Episode2 初夜は死の香り(後編)
侍女Eの次なる言葉。
それは――
「まぁ、私がお嬢様に成り代われるっていう願いを叶えられるなら、”こいつ”のことはどうでもいいですけどぉ」
その言葉を聞いた、S様の瞳がキラリと光りました。
私とS様との付き合いは、先ほど申し上げた通り、かれこれ15年となります。あのように瞳を光らせたS様を見たのは私も初めてでございました。
S様も一人の人間であったのでしょう。
そして、平凡な幸せを求める一人の女性であったのでしょう。
「………………………………分かったわ。あなたに”その子”をあげるわ」
「!!!」
S様が思いのほかあっさりと了承してくれたことに、侍女Eも驚いたようでありました。
「じゃ、じゃあぁ……私とお嬢様の心だけ取り返っ子するってことでぇ……」
侍女Eの声は、柄にもない恐怖か、それともこれから”S様の身に約束されている贅沢な生活をS様の身で味わえる”という歓喜によってか震えていました。
私は、S様と侍女Eの心を取り換えることとなる模様です。
肉体ではなく、2人の女性の心のチェンジリング。
しかし、私は事前にきちんと確認しておかなければなりません。
「一度、取り換えたそれぞれの心については、もう元には戻せませんが……それでよろしいでしょうか?」
契約は終了となるのではなく、中断となるのだと。
S様も侍女Eも、コクンと頷きました。
「でも……実際に取り換えるのは、結婚式当日の夜にして」
S様の言葉に、やはり、侍女Eがハッとします。
「ンなこと言って、時間を稼いで、やっぱり”こいつ”を私に渡すって言う約束を反故にする気じゃなんじゃないですかぁ」
「……そんなことしないわ。私、ちゃんと約束は守るわ。ただ、E……あなた、結婚式の場でのマナーもしきたりも何も知らないでしょう。これから教えるにしたって、時間もないわけだし……”結婚式の場において”青髭様に恥をかかすことになるのは……」
侍女Eも気づいたようでした。
何も教育を受けていない自分が、いわば社会の上層部にいる方たちの中でそれに相応しい立ち振る舞いができるかということに。
もし、結婚式の場で何か青髭様の機嫌を損ねる振る舞いなどしてしまえば、その場で即破談となる可能性だってある。生涯にわたり約束されている美しい男性との裕福な生活だって損失することになる可能性だってあるのだと。でも、一度、結婚してしまえば、こっちのモンだ。ほぼ同等の家柄同士の婚姻だから、離婚となるといろいろややこしくなるから、”よっぽどのことがない限り”そのまま婚姻関係は継続となるであろうと……
「分かりましたよぉ。結婚式当日の夜まで、約束を伸ばしてやりますよぉ」
侍女Eは、フーッと息を吐き、S様の手に私を押し付けるようにして返しました。
「でもぉ、絶対に約束は守ってくださいよぉ。じゃないと、私、”そいつ”のこと、皆に言いふらしちゃいますからねぇぇ(笑)」
S様は微笑みました。
「”私自身のためにも”絶対に約束は守るわ。結婚式当日の夜、床入りする前にあなたに”この子”を渡すわ。渡した時に、あなたは”この子”に願いごとをして。そして、私はあなたの体に入るわけだし、すぐに町も出て、あなたの前には二度と姿を現さないわ」
長年にわたる苦しみから、やっと逃れられるとS様の顔は晴れやかでございました。
S様の性格上、他人に押し付けることなどできなかった苦しみをあろうことか、代わってくれるという奇特な存在があらわれたのですから。
これは本当に、S様にとって思いもよらない幸運でした。
裕福な生活などよりも、S様はもっと別なことを望んでいたのです。
それから、結婚式までの数日間――
私とS様の残り少ないその時間で、私とS様は様々な話をしました。
かつて10才にも満たなかったS様が自分の運命を呪い、入水自殺をしようとお屋敷を抜け出し、川岸へと立った時、ちょうど私が上流より流れてきたという出会いや、15年との月日の間に培った様々なことを――
私の契約主となった方たちに優劣をつけることなどは、上品なことではないのですが、S様は歴代の主たちの中でもやはり心映えの優れた方でした。
