Episode6 リリィ(上)
「む……娘を……リリィを差し出せということでございますか?」
「そうだ。”あのお方”より『村の東部で母親と2人で暮らしているリリィという名の娘を』とのお召しがあったのだ」
17才の少女・リリィは、その名の通り穢れなき百合の花のようにたおやかで美しいうえに、穏やかで優しい性質の少女であった。
そんな彼女がたった一人の家族である母と慎ましやかに、そして清廉に暮らす家へと突然にやってきた村長ならびその他の村の権力者たちは揃って頷いた。
「う、うちの娘が、”あのお方”にお仕えするのは無理でございます。不調法でありますため、”あのお方”のご不興を買うことは、今より目に見えております。もっと器量も良くて、礼儀をわきまえている他の娘がいるはずです」
母の答えに、村長が溜息をつく。
「『他の娘がいるはずです』とはな。それは、自分の娘の身代わりに他の娘を差し出せということか。自分の娘さえ助かればいいのか? 母と言うものは自己中心的で浅ましいものだな」
一瞬、頬をカッとさせた母であったも負けじと言い返す。
「どう思われようが構いません。それが母というものでございます。私はこの子を守るためなら、獣にだってなれます。それに、村長殿……あなた様の子は全員ご子息でございますが、もしお一人でもご令嬢がいらっしゃったとしたら……そして、”あのお方”がそのご令嬢を望んだとしたら、あなた様は『はい。そうですね』と自分の娘を差し出せるのですか? そして、周りにいるあなた方も」
今度は町長たちが、頬をカッとさせる番であった。
リリィは、普段は物静かな母が、この村における権力者の”二番手”とも言える村長たちに言い返したことに驚いた。
「どうか、娘を差し出すのだけは勘弁してくださいませ。お考えを改めくださるように、”あのお方”にお伝えくださいませ。娘は私の宝なんです。娘が惨い目に遭うと分かっていながら、”あのお方”の元へと差し出すなんて……死神の鎌でこの身を裂かれた方がまだましでございます」
宝。
母にとってリリィが宝であるなら、リリィにとっても母が宝であった。
「もう決まったことだ。”あのお方”には村の誰も絶対に逆らえない。逆らうとどんな目に遭わされるのか分からない。どうか、村の皆を助けると思って……」
村長の視線は、唇を震わせている母から”生贄”となる当事者のリリィへと移された。
”リリィ。お前ももう小さな子供ではない。この村のために、自分が何をすればよいか。お前だって分かっているはずだ”と、村長の瞳はリリィに語っていた。
「それに、”あのお方”は――イザベラ・ハーデス様は女性だ。何も性の慰み者にされるというわけではない」
イザベラ・ハーデス。
この村の絶対的な権力者であり、村の西部の山の麓に”いつの間にやら建てられていた”館の主であり、なお人智を越えた力を持っている魔女。
循環している風のごとく村に流れている噂によると、イザベラ・ハーデスはまるで熊のごとき図体の中年女であるらしかった。
そのうえ、彼女はいったいどこから連れてきたのかと思うほどに、揃いも揃って蠱惑的であり、”人間らしい美貌の粗が一切ない”美男子の騎士を多数従えているとも。その騎士たちは、彼女が魔界より召喚した悪魔たちの化身に違いないとも。
「いくら女性であっても、今まであの魔女の住処へと、奉公の名目で連れていかれた娘たちが帰ってきたことがあったのですか? 誰一人として帰ってきた娘はいなかったではありませんか?! そう、”5年前のジャニーン”だって!!」
母の泣き声に近い声を聞いた村長たちの顔が歪む。
今この時と同じように、5年前に当時16才の少女・ジャニーンの家に総出で向かい、最悪の知らせを伝えざるをえなかったことを思い出していたのかもしれない。
リリィもジャニーンのことを考える。
生きていれば、今21才であるジャニーン。
穏やかで優しい彼女は、村でも評判の美しい少女であった。
リリィも今よりもっと幼い頃、ジャニーンによく遊んでもらったことを今でも覚えている。
”ジャニーンを失って”からの彼女の両親、そして弟や妹たちは、今も悲しみとともにひっそりと暮らしていた。彼女の家族たちが心から笑うことができる日は、もう二度とやってこないであろう”と村の誰もが思っていた。
そして、もうすぐリリィの母にも心から笑うことができる日は二度とやってこなくなる。
もちろん、リリィ自身にも……
けれども、リリィは魔女の住処へと向かうしかないのだ。
たった1人の”生贄”で村全体の平和が守られるのなら。
たとえ、自分がこれから向かう先に、”近いうちに死者となるであろう自分を納める棺”がその蓋を開けて待ち構えていようとも……
※※※
しかし、魔女の住処に来てからもはや3日。
ここでリリィを待ち構えていたことは、彼女の想像とは全く異なるものであった。
まず最初に、リリィは幾人かの騎士たちに大広間へと連れていかれた。
そこで自分を待ち構えていたのは、魔女イザベラ・ハーデスであった。
そのイザベラ・ハーデスの前には、なぜか8つもの棺が並んでいたのだ!
