第1話 学園の特殊な部活事情

 編入から数日後。ホームルームを終えた笹原が帰宅の準備をしていると、女子学生が声を掛けてきた。

「どう? 学園生活には慣れた?」

 彼女の名前は八代薫という。編入した日から、なんだかんだ言っていろいろと親切に案の内をしてくれていた。

「ぼちぼちかな。やっと荷解きが終わったところだ」

「そう。やっと寮生活が始まる訳ね。大変だろうけど、必要なら手伝ってあげるから頑張るのよ」

 学園は人里離れた場所に位置するため、学園寮に住む学園生は多い。実家が首都近郊にある笹原もその1人だ。

「編入のとき先に荷物を寮に運んでもらってたんだけど、その後の手続きとか説明会とかで時間が作れなかったんだよな」

「それは大変だったわね。でも、もう説明会はないし一安心じゃない」

 そう言うやいなや、八代があっと思い出したような顔をした。

「そういえばこの後、新入生向けの部活勧誘会があるんだった。それを言いに来たのに忘れてたわ。笹原はどうするの?」

「部活勧誘会? 初耳なんだが」

「なんで知らないのよ? ……まぁ、笹原は編入生だから知らなくても仕方ないかもね。編入生は特殊だから」

 そういうものなのか、と笹原は半ば納得できない顔を浮かべる。

「ウチの学園は知っての通り技術系でしょ? 他所にはない珍しい部活がいくつかあるのよ。例えばロボコン部とか、自動車部とか。もちろん運動部とか吹奏楽部とかの普通な部活もあるけど。笹原、あんた何か入りたい部活とかないの?」

「そうだなぁ……そもそも、何の部活があるか知らないな」

 笹原がそういうと、八代がどこか呆れた表情を浮かべ、ため息をつく。

「それなら見るだけ見てみたら? 見てから決めればいいし」

 そういうと、扉へと向かっていった。

「じゃぁ、私は勧誘会の準備があるから。勧誘会は講義棟7階の体育館でやってるわよ」

 そう笹原に伝えると、八代はそのまま走り去っていった。窓から差し込む光は、夕日のオレンジ色の体を表していた。


 笹原は講義棟の最上階に近い、7階の体育館に着いた。さすがに、7階とあってエレベータホールから見える景色は絶景だ。快晴なのも相まって、地平線へと沈んでいく太陽を拝むことができる。そんな黄昏のような景色のすぐ後ろでは、学生たちによる部活勧誘会が開かれていた。広々とした体育館には、多くの団体がブースを設けて新入生勧誘に精を出しているのが見える。

「結構盛大なもんなんだな」

 笹原の口から思わず声が零れる。まだ始まったばかりらしく、体育館へは多くの新入生が足を入れてゆく。笹原もそれに混じって入口から体育館に入ると、小柄な女性が駆け寄って来た。

「あの、パンフレットはお持ちですか?」

「いえ、持ってないです」

「そうでしたか、それではこちらをどうぞ」

 彼女は笹原に、抱えていた冊子を差し出した。どうやら新入生歓迎会のパンフレットらしい。笹原がそれを受け取どこかに行ってしまった。

 パンフレットには、出展している全ての部活とその場所が記されている。さらに、ご丁寧にも、各部活のチラシも挟まれていた。これを見れば部活の内容と展示場所が一目でわかるようだ。

「どの部活を見ようかな……」

 笹原はチラシを1枚ずつ眺める。どの部活動のチラシからも、それぞれの特色があふれ出ていた。一般的で笹原にも機器なじみのあるものから、今までに見たことも聞いたこともないものまで、その種類は豊富だ。決めあぐねている笹原は、とりあえずと一回りしはじめる。

「天文部でーす!ほんっと、部員募集してまーす!」

「学園に来たなら、ロボ部に入部しないと!」

「車が好きなら自動車部へ! もちろん好きじゃなくても構わないよ!」

 笹原が適当にブース内を散策していると、所狭しと詰め込まれたブースから声が飛んでくる。人混みの中から、気になった新入生がそれぞれのブースに歩み寄ってゆく。その度に行き交う新入生の群れが、右へ左へとうねる。笹原もそれに合わせるように歩きながら、あたりのブースを眺めていた。すると、近くで女子学生の短く小さな悲鳴が聞こえた。

「キャッ」

 声は笹原のすぐ傍から発せられていたようだ。声のしたあたりからは、新入生の群れが離れ、そこだけぽっかりと穴が開いている。野球部のブース目の前だった。声の方へ近づくと、1年生であろう女子学生に野球部ユニフォームを着崩した勧誘部員達が詰め寄っている。

「いまぁ、マネージャーがいなくて困ってるんスよぉ。是非どうッスか?」

「でも……私、野球とか詳しくないですし……」

「そんなの、入ってから教えてあげるからさぁ」

「ほら、悪いようにはしないしさ。入ってよー」

 上級生である勧誘部員達からの圧力に、女子学生は目に涙を浮かべていた。どう見ても彼女が入りたがっている雰囲気ではない。しかし、周りの学生たちは可哀そうだと言いたげな表情を浮かべながらも、彼女の周りを避けて通り過ぎていく。

