Episode6 リリィ(中)

「ジャニーン……!」


 リリィはもう一度、彼女の名を呼ばずにはいられなかった。

 目の下にはクッキリと隈が刻まれ、虚ろな瞳のジャニーン。

 痩せたというよりも、やつれてしまったことが痛々しいほど伝わってくる彼女には、自分の声は届かないであろう。

 この魔女の住処で5年もの時を過ごし、その間に地獄を見たであろうことが一目で分かる彼女には……




「……あ、あなた……もしかして、リリィ? リリィなのね?」

 なんと、ジャニーンははっきりと言葉を発した!

 そのうえ、約5年ぶりにこんな所で再会することになったにも関わらず、17才に成長したリリィを見て、すぐに分かったのだ。

 彼女は正気を保っていた。保ち続けていた。

 目から光は消えているも、気は触れてはいない。

 だが、それがかえって、この異常な事態においては、彼女の苦痛を長引かせていたに違いなかった。


 リリィとジャニーンは手を取り合った。

 確かに生きている――生き抜いてきた彼女の細い手の温かさは確かに生者としてのものだった。

「ねえ、私の両親は元気? 弟や妹たちはどうしてる?」

 家族の近況を矢継ぎ早に聞く、ジャニーンの目からは大粒の涙が溢れ出した。


「皆、元気にしてるわ……」

 リリィには言えなかった。 

 ”あなたを取り上げられてからというもの、皆、終わることのない悲しみとともに生き続けている”ということは。

 


 その時、外で――リリィの背中の方角からカタンと小さな足音がした。

 リリィはビクッと飛びあがった。

 ブレイデンが腰の剣にそっと手を添え「ちょっと失礼します」と”不審な物音”の方角へと向かった。


――まさか、私たちがここにいることが見張りの人達に……!

 しかし、ブレイデンは外の不審な物音の主と剣でやり合うわけではなく、普通に話をしているようであった。

 そして、ジャニーンも今、ブレイデンが今、誰と話しているかを分かっているようであった。


「リリィ、あなたはここに連れてこられて、どれくらい経つの?」

「明日の満月でちょうど1か月になるわ………」

「……もうすぐ1か月ね。でも、今のあなたを見る限り、”あれ”は飲まされていないのね。良かったわ」

「”あれ”とは一体?」


 リリィの問いに、ジャニーンを少し声を落とし答える。

「……百合の花が彫られたカップに入った飲物よ。あのカップに入れられた飲物をたった1滴でも飲むと……徐々に体が大量の食事を求めるようになってくるのよ。心がどんなに悲鳴をあげていようともね」

「!!!」


 ジャニーンも自分同様、あの”飽食の責め”を連日受け続けたということか!

 リリィはブレイデンに言われた通り、あの百合の花が彫られたカップに一口だってつけてはいない。恐ろしい魔術がかかっている物がテーブルに毎回、並べられていたということだ。

 それに、やはり魔女イザベラの狙いは、村から連れてきた少女を太らせることにあったのだ。

 けれども、今リリィの目の前にいるジャニーンは決して肥満体ではない。



「リリィ……あの女の狙いはこれなのよ……」

 スッとリリィの手を離したジャニーンは服を脱ぎ始めた。

 全裸となったジャニーン。

 彼女の白い顔よりも、もっと白い裸体がランプの灯りによって照らし出された。

 彼女の清楚な顔立ちにあった乳房の膨らみ。その頂きにポツンと咲いた花のような乳首。女性らしい曲線を描いた腰。細く長い脚の間にある若草の繁み。


 けれども――

「!!!」

 彼女のその白い裸体の至るところに、真っ赤なムカデが這いずり回ったかのような傷跡が刻まれていた。


「そ、それは……!」

 思わず目を背けたくなるほどの惨たらしい傷跡たち。


 

 その痛々しい裸体を服の下へと再び隠したジャニーンは、リリィの目を真っ直ぐに見て続けた。

「……私が5年前にこの城に連れてこられてからというもの、騎士たちの監視の下、昼夜問わず食べさせられたわ。体がなかなか追いつかなくて、最初は吐くか、お腹を下してばっかりだったけど……私は徐々にブクブクと太っていったの…………ついに半年が過ぎる頃になると、ついにベッドからも自力で起き上がれなくなるぐらいに……人間ってここまで太ることができるんだと思うほどにね。そんなある晩、あの女が私の寝室にやって来たのよ。鎌を手に持ってね。殺されると思った。でも、私ももう逃げることすらできない体になっていたの。そして――口の端をニッと歪めたあの女は、私に鎌を振り上げた……!」


 ジャニーンは殺されたのか?