「もうすぐ、さよならね。私、短い間だったけど、あなたに出会えて、本当に救われたわ」
その言葉を聞いた私の瞳も、潤み始めました。
私も正直、S様と離れたくはなかったのです。あとン百年残っている私の刑期でございますが、S様のように優しくこのガラス瓶を磨いてくださる方に一体何人いらっしゃるでしょう。まるで、友ののように私に語りかけてくださる方は、一体何人いらっしゃるでしょう。
次の主となることが決定している侍女Eは、私など下僕のように扱うことは間違いないのですから。ガラスの瓶もなおざりにパパっと磨くだけのこと、間違いないのですから。まあ、”なおざり”どころか、実際は一度も磨くことはなかったですけど。
悲しい別れは迫っておりましたが、私たちが離れるのがS様のため。私は、同じ空の下で、あの侍女Eの肉体で生を満喫するS様をお祈りするだけでございました。
そうして、結婚式当日。
結婚式は滞りなく終わり、つまりは床入りのための夜へと時は流れ、私とS様の別れの時も、私と侍女Eの始まりの時も近づいておりました。
私の入った瓶をギュっと両手で握りしめたS様の手は震えておりました。
ですが、この後、新婚夫婦が初夜を迎える神聖なる部屋に、侍女Eはズカズカと足を踏み入れてきました。
「ほらぁ、お嬢様ぁ。いいえ、奥様ぁ……ヤ・ク・ソ・クゥ♪」
侍女Eは、早くそれをよこせと言わんばかりに、両掌をズイッとお嬢様に突き付けました。
女としての幸福をもうすぐ我が身に(といってもS様の肉体においてではありますが)受け取ることができるであろうとワクワクしている侍女Eの顔は、欲望によってどこか崩れているようでもありました。
「きちんとあなたに”この子”を託すわ。でも、約束して……絶対に毎日12時になる前に、この子の入った瓶を綺麗に磨いて。それにこの子を粗略に扱うことはしないで」
「……ソリャクって、どういうことですかぁぁ?」
碌に教育を受けていない侍女Eは、S様の言葉の意味が分からなかったようです。
「乱暴に扱わないでということよ。願いを叶えてくれる存在なのよ」
「あー、はいはいぃ。そのブッサイクな妖精もどきを神様のように扱えってことですねぇ(笑)」
「…………私にとっては、この子は神にも等しい存在よ」
私を神にも等しい存在とは、何とうれしい言葉なのでしょうか?!
「そうですかぁぁ。大事な神様をもらっちゃって、申し訳ないですねえぇ」
全く申し訳ないと思っていない侍女Eの声が、私とS様の別れの時に水を差しまくりました。
S様の手から私を受け取ったEは、チロリとS様を見て言いました。
「あの、聞いておきたいんですけど、おじょ……奥様って、まだ処女ですよねぇ? まさに、これからですもんねぇ」
侍女Eの言葉に、S様の頬に赤みが差しました。
「ええ……その通りよ。そんなことなんて到底、考えられなかったから……」
「へえぇ、結婚するまで大事にってトコでしたかぁ。ちなみに、今から奥様が入る私の体は、すでに3人ほど経験済ですよぉ。でもまあ、そんなにおかしな男とはヤッてないんで、ご安心くださいねぇ。肉体は非処女なのに、精神は処女って戸惑うかもしれませんけどぉ」
侍女Eは、笑いを噛み殺しているようでした。
このすれっからしの侍女Eは、肉体は処女、精神は非処女のまま、S様の旦那様である青髭様とこれから性交するのです。
ついにS様から私を受け取った侍女Eは、瓶の中の私に願いました。
自分とS様の心を取り換えるようにと――
私はきちんと願いを叶えました。それが私に科せられたことでありますから。
私が入った瓶は、S様の心が入った侍女Eの両手に握られていました。
その私を、侍女Eの心が入ったS様の手がバッともぎ取りました。
「はい、次の主は私ぃ、見ての通り、私がS様。だから、さっさとこの部屋から出てってくださいよぉ。控室に荷物はまとめてるんで、裏門からこっそりとねぇ。で、二度とこの屋敷に足を踏み入れないでくださいねぇん。なんなら、人を呼んで無礼者だとザクッと斬り殺す方向に向けてもいいけど、せっかくの結婚式の夜を血で汚したくなんてないしぃ、私の幸せは今日から始まるんですからぁ」
S様の声で、侍女Eは何ということを!