「あの、私……野球とか……興味、ないんで……」

 その弱々しい言葉に、部員達の表情が一気に陰りを見せた。部員達はより一層彼女への距離を詰める。

「今のは聞き捨てならないなぁ」

「ヒッ」

「興味ないはないんじゃない?」

「あんまり失礼なこと言っちゃダメだよー」

 部員達は薄ら笑いを浮かべながら女子学生に近づく。その僅かな隙間に笹原が割って入った。

「やめてあげてくださいよ。嫌がってるじゃないですか」

「んだよテメー」

 部員達は笹原を睨みつけた。しかし笹原は彼らの鋭い眼光にたじろぎながらも、彼女を庇い続ける。

「嫌がっている人をマネージャーにしても、直ぐにやめちゃいますよ?」

「んなこと知らねーよ」

「何様のつもりなんだよ?」

 彼らの剣幕がさらに激しくなり、一触即発の空気が漂いだす。

「あん、やんのかコラ」

 そう部員が言い放ち、笹原の胸倉を掴もうとしたとき、どこからともなく2人の学生が駆けつけてきた。

「そこの3人! これ以上無理な勧誘を続ける場合は罰則を科しますよ!」

「チッ、執行部かよ……」

 腕章をつけた彼らが現れると、勧誘部員達は瞬く間にどこかへと去って行った。残された女子学生と笹原のもとに2人が駆けつける。

「ごめんねー。たまにいるのよ、さっきみたいに無理やり勧誘する輩がさー。大丈夫だった?」

 2人のうち、凛とした女性が女子学生へ気遣いの言葉をかける。女子学生の目から涙は消えていた。

「はい、大丈夫です。ちょっとビックリしちゃいました」

 そう一言答えると、女子学生は笹原へ向くと、笑顔を見せた。

「あの、ありがとうございました。おかげで助かりました」

「いえいえ、大したことはしてませんから」

 笹原はそう笑って照れを隠す。3人が彼女を見送ると、駆けつけてきた2人が笹原の肩を叩いた。

「いやいや、そう簡単にできることじゃないぞ。お前、度胸あるな」

「そうねー、最近の学園生にしては度胸がある方ね。名前はなんていうの?」

「笹原洋介です。制御科です」

「ところで、お前は入る部活はもう決めたのか?」

「いえ、まだです」

 男性の方が地図を出すと、ある部屋をマーカーで囲み笹原に渡した。

「なら、講義棟5階のここに行くといい。面白いものが見れるぞ」

「そうね。キミなら合うかもしれないわね」

 2人はそう言うと深くうなずいた。

「そう、ですか?」

 少し戸惑う笹原を、2人は場外へと案内する。

「ここを通っていくといい。楽に場外へ抜けられる」

「それじゃ、またあとでね」

 場外に抜けた笹原は、疑問を抱きながらも地図に印をつけられた場所へと向かう。──講義棟5階、エレベータホール前。そこには『執行部』と書かれた看板が付けられていた。

「執行部……。パンフレットには載っていないな」

 パンフレットに載っていないことを不思議に思いつつ、笹原は執行部室の扉を開ける。そこには慌しく動き回る部員達がいた。そのうちの1人である、小柄の女性が笹原に気付き、近寄ってくる。

「あ、笹原君……であってるかな? よく来たね」

 入口でパンフレットを配っていた女性だ。

「ここでゆっくりしてて。散らかっててごめんね」

 そう言って、彼女は笹原をソファに案内する。その間にも部屋の中には様々な言葉が飛び交っていた。その殆どが部屋の真ん中に立っている男子学生が関わっているものだった。

「”北2西岡です!学生が込み合ってきて立ち入り禁止ラインを越えそうです”」

 トランシーバーからは、現場の情報が逐一届けられている。

「部室金沢です。北2、2人だけだとキツそうですか?」

「”北2西岡です。ちょっとキツいです”」

 彼は口元に手をあて少し考えると、すぐさま次の指令を出す。

「部室金沢です。巡回班のうち誰か1人空いてたら北2へ向かってください」

「”こちら巡回3大島。南西ブースの学生がまばらなので北2に向かいます”」

「部室金沢、了解。巡回4の楓は南西ブースも気にかけておいてください」

「”巡回4楓、わかりました。フォローします”」

 やり取りの速さに笹原は驚きを隠せない。速い。指示を出すまでの速さもあるが、現場の対応も速い。さらに、応援で空いた分のフォローの指示も忘れずに出している。

「すごい……」

「でしょう? あれが現執行部部長の金沢先輩だよ」

 唖然としている笹原の前に、一杯の紅茶が丁寧に運ばれる。口に含むと、茶葉のほんのりとした甘さが口に広がった。


…………

 トランシーバーからの通信が落ち着き、慌しく動き回っていた執行部員達に落ち着きが戻っていく。執行部室が安堵の雰囲気に包まれた。

「お待たせ。やっとひと段落ついたよ。……紅茶、淹れなおそっか」

 先ほどの女子学生がやってくる。気付けば渡されていた紅茶は冷めていた。笹原が一息に飲み干すと、暖かい紅茶がティーポットから注がれる。今度はアップルティーの甘い香りが広がった。

