テクトニクスの悪魔 <2>
「封印していた、悪魔……?」
イルナは王の言ったことが信じられなかった。
ここ、テクトニクスで悪魔と言えば、神、天使に並んで伝説上の存在に位置している。
そしてそんな伝説上の存在をあっさりと口に出されたことはもちろん、それを封印した、という事実も現実感がなかった。基本的に人間は上位存在に勝てないというのが常識だからだ。
だが、王の堂々さからして言っていることは本当らしい。
「余はもとより人間を超越した力を持っていた。それでこのサンディスの国の王になったわけなのだが、その最中、色々と不幸な出来事が起きてな。流行病やら死因のわからない急死のようなことだ。余もさすがに看過できなくてな。原因を調べておったのだ。すると、あの悪魔――いや、正確にはあんな姿ではなかったがそいつが原因ということがわかった」
気まぐれで不幸を撒き散らす存在は害悪であろう、と当時のことを思い出したのか王は不快な顔をして、
「だから余はそういった悪魔を封印することにした。それが王の五つ道具だ。それと合わせて余の力を増幅させる効果を付与してしまったのが悪かったな。余を倒そうとするお主らに壊されてしもうた」
「では……王。わたくしは悪魔の封印を解く手伝いをしてしまった……?」
「なに、気に病む必要はない。五つ道具が壊されたおかげでお主、そしてあの少年やそこの女帝には目を覚まされたのだ。むしろ効果を兼ねてしまった余が悪い。それとこれとは話が別だと思え」
さてと、と王は腰にさげている剣を抜いた。
「まあお主らにも責任はちとあるかもしれん。だから願うのだが、とりあえずあの影を沈黙させないと先へは進めんぞ。後ろに見えるあの穴はおそらく少年が入っている。余が殺しても生き返ってきたのだ、興味を持っても仕方がなかろう」
「いいだろう。妾の用があるのはヴァースだからな。引き戻すためなら妾は力を貸してやろう」
イルナはしなやかな体を伸ばして動かせるように備える。
「王の願望とあっては喜んでわたくしめも助太刀致します」
側近の男も剣を抜いて戦いに備えた。
「うむ。あらかじめ礼を言っておく。このメンバーならたいていのものはたちまちにして叩き伏せることができるだろう。……が、気をつけろ、お主らの常識に当てはめるなよ。相手は腐っても悪魔だ。人間というちっぽけな存在とは一線を画すぞ」
「知っておる」
すでに人間ではなくなったイルナもそのことは承知しているようだ。
これから、第二幕。
運命の歯車はまだ回り続ける。
○
「……は?」
思わずヴァースは声を出してしまっていた。
たしかに異形で異常な者からいきなり『君が欲しくなっちゃった』と言われたらこうなるだろう。
『だからね、君自身が欲しくなったの。もう近くで見ていられなくなってさ』
「はあ……。意味がわからねえけど、俺をここに落としたのは俺を手中に収めるためってわけか?」
もう死ねないという『命繋ぎ』を信用しているのか受け止めてしまっているのか、ヴァースの言葉に怯えなどの感情はなかった。
『そ。いや、詳しくは少し違うけどね。私はわけあって観察はどこでもできるけどこの地でしか力を発揮できない。だから君がこの国に入るのを待ってそこの少女に乗り移ってともに行動した。ここで力を振るうのにあの王はどうしても邪魔だったからね』
「……ってことは俺があの王に無念を抱いたのはお前の影響ってことなのか?」
『うーん、まあ少しは。君自身そう思っているのを増幅させたくらいかな。その後は君とあのお姉さんを誘導するだけでよかった。あのとんでもお姉さんが仲間だったことは僥倖だったよ。王が倒しやすくなったしね』
そこでヴァースは合点がいったようだ。過去を振り返ってみてその巧妙な手口に驚く。
「ことが上手く運びすぎって感じたのはお前が上手く先導してたからか。よく考えれば王の五つ道具が王を守ってるから破壊しよう、なんて考えは一介の奴隷にすぎなかったヴィーナが知るはずもないもんな」
わかってしまえば不自然だったところはどんどん出てくる。ヴィーナがあそこで都合よく最上級魔術である『グラビティ・バースト』を使ったのも、その前、そもそもヴィーナを助けようとした気持ちも、ヴィーナがなぜか付いてきたということも、悪魔のせいだと考えればその通りのように思える。
