ここからが本番 <1>
「……と、ここまでが全ての顛末だ」
語り終わってからイルナはゲシゲシと地面に横たわる何かを蹴る。
(く、嫌なことを思い出してしまった……)
ちなみにイルナにとってこれは黒歴史認定である。
「最後の最後で大どんでん返しがあったんですね。完全に悪役だと思ってたイルナ様も結局はいい人なのかも、って感じでしたし」
「ま、まあな」
……当事者が語ってる手前、少しばかりの改変はされてある。イルナが半霊体になったあと、ものすごい恥辱があったのだが、自分の無様を晒すまいと故意に割愛している。
「で、だ」
またイルナはそのしなやかな脚を動かして今度はグリグリと踏んずける。
「やはり、思った通りだったな」
「……本当に死にそうだからやめてそれ」
足の置き場と化したヴァースはかすれる声で懇願した。
「しかも、よりにもよって俺が逃がしたやつがいるし」
ヴァースは目だけ動かしてヴィーナを見た。
「はい。ヴァース様。ヴィーナと申します。以後お見知りおきを」
「全体的に堅いなとかいう前にちょっとは俺の心配をしてくれないかな君ら」
「いやあ、ヴァース様はもはや不死身らしいとかなんとか」
「あ、おま、イルナ話したのか!」
「まあなあ。何せヴィーナはそなたにお礼がしたいとかなんとか。いい年頃の女が礼なんて、こんな幸運は滅多にないぞ?」
そんな間の抜けた会話を繰り広げているが、その光景は異様だった。
前死んだ時の比ではなかった。傷口が心臓を一突きから横一閃になったことも関係しているのかもしれない。
コンクリートの地面は一面、赤、
そのおびただしい出血量でもなおヴァースが存命なのは、やはり自称だが『命繋ぎ』の効果が出ているのだろう。
死にはしない。だが回復もしない。ただ苦痛の淵に立たされる少年の境地はいかほどか。
だからこの場違いとも言える会話はヴァースの気を紛らわすためでもある。イルナの不器用な計らいだ。
「ああ、そうだ、ヴァース、そなたの荷物はこれでよかったか?」
「うん、それだけど。え、なに実力行使しちゃった感じ?」
「馬鹿者。妾を昔のままだと勘違いするでない。これでも成長してるのだぞ。日々な」
「炊事も洗濯もできずに全て俺に任せっぱなしの使い魔がよく言えるな」
「ああん?」
「あ、やめて、冗談抜きで死んじゃうからぁっ!?」
ヴァースが傍らのヴィーナに目線で助けを求めると、ヴィーナはニコニコした面持ちで、
「お二人共本当に仲がいいんですね。羨ましいです」
「おいお前そうやったら何事も丸く収まると思うなあっ!」
ヴァースにとり幸いだったのは、一度死んだ時に魔力が健在だったことか。
そのおかげで目覚めると同時に『ヒール』で傷口を塞ぐことができたし、イルナたちと会った時にこんな大声を出せもした。
と、和気あいあい(?)な雰囲気でいるとダッダッダッ、と兵隊の足音のようなものが聞こえてきた。
「物音がしたぞ」
「ネズミじゃねえのか?」
「そうだよ、今日はもう寝ようぜ」
その足音は勢いが弱まり、歩調の具合で遠ざかっていった。
「……とりあえずここから出るか」
イルナがそう提案すると二人は首を縦に振って肯定した。
「ふむ、ヴァース、そなたは不可視化ができたか?」
「いや、そんな不可視化うんぬんよりそもそも論なんだが」
まだ地面にうつ伏せで倒れている体を痛々しく血で染めつつも、それでいて顔と口調は元気そうにアンバランスな少年は言った。
「……歩けないから運んでくんない?」
○
「ったく、レディに自分を担がせるとかおかしいのではないか」
イルナが独自に確保していた宿屋の部屋に着くと、ヴァースをベッドに投げつける。
「ぐへッ」
「あの、成り行きで着いてきてしまいましたが、大丈夫ですか?」
ヴィーナが恐縮したように言う。
たしかに、一人部屋に三人も集まるといかんせん手狭に感じる。なぜ一人部屋なのかはイルナのおっちょこちょいさを鑑みればわかることだ。現に一個前の国の宿屋だって一人部屋だった。
ふう、とイルナが空気を吐き出しつつベッドにどかりと腰かけると、
「しょうがないだろう。どうせ、行くあてもないんじゃないか?」
「それは、そうですけど……」
と言いつつ、ヴィーナの視線はクッションがわりにイルナの尻に敷かれたヴァースに向かっていた。なんかビクビク痙攣しているが、大丈夫だろうか。
これが本場の尻に敷かれるということなのか、なんて間違った知識をヴィーナが蓄えているといい加減にしろ、とヴァースが起き上がってきた。
「どうせ一人部屋だから俺とイルナだけだったとしても狭かったんだ、一人増えたとしても変わんないだろ」
