テクトニクスの悪魔 <1>

「……ヴィーナ?」

 ヴァースが異変を察知したのは槍を破壊して玉座の間に戻ってきた時だった。

「……クヒ。クヒヒ」

 ヴィーナは見た事のないような邪悪な顔で笑っていた。

「……どうしたんだ?」

「はあ、良かった。ここの王が失墜したことでやっと行動に移すことができる」

 口調も丁寧なですます口調から乱雑なものに変わっていた。

「ヴィーナ……いや、違うな。お前は誰だ?」

 今までの蓄積ダメージはまだ残っているので鈍臭い動きながらもヴィーナから距離を取る。

「ヴァーナだよ。いや、だったと言うべきか」

 そう言いつつ、ヴィーナ(?)はヴァースに近づく。

「私はヴィーナではないが、この体や心はヴィーナだ。そうだな、私のことは……」

 手の届く間合いに入ると顎に手を当てて思案する顔をしながら、

「まあ、下手な名前よりこの方がわかりやすいだろう」

 ガッ!! と拘束するようにヴァースを抱きしめ、耳もとに囁くように、

「私は悪魔だ。比喩などではなく、本当のな」

 その言葉を発したあと、二人の影が渦を巻いて穴のようになり、ズプズプと沈みこんでいった。

「ま、待て……」

 そんなヴァースの意志とは反して体はみるみるうちに影へと吸い込まれていく。

「イルナ……ッ!」

 最後の最後で手を伸ばしその名を叫んだのは今までの旅での絶対的な信用からか。

 だが、ここは中央。北の端にいるイルナに少年の肉声など届くわけがない。

 そのセリフを叫んだあと――。


 二人の人間が国から消え失せた。


 ○


「……!」

 イルナは声ではなく反応でそれを感知した。

(繋がりが、切れた……?)

 プツン、とヴァースの反応が消え失せたのだ。

 今までの死ぬ時とは違う。むしろなんの反応もなくなるなんて異質だ。

 そして霊体化もできなくなっていた。

 主人のヴァースとの繋がりがなくなって使い魔の契約が薄れているのだろうか。今現在のイルナは限りなく人間に近くなっている。

 目の前では王と男が感動の話をしているところだった。

 街には他に誰もいない。

 イルナを阻むものなどどこにもいなかった。

「……さて、行くか」

 人間に戻ったのなら契約はおしまいだ。そうではないにしてもイルナにとってあれは不本意なことだった。それがなくなる可能性があるのなら、早めに去ってしまった方がいいのだろう。

 なけなしの荷物をもってイルナは歩み始める。


 この国の外――ではなく、中央へ。


「ヴァースとヴィーナはあそこへ向かったのだな?」

 王宮を指さしてイルナが問うと、男はうんと頷いた。

 イルナは王宮に向かいがてら、誰にも聞こえないような場所で独りごちる。

「ま、別に行かなくとも妾はやっていけるのだがな、だが、やってはいけるものの、それはそれで味気ない。妾があの国を出ようと思ったのはその自由奔放な姿を見てからだったのだから。この国を出ても楽しめるように、ここは一つ、ヴァースに恩を売っておくとするか」