死者を迎え入れる棺に頬を引き攣らせたリリィを見て、イザベラはホホホ、と笑い声をあげた。
「まあ……怖いのね。でも、心配しなくていいのよ。この棺たちは”お前そのものを入れるものではない”から」
イザベラ・ハーデスは、町で流れていた噂通りの大女であった。
17才の少女にしては背がやや高めであるだろうリリィよりも、さらに頭1つ分ほど背が高く、そのうえ横幅はリリィの2倍近くはゆうにあった。
年齢は、おそらく50代ぐらいであろうか?
リリィが「魔女」と言われて想像してしまうのは、黒衣を身にまとい、枯れ木のような肌と体型をした老婆であった。
だが、イザベラは黒衣ではなく、美しい花に宝石をちりばめたかのような華美なドレスを身にまとっている。それも、彼女のような中年女性ではなく若い女性が着るデザインと色彩のドレスであった。
しかし、たとえ一国の王女であってもこれほどまでに着飾ることができるものであろうか?
そのうえ、たとえ一国の王女であってもこれほどまでの美男子を揃えて、傅かせることが可能であろうか?
イザベラ・ハーデス専属の騎士たちは噂通り、見事なまでに超長身の美男子揃いであった。リリィは正確に騎士たちの人数を数えたわけではないも、おそらく50名近いであろう。
珍しいほどに大柄なイザベラと並んでも彼らの方が背が高かった。
彼らの年齢は、下は10代後半から上は30代前半までかと予測され、皆、男らしく引き締まった体つきをしていた。
もちろん、リリィに”主な世話係”としてつくこととなったブレイデンという名の騎士に至っても――
「ブレイデンさん。私、もう食べられません……」
グッと口元を押さえているリリィの目の前のテーブルには、本日の”何度目かの食事”が並べられていた。
「……承知いたしました。後は僕が何とか誤魔化しておくので、隣の寝室のベッドで横になっていてください」
リリィからの”今回の降参”の言葉を受けた、騎士・ブレイデンが言う。
この騎士・ブレイデンの年齢は、年は20代半ばぐらいか。
目が覚めるほどに美しく気品があり、なおかつ柔らかな物腰で、リリィが想像する”麗しき正統派の騎士”を具現化したような男性であった。
「あの……ブレイデンさん。食事など1日3度、いえ私は2度でも十分です。もし許されるなら、私に提供されているこの食べきれないほどの食事を母や村の人たちに持って行ってあげたいほどです。食べ物を粗末になどしたくはありません」
死を覚悟して、この魔女の城へと震える足を踏み入れたリリィであったも、彼女がこうして受け続けているのは過剰なまでの”歓迎”であった。
毎日、1日10回近くもの食事が提供され続けている。
簡素な食事を10回ほどに分けて取らされるのではない。一国の女王の”年一度の誕生祭”のテーブルに並んでいるような、豪華な食事を毎日10回近くも……
当然、リリィに全てを食べきることなどできない。
さらに食事が終わったらすぐに与えられた寝室へと向かい、ベッドに横になっては眠ることを強制されていた。運動と日焼けも厳禁である――極力体を動かすな、外にも出るなということだ。
魔女の城にて、リリィはこきつかわれ、虐め抜かれるわけではなかった。
魔女の城にて、リリィは惨たらしい拷問を受け、殺害されるわけでもなかった。
しかし、今リリィが直面している状況は、一見”歓迎”のようであっても、結果としては虐めであり拷問であるだろう。
もともと働き者であり、手や足をよく動かしていたリリィにとっては、この食っちゃ寝の繰り返しで自分を太らせるためとしか思えない強制生活は、精神的にもつらいものであった。
――ご主人様は、一体、何が目的なのかしら? まさか、私を……!!
