Episode2 初夜は死の香り(前編)

 やはり、努力してもどうにもならないことはあると思います。

 しかし、私はそういったどうにもならないことを”ある程度までは”叶えることができるのです。まあ、私のことは取りあえず、妖精のようなものだと思っていただければ、それでいいかと……


 え? そんなこと信じられないですって?

 まあ、無理もない話です。けれども、私を”元のゴミ捨て場へとリリースする”前に、少しだけ私のお話を聞いていただけませんか?

 私を見つけるなんて、四葉のクローバーに遭遇する以上に希少なものでございますよ。


 あ、言い忘れておりましたが、私は今も昔もこうしてガラスの瓶の中に住まわされております。

 私と契約を結んだ後は、毎夜12時が来る前に私のガラス瓶を1日も欠かさず契約者ご本人様の手で優しく磨いていただけることが、契約続行の意志とみなされます。

 そう、毎日……たとえ雨の日でも雪の日でも嵐の日でも、体調不良で発熱していても、淫らな夜遊びの最中であっても……1日でも磨きをさぼれば、そこで契約中断。

 シャルル・ペローさんって方が書いた童話『シンデレラ』の魔法じゃあありませんけど、12時を過ぎると私との契約は中断となります。契約終了ではなく、中断でございますよ。つまりはそのまま、もしくは本来の状態で……といった具合です。そこのところ、お間違えのないようにお願いいたします。


 まだ、契約するなんて一言も言っていないのに、腹の立つ言い方ですって?

 それは失礼いたしました。

 ですが、私が今までに契約を結んだ、ある2人の女性についてのお話だけは聞いていただけるととってもありがたいのですが……


 聞いていただけると?

 それは本当にうれしい。やっぱり、あく……いや、妖精であっても、人恋しくなることはありますからね。

 

 今からお話いたしますのは、齢ン百年の私の何人目かの契約主でありました、とある裕福なお屋敷のご令嬢S様とその侍女Eにまつわるお話でございます。

 顧客の個人情報の保護のため、S様や侍女Eのフルネームや彼女たちが生きていた時代ならび国名等は、伏せさせていただきます。あなた様がお好きに脳内補完しながら、聞いていただければいいかと。その代わりといってはなんですが、当時、私や彼女たちの間で交わされた会話などは詳細に再現して、語らせていただきます。




 件のご令嬢S様は、大変な美人とまではいいませんが器量もそこそこのお方で……つまり美人といっても決してお世辞ではないご容貌をしておりました。

 ご性格にも何の問題もなく、人間としての礼節や思いやり等は、人並みに持ち合わせていた方と言ってもよいでしょう。正直、私はS様を1人の人間として好きでございました。

 しかし、S様はある生まれもった要因によって、ご性格はやや卑屈で消極的なところもありました。その生まれもった要因については、S様の願いを受けた私が”押さえつけて”はおりました。


 結婚適齢期に差し掛かったS様に縁談が持ち上がります。

 お相手の方は、S様のご生家とほぼ同等の家柄と財産を持っている殿方であるとのお話でした。私はその殿方を、実際にこの目で見る機会は一度もなかったのですが、一度お顔を合わせたS様のお話によると、”気品と精悍さをちょうどいい塩梅で持ち合わせた、まさに奇跡のごとき美しい殿方”であるとのことでした。

 一見、何の問題もないような縁談ではありましたが、S様が浮かない顔をしている”理由の1つ”は、その殿方の婚姻歴にありました。

 この殿方……今時の若い方たちの言葉で言うなら、いわゆるバツ3でございました。S様とのご縁談が持ちあがる前に、妻を3人娶っていたのです。そして、全て死別によって、その3人の妻を亡くし……つまり、S様は4人目の妻となるのです。

 私がS様から聞いた話によると、1人目の妻は魚による食中毒で、2人目の妻は酒に酔って階段から転落死、3人目の妻は就寝中の心臓発作による突然死であるとのこと……

 まだ若いのに、3人の妻を――その妻たち自身もまだ若く死など遠い未来の話であってに違いないのに――亡くした”不運な殿方”でございました。


 えっと……この”不運な殿方”につきましては「青髭様」とでもお呼びいたしましょうか?