 顔こそ忌々しげだったが、口調や仕草からノリノリでやぶさかでないことが窺える。

 そう、ヴァースは決して善人ではないし、なれなかった。

 だが、善人でなくともその一人間としての行動は、きっと誰かに影響を及ぼしているのだ。


 ○


「なんなんだ……?」

 ヴァースは目をパチクリと開閉していた。

 今どこにいるのか。それを把握するための行動はあまり意味をなしていなかった。

 というのも、目の前に広がるのはこれ以上濃くすることはできないような漆黒で染まっているからだ。

 それは目を閉じていても、開けていても同じだった。

 とにかく情報が欲しい。それは情報を遮断された状況下で人間誰もが思ってしまう性のようなものだった。

 この、何も無い虚ろな世界でヴァースはとりあえず手探りで歩いていた。

 ヴァースがあてもなく歩き続けていると、遠目にうつ伏せで倒れている人影を見つける。

 何キロか何メートルか。漆黒に塗りつぶされたその世界では距離関係だってわかりもしなかった。

 ともかく一直線なのかジグザグに進んでいるのかわからないままその一点の情報を頼りに進んでいくと、ついにその人影は間近に現れた。

 そのうつ伏せに倒れているのは、

「ヴィーナ……?」

 当然といえば当然だが、ヴァースは思わず声に出してしまう。そうやって自分を主張することでもしないと自分も漆黒の一部になってしまう気がするのだ。

 だが、それと同時に先ほどのこともあり距離も取った。

「ん……ぅ……」

 ヴィーナはその声に気づいてゆっくり、ゆっくりと瞳をあげた。

「ヴァ、ヴァース様……?」

「その反応はクロだな。俺の考えでは俺がお前にあった時からすでにと予測している。そうでなけりゃ辻褄が合わないからな」

 そう断じるとヴァースは臨戦態勢を整えて次の戦闘に備えた。

「ちょっと、待ってください……」

 対してヴィーナの方は力なく呼びかけただけだった。それどころか今にも死にそうな表情をしている。敬語は戻っているし、気味の悪い笑い声もない。

「……大丈夫か?」

 そんな様子を見ても善人ではないヴァースは易々と助けに行くのではなく遠目から気づかっただけだ。……まあこの状況で相手を気づかえる時点でもう立派とも言えるだろう。

 だが、ヴァースの心に揺らぎが生まれたのは事実。

 だから、ヴィーナに話を聞く余裕だってできていた。

 それに、さっきまで自分以外は何もない世界を歩いてきたのだ。知っている者に会えただけでも僥倖。そしてそろそろこの世界がいったいなんなのか、知っておかないとまずいだろう。

「残念ながらまだお前を完全に信じる事はできない。それだけは了承してくれ。だけど、話くらいはしようじゃないか」

 どんな高速で動かれても対処できる位置にポジショニングしながらヴァースは一番の疑問を聞くことにした。

「まず、ここはどこなんだ? 俺に記憶があるのは影へと吸い込まれたくらいまでなんだが……」

 ヴィーナは頭を抑えて座り込みながら、

「ここは、ヴァース様の考えている通り、影の世界ですよ。ただし、影の世界、だけでは語弊があります。ここは目に見えない、次元の違う場所、とでも言いましょうか」

 まるで宇宙のように真っ暗でどこまで続いているのかさえわからない空間にヴィーナの声が響く。

「とすれば、言い方は無数に出てきます。精神の世界、非現実、ともすれば、何もない虚の世界とまで……」

「そうか、なんとなく、だがわかったぞ。とりあえずは俺たちが暮らしている場所とは別の場所ということだな。……で、だ。ヴィーナ、お前は何かに取り憑かれていたのか? それともお前という生き物自体がさっき自分で言ったような悪魔なのか」

「前者、だと思われます。だって、私は魔術も使えない鈍臭い奴隷だったのですよ?」

「……。なんだって?」

 どうにも見過ごせない答えの気がして思わず聞き返す。

「だから、以前の私は魔術も使えない鈍臭い奴隷だったんです。そんな最底辺な私は奴隷として生きていくしかなかった」

「待て。ってことはあれ、お前が使ってたのって」

 ヴァースは王宮の槍を粉砕した『グラビティ・バースト』を思い出しながら言う。

「はい、私の力ではありません。あんなの持ってたら奴隷なんかになってません」

「じゃあ、お前は取り憑かれてたってことか。でも、俺の名前といいなんでその時の記憶はあるんだ?」

「それは……説明がしがたいのですが、私はとにかく傍観者でした。自分のやっていること、見聞きしていることは知ることができたのですが、それを自分の意思でやることができない。体の自由を奪われているという方がわかりやすいでしょうか。だから私には記憶があります」