体に感覚が戻ってきたのか、ヴァースがひょいと起き上がって肩を回しながら、
「なんなら、イルナに霊体化してもらえば結局とる面積は二人分に――ッ!」
おりゃあああああ! なんて言葉とともにヴァースが頭からベッドにリターンする。
「忘れたのか。妾は寝ている時だけは無防備になると言ったろう。霊体化しながら寝るなんて器用な真似はできん」
「……俺はいつか今度こそお前に殺される気しかしない」
ともあれ、夜も深まってきている。これは真剣に話し合わなければ、全員徹夜という最悪な結果になりかねない。
一同は真剣な面持ちで円形に並んだ。
「やっぱり、ここは怪我人の俺がベッドに寝るのが最善だと思う」
「馬鹿者。ここは妾に決まっておろう。この高潔な体では地べたに転がっても寝れはしない」
「あ? お前だけは絶対ねえよ。俺じゃなかったならベッドに寝るのはヴィーナを推奨する」
「ヴァースこそないのではないか? ここは女二人男一人だ、男のそなたが変な気を起こさないとも限らない。特にベッドではな」
「それはおかしい。理屈がおかしい」
「あ、あの」
今まで会話に入れていなかったヴィーナがここで初めて参加する。
いつもはいない部外者の話に、ヴァースとイルナの二人は耳をそばだてた。
「私は、別に地面でも結構です……」
しばしの沈黙があった。
「あ、あの、私も自己主張激しかった方が良かったですか……?」
その選択肢もあるにはあったのだが、部外者のやることでもキャラにも合わない気がしたのだ。が、違ったらしい。この二人はコメディ重視のようだ。
「…………え……」
やがてヴァースが口を開いた。
「はい?」
「お前もヴィーナを見習え!」
そのセリフは、言うまでもなくイルナに向けられていた。
「それを言うならヴァース、そなたの方が」
それに負けじとイルナも応戦する。
ガーガー、ワーワーとお互いを罵り合う様を見て、ヴィーナの頭の中にふと思い浮かんだフレーズがあった。
「なんだか、夫婦喧嘩みたいですね」
「「ふざけんな!!」」
「あわわわ……」
どうやら二人にとっては失言だったようだ。一斉に怒鳴られてヴィーナは頭を抱えてしまった。
「あ、いや、すまん」
「ついカッとなってしまっての」
「もういいですどうせ私は部外者なんです二人の輪の中に入れるわけがなかったんです身の程をわきまえずにすいません私のような元奴隷は奴隷らしく振る舞わなきゃ駄目ですよね一瞬でも楽しいと思ってしまったことをお許しください……」
どうやらネガティブモードに移行してしまったらしい。ぶつくさ言っているそれはなにかの呪詛のようにも聞こえた。
あ、これはヤバイと直感した二人は顔を見合わせて頷いた。
「「わかったよ」」
「へ?」
「へ?」
数分後、ヴィーナはまた同じ言葉を発していた。
いつの間にかヴィーナがベッドの上に座って床にはヴァースとイルナが正座しているというなんとも奇妙な光景が広がっている。
「あの、これはいったい……」
「いや、やっぱり争いはよくないなって」
「だから欲しい者が手に入れるのではなく、最も欲のないものに与えるべきだと……」
ハハー、ともはや崇めるような行動まで起こしていた。
「あの、やめてください。私はいきなり飛び込んできた部外者なんですから」
「……もうそれやめないか?」
「へ?」
「その部外者部外者ってやつ。イルナが聞いた通り行くあてないんだろ? もうそれだけでも仲間になる資格ありだ。どうだ、一緒に旅をするっていうのは」
「……いいんですか?」
「ああ、もちろんだ。むしろ助かるくらいだ。誰かさんが一人じゃ何もできないお嬢様だからゴフッ、何かスキルのある人員が増えるのは嬉しい」
イルナにぶたれても話が続けられたことからヴァースは通常時までには回復できたらしい。
「でも、本当にいいんでしょうか。足でまといになるのでは……?」
「いいや、そこんとこは心配してない。『透明化』が使えるんだろ? それだけで魔術の腕はわかるし俺の見立てが正しければ家事スキルもあると見た」
そもそもヴァースの常識が女は家事スキルを保有しているというものだから、イルナはものすんごいイレギュラーなのだが、今度こそは大丈夫だろう。常識が二回も当てはまらないとなると先が思いやられる。
「実は……洗濯くらいしか」
「お、おいい?」
先が思いやられた。ヴァースは自分の常識は他の国では不常識なのだな、と考えを改めた。
「ま、まあいいや。それより飯を作らないか、実際血が足りてない」
一回目の死よりも出血量が多かったので体を動かすのも一苦労だったりする。それを感じさせないのはヴァースの精神力か、それとも痩せ我慢か。