 童話「シンデレラ」と同じ作者であるシャルル・ペローさんがお書きになった、主人公の好奇心によって窮地に陥るという童話「青髭」にちなみまして……

 悪意のあるネーミングかもしれませんが、”不運な殿方”とお呼びするよりも、「青髭様」と呼んだ方が分かりやすいかと思います。童話「青髭」におきましては娶った妻たちは行方不明となっており、「青髭様」の歴代の妻3名においてはこの世より退場となっておりますため、その不気味さだけにおいてはいい勝負であることですし。



 まずまずの美貌、家柄と財産、そしてやや不気味な婚姻歴があるも見目麗しい「青髭様」との結婚間近であったS様。

 そんなS様に、灼熱の炎で炙られた弓矢で射るごとき妬みと嫉みの視線を突き刺していた女性がいたのです。

 やっぱり、いつの時代であっても、どこの国であっても人間同士の諍い、妬みや嫉みが消えるわけなどはありませんね。


 その女性は、S様の御屋敷に仕える侍女のEという者でした。

 5年ほど前より、このお屋敷で働き始めた侍女EはS様と同じ年にこの世に生を受けておりました。瞳の色、髪の色もS様と同じ。顔立ちはさすがに生まれながらのご令嬢であるS様の方が幾分か気品という点では勝っていたのですが、Eも黙っていれば、美人といっても決してお世辞ではないまずまずの器量でした。”人の物を欲しがるなんて”馬鹿なことをしなければ、下男の誰かの嫁になり、平凡な人生を終えていたに違いありません。



 察しのいい方ならお分かりかと思いますが、侍女EはS様と契約を結んでいる私を欲しがったのです。

 そして、結論から言いますと、侍女Eは私の入ったガラス瓶を一度も磨くことなく、契約は中断となったのです。三日坊主どころか、一日坊主でもない。まさに数時間坊主でしたね。



 え? 契約が中断となった場合は、どうなるのですかって?

 私はこのガラス瓶ごと、この世界のどこか違う場所へと飛ばされることになるのです。その新たな行き先については、私も預かり知らぬことでありますし、”聞いてはいけない”ことなのです。

 ある時は海辺でプカプカと漂っているところを拾われたり、またある時は鳥の巣の中に雛たちにつつかれていたり、またある時は今回のようにゴミ捨て場でゴミと同化するがごとく置かれていたりと……



 たった1日の磨き忘れぐらい、大目に見てやったらですって?

 いえいえ、願いをかなえるには根気による継続が何よりも大切なのです。

 件のご令嬢S様は、そのことはよく理解しておいででした。

 S様の場合は、それがご本人の死活問題にかかわるからこそ、毎夜12時前に必死になって行っておりました。

 あ、それと、言い忘れておりましたが、私の入ったこのガラス瓶を”誰にも見られることもなく”艶やかに優しく磨いていただくことも契約続行には、必要不可欠なのです。

 誰かに見られてしまった場合、さすがに契約中断とまではなりませんが、一時保留となるのです。

 ”見てしまった者”と”見られてしまった者”、どちらの方が私の新しい契約主となるか、お二人で話あって決めていただくことになるのですから。

 遠い過去には私が原因で殺し合いまで発展したこともあり……おっと、これは今回の話には関係ないので、割愛いたしますが、とにかく、人生を思い通りにできるかもしれない力を手に入れるチャンスを前にしますと、人間は浅ましさを剥き出しにいたしますね。

 あの夜の侍女Eもそうでございました。




※※※



 あの運命の夜。

 満点の星の輝く夜空を見上げながら、S様は私の入った瓶を優しく丁寧に磨き上げてくれていました。

 窓辺に佇む、そこそこ美しく若きご令嬢。

 何も知らない者から見たら、まるで後世に作られた映画というもののワンシーンのように思われる光景でしたでしょう。でも、S様の瞳はこれからの未来への希望ではなく、これからの未来の苦痛に満ちていました。


「……あなたとの付き合いも、もう15年になるわね」

 潤んだ瞳で私を見下ろしたポツリとS様が言いました。

「ええ、そうでございますね」

「私は嫁ぎ先にもあなたを絶対に連れていくつもりよ。そうでなければ……」

 

 S様は言葉に詰まります。

 私にはS様が続けたい言葉を薄々察してはいました。S様は今まで、ご自分の責任でないことで――まさに呪いとしか思えないことで、散々に苦しい思いをしてきたのですから。

 私も妖精ですけど、一応、心というものは持っています。

 ですから、なぜ、超極悪人ならまだしも、性格的にはそう問題もなく、むしろ善良でお優しいS様がこのような運命に生まれついたのか不思議でたまりませんでした。


 S様の祖先が多くの人々を殺し、その屍を積み上げて野原に放置してきた祟りによる呪いなるものを、善良であるがゆえにS様が一身に受けることになったのでしょうか?