「……いつからだ?」

「ヴァース様に会った瞬間からです」

 この答えにはヴァースも首をひねるしかなかった。その言い分は、ヴィーナに取り憑いた何かがまるでヴァースと会うことを予期していたようではないか。

「……それはひとまず置いておくか。考えても仕方ない。今は聞くことを聞いておこう。といっても、これが最後の問いになると思うが」

 ヴァースは黒という無以外何もない世界を見回して言う。

「結局、その取り憑いていたやつはなんなんだ?」

「それは……」

 わかりません、とヴィーナが言うより先に変化が起こった。

『おや、そんなことが気になってたのかい。それは私がここに引きずり込む前のことで事足りていたと思っていたのだけど』

 何もない場所から声が聞こえる。

 それは少女にも、少年にも、青年にも婦人にも老人にも聞き方によってどのようにでも解釈できてしまいそうな声だった。

 やがて、暗闇の中陽炎のようにゆらゆらと景色が揺れたかと思うとまた何もない空間に一人、人の姿が増えた。

『いやあ、ここじゃないと顕現できないからね』

 現れたのは、男性とも女性とも言えるような曖昧な存在だった。そこに幼さがあって、貫禄がある、そんな矛盾した雰囲気を醸し出していた。

「お前は?」

『いきなりお前呼ばわりか。ま、この矛盾だらけな私を見て混乱を起こさないあたり、君もかなり壊れてるよね』

「だから、誰なんだ?」

 再度ヴァースが問い直すと、その生き物(?)は呆れたように嘆息した。

『だから、言っただろう? 私は悪魔だって』

「ふざけんな、そんなたいそうなものだったとして俺になんの用があるんだ」

『あるよ。そりゃあね。むしろ君だから用があるってくらいね。君、自分を過小評価しすぎじゃない?』

 自称悪魔は謳うように続ける。

『私ら悪魔は日々このテクトニクスを見守っているわけなんだけどね、やっぱり退屈だよね。人間のやることはいつも同じ。その他の生物よりは詰まっている頭は飾りなのかっていいたいくらい単調に悲劇ばかり生み出す。ま、それはそれで悪魔にとっては大好物なわけなんだけど。同じような悲劇ばっかりだと、飽きちゃうじゃない?』

 そこで悪魔はニッ、とヴァースを指さして、

『そんな時、君が現れた。他の人達とは違う価値観を持っている君がさ。それまで無名だった君が名を挙げたのは言うまでもなく、ウェステの国だね。あそこの女帝も考え方こそ君に似ていて面白かったんだけど一歩物足りなかった。そんなところをたちまちにぶち壊しにして、しかも平和を掴み取りやがったときにはもうひっくり返っちゃったよ。君自身は全く善人じゃないのに不思議だよね。しかも、明らかになった「命繋ぎ」というのも魅力的だった』

「何が魅力的だよ。この『命繋ぎ』はただの呪いでしかない。死なない、でも治らないで苦しみだけがある。なんどこの能力を忌まわしいと思ったことか」

『でも、逆に救われたことだってあったんじゃない? ウェステの国だって君は一度死亡している。そのまま君の人生が終わってたら無念のままだったよね? それを生き返って晴らした。今回だってそうだ。君のその能力は、まだ死にたくない、死ねないっていう君のエゴによって成り立っているんじゃないのかい?』

 たしかに、考えてみればそうだ。

 ヴァースは死ぬ時、いつだって強く無念の念を抱いていた。その思いが『命繋ぎ』を発現させたとて魔術のあるこの世界では不思議ではない。

『だからね、私は君に興味を持ったんだ。なぜ君はそんなにもまっすぐでいられるのかってね。いやあ、君と共闘して独裁王を倒すのはそれはそれは楽しかったよ』

 それでね、と悪魔は区切るように間を作る。


『私、君が欲しくなっちゃった』


 ○


 イルナは王宮へと足を運んでいた。

 とはいっても実は、同行者がいた。王と側近の男だ。

 イルナが王宮へ向かおうとした時に『少し待て』と呼び止められ王宮に戻るのはこちらも同じだということで三人揃っての到着となった。

 だが、王宮に着くと何か、不穏な空気を感じた。

「……静かだ。いや、静かどころではないな。これは虚無か」

「それはあの二人があそこの槍を壊す際侵入したからだと。警備が根こそぎ倒されておりますゆえ」

「違うぞ。そこの王が言っているのはそういうことではない」

「?」

「とにかく中へ急ぐか」

 王の顔にはただごとではないことが起こった、という驚きが混じっていた。

 それを感じ取ったイルナと側近の男ははやる王の後をついていった。


 王が止まることなく玉座の間につくなり扉をギギギ、と開ける。いつもなら誰かに開けさせるものを自分で開けるあたり、この王の心理状態は察することができるだろう。

 そこには、影があった。

 人影、というようなものではなく、本当に影。

 正確には影をそのまま人形に加工した、とでも言えばいいのか。

 その影は玉座に腰掛けていたが、三人を一瞥すると何かを守ろうとするように立ち上がった。

 見ると、後ろの地面には落とし穴のような、影の渦が垣間見えた。

 すぐに構えをとるイルナと側近だったが、王だけはただ棒のように立ち尽くすのみだった。

「まさか……」

「どうした? あの変なものの正体でも知っているのか?」

「無論だ。余が不穏因子を排除し続けていたのはお主らの言った独裁が第一だったが、実は第二の理由もあった。さすがに実現はしないであろうと思っていたが……」

「第二、だと?」

 ああ、と気のない返事をして、王は呟くように言う。


「あれは、余の封印した悪魔だ」

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