Episode6 リリィ(下)

「……こればかりは仕方ねえよ。あんたもあの”飽食の責め”でだいぶ弱っていると思うけど、まだ普通に動くことはできるだろ。だから、お願いだ。明日の混乱に乗じて、計画については何も知らないこいつ(ジャニーン)を連れて村まで逃げてくれ。俺はこいつに別れなんて言いたくねえんだ。ここでのことは何もかも全部悪い夢だったと忘れて暮らして欲しいからよ」

 セドリックは哀し気な笑顔をリリィに見せた。


「あなたたちが逃げるための馬は、すでに用意してあります。あなたたちがご家族の元に戻るチャンスは、明日の夜を逃がせば次はいつやってくるか分からない。明日を逃したら、もう永遠にやってこないかもしれない。人ならざる者である私たちですが、せめて最期ぐらいはあなたたちを救って人らしい最期を迎えたいのです」

 ブレイデンも哀し気に笑った。



※※※




 決行の夜はやってきた。

 日付はとっくに変わっている頃であるのか、リリィの部屋の窓から見える満月は煌々と輝きながら、西へと傾き始めていた。


 リリィの部屋にはイザベラ側に立つ騎士の手によって、外から鍵がかけられていた。

 そのため、リリィは窓からブレイデンにこっそりと渡された荷縄をつたって脱出するしかない。ブレイデンからはあの離れの鍵の複製も託されていた。


 ブレイデンは今、この部屋にいない。

 古株である彼とセドリックは、イザベラ・ハーデスとともに大広間にいるのであろう。

 今宵、8つの棺からは新たな8人が生まれる。

 5年という年月の間、ジャニーンから削られた肉を礎として生まれる新たな8人が……


 屋敷の外の内も静まり返っている、今のこの時に逃げればいいのかもしれない。

 けれもど、ブレイデンやセドリック以上に”イザベラの寵愛が薄くなってしまった者”は見張りにつかされている。

 もし、リリィが逃げ出した時にその者たちに見つけられたら元も子もない。だから、その者たちも剣を抜き見張りを離れざるを得ない状況へと、ブレイデンとセドリックたちは持ち込むのだ。


 ブレイデンとセドリックの話では、戦力はほぼ二分されるであろうとのことであった。

 人数そのものは五分五分であっても、勝敗はどちらに傾くかは分からない。

 ブレイデンはこう言っていた。

「私たち2人とも剣の腕は相当に立つという設定で創られています。でも、それは例外なく”彼ら”も同じです。そのうえ、彼らはイザベラ・ハーデスへの忠誠を――自分の命と引き換えにしてでも、あの人を守るという設定がしっかりと根付いているままなのですから」と。


 リリィの心臓の鼓動が立てる嫌な音は、徐々に大きくなっていく……


 そして、ついに――

 戦いの火蓋はきって落とされたようであった。

 男たちのあげる争いの声が、リリィのいるこの部屋にまで届けられたのだ!


 

 窓から身を乗り出したリリィは、荷縄をグッと握る。

 数時間前の食事が残っている重い体であったも、そして木登りすら碌にしたことないため下を見下ろすと眩暈と恐怖を感じたも、夜露で濡れた草の上にリリィは足を下ろすことができた。


「………!!!」

 リリィが目にした衝撃の光景。

 それは、館の半分はもうすでに炎に包まれているということであった。

 リリィが体感していた以上に部屋から脱出するのは時間がかかっていたのか、それとも火の周りが想像以上に早かったのか。

 この炎の源泉は、間違いなく大広間に並べられていた8つの棺であるだろう。



 創造主にとっても、それは残酷な光景であるのかもしれない。

 1人の女が創造した者たちが二分し、剣を交え戦いあっている。

 炎の音とともに、男たちの罵声と怒声も重なりあい、響いてくる。

 その中にきっと、ブレイデンとセドリックもいるはずだ。

  


 リリィは、ジャニーンのいる離れへと向かって駆け出した。

 彼ら2人――いや、彼らとともに剣を手に創造主へと向かっていった者たちの思いをここで無駄になどできない。

 彼らは、自分とジャニーンを助けようとしてくれる。

 いや、自分たち2人だけでない。

 村で暮らす者たちが、もう二度と魔女からの”生贄の招集”に怯えることのないように、哀しみの涙で枕を濡らす自分の母やジャニーンの家族のような者たちがいなくなるように。



 しかし――

「娘がいたぞ!」

「捕まえろ!」

 必死で駆けるリリィの後ろより、騎士たちの怒声が浴びせられたのだ!