 いや、でも彼女は今、確かに生者としてリリィの目の前にいる。


「あの女は鎌で私の体の肉を削り取ったの。痛かったわ。血もいっぱい出たわ。痛みと恐怖で意識が薄れていく時、このまま死んでしまうんだと思った。でも、違った。翌朝、私は白から真紅へと色を変えた”濡れた”シーツの上で横たわっていたの。元の体型に……この城に来たばかりの頃の体型に戻ってね。体に傷跡はしっかりと残っていたけど。そして、私はまた太らされ、鎌で肉を削られた。それが数回繰り返された」


 極限まで太らされ、”対象者が決して死なない鎌”で肉を削られる。

 いったい、何が目的なのか。

 そして、イザベラ・ハーデスはその削った肉をどうしたというのか?


「……普通の人間が想像している魔女といえば、魔女自身が禍々しいな力を持っていると考えるでしょうね。でも、イザベラ・ハーデスは違うのよ。あの女は、魔界から禍々しい道具を”幾つか”授かっているだけ。あの女そのものではなく、鎌やカップといった道具そのものに禍々しい力が宿っているのよ」


「――そういうこったよ。あの女は道具さえなければ、幾つになってもプリンセス扱いされたい自己中の中年女だ。それも自分の思い通りに”創り上げた男たち”にな」

 リリィの背後からの聞き覚えのない声と2人分の足音。

 ブレイデンとともに1人の騎士が姿を見せた。


 ランプの仄かな灯りが、この”新顔”の騎士も超長身の美男子であることをリリィに示した。

 彼の年の頃はブレイデンと同じぐらいか。

 しかし、物腰柔らかで正統派なブレイデンと比べると、その顔立ちも話し方もやや野生的な印象を受ける。

 部屋から極力出ないように指示されていたリリィは、彼の名前を知らなかった。

 彼もリリィに名乗る気はないようであった。


 その時――

 ジャニーンがふらつき、倒れ込んだ。

 リリィが彼女のやせ細った体を抱きとめる前に、そしてブレイデンが駆け寄るよりも早く、新顔の騎士がジャニーンを腕の中に抱き留めた。


「セドリック……彼女は?」

「大丈夫だ。気を失っているだけだ。だいぶ弱ってしまってるからな」

 新顔の騎士――”セドリック”はジャニーンをソッと簡素なベッドの上に横たえた。そして、彼はリリィに振り向いた。


「……あの女がジャニーンから削り取った肉をどうしたのか、あんたにも教えてやるよ。あの女は削り取った肉を大広間へと運んだ。あの大広間には8つの”棺”が置いてあることは、あんたも最初の日に目にして知っているだろう? あの棺にも、例に漏れず魔界の力がかかっているんだ。あの女は、その棺の中に削り取った肉を小分けにして入れていった」


 リリィの喉がゴクリとなる。

 血と脂肪が滴り落ちる生温い肉たちを、几帳面に小分けにして、棺の中へと入れていくイザベラ・ハーデス。しかし、棺に入れた肉はそのまま腐っていくだけでないのか? いったい、どうなるというのだ?


「あの棺たちは死体を納めるものではなく”誕生の道具”なのさ。自分が思い描いた通りの者を創るためのな。男を創り上げたいなら女の肉を。女を創り上げたいなら男の肉を。生と死。陰と陽。男と女と相反するものが作用し、”神に背いた存在”が生まれる。ちなみに8つの棺に入れる肉だが全て1人の人間から集め、削り取ったものでなければならない。あの女は、”若くて美人で村の皆からの評判のいい娘”が嫌いだから、肉の生贄として選ぶものそういう娘たちばかりだった。1人の娘から削った肉たちで8つの棺を満たす。それから8カ月待つ。その8カ月後に、肉を入れた者が思い描いた通りの”8人”がそれぞれ棺の中から起き上がる。それが、”一番最初の俺たち”も含めて、それが8回繰り返された」


 ブレイデンがセドリックの話を受け継ぐ。

「セドリックが話した通りです。私とセドリックは”最初の8人”のうちの2人なんです。約40年前に、絶大な痛みと恐怖とともに鎌で肉を削り取られ、そして最後はイザベラ・ハーデスに殺されたであろう可哀想な娘の肉の礎のうえに存在している産物なのです」