魔女は人食主義者であるのか?
いや、しかし、リリィの記憶にある限り、魔女イザベラはリリィを村から名指しで呼び寄せたにも関わらず、リリィそのものには全く関心がないようであった。
例えるなら”道具”を村から取り寄せた。その”道具”の手入れ等はブレイデンを含む自分の騎士たちに任せている、といった具合か。
リリィの主な世話役はブレイデンであるも、時折他の騎士たちが入れ替わりで”リリィが食事をちゃんと取っているか”を抜き打ちで見回りに来ていた。
だから、ブレイデンは先ほど”僕が何とか誤魔化しておく”とも言ったのだ。
「また他の者たちが見回りにくるかもしれません。早く隣りの寝室で眠っているふりを……それと今回も、その百合の花が彫られたカップに入っていた飲物には絶対に口をつけていませんね?」
リリィは、コクリと頷いた。
なぜかブレイデンは、毎回の食事の中にリリィの名前と同じ花が彫られたカップに入った飲物について「絶対に飲んではいけません。飲んだふりをしておいてください」と何度も念押しをしていたのだ。
その理由については分からない。
聞こうにも、今、リリィのお腹は破裂せんばかりだ。苦しい。
椅子から腰を上げたリリィであったが、立ち眩みを起こしてしまった。
空腹で倒れることはあっても、満腹で倒れることなど自分の人生にあり得ないと思っていたリリィ。
床へと倒れ込んだリリィにブレイデンが慌てて駆け寄った。
そして――
「きゃっ!!」
ブレイデンはリリィをその両腕で抱き上げた。まるで王女を守る騎士のように。
「おっ、おろしてください!」
リリィの頬は瞬く間に桃色の果実のごとき色に染まる。
全く男馴れしていないこの娘にとって、双方ともに服を着た状態ではあるもこれほど体を密着させていること、そのうえ、無理やり詰め込んだ食物によってお腹がパンパンとなっている自分史上、最高値の重たい体を抱きあげられたという恥ずかしさによってだ。
けれども、ブレイデンはそのままリリィを軽々と運び、隣の寝室へと連れていった。そして、整えられたベッドに彼女の体を優しく横たえた。
リリィは頬を染めたまま、ブレイデンを見上げた。
「ブレイデンさん……ご主人様は一体、何が目的なのでしょうか? この館まで連れてこられて、訳も分からないまま食べきれないほどの食事をこれほどまでに与えられている私には、それを知る権利もないのでしょうか?」
「…………今はその理由を私の口からあなたに伝えることはできません。ただ、来るべき時が来たなら、必ずお伝えいたします」
そう言ったブレイデンの頬には影が差していた。
自分がこれほどまでに自分の胃袋の容量以上の食事を与えられている理由。それを今、彼の口からは聞け出せそうにない。
そもそも、騎士ブレイデンは魔女イザベラ側に立っている人物である。
しかし、リリィは思っていた。
この部屋へと抜き打ちでやってくる騎士たちとブレイデンは、何かが根本的に違っている。なんというか、人間としての温かい血がブレイデンには”本当に”流れているような気がするのだ。
リリィは別の質問を――この城へと足を踏み入れる前より気になっていたことをブレイデンへと投げかけることにした。
「……5年前、村からこの城へと奉公にうかがったジャニーンという名の娘がいると思うのですが、彼女は一体、今どこにいるのですか?」
ブレイデンの頬がピクリと引き攣ったような気がした。
リリィの錯覚だったのかもしれない。
しかし、リリィは人の感情を機敏に読み取ることができ、ブレイデンは自分の感情をその麗しい顔の下に隠すことが上手い。
「さあ……今はこのベッドで眠っていてください。いつまた、他の者たちが私たちの様子を見に来るとも限りませんので」
そう言ったブレイデンは、静かに寝室を出て、隣の部屋と戻っていった。
はぐらかされた。
だが、リリィが今のブレイデンの一瞬の様子を思い出す限り、ブレイデンはジャニーンのことを覚えている。そして、彼女が”どうなったか”ということも知っているのであろう。
ジャニーンはやはり、もうこの世の人ではないのだ。
この魔女の住処のどこかにジャニーンの骨が埋まっているのだ。