 奴らは、ブレイデンとセドリック側の騎士ではない。

 さらにリリィを追う彼らもまた、優れた身体能力を持つ騎士としてイザベラ・ハーデスは設定しているということだ。


 女の――それも弱らせられた女の足で、リリィが逃げきれるわけがなかった。

「………!!!」

 捕らえられたリリィは、燃えさかる炎によって照らされた草の上にドサッと押し倒された。


 仰向けとなったリリィの喉元に、血で濡れた騎士の剣が突き付けられる。

「この娘は俺が殺す! だから、お前は”離れにいる娘”を殺せ! 火でも付けてこい!」

 騎士が叫んだ。


「――――! だめ! お願い! やめてください!!!」

 ハッとしたリリィの絶叫のごとき懇願も虚しく、もう1人の騎士が離れに向かって駆けていった。

 ジャニーンを殺すために。



 リリィの喉元に剣を突き付ける騎士の光のない目が、彼女をじっと見下ろしていた。

「お願いします。私もジャニーンも何も喋ったりしません。だから、お願い! 助けてください!!! どうか、お願いします!!!」


「イザベラ様はお前たち2人を口封じに殺せと、絶対に生かして村に返すなと言った。だから殺す。イザベラ様のためにお前たちを殺す」

 そうだ。

 この騎士たちは、イザベラ以外の女の存在やなどカスと思う方に創り上げられた者なのだ。

 だから、その光無き目には最初からイザベラしか映っていない。

 リリィの必死の命乞いも通じるわけなどなかった。



 けれども――

「リリィ!!!」

 ブレイデンだ。

 光をまとった風のごとく、彼が駆けてきた。


 燃えあがる炎の館を背景に、ブレイデンと騎士の剣が、数度、宙にてぶつかりあう。

 ともに高い戦闘能力の騎士として創り上げられていたが、その根底にあるものは”今や全く異なってしまった”彼らの剣が。

 実力としては、やはり五分五分であっただろう。

 だが、相手のわずかな隙を逃すことなかったブレイデンの剣が勝利の音を響かせた!


「リリィ……!」

「ブレイデンさん……!」

 互いの無事を確かめ合うよう彼女たちは抱き合っていた。


「ブレイデンさん……早くジャニーンのところへ!」

 涙に濡れた瞳でブレイデンを見上げたリリィが叫んだ。



 しかし、彼女たちがともに離れへと駆けつけた時、そこはすでに炎に包まれ、夜空へと向かって燃え上がっていた。

 それは、絶望と同義の光景であった。


 長期に渡って監禁され心身ともに弱っていたジャニーンが脱出できたであろうか。

 ジャニーンは死んだ。もう、殺されてしまったのだ。


「そ、そんな……ジャニーン………」

 へたり込んだリリィから嗚咽が漏れる。

 そして、それは慟哭へと変わっていった。


――ジャニーン、ごめんなさい! 助けられなくてごめんなさい! どんなに家に帰りたかったでしょうね。こんなところで地獄の責め苦に5年も耐え続けて……そして、最期は……!!


 これが心優しかったジャニーンの最期であるというのか?

 幾度となく肉を絶大な痛みとともに削り取られ、美しい裸体にも癒えぬ傷を刻まれ、それでも家族の元に帰ることを支えに、そして”この魔女の住処で悪魔の道具によって創られたも正義の心を持つことになった騎士”との間に灯された愛を支えに、必死で生き抜いてきた彼女の……

 彼女の家族たちも、”ほんのわずかな希望”しかなくとも、一日千秋の思いで彼女の帰りを待ち続けていたに違いなかったのに。


 ブレイデンも目の前に赤々と突き付けられている”希望が潰えし光景”に唇を噛んでいた。

 だが、離れに火が放たれたということは、”火を放った騎士”も絶対に近くにいるはずであるが……



「いたぞ! あそこだ!」

 リリィとブレイデンの元へ、新たなイザベラ側の騎士の怒声が飛んできた。


「リリィ! 私の後ろに!」

 咄嗟にリリィを自分の背にかばうブレイデン。

 そのブレイデンの背中越しにリリィが見たのは、燃え上がり続ける魔女の館を背景に、幾人もの騎士が――いくらブレイデンでも一人では太刀打ちできないであろうという数の騎士たちが、自分たちの息の音を止めんと駆けてきている光景であった。



 絶望は炎のごとく、広がりゆく。

 だが――

「させるか!」

「待ちやがれ!」

 希望をまとった幾人もの騎士たちが奴らを阻止せんと、後ろから追いかけてきているのだ。


「リリィ。ここで私たちが食い止めます。だから、あなたは1人でも村へと……あなたの家族が待つ家へと……」

 そう言ったブレイデンはリリィを振り返った。

「で、でも……」

「……早く! 私はあなたを死なせたくなどはない! 罪なき少女の苦痛と死の上に自分たちが生きているという罪滅ぼしのためだけではない! 私はあなたに生きていてほしい! あなたに幸せに笑っていて欲しい! たとえ、私はあなたのその笑顔を見ることはできなくとも!!」

「……!!!」


 叫んだブレイデンは、自らが吐露したリリィへの思いを振り切るように、剣を手に構え直した。

 その時、リリィにも、そして最後となるであろう戦闘へと飛び込まんとしているブレイデンたちにも、予測していなかった光景が目へと飛び込んできた。



「あ、あれ…………!!」

 1人の騎士が指さしたのは、炎に包まれし館のバルコニーであった。

 そのバルコニーにいたのは――


「イザベラ様!?!」

「そんな、他の奴らがお守りしてたんじゃ……!!」

 また違う騎士たちの悲鳴のごとき声があがった。


 イザベラ・ハーデスが、炎とともに今にも崩れ落ちんとするバルコニーにいたのだ。

 真っ赤な炎に包まれたイザベラ・ハーデスは1人でダンスを踊っていた。

 しっちゃかめっちゃかなソロダンス。 

 断末魔の悲鳴とともに踊る、彼女のこの世での最後のダンス。



――!!!!!