悪魔はニヤリと笑う。
『そう、王の五つ道具を壊させたのは私の封印を解くため。それで五つ道具を破壊し、この地で力を解放するのが可能になって初めて君をここに引きずり込むことができたってわけさ』
「けっ、全部お前の掌で踊らされてたってわけか」
『そうでもないよ。あの王はいつか罰せられるべきだった。誰かがたださねばならなかった。これだけは本当だよ』
まるで子供を諭すような口調だった。
「そういうことじゃない。お前の思惑が俺の行動に入ってる時点でこっちは不愉快極まりねえんだよ」
一方、子供扱いが嫌いなヴァースは当然と言うべきか反発した。
『さてと。お話はこれくらいにして本題に入ろうよ』
「何が本題だよ。やっぱり悪魔ってのは自分勝手なやつなんだな」
『それはご愛嬌だよ。だって悪魔なんだもの。でね、話を戻すけど、私は君が欲しいんだ。だからといってこの漆黒の世界に閉じ込めたらそれはそれでつまらない。そう、私は向こうの現実の世界での君が欲しいんだよ』
「じゃあなんでここに引きずり込んだ」
『それはね、私が一番いい方法を思いついちゃったからだよ』
それはねー、と悪魔は回答を楽しむように焦らす。
「どうせくだらねえことなんだろ」
『うん、そうかもしれない。でも私にとってはとっても名案で面白いと思ってるよ』
そう前置きしてから悪魔はその方法を口に出した。
『君に憑依する。それが一番楽しくて現実的で君を手に入れる最高の手段だと思うんだよねえ』
○
やはり異形のものは異質だった。
影は、声もなく襲いかかってくる。
その度に王が切り倒すが、どういう形質の変化なのか刃はたちまちすり抜けてしまう。
「やはり戦いにくいな!」
王は悪態をつきながらも俊敏に動く。
「……ふむ。影か。それなら警戒しろよ、この国を担う者」
その中で、イルナだけがなぜか達観した顔つきで冷静に忠告する。
「おそらく、そなたらの影からも襲いかかってくるぞ」
「!」
直後、影がパッと消えて、代わりに王の背後へと登場する。
「ぬおっ!」
反射的にこれに対応するが、影はまるで集まった羽虫のように分散してまた消える。
「なぜお主は楽観的なんだ。気を抜いたらすぐ死ぬぞ!」
「……ああ、王よ。もう少し落ち着いたらどうだ。冷静になった方が事は上手く運びやすいぞ。それに妾のところにはあれはこない」
どういうことだ……? と王がイルナを一瞥してすぐに理解した。
時はもう橙色の夕日がかかっている暮れ方だ。
斜めから差す日は中にいる者の影をくっきりと映し出している。
その影は、二つだった。
イルナの影だけが、間違い探しのように見当たらないのだ。
「おそらくこの悪魔とやらと妾は似て非なる存在のようだ。あちらが影でこちらは光、といった具合だろうか」
「どういうことだ? お主は結局何者なんだ?」
王が警戒を露わにしてイルナに問う。
「おいおい。そんなことをしてたらそなたが殺されるハメになるぞ。安心しろ、今から敵対しようだとか悪魔と共闘だとかは一切思っていない。それ以前にそなた、妾のことを見抜いていたとばかり思っていたのだが?」
今度こそ、王の顔には困惑の色が見て取れる。
「言ったではないか。『余に拮抗するのは人間ではありえない』と。てっきり妾はそこまで見透かされているのか、とあの時少し焦っていたぞ」
「フハハ! やはり人間ではなかったのか。それなら納得だ。余より優れた人間がいたのかもしれぬと思っておったわ!」
「お二人共! お話はそこまでに――!」
切っても、吹き飛ばしても、元通りになってまた襲ってくる影をさらに返り討ちにしつつ、イルナは考えあぐねていた。
「なあ、これでは埒が明かないのではないか?」
「余もちょうどそう思っていたところよ。延々と時間稼ぎをされている気分だ。むしろそのためにこの影を作ったのかもしれん」
「それは、まさか奥の穴が関係しているとかか?」
「だろうな。中で何かをしているのではないか?」
「……ふむ」
(……ここに見当たらないということはヴィーナとヴァースの男女コンビが中に入っているということか。ということは、中では何が行われているというのだ……!)