「そういえば、君の名前はなんて言うんだ?」

「あぁ、挨拶してなかった。建築科の小山結です。これからよろしくね」

「え? いや、よろしくって言われても。案内されただけなんだけど……」

「え……?」

 すると、小山の後ろから長身の男性が歩み寄る。さっきまで指揮を執っていた部長の金沢先輩だった。

「どうだったかい? 執行部の働きを見た感想は」

「すごかったです。いろいろと」

 そうだろう、と鼻高々にほほ笑む金沢は自慢の後輩達だからなと誇らしげに語る。すると、彼は笹原の方を見直した。

「まぁ、君もじきに慣れれば立派に働けるさ」

 なにか意思のすれ違いがある。金沢を見てそう確信した笹原は慌てながらも冷静に切り出す。

「入部希望できたわけではないんですけど」

「髙松と木更津の2人から、『いい素質を持った学生を見つけた』って聞いてね。君に来てもらったんだよ。どうだ、執行部に入らないか」

 爽やかな笑顔で金沢から手が差し出された。あの時の2人かと、地図を手渡してきた部員を思い出し、してやられたと心の中でつぶやく。

「素質なんてないですよ」

 笹原はそう言って金沢から目を背けて紅茶をそそる。

「女子学生を無理な勧誘から助けたんだって? 素質がある証拠だよ」

 金沢は笹原の前のソファに腰を掛け、顔を覗き込む。広い部室の中でこの一角だけが異様な空気を醸し出していた。

「他の部活を見てから決めますので。これで失礼します」

 ご馳走様でしたと小山に言うと、笹原は席を立ち足早に扉へと向かっていった。そこに、畳み掛けるような金沢の声が響き渡り、笹原の足音すらかき消した。

「それはどうかな? 勧誘会はすでに終わって、他の部活は新入生を確保しただろう。これからは新人育成に忙しくなるだろうな」

 それがなんだっていうんだ、そう笹原が言い終わる前に金沢が次の言葉をぶつける。

「そんな忙しいとこに行って、説明を受けさせてもらえるかな? ましてや入部を快く引き受けてもらえるんだろうかな?」

 確かに、すでに新入部員が入っていれば、そっちの教育に人手が割かれているに違いない。運よく入れたところで、既にできているであろう新入部員のコミュニティに入るのも至難の業だ。笹原に残された道は限られていた。

「このまま帰って帰宅部として面白みのない学園生活を送るもよし、ここに残って執行部として経験を積むもよし。それは君の好きな方を選べばいい。さぁ、どっちにする?」

 金沢は笑顔で笹原に語りかける。しかしその目は吸い込まれそうな、深く、どこか暗い闇のような目をしていた。


「……わかりましたよ」

 笹原は諦めて呟いた。その返答を聞いた金沢と小山は、笹原とは対照的に、嬉しげな笑顔を見せる。

「物わかりが早くて助かるな!」

「ということは、金沢さん……!」

「よし、笹原。明日から執行部員として働いてもらうぞ!」

 ほとんど詐欺まがいな勧誘だったが、こうなっては仕方ない。これも1つの運命なのだろう、と笹原も考えを改めた。一方で周りの反応は淡白だった。金沢こそ笑っているが、他の部室にいる部員達は、それぞれの仕事を片付けながら、一言「あーい」という乾いた号令が飛んだ程度だった。

「……とりあえず入部はしますが、入部届とか書かなくてもいいんですか?」

 不安──と言うべきかわからないが、笹原が質問する。普通、入部する場合は所属することを学校に届け出る『入部届』が必要である。笹原も編入前の高校で何枚か書いたことがあった。それすら出てこないあたり、本当は歓迎されていないのではと疑問になる。

「ああ、その必要はないよ。執行部は特殊な立ち位置だから、入部届も退部届もないんだ。大会とかそういうのもないしな!」

 金沢が笑いながら答える。しかし、これは1つ大きな問題を孕んだ回答だった。入部届も、さらには退部届も存在しない。それはつまり──

「では、『誰が執行部員なのか、記録がない』んですか?」

「そうなるな」

 そう、つまり『公式の部員名簿』がこの世に存在しないという意味である。誰が所属し、どんな作業を行ったか記録に残らない。故に、その成果は一般には知られることはないということだ。

「気付いたか? 執行部は、学園唯一の『記録に残らない部』と言うわけだ」

 金沢が据わった眼でそう言った。笹原も、これはまずい場所に来てしまったかも知れない、と頭で考えてしまった。



 空は、行く末を表すような夜に包まれていた──

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