しかし、私が瓶の中でギラリと牙を剥き出し始めたのに気づいたS様は(侍女Eの肉体の中にいるS様)は、”駄目よ”と私にアイコンタクトをしました。
「すぐに出ていくわ。この部屋からもお屋敷からもね。ただし、約束して。毎日12時が来る前に、どんなことがあっても、必ずその子が入っている瓶を磨くと……”私がその子に叶えてもらっていた願い”は、永久的ではないの。叶えてもらっていたというよりも、毎日、押さえつけてもらっていただけなのよ」
「へえぇ、なんか分からないけど、とにかく磨けばいいですねぇ、磨けばぁ」
相変わらず馬鹿にした感じで、語尾を伸ばす品位の欠片もない侍女Eでした。
きっと侍女Eは、S様の願いなどたいしたことではないと思っていたのでしょう。
私は即座に分かりました。この侍女Eは、瓶磨きを初日からつまり新たに契約主となった今夜からさぼるに違いないと。
それはS様も理解したのでしょう。
でも、もうどうしようもありません。
チェンジリングした心を戻すことはできないのですから。これから私ができるのは、”S様が本来のご自分の肉体にかけていた願い”を継続させることだけなのですから。そして、その継続には、侍女Eの瓶磨きが必要不可欠であったわけです。
「さよなら……ありがとう」
静かに部屋を出ていくS様は、一筋の涙を流していました。
その”さよなら……ありがとう”という言葉は、侍女Eにではなく、私に向けてのものだとも私には分かりました。
「S様……どうか、お幸せに」
私の目からも一筋の涙が流れました。
侍女Eの肉体にあっても、S様はS様なのです。
どうか、お幸せに。
今までご自分の力ではどうすることもできないことで苦しんできたぶん、あなた様の未来は、夜空に輝く数多の星のごとき希望が満ち溢れていますように、と――
「えっ、やだぁ、あんた、泣いてんのぉ? ブッサイクな奴が泣くと、さらにブッサイクよねぇ」
S様の肉体にあっても、侍女Eは侍女Eでございました。
思いやりも品位の欠片もない振る舞い、これからS様の肉体で迎える初夜であっても、まるで下劣な娼婦のごとき声をあげるに違いありません。
ついに、部屋の扉がノックされました。
新郎である青髭様の登場です。
初夜の始まり。
侍女Eは、慌てて私を寝台の下に乱暴に押し込みました。押し込みましたというか、放り投げましたので、私はコロコロと寝台の下を転がっていきました。
転がったままの私の上で、新郎新婦の初めての営みが始まりました。
ある国のある時代では、衆人環視の中、初夜を迎えることもあったそうですが、今、この部屋にいるのは侍女Eと青髭様と私だけとなりますね。
寝台の下からうかがう青髭様のご様子ですが、彼はわりと手慣れているようでした。
まあ、妻が3人もいましたし、容貌も大変に見目麗しいということですので、女性に困ることなどはなかったのでしょう。
侍女Eは、最初は処女ぶった演技をしていましたが、やがて、その本性を剥き出しつつまり、はしたない声をあげ始めていました。正直S様の声で、そんな嬌声をあげてほしくなかったのですが、まあ、ここは我慢しました。
転がったままの私は、上で喘ぎまくってる侍女Eに、”ほら、早く瓶を磨けって”と知らせようかと思ったのですが、黙っておくことにしました。これが、ごく普通の良識や思いやりを持っている方でしたら、私もちゃんと教えていたでしょう。
侍女Eは、嬌声をあげるよりも先に、絶対にしなければならないことをしていないのです。
つまり、これまでの要点を整理しますと(1)私は約15年間にわたり、S様の願いを1日ごとに叶えていました (2)今夜、主が侍女Eになり、侍女EとS様の心だけを取り替えました (3)そして、すぐに私の主となる肉体は、侍女EではなくS様の肉体へと移りました、ということなのです。
心は違えど、私の主となる肉体はS様のままということを理解していなかったのですから……
2人の営みは初夜にしては長く、そうこうしているうちに、12時がやってきました。
どこかで12時を知らせる鐘が鳴っています。
そう、12時を知らせる鐘が――
寝台が軋む音がピタリと止まりました。つまりは、2人の性の営みも止まったようです。