この城に来る前から、リリィはそれは想像できていた。
誰もが口には出さないが、村の者たちの間にも、”帰らずのジャニーン”がこの魔女の住処で殺されたに違いないであろうという空気が流れていたのだから。
リリィは両手で顔を覆っていた。
瞼の奥で、永遠に16才のままとなってしまったであろう、ジャニーンの優しい笑顔が蘇ってくる。
そして、もうすぐ自分自身もジャニーンが逝くことになった場所へと逝くことになるかもしれないのだと……
さらに、それから数週間が過ぎた。
リリィはまだ、これといった危害は誰にも加えられていなかった。
あり得ないほどの”飽食の責め”を受けていること以外は。
今までは母一人、娘一人の生活であったため、急に超グレードアップした食事に、リリィの肉体はなかなかついていかないのだ。
リリィはまるまる太ってギットギトになるどころか、肌は食べすぎによって妙な荒れ方をし、ゲッソリとやつれていった。
汚い話であるも食べた後すぐ、下から出すか、上から出すかの方が多くなっていた。
出したはずなのに、感じている体の重さは変わることなく、息をしているだけでも胃液の匂いが立ち上っていくようであった。
このままじゃ、体が持たない。このままじゃ、ジワジワと殺されてしまう。
しかし、リリィが逃げようにも城内の至るところに腰に剣を差した騎士が控えている。逃げたところで、すぐに捕まってしまうことなど火を見るより明らかであった。
明日は満月を迎えるであろうある夜。
リリィの前に、終わることない”責め苦”が美味なる香りと盛り付けで並べられていった。
もう嫌だ……と涙目となったリリィであったも、今回は何か様子が違うことを悟った。
食事そのものがじゃない。
ブレイデン含むその他の騎士たちの様子に妙な違和感を感じた。
「リリィ、私におぶさって」
部屋の外の様子を確認してきたらしいブレイデンが、低い声で呟いた。
「え……?」
「今夜はご主人様の夜通しの誕生パーティーのため、お気に入りの騎士たちが集められ、警備はかつてないほど手薄です。その他の説明は他の場所でします。だから早く!」
ブレイデンに気圧され、リリィは彼の広い背中におぶさっていた。彼の硬い背中でリリィのみずみずしい乳房の膨らみが押しつぶされる。
そして、ブレイデンはリリィを”隠すように”上からマントを羽織った。
「ブ、ブレイデンさん……?!」
「あなたを今から、”離れ”へと連れていきます」
リリィのほっそりとした脚に両腕を回したブレイデンは、バッと立ち上がった。
今夜は魔女の誕生パーティであり、いつもより、騎士たちの警備が手薄であると。
まさか、彼は魔女の住処から自分を逃がしてくれるのか?
今夜こそ”来るべき時が来た”ということなのか?
いや、彼は”離れ”と言った。村へと続く道にではない。
思考を整理できぬままのリリィはブレイデンに背負われ、離れへと連れていかれた。
重たげな錠が外される音がリリィにも聞こえた。
「……一番奥まで連れていきますから」と囁いたブレイデンは、その場でリリィを隠していたマントを脱ぎ棄てた。
離れの中は真っ暗闇ではなかった。
まるで誰かが暮らしているかのように――誰かのための灯りであるかのように、ランプがところどころに灯されている。
揺らめくランプの光がリリィの目をくらませ、わずかな埃と黴の臭いがリリィの鼻をひくつかせる。
ブレイデンの足が止まった。
彼の背中からゆっくりと下ろされたリリィの瞳に映ったのは――
「……ジャニーン……!?」
もう生きてはいないだろうと思っていた少女・ジャニーンがそこにいた。
いや、もう彼女は”少女”ではなくなっていた。
16才の少女から21才の女性として、リリィの目の前で確かに生者として存在していた。
美しく優し気な目鼻立ちはそのままであった。
何年も日の光を浴びていないであろう彼女の白い肌が、そして光などとうの昔に潰えてしまっているであろう虚ろな瞳が、ランプの灯りに照らされ、薄闇の中に浮かび上がっていた。
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