 お気の毒なS様。

 苦しい十字架を生まれながらに背負ったS様。

 その涙に潤んだS様の瞳を見ると、私の心も痛んだのです。

 私の力が及べば、S様の願いは根本を除去することができたのですが、私の力では日々押さえつけるのが精いっぱいといったところでした。



 その時――

「お嬢様ぁ……何ですかぁ? それぇ?」

 S様のお部屋の扉の向こうから、突如、かけられた声によって、S様と私のセンチメンタリズムな時間に亀裂が生じました。

 この日に限ってS様は、お部屋の鍵をかけ忘れていたのです。何という嫌なタイミングであったのでしょう。

 このことは、S様の痛恨のミスでこざいました。

 何という嫌なタイミングであったでしょう。


 そう、部屋の中にズカズカと入り込んできたのは、お察しのとおり侍女Eでした。

 彼女は、この家の使用人の1人でしかないという立場も忘れ……いえ、元々S様を敬う気もないのか、無遠慮にS様の手元をのぞきこんできました。

 そして――

 侍女Eは、S様の手から私の入った瓶を無理矢理取り上げたのです。


「やめて、返して」

 家人を起こさないように、小さな声でS様が懇願しました。

 今にも泣きだしそうなS様の表情を見た侍女Eは、ハハンと得意そうに鼻を鳴らしました。


「いいンですよぉ。人を呼んでもらってもぉ。ただし、これを見られちゃ、マズいじゃないですかねえぇ、お嬢様ぁ」

 そう言った侍女Eは、窓辺に身を乗り出し、月明かりと星明りに透かして、私の姿を見るやいなや、顔を猛烈にしかめました。


「え、何ぃ? このネズミみたいなブッサイクな生き物ぉ……何かの呪いでもかけられてるような醜さじゃないですかぁ、お嬢様って、やっぱり変な趣味がおありでしたんですねぇ」

 侍女Eは、私をブッサイクと言いました。しかも、何かの呪いをかけられているんじゃないかと思うほどの醜さとも。正直、頭からバリバリと齧り殺してやりたいほど、頭に来ましたが、堪えました。この侍女Eが私の次の契約主となるかもしれないのですから……


「私は契約主となる者の願いを叶える瓶詰めの妖精でございます。次の私の契約主がどちらとなりますか、お二人で話合って決めてくださいませ」


 私の口から”願いを叶える”という営業トークを聞いた、侍女Eの瞳が窓から差し込む月明かりの元、パアッと輝きました。

 瓶の中の得体の知れないネズミもどきが喋ったにも関わらず、そのことに関しては侍女Eはそれほど驚いてはいませんでした。

 それはひとえに、彼女たちが生きていたこの時代がまだ現代とは違い、魔術や不思議な存在なるものを少しだけ身近に感じていたからかもしれません。だから、今、私を手にしている現代人であるあなた様が、侍女Eと同じくそれほど驚いていないのは、とても新鮮に感じます。

 


 えっと、話は元に戻りますが、私は先ほど、侍女Eの瞳が”パアッと輝きました”なんて言い方をしましたが、瞳が輝くのはいい意味合いばかりではないのです。侍女Eの瞳はすごく嫌な輝き方をしていたのですから。

 人生を思うがままにしたいという打算や欲望。裕福な生活への渇望と執心。そして、すこぶる男前のS様のご婚約者の「青髭様」に対する好奇心。

 この侍女Eは、言い方をすればある意味人間らしかったのでしょう。

 私に出会ったという幸運を噛みしめ、ひっそりと生きることを決意しているS様とはまるで正反対でしたから。



「へえぇ、そういうことですかぁ。お嬢様ったら、このブッサイクなのに、願いを叶えてもらってたんですねえぇ」

 侍女Eがクッと喉を鳴らします。

「だからぁ、あんなに素敵な”青髭様”(実際の彼女たちの会話では青髭様の本名が出ておりましたが、プライバシー保護のため、ニックネーム”青髭様”と以後も呼ばせていただきます)とのご婚約にまで、こぎつけたってわけですかぁ? おかしいと思いましたもぉん。単に生まれた土壌がいいだけで、ビクビクして人の顔色をうかがっているばかりのお嬢様が、あんな素敵な青髭様との縁談が持ちあがるなんてぇ」