そして……
「ぐ、おええっ!!」
どうやら、青髭様の呻き声のようです。
しかも、呻き声だけじゃありません。
青髭様は嘔吐までしているようでした。寝台の胃の中の物を盛大に吐き出しているに違いない音と、その吐瀉物の臭いまでもがガラスの瓶ごしの私の鼻孔まで届けられてきたのです。
この時の私は、今日は結婚式だから美味しいものをたくさん食べたに違いないから、吐瀉物の臭いまでもなんだか濃厚だなぁ……などと、どこか他人事のように、まあ実際他人事ではあるのですが、ぼんやりと考えていました。
「おえっ、おえええっ!!」
どうやら、青髭様は笑えてくるほどに吐きまくっているようでした。
あんなに吐いていたら、胃液までもなくなってしまうでしょう。
青髭様の吐瀉物の臭いとともに、別の臭いまでも私の鼻孔に強く届けられました。
そう、これは私が初めてS様にお会いした時の……
「ど、どうなさったのぉ?! 大丈夫ぅ!?」
上品ぶってはいましたが、侍女Eも焦っていました。
「だ、だ、だ、大丈夫なわけないだろう!! お前、一体何なんだ? 死体の……屍の臭いがするぞ!!!」
ゼエハアと息を荒げながら、残り少なくなっているであろう胃液を飛ばさんばかりに青髭様は怒声をあげました。
屍の臭い。
S様の体より放たれている屍の臭い。
そう、長い長い私の昔話ではありましたが、S様の抱えていた悩みであり、私が15年間にわたり叶えていた願いは「体臭を押さえること」であったのです。
何の因果があったのか、あのお優しいS様は生まれながらにして「体臭」という絶大な悩みであり十字架のごとき重荷を抱えていたのです。
湯あみをしても、香水でごまかしても、押さえられない臭い。
単なる汗のにおいや腋臭や加齢臭などではなく、また、生きながらにして腐ってるというよりも、もはや死体の寄せ集めが生者として動いているがごとき臭い。
これは、ご本人には責任がないだけに、おつらいことであったでしょう。
女性で、しかもなまじ美しいだけに、お気の毒なことでありました。
そして、私の力ではS様の「体臭」の根本を除去ことはできずに、1日ごとに押さえ続けることで精一杯でした。
もっと力の強い悪魔……あ、あっと、いえいえ、私たちは妖精です。今、うっかり口を滑らしてしまったことは忘れてくださいませ。もっと私よりも力の強い妖精ならできたかもしませんが、私にはそれほどの力はありませんでした。
もしかしたら、S様のご先祖様に恨みを持つ者が、私以上の力を持つ妖精に呪い……いえ、願いをかけ、それが何の罪もない子孫のS様に影響を及ぼしているといった背景があったのかもしれません。
しかし、先ほど、私はS様の肉体とは契約中断となりました。
初夜は死の香り。
いえ、初夜は屍の臭いですね。
そのうえ、初夜だけでなく、これからも侍女Eは”自分の肉体が放つ”屍の臭いと戦い続けなければなりません。
けど、そんなこと、私の知ったこっちゃありませんし、そもそも私は”もう”どうすることもできません。
侍女Eが慌てて寝台の下を覗き込み、散々にブッサイクと嘲った私を探す頃には、私はもうとっくに寝台の下よりいなくなっています。
私はこれから、この世界のどこかへ飛ばされてしまうのですから。
キーンと耳鳴りがし、どこか別の場所に飛ばされる予兆を、その時の私はしっかり感じておりました。
またS様みたいなお優しい方に拾われればいいな。いや、私のような者が”反対勢力である神”に依怙贔屓されない限り、あり得ないことだとは分かっていても、侍女Eの肉体の中にいるS様とまた一緒に暮らせればいいなあ、などといった叶わなかった希望を胸に思い描いておりました……
※※※
以上、大変に長くなりましたが、これが私がかつてお仕えしました、あるご令嬢S様とその侍女Eにまつわるお話でございます。
さて、私の次なるご契約主候補であります、あなた様は一体、どんなことをお望みになりたいのでしょうか?
願いごとは一つだけでございますよ。
そして、毎夜12時までに私の瓶を磨くことを決して忘れないでくださいませね。
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