死、そして <2>

 なんだかもう、とてつもなく心がむしゃくしゃしていた。

 玉座に座っているイルナは傍から見てもわかるくらいにどよーんとしていた。

「なんなのだこれは……。これが俗に言う罪悪感というものか?」

 やってしまったことが心に突き刺さって外れない。そう、喉に刺さった魚の骨のようにそれは居心地が悪く不愉快であった。

「だが、今までこんなことは一度も……。そう、『生物使役』によって蹂躙し重症に至らしめてもこんな気持ちにはならなかった」

 ……それだけでも人間性を疑うが、もともとが実力至上主義なのだ、それくらいは当然と思う節があるのだろう。そう、怪我までは。

 そもそも、怪我をさせることと殺すことでは違いすぎるのだ。命を奪う。それは人間でいる限り必ず不快感が付きまとう。世には殺人鬼など殺しを楽しいと思う輩がいるじゃないか、と思うかもしれないがそれはただ単に不快感に対する感受性が乏しいだけ。人間という本能が鳴らす警鐘が聞こえない。だから楽しいと錯覚してしまう。

 幸いとも言うべきなのか、イルナはそういった感受性のある方だった。

 だからこそ、自分のやったことに苦しみ、反省することができる。

 その点でいえば、イルナは人間みのある人間だと言えるだろう。

 果たして、それがこの実力至上主義な国においてはプラスなのかマイナスなのか。

「どうすれば……。もはや人間をやめてしまうか?」

 まだまだ精神年齢は子供のイルナが罪悪感に襲われているのだ、このような安直な考えに至るのも無理はなかった。

 きっと、人間でさえなくなれば、こんな気持ちの悪い気持ちが払拭できるのではなかろうか。そう考えたのだ。

 はあ、とイルナはまるで何かを諦めたようなため息をついた。

「まあ、良いか。どうせこれまでも、そしてこれからも退屈な人生だったのだ。人間でなくなっても決して悔いはない」

 イルナは指を鳴らして儀式のようなものの準備を始める。

 だが。

 しかし、だ。

 こつ、こつ、と。

 廊下を歩いてくるような音が聞こえたのだ。

(何者だ……? 妾の張った結界は城周囲をまんべんなく覆っていたはずなのだが……)

 ガバッとイルナは警戒態勢に入った。この切り替えの早さは今の今まで伊達に女帝を続けてきていないことがわかる。

『生物使役』といい実力のみにおいても右に出るものはいないが、こういうところもイルナを最強の女帝たらしめていた理由だろう。そして、そういうところがあるから今の今まで実力至上主義の国を続けてきたのかもしれない。

 こつ、こつ、という足音はみるみる近づいてくる。

(この国民にそのような手練はいなかったはず。なぜならそんな手練がいたらすぐに妾の首をとって王座についているだろうからだ。となると、残る可能性は異邦人なのだが……。いやまさか、そんなわけが)

 イルナは首を振って自分の意見を否定した。たしかに、当事者からしたら信じられない。

 だが、そんな思いとは裏腹に、足音はちょうど玉座の前で止まる。

 コンコン、というノックの音もなければ、ギィィという開放の音もない。

 あったのはグシャァッ! と扉ごと粉砕される音だけ。

 その蹴破られた扉が自分に当たるのを回避しつつ、こんな強引なことをする愚か者は誰だ、と細い目で出入り口を睨む。

 そして目を見開いた。それはもう、眼球が飛び出してしまうくらいに。

 それほどまでにイルナにとって目の前の光景は異様であり不可解であり理解不能だった。


「な、なぜここに! そなたはたしかに死んでいたはず!」

「それがびっくり死んでませんでしたって話さ」

 そこでは少年らしい笑みをたたえたヴァースが気軽に言ってのけていた。


 目の前に。

 目の前に、自分で直々に手を下し命を奪った相手がそこにいたのだ。

 それを確認したイルナにまず浮かんだのは、生きていて良かった、殺してなかった、という安堵。続いて殺したはずなのに生きているという困惑と恐怖が押し寄せる。

「な、なぜここに入れたのだ」

 それを口にするのが怖くて、イルナは関係のない話を持ち出す。

「いや、入るのは簡単だろ。ここ、チョロいぞ」

「……いってくれるな」

「こんな生ぬるい結界でやっていけると思ってたら大間違いだぞ。基準が違うんだよ、基準が」

「そうだったな、そなたは手練だったよ」

 あらゆる才能に恵まれているイルナだが、やはり得意不得意はある。

『生物使役』という威力ピカイチの魔術に始まり、攻撃系魔術は負けなしだが、守る、という目的の防御系魔術は少しばかり苦手であった。とはいえ、自国の反逆者の侵入を許さない程度には強力だ。そもそも攻撃すれば終わってしまうから防御する必要もない、という理由もある。

