第10片 ホットミルク
扉を若干開け、若干の隙間から中を開く。ゴミも洗濯物もない。見せられないものが存在してないことを確認した後、彼のために扉を開く。
「狭いけど、どうぞ」
「お邪魔します」
彼はそう言って扉の中へ入ると靴を揃えて脱いだ。
「スリッパいる?」
「気になる人?」
「ううん」
「なら、このままで」
「わかった」
「荷物は奥に置いてもいいか?」
彼は肩からリュックを下ろしながら奥へと進んでいく。
「うん、大丈夫。好きなとこに置いて。あ、入ってすぐ右側の壁に電気あるから」
「おっけ。これか」
部屋の電気が点く。彼が電気を点けたのを見届け、私もショートブーツを脱ぐ。
「ほら、荷物貸せ」
彼が私から荷物を奪うと奥へと持っていった。
「これはどこに?」
「机の下辺りに置いといて」
「了解」
「ありがとう」
彼が荷物を置いてくれた後にアイスを取り出すのが見えた。
「蒲萄味ってどんな飲み物が合うかな…」
「シンプルな方がいいよな。しかもそれなりに冷えてるから温かいの」
「もう秋だもんね」
部屋にあるカレンダーが10月を指しているのを見て言う。
「あ!ホットミルクはどう?」
「いいかも」
突如閃いた案を即座に行動に移す。マグカップを二つ取り出し、そこに並々と牛乳を注ぐ。そして二つ同時にレンジにかけて温めた。
「アイス溶けてない?大丈夫?」
「ああー…」
彼がアイスの蓋を開けながら中身を確かめる。
「セーフだわ。ちょうど食べ頃って感じ」
「良かった!スプーンはあるんだよね?」
「おう。つけてくれてる」
「店員さん、さすが」
そうこうしているうちにレンジが終了の合図を告げた。レンジの扉を開けると、鼻腔を擽る牛乳の甘い香りがふわりとした。
「はーい、マグ通りまーす」
私が両手にマグカップを抱えてアイスが広げられている机に向かった。彼の前に一つマグカップを置くと手前にも置いて座った。
「それじゃあ、食べるか」
彼の言葉を合図に「いただきます」と二人同時に言ってアイスの表面へとスプーンを滑らせた。程よく溶けており、難なくスプーンの上に転がるようにアイスが乗った。綺麗な紫色をしている。口に運ぶとしつこすぎない蒲萄の味がしっかりとして、その後ふわっと蒲萄の残り香を楽しむことができた。
「え!これめっちゃ美味しい!」
私が興奮しながら言うと、彼はホットミルクに口をつけながら「ホットミルクも上手い」と笑った。口回りに髭のようにホットミルクがついているのが可愛らしい。
「ふふふ、ありがとう。お髭さん?」
「髭?」
彼が怪訝そうな顔をして「剃ったはずだけど…」と言いながら口許に手をやる。すると、牛乳の膜に気づいたようで途端に顔を真っ赤にした。
「…わざとやったんで」
「今更繕っても無駄」
「バレたか」
二人でひとしきり笑ったあと、アイスを食べ終わり温くなったホットミルクが手元に残るのみとなった。普段、何を話してたっけと緊張でわからなくなってきていた。
「…俺、そろそろ帰るわ」
時計は22時半を指していた。
「うん、電車の時間もあるしね」
彼が立ち上がったので私も立ち上がり、彼を玄関の方へと促した。玄関口でしゃがみこみ、靴を履いている彼の丸くなった背中を物珍しく思いながら見ていた。いつもは彼の方が身長が高いし、ぴんと背筋を伸ばしてあるいているため丸くなった背中を見下ろすという感覚が新鮮だった。
「それじゃあ、今日はありがとな」
「ううん、お礼を言うのはこっちの方。ありがとう」
「…じゃあさ」
彼が目線を少し下げたかと思うとすぐに真っ直ぐ見つめてきた。
「報酬貰ってもいいか」
「報酬?特にあげれるようなものは……」
言葉を続けようとした瞬間、唇が柔らかい「何か」で塞がれた。その何かが彼の唇だと気づくのに数秒を要した。彼は目を閉じているのに私は驚きで目を閉じられずにいる。別にこれが彼との初めてのキスでもないのに、キスにはいつまで経っても慣れない。
「…これでOK。じゃあ、また日曜な」
名残惜し気に下唇を啄まれたあと、ゆっくりと彼の顔が離れていった。私は呆然としながら、閉まりゆく扉を見つめていた。
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