ごみ箱へは一間ばかり動かなければならない。その動作も段々面倒になってきた。そこで私はティッシュを手近に置き、潰した蚊をとりあえずそこに払い落すことにした。私はその日、映画を見つつ、蚊を潰してはその死骸をティッシュの上へと盛っていった。

 私は何本目かの映画を見終わり、ふと例のティッシュの方を見遣った。すると、そこには夥しい数の、蚊の死骸が転がっていた。優に十数匹は超えていたであろう。白きティッシュは黒く潰れた蚊で染められていたのである。私は映画に集中していたから、半ば無意識であった。しかし、どうやらその映画を見ていた間だけで、こうも多くの命を奪ってしまったようである。そのことが少しばかり恐ろしかった。

 だが、同時にこうも思った。このティッシュの上に転がっている蚊の生涯とは何だったのであろうかと。蚊が人の血を吸うのは生きる為である。生きて子孫を残すためである。しかし、彼らはその目的を果たしていない。全くの無駄死にである。しかも、この死骸達はもうしばらくしたらティッシュに包まれごみ箱に捨てられることになる。そして、やがては他のごみと一緒に焼却されてしまう。後に残るのは、その小さな体に見合ったごくわずか塵のみである。誰にも覚えられることもなく、彼らはただ消え去るのみである。私はそれではあんまりであるような気がした。あまりにも無情であるような気がした。確かに、蚊という種全体は生き残るであろう。血を吸い生き残ったわずかな蚊達が、また川にボウフラを産み付け、次の夏には蚊が再び大挙してやってくるであろう。しかし、このティッシュの上で死んでいる蚊達はどうなのだ。彼らはもはや何一つ果たしえない。全く空虚である。彼らはあまりにも容易く死んでしまった。


 それ以来、少なくとも彼らを殺した私自身は彼らを覚えていようと思った。それが少なからず彼らの供養にでもなるかと思ったのである。そこで私は記録をつけることにした。私は新品の小さなメモ帳を買い求めた。そして私が蚊を一匹殺す度、真っ白なそのメモ帳へ一画ずつ、「正」の字を描いていった。その一画ごとに、蚊の命が宿るような気がした。神聖な気分であった。

 日を経るごとに、「正」の字はどんどん増えていった。その夏は酷く暑い夏で、窓を全開にする日がよくあった。やはりそのような日は加速度的に「正」の字が増えた。たった一日で、「正」の字が五つも増える日もあった。やがて冷房が修理され、今度は窓を閉め切るようになったが、それでもいつの間にか蚊は家の中へと入ってきた。少ない日でも、私は蚊を二三匹は殺していた。


 やがて夏が終わり、秋が近づいてくると、蚊も少なくなっていった。その頃には、私のメモ帳は夥しい数の「正」の字で真っ黒に染められていた。僅かに残った蚊を殺して「正」の字を描く時、私は最早初めのような神聖な気分にはなれなかった。私は罪の意識に苛まれ始めていた。私は命を奪っているのだという実感を持ち始めていた。


 冬になると、蚊はいなくなった。そこで私は例のメモ帳を取り出し、夏から秋にかけ幾匹の蚊を殺したかを集計することにした。正直に言えば数えたくはなかった。結果を見るのが恐ろしかった。

しかしやらねばならないと思った。私は一つずつ、「正」の字を数えていった。まず私は殺害数が百を超えた時点で、早くも気が重くなった。その字は、蚊の墓標であるように思えた。私は墓の数を数えているような気がした。しかも、それは自らが殺めたものの墓であった。あまりにも重い一字であった。そして殺害数は二百を超えた。まだまだ終わる気配はなかった。ページを一つめくり二つめくり、それでも「正」の字は現れた。いつ終わるのだろうかと思った。段々と、「正」の字を見るのも嫌になってきた。三百を超えた。数える速度も遅くなってきた。しかし「正」の字は容赦なく続いた。最早拷問であった。私は大変なことをしたという気になった。幾ら蚊といえども、一つの命を持っているのである。この習慣自体、そのような良心めいたものから始めた行いである。しかし、そのような偽善は真っ向から否定された。私は簒奪者であった。四百を超えた。私は殺戮者であったのだ。そしてやっとこさ五百に達した時、遂に終わりが見えた。集計結果は五百と十数匹であった。しかし、集計を終えても、開放感なぞはなかった。私は全ての命は平等であると言う者があるのを知っている。しかし、もし命が平等であるなら、我々人間は皆地獄行きであろう。私の目の前にある黒ずんだページははっきりとそれを物語っていた。私にはとても命が平等であるとは信じられなかった。信じたくはなかった。

 

 この殺害記録をつけるという習慣は、夏から秋にかけてのこの一度だけしか行わなかった。何度も行えば、私の心は耐えられなくなると思われた。また、例のメモ帳については焼き捨ててしまった。それが自然の摂理だと、そう考えたからである。


2016/6/10

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