 対してヴァースのいた国は何事も技術、練度が高いことで有名だ。イルナの苦手なりに頑張って侵入を許さない程度の結界など、故郷のセキュリティシステムに比べれば、屁のようだった。ヴァースの言った通り、基準が違う。

 ヴァースが自称している『普通』とは、故郷での普通だ。この国の場合、その『普通』はエリートの部類に入るような実力だ。

「……ふう。何か気持ち悪いものが取れてすっきりした気分だ」

 殺した、という事実がひっくり返ってイルナの罪悪感はどこかに消え失せていた。

「ああ。俺もよかったよ。死にそうになったけどな」

「そなたには悪く思っている。何か詫びでもしてやろう、何がいい?」

「そりゃありがたい。そうだな……」

 顎に手を当て考える素振りを見せつつヴァースはイルナに近づいていく。

 やがて十センチ単位のところにまで近づくと、ジロジロとイルナの体を見る。

(ま、まさかそういうことをさせられるのか? くう、仕方がない。かくなる上はこの熟していない少年に奉仕をしなければ……)

「や、やるなら早くし――」

 頬を染めて恥ずかしがりながら言ったセリフは完結しなかった。

 ヴァースの掌がイルナの顔に当てられ、閃光と呼ぶべき光がその手から弾けたからだ。

「な――」

「すまんな、とても正面勝負では勝てそうにないんで」

 自嘲するように苦笑いをしているヴァースを視界に収めると。

『意識飛ばし』をモロに食らったイルナは意識を失った。


 ○


「ハッ!?」

 イルナが再び目を覚ますと、目の前には先ほどと変わらぬ景色が広がっていた。

 変わっているのは、実は殺していなかった少年が玉座に座っていることと、体の倦怠感、それに手首が締め付けられていることだろうか。

「起きたか」

 すっかり優位に立った少年は余裕を滲み出して言う。イルナは魔術を行使しようとしたが、全く力が入らない。

「ああ、それは無駄だぞ。しっかりとお前の魔力は吸っといたから」

 魔術が行使できなかったのは、何よりのガソリンである魔力が空っぽにされているかららしい。まさか自分の絶対的有利が覆されるとは思っていなかったので、手を縛られたこの状態では、本当に何もできない。

「俺は一回話がしたかったんだ」

 イルナに無力性を実感させた上で、ヴァースは話しかける。

「まず一つ。なぜあのじいさんの酒場を襲った?」

「ハッ、やはりそなたは正義の味方なのか」

 人のために自分の命もかえりみない姿勢に、イルナは質問に答えるでなくそう口に出てしまった。

 ヴァースはつまらなそうに、

「馬鹿なのか。俺は正義とか、そんな大それたことなんて考えちゃいないぞ。人のために何かをするのは素晴らしいことだとは思うが、俺自身はやりたいとは思わない。本当の正義の味方ってのはあのじいさんみたいな人のことを言うんだと思うぜ」

「だが、実際にそなたは妾に殺されたではないか。あの老人始め客を避難させるために」

「それこそが誤解なんだよ。避難させるために、じゃない。目の前で胸糞悪くなるような光景が見たくなかっただけだ。ただ俺は俺のためにお前と戦っただけなんだよ。そこに大義も名分もない」

 そしてヴァースは俺は善人にはなれないんだよ、と寂しそうに呟いた。

「……それはわかった。ではなぜ、妾を殺さなかったのだ? 意識を刈り取ることができたのだから、いくらでも機会はあったろうに。妾は最終的には違くてもそなたを殺したのだぞ?」

「お前はさ、等価交換みたいな見方でしか世界を見れんのか?」

「何が言いたい」

「なんで、俺を殺したがイコールお前が殺されるになるんだよ。ここではそれが普通なのかもしれないけど俺にとってここの王になれるとか望んでないし人を殺すなんてのは俺のポリシーに反するんだよ」

 それは、今までイルナが見て体験してきた世界を百八十度変えてしまうような、そんな意見だった。

「な……ぜだ。なぜ、仮にも不意打ちながらも妾を討ち取った実力の持ち主だぞ。ここは実力さえあればなんでも通る。なぜ掌握しない? それは人間の抱える欲望ではないのか? 支配し管理することは人間の本能ではないのか?」

「ゴチャゴチャ知らんけど」

 明らかに取り乱している明らかに歳上の女を見て、冷めた目を送りつつヴァースは再度告げる。

「だから俺はそんなのに興味はない。むしろそういう結論にしか至らないお前や、この国の人達の方が、むしろ狂ってるよ」

「だが、この国ではそれが普通だ」

「普通なんて、誰が決めたよ」

「……は?」

 突拍子のない反論にまたしてもイルナはキョトンとしてしまう。

「実力がものをいう国だからそうなってしまうのは『普通』か? ふざけんな。そんなんじゃ誰も幸せにならないだろ。じゃあその『普通』は誰が決めたんだ。お前らじゃないか。決めたならぶっ壊すことだってできるはずだ。今からでも遅くない、笑顔が溢れる国にだって作れる!」