第三者の存在を考えずにイルナは短絡な思考を巡らせていた。決して中で悪魔との対話が行われているとか、そんなことは考えていない。むしろそっち系のピンク色の方向で話を進めている。
その結果。
「……け、けしからんっ……!」
煩悩が暴走してしまった見た目はお姉さん、中身は思春期のイルナはすぐさまその現場を抑えなければという思いで体を動かしていた。
まず、穴の中へ入るには立ちはだかる影を排除せねばならない。
ウェステの国で実力至上主義という戦闘民族のような暮らしをしていたのが役に立ったのか、対処は迅速だった。
まず影を囲うようにしてなんでもガードできる最上級の防壁で球を作る。
それをそのまま圧縮。
羽虫のように分散する影も、出口を塞がれてしまえば終いだった。黒の球体はまもなく沈黙した。
「……お見事」
さしもの王もこれには感心してしまった。まさか、ここまであの影を排除できるとは思っていなかった。そしてもしイルナがあの時本気を出していたら、自分はどうなっていたのか、ということを想像しておののいた。
だが、そんな感心とかそういうのは関係なくイルナの注意は一箇所へ向かっていた。
そう、渦を巻いている奈落へ続いているかのように黒い穴。
「では、現行犯を抑えてくるとするか」
そんな不穏なヴァースが何かをやらかしていること前提なことを言って、穴に飛び込んでいった。
「……何者なんだ本当に。そしてあれを制御しているあの少年はいったい……?」
王は驚きっぱなしだった。それは側近の男も然りだ。次元が違いすぎて彼は会話に入り込む余地すらなかったが、たしかにこの現場にいて、しっかりとした仕事をしている。
だが、その男は苦笑いしながらも、しっかりと確信を持って言うのだった。
「……英雄、ではないですかね。彼は、決して諦めない。むしろ失敗や敗北をそのまま活かしている節がある。そして自分の決めたことは決して曲げない。そういう人物を英雄、と言うのではないでしょうか」
王もそれには納得したようだった。
「……そうだな。余はあの少年とあまり話はしなかったが、それでも太い信念が宿った双眸だけはよく目に焼き付いている。なるほどな、あの女帝もそういうところに惹かれたのかもしれんな」
彼の行動は、他の人間に影響を与えていく。
それがいいことなのか、悪いことなのかは当人の判断に任せる他ない。
だが、そんなことができること自体が素晴らしいことなのではないだろうか。
○
「はあ?」
ヴァースはまたしても呆気にとられた声を出してしまった。
『だからさ、君に取り憑くんだ。ヴィーナのようにね』
「嫌に決まってんだろ」
『どうしてよ。大丈夫、今度は二重人格になるくらいの軽めの憑きにしとくからさ』
「取り憑くに程度があるとか初耳なんだけど」
『とにかくあるんだよ。だからさ、ね?』
「ね? じゃねえ。だいたいこっちは自由に生きるために旅してんだ、お前に憑かれたら束縛どころに済まないだろ」
『よく言うね。女帝に縛られっぱなしのくせに』
「あれはこれとは違う」
『ふふ、他意もなくそう言いきれるなんて彼女の信用はすごいね。私があの位置にいれば難なく憑けてたのかな?』
「舐めるな。俺にも人を見る目くらいある」
何もない空間に二人の声はよく響く。
そしてここにいるのは二人ではなく、三人だ。
だんまりの三人目、ヴィーナはむしろ進んで沈黙を貫いていた。
……話の内容が全くわからないし、何よりこの黒しかない空間が怖い。なんというか、何か出そうな感じで。
目の前に悪魔が現れてる時点でお化けとか出てきてもなんのそのな感じはするが、そこはただの少女。怖いものは怖い。
そんなわけで、なにか出そうな恐怖と、目の前の二人がいきなり何かしでかすんじゃないかという恐怖。
この二つの恐怖に板挟みになりながら、ビクビクおどおどと経過を見守るヴィーナであった。
『……ハア。こりゃ何言ってもなびかないね』
ついに問答がいったん収束したあたりで、悪魔が痺れを切らしたような声を出した。
「そりゃそうだろ。こちとらあの王倒しておしまいチャンチャンだと思ってたんだからお前に付き合うのがとてもめんどくさい」
『……いいよ、それなら』
その言葉には諦めと、失望と、なぜか期待が込められていた。
邪悪な笑みを浮かべて、その悪魔は告げる。
『それなら力ずくで奪ってあげるよ』
瞬間的に。
悪魔の、文字通り魔の手が襲いかかる。
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