 炎に包まれしイザベラ・ハーデスは、ついにバルコニーから身を躍らせた。 

 地面に叩きつけられた彼女が、ただの肉の塊へと変わったであろうことは誰が見ても明らかであった。


「イザベラ様ぁぁ!!!」

 彼女の”創造と支配”の枠からはみ出すことのなかった騎士たちの間から絶望の叫びがあがった。


 その創造主イザベラの死に間髪入れず、”彼ら”もただの肉の塊と変わり始めた。彼らの体は小刻みに痙攣し始め、その痙攣の激しさとともに、土の上と崩れ落ちた。やがて、彼らはただの肉の塊となり、吹き抜けた風とともに満月が沈みゆく夜空へと風と化し舞い上がっていった……


 後に残されたのは哀れな彼らが身に付けていた衣服と、そして握りしめていた剣だけであった。


 イザベラ・ハーデスの死によって、”彼女側に立ち続けていた騎士たち”は風に運ばれ消えた。

 けれども、リリィをその背中で守り続けていたブレイデン含め、その他の騎士たちは消滅などしていない。



 ブレイデンと他の騎士たちは顔を見合わせ頷きあう。

 そして――


「お願い! やめてください!!」

 リリィは、炎の煉獄と化した館の中へと他の騎士たちとともに戻ろうとしてるブレイデンの背にしがみついていた。

 リリィは分かっていた。彼らがこれから何をしようとしているのかを。


 ブレイデンは足を止めた。

 だが、彼は振り返らなかった。

 自分の背にしがみついているリリィの顔を決して見るまいとするように。

「リリィ……もう魔女は死にました。そして、最後まで魔女の手の内にいた兄弟たちも……残された私たちは今から”最期の幕引き”をしなければならないのです」


 最期の幕引き。

 この世に禍々しく誕生してしまった自分たちも、幕を下ろさなければならない。

 炎に包まれた館の中で、彼ら全員とも自決する気なのだと。


「……リリィ、肉人形として創られた私たちも肉の塊へと戻るべき者たちなのですよ」

「なぜ、そんなことを! あなたは……あなたたちは、私やジャニーンを……そして私たちの村の者たちをも救おうとしてくれた! 私たちのことを思ってくれたあなたたちは、ただの肉人形なんかじゃありません!!」


 しゃくりあげるリリィ。

 リリィの流す涙で、ブレイデンの”震える背”も濡れていく。


「あなたはこうして生きている! 今、私の体に伝わるあなたの温もりは嘘じゃない! 私はあなたに……あなたたちに生きていてほしい! あなたたちにも、幸せに笑える日が来てほしい! 魔女は死んだ……でも、あなたたちだけは消えなかった。それはきっと神様が……人としての心が生まれたあなたたちには生きろと、生き続けていいと伝えているのよ!!!」


「リリィ……!」

 振り返ったブレイデンが、リリィを腕の中へと抱きしめた。

 ブレイデンは泣いていた。熱い涙が”創り者”ではなくなった彼の目から溢れていた。

 リリィの言葉を聞いた他の騎士たちも、涙を浮かべ、鼻を啜り始めていた。



「……へっ、俺たちにそんなことを言ってくれるとは本当にうれしいもんだな」

 焼け落ちる寸前の離れの方角より聞こえてきた声。

 

「……セドリック!」

 姿が見えなかったセドリックは生きていた。

 彼だけじゃない。彼は、ジャニーンをその腕に抱いていたのだ!


 ジャニーンがいた離れに1人の騎士が火をつけることは阻止できなかった。だが、駆け付けたセドリックがその騎士を倒し、炎に包まれゆく離れよりジャニーンを間一髪救出したに違いなかった。

 さらに熱い涙で滲みゆくリリィの瞳に映った彼らの姿は、夢でも幻でもなかった。








 炎とともに崩れ落ちる魔女の館。

 そこに主はもういない。

 

 炎を背に、幾人もの騎士たちが馬に乗り駆けていく。

 彼らは皆、生きるために自由の地へと向かって駆けていく。

 ある者たちは北へと、ある者たちは南へと、ある者たちは更なる西へと――



 ただ、たった2頭の馬だけは東へと――村へと向かっていた。

 手綱を握る勇ましき2人の騎士たちの腕の中には、それぞれの愛しき娘の姿があった。

 彼らは腕の中の娘の確かな温もりを感じ、娘たちもまた自分を抱き込む騎士の確かな温もりを感じていた。


 東の地平線より昇り始めた朝日が、彼らをこのうえなくまばゆい光で包み込んでいった。

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