 少年が理屈らしいことを言うのは不自然だが、だがそんなアンバランスな感じが逆に説得力を増していた。

「だが、そんなことができるわけないだろう。この実力至上主義の時代が何年続いてきたと思っている。世紀単位だぞ。そんな体制を今さら壊せるわけが……」

「いや、できる。お前たちの大好きな『実力』を使えばな」

 そう言ってヴァースは手をメガホンの形にして口に添えた。直後に魔力が使われる気配がした。

「何をするつもりだ……?」

「まあ見てろよ」

 ニヤリ、と子供っぽい笑みを浮かべたかと思うと、唐突に大声を出した。

 いや、大声というのは語弊があるのかもしれない。

『ここ、ウェステの国の国民全てのものに告ぐ』

 魔術で空間の至る所をスピーカー代わりにして国全体に届くようにしているのだ。

『たった今、女帝イルナから王位は剥奪され、王位は俺のものになった』

「はあ!? 何言って――」

 イルナは訂正をさせようとしたが、力が吸い取られてふにゃふにゃとへたりこんでしまう。いつでも手綱を握れるようにリードのようなものをつけられたのかもしれない。

『王になった俺だが、名前は名乗るまでもないだろう。覚えなくていいからな。ともかく、俺はたった今から三つの宣言をしたいと思う。いいか、この命令は絶対だからな。実力最上位の女帝を倒した俺の言葉なんだからな』


「ははっ、面白いことをしてるなあ」

 昼間の酒場。

 寝る気にもなれなくて早すぎる酒盛りをしていた老人がかかかと笑った。

「それでこそ、若者だ。道無き道を強引に突破し、新たに切り開く。いいぞ、そうこなくては」

 そういって気分が良くなったように老人は酒を呷った。


『一つ目だが、これが一番重要だ。いいか、よーく聞けよ?』

 もったいぶるような口調で聴衆の感心を集めてからヴァースは改めて言った。

『全実力至上主義を廃止する!』

「……な」

 イルナは言葉も出なくなってしまった。この少年は長らく続いてきた実力至上主義をあっさり、個人の気分で終わらせようとしているのだ。


「……あの坊主、心配するまでもなかったってことか。それにしてもあの女帝を倒すとは俺も人を見る目がないのかもしれんな」

 国の出入口の検問。

 はあ、と嘆息の息をつきながらも口調は弾んでいてやけに楽しそうだった。

「しかも、それならお前達も自由に生きられるんじゃないか?」

 そういいながら検問は振り返る。

 そこには検問が秘密裏に保護していた、実力至上主義では生きていけないような半難民の人々が数多くいた。

「おお、これで私たちも自由に生活できるようになる」

「うん、おめでとう。これでびくびくしながら生活する必要はなくなった。坊主の、英雄のおかげだ」


『二つ目。新しい法を作るから、それに従ってみんなワイワイやるように!』

「おい、勝手に……」

「ん? 実力至上主義で一番の俺に勝手なんてあるのか?」

 してやったとばかりににやけつつ、ヴァースは意地悪そうにしている。

「それに、実力至上主義が終わったらこの国の人たちの異常もなくなるだろ。そうしたらお前も今までみたいに一人でこんなところに閉じこもる必要もなくなる。みんなで楽しく暮らせるんだ」

「だが、人間の本質は争いなのだ。いつ、殺し合いが起こるかもわからないのだぞ……?」

「うるさい。それは万が一、起こるかもしれないことだ。そんな消極的な考えよりも今この時が楽しかったらいいんじゃねえのか」

「……!」

 まただ。この少年の言葉はいちいち心に反響する。 イルナとヴァースは、人生を達観している、それはほとんど同じだ。

 だが、この考え方の違いこそが、あるいはヴァースを善寄りたらしめて、イルナを悪寄りにたらしめていたのかもしれない。

 やがてヴァースは全国民に告げる。

『まあ、ここまで常識を覆すようなことを言ってきたけど、いきなり全員実行に移せと言われても無理だろう。ここで俺からの提案だ。これで三つ目。この国のある場所にいい酒場があるんだ。前時代の中でも楽しくやっていた素晴らしいところがな』

 老人の善人らしさを思い出しつつ、ヴァースは笑っていた。

『そこのじいさんはとてもいいお手本になるだろう。みんな、参考にするように。そしてとりあえず王位はこのままじいさんに渡す! じゃあ王じゃなくなった俺からはここまでだ。みんな頑張れよ』