「そうだな、どれ、食料を調達しておこう」
イルナが配慮のつもりか、素早く外へ出ていった。
それはそれで。
三人から二人になるとなんだか活気が薄れた気がした。
「はあ……」
少し疲れて地べたに寝転がると視界の天井からぬっとヴィーナの顔が現れた。そのまま持ち上げられてベッドの上に乗せられる。少年とはいえ男のヴァースを一人で持ち上げられるとは案外ほっそりとした見た目と反して力持ちのようだ。
「あ、あれ?」
そんな素っ頓狂な声を出したのは、ギシッと音を立ててヴィーナがヴァースに覆いかぶさるような態勢になったからだ。
明らかにお姉さんな年の離れたイルナには色目もクソもあったもんじゃないがヴァースもまだ少年。間近で歳の近い少女と向かい合えば少しは動揺する。
「ヴ、ヴィーナサン? いったい何を?」
「死なないとはいえ、かなりの体力を消耗したことでしょう。こちらの方が疲れも取れます」
「いや、そういうことではなく」
たるんだ服から未成熟でかつ無防備な胸が見えてヴァースは思わず顔を逸らした。
「どうしたのですか? 顔が赤いですよ? 熱ですか、それはいけません」
「ちょ、ば」
熱を測るためだろうか、額を重ね合わせてもヴァースにはむしろ逆効果だった。
「一度は助けられた身の上、ありったけのご奉仕はさせてもらう所存ですよ?」
もはや狙ってるだろと言わんばかりに耳もとで囁かれてヴァースは理性が吹き飛びそうになる。
それでも理性を保っていられたのは、脳内にいるイルナからの警報音によるものだろう。
使い魔の契約をしたことで、ヴァースとイルナはお互いの危機を察知して互いに信号を送ることができる。おそらく今回のケースもその危機の類に入っていたのだろう。警戒の信号が点滅している。
「別に熱じゃないから。ちょっと重――楽にしたいからちょっと離れてくれ」
重いから、と言い切らなかったのは細かいところに厳しいイルナと生活を共にしていたからだろうか。
だが事態は良い方向には向かわなかった。
むしろ、抱きついてきたのである。
「だから、苦しいって」
「こうして温もりを感じていた方が安心できてリラックスできるらしいですよ?」
という理屈らしい。果たしてヴィーナには恥ずかしさや異性に対する抵抗とかはないのやら。
(お、重い……)
心の中ではそう思いつつもまあこれもこれで悪くないんじゃないか、なんて思い始めちゃっていたその時。
ガチャリ、と部屋の扉が開いたのだ。
「とりあえずまんべんなく買ってきたのだが、何が危機だったんだ? ……あ」
イルナは部屋の中の光景を見て固まった。
今までの経緯を知らずにこのヴィーナがヴァースに馬乗りになっている光景を見たらどう思うだろう。ましてや、片方が危機という情報付きだったら。
「そなた、は……」
イルナは袋から芋を一つ取り出して、
「何夜だからってサカってんじゃああああああああああああああああああああああああ!」
スコーン、と気持ちのいい音がしたのはその直後である。
そして事態は新たな局面へと移行していた。
ヘッドショットを食らって気絶したヴァースを差し置いて、話題はこの一点に尽きた。
食材を買ったはいいけど、誰が料理すんの。
「ヴィーナも料理はできなかったよな?」
「はい。イルナ様もできないそうですね」
あの場面を目の当たりにしてしまってから二人の間にはぎこちない空気があった。
いや、実際にはイルナがぷんすかしていてヴィーナは理由がわからず合わせている感じだ。
「あの、何か怒ってます?」
「別に」
「あの、とりあえず作りませんか?」
「そうだな。妾にはなんのスキルもないが……(そしてそなたのような度胸もないが)」
「はい?」
「なんでもない。では作るとするかの」
そこからはもう散々だった。包丁は逆手に持つわ切り方がおかしいわ調味料はドバドバ見境なく使うわ……。もしヴァースが起きていればどんなおぞましいものができるかわかったものではないと逃げ出していただろう。
「うん……俺に何が……」
ヘッドショットされた部位を抑えてヴァースが起きた頃にはもう終わっていた。色んな意味で。
「……ゴクリ」
見ようによっては何色にも見えるそれをおそるおそる口にした瞬間、ヴァースはまた眠りに落ちた。理由は言うまでもない。
「まだたくさんあるのに。しかもおいしいのに」
「ですね。なんでヴァース様はあんな一口程度で?」
味覚のおかしい二人は放っておいて、それとは関係なく時が過ぎ、夜が更けていった。
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