「そ、そんなことに願いを使ったんじゃないわ!」

 即座に顔を赤くしてお嬢様は否定しました。

「ちょっとぉ、大きい声を出さないでくださいよぉ。このことがばれたら困るのは、お嬢様の方でしょうぉ?」

「……いいから、早くそのガラスの瓶を返して。それに私……青髭様との縁談に、願いを使ったわけじゃないわ。いくら見目麗しい殿方とはいえ、前の奥方様が3人も立て続けに亡くなっているのよ。青髭様が直接手を下したというわけでないにしても、なんだか不吉で怖いわ」


「ふぅぅん、青髭様との縁談に気が進まないというなら、瓶の中の”こいつ”に縁談を取り消してもらえばいいじゃないですかぁ?」

「……その子は、たった1つのお願いだけを聞いてくれるのよ」

「たった1つの願いですかぁ? お嬢様は一体、何のお願いを”こいつ”にしたんですかぁ?」

「…………」


 S様は言葉に詰まります。言おうと思ったら言えたかもしれませんが、やはり言うには躊躇してしまうのでしょう。S様が生まれながらに抱えていたのは、非常にデリケートな問題であったのですから。


「ま、お嬢様のお願いなんて、どうでもいいけどぉ。おおかた、ずっと裕福な暮らしができますように程度でしょうぉ」

 語尾を伸ばして鼻につく喋り方の侍女Eは、勝ち誇ったように鼻を鳴らしました。


「ねぇん、お嬢様。”こいつ”私にくださいよぉ。お嬢様はもうすぐ嫁ぐんだし、これから先の裕福な暮らしは保証されたようなモンでしょうぉ。本当にお嬢様が羨ましいわぁ」

「…………あなた、本当に私が羨ましいの?」

「?」

 S様の声音が変わったのに、侍女Eも気づいた模様です。


「あんまりお嬢様を自惚れさせたくはないけど、その苦労知らずの裕福な暮らしだけは本当に羨ましいですよぉ。そのうえ、あんな超美男子との結婚とか……前の妻が3人死んだのだって、単なる偶然でしょうぉ。私は青髭様を怖いなんて、これっぽちも思いませんもぉん。身分さえあれば、私の方が青髭様の奥方に向いていますよぉ。なんか、不公平ですよねぇ。私とお嬢様って、そんなに美醜の差があるわけでもないのに、単に生まれた土台が違うってだけなのに、かたや人生薔薇色の人生を歩み、かたや灰色の人生から上がることができないなんてぇ」

 侍女Eは、自らが歩んできた灰色の人生をあざ笑うかのように、私が入った瓶を握ったまま、夜空の星を見上げました。この時の侍女Eの瞳はどこか潤んでいるようにも思えました。


「…………私はあなたの方が羨ましいわ」

 その言葉はS様の本心からの言葉であったでしょう。


「いやだぁ、私をおだてているつもりなんですかぁ? 恵まれた者が下層にいる者に憐みの目を向けて、自分の恵まれた人生をより噛みしめているってとこなんですかねぇ」

 ですが、侍女Eは、S様のその言葉を単に結婚前のマリッジブルーからくる高慢さととったようでした。


「お嬢様ぁ、私のことが羨ましいっていうなら、やっぱり、”こいつ”私にくださいよぉ。嫁ぐ時にこんな”不気味なモン”もっていけないでしょおぉ? まさに最悪の嫁入り道具じゃないですかぁ」

 私のことを”最悪の嫁入り道具”とまで言った侍女Eは、ププと笑っていました。

 さすがの私もこの時ばかりは、ン百年の時とともに徐々に弱くなっている封印を突き破り、ガラスの瓶の中にあと何百年も封じ込められる刑期が伸びたとしても、侍女Eをとっつかまえて、頭からバリバリと……いえ、脚からバリバリ食ったほうが、この生意気で高慢ちきな小娘の肉体的苦痛と絶望は絶大でしょうから、そうしようかと密かに口の中で牙を研いでたところでございます。

 しかし、侍女Eの次なる言葉によって、事態は私が予測しなかった方向へと向かい始めたのです。

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