「……してやられたな!」

 ガッハッハッと酒場の老人は笑った。

「……俺の望んでたものを易々と掴んで渡してきやがって。若いんだよ。最高すぎるんだよ。英雄かよ」

 いくらか酒の酔いが回っているようだ。いつの間にか泣き笑いの様相になっている。

 そう、この老人は全て実力でなっている今の不平等が、いつか平等になることを願っていた。それをあえて不平等の中で最上位になることで平等を勝ち取って見せたヴァースは老人にとって英雄そのものだった。

「だが、なんか俺が王にされてるんだよな……」 平等を目指しているのに王という階級があっては不平等な気がする。こういうところはヴァースは少し抜けていたらしい。

 どうしよう、と考えているとドスドスとこちらに向かってくる無数の足音が聞こえてきた。

 それらは酒場へとずんずん入ってくる。

「王、何をすればいいのですか!」「王、これから国をどうするのですか!」

 皆口々に老人をまくし立てた。

「少し待て!」

 老人は一言怒鳴って場を鎮める。

「まず、王呼びはやめろ。気持ち悪い。いや、俺は王位を廃棄する! 全員でいい国を作るんだ!」


 これが後に民主主義国家と呼ばれる優しい国になっていく、始まりの時だった。


 ○


 さて。 これでハッピーエンドならいいものなのだが、このまま話が進むと辻褄が合わない。

 なぜ、イルナが人間でなくなっているのか。

 そしてなぜヴァースに同行しているのか。

 どうして現在のような体制になったのか、補足をしておく必要があるだろう。


 それは三つ目の宣言が終わり、お役御免となった城の中でのことだ。

「……じゃあ俺は次の国に行くとするか」

「待て」

 荷物を持ってさっさと出ていこうとするヴァースをイルナは引き止めた。

「何か? もうお前には権力もないし、それに縛られることもない」

「責任を取れ」

「は? だから実力で俺が奪い去って縛りを解いたんだから何も俺に責任なんてない」

「違うな。全ての民が楽しくやっていけるという決まりを作ったのだ。それは妾にも適用されるのではないか?」

「……、」

 ヴァースは自分で言っちゃった手前、反論することができない。

 今度はイルナがしてやったりという顔をする番だった。


「妾も旅に連れてゆけ。そなたに興味が出た。そして妾もそろそろ殻を破らなくてはな」


「……はぁ」

 最後に待ち構えていた予想外の展開にヴァースはため息をつくしかなかった。

「なんじゃ、妾には権利がないというのか?」

 答えることはわかっていると言わんばかりにニヤニヤとヴァースを見る。

 ヴァースはもう断ることはできなさそうだ、と観念して、

「……早く荷物をまとめろ」

「これで良い。金ならあるからな」

「はいはい、早く行くぞ」

 どこか適当な国で置いていこうと決めてヴァースが歩を進めようとした時だった。


「さっきから思ってたんだけど、これ何?」

 出入口の扉の横に立てかけてあった杖に手を伸ばして掴んだ。

「あ、それは」

 イルナはやめさせようとしたが、いかんせん体が本調子ではない。ヴァースがそのまま杖を握りこんでしまうのは避けられなかった。

 ところで、覚えているだろうか。ヴァースを殺してしまったと勘違いしていた頃、もう人間をやめようとイルナが儀式のようなものを始めようとしていたことを。

 玉座の間に淡い光を発して陣が走る。

 それは中心のイルナを囲むように広がり、ついにイルナ自身も光り始めた。

 淡い光は眩いものとなり、玉座の間を残らず呑み込む――。

 やがて、光が収まると、そこには先ほどと変わりないヴァースとイルナの二人がいた。

「なんだったんだ、今の」

「馬鹿者があ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ああああ!」

 イルナはヌーッとヴァースの懐に飛び込み、拳を胸にドンドンと叩きつけた。

 イルナは、さっきまで魔力を吸い取られていてそこまで動ける状況ではなかったのに、だ。

「な、なんだ」

 なんかとてつもなくやらかした気がするヴァースはおそるおそる尋ねる。いきなり幼児退行したイルナの行動も事態の異常さを証明していた。

「今のは、転身の魔術だ。妾は半霊体になってしまった……」

「そ、それがどうかしたのか」

 半霊体になっているだけでどうかしているのだが、ヴァースはその奥にさらになにかある気がした。

「半霊体となった妾はその杖を持ったものの使い魔になってしまうのだ!!」

「はへ?」

 とキョトンとするヴァースの手にはしっかりと杖が握られていた。

「つまりそなたと妾は一心同体、一蓮托生になってしまったというわけだ」

「……はあ!?」

「はあ、結局共に行動する他なくなってしまったな」

「えー……」


 ともあれ、これがイルナとヴァースの始まりであった。

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