 ブレイデンも、セドリックも、やはり人間ではなかった。

 魔界から呼び寄せられた道具、罪なき娘の血肉と無念、イザベラ・ハーデスの”創造力”がかけ合わされて、この世に存在している者たちであったのだ。 


 セドリックがハン、と鼻を鳴らす。

「ちっ……あの女、自分が創り上げる男の設定を……事細かに何人分も考えることが好きなうえにそれができるなら、物書きにでもなりゃ良かったのよ。てめえ1人だけの承認欲求と性欲を満たす玩具にしやがって……てめえ一人が女神扱いのハーレムを作りたかっただけかっての。それに、あの女……今は”新人たち”に夢中だから、もう”古株の俺ら”は用済みの備品扱いだしよ」

 

「ある意味、私たちの母とも言えるあの人にも、たった一つだけ分かっていないことがありました。私たちは確かに”創られた者”です。あなたやジャニーンのように、普通に人間の女から産まれたというわけじゃありません。けれども、私たちにも数十年の時とともに心は生まれてきた。最初は単にあの人”だけ”を敬い、心身共に喜ばせ、永遠に裏切ることのないように創られていたはずの私たちにもね……」とブレイデン。


「普通の物書きとして見れば、”今の俺たちの姿”は大成功だろうな。自分が事細かに設定し創り上げた者たちが、自我を持ち、自分の手を離れて、まるで本当の人間のように考えて動き始めるなんてよ。てめえ以外の女はカスと教え込み、てめえだけをこの世で最上の女だと敬わせられていた肉人形の俺たちが、他者の命について考え、正義について考え、誰かを愛するようになるなんてよ」とセドリック。


 今のセドリックの言葉で、リリィは察した。

 セドリックが愛している誰かとは、ジャニーンのことなのだ。

 ジャニーンがこの残酷で異常な状況において、心身共に衰弱しきっているのは明らかである。だが、彼女はこれほどに長い間、正気を保つことができたのは、村にいる家族たちへの愛と”この城でひっそりと灯された愛”によってだ。


「リリィ……あのあの百合の花のカップに注がれた飲物は、中毒性のある飲物へと変えられてしまいます。絶対に飲まないように言い聞かせていたのは、あなたの肉体を守るためとジャニーンを守るためでもあったのです。あなたが順調に太っていかない場合の予備として、”あなたの前の者”であるジャニーンがここでこうして生かされていたのですから」

 ブレイデンはなおも続ける。

「あなたには随分と苦しい思いをさせましたね。でも、それはもう明日の満月の夜で終わります。明日の夜は、また”新たな8人”が棺より生まれる時なのです。その機会を狙って私たちは創造主へと反旗を翻します」


 ブレイデンとセドリックが、イザベラ・ハーデスへと反旗を翻す。

 たが、彼女の周りにはその他の騎士たちがいる。


「お、お2人だけで、あんな大勢相手に……?」


 セドリックがクッと笑う。

「あんたも見た目通り、おジョーさんだな。48人のうち俺たち2人にだけに、上手い具合にこうして心が生まれたと思うか?」


「!?!」

 ということは……!

 他にも心が生まれた騎士たちはいるということだ。

 彼らと力を合わせ、ブレイデンとセドリックは自分たちの創造主である女と、あらゆる意味で自分たちと兄弟(同じ棺から生まれたうえに、”穴兄弟”でもある)とも剣を交えて――


「けれども……全てが終わった後はあなた方はどうなるのですか?」


 思いもがけないリリィのその言葉に、ブレイデンとセドリックは驚いた顔をする。

「お優しい方ですね。あなたの村でも”悪魔の化身”などと噂され、また実際にそうでしかない呪われた私たちの”その後の心配”までしてくださるなんて」

 切なげにフッと笑うブレイデン。


「ま、たぶん、全てが終わったら、俺たちは消滅するだろうな。生まれた棺へも戻ることができず、肉の塊と変わり朽ち果てるだけだろうよ」

 セドリックも言う。


「そ、そんな……」

 リリィは、横たえられたジャニーンを振り返った。


 気を失っているジャニーンは、今の話を聞いているはずがなかった。

 ブレイデンも、そして、この地獄の中でジャニーンの光となってくれていた騎士セドリックも消滅する覚悟を決めているのだ。

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