死、そして <1>

「やってしまった……」

夜道を歩いているイルナは思わず頭を抱えていた。

今にも叫び走りたい気分だった。それほどまでに抱えた気持ちは重かった。

「気持ちが昂ってしまうような上玉にあってついちと本気を出してしまった……」

あわわあわあわと口に手を当ててどうしようどうしようとあたりを見回す。が、相変わらずここは実力至上主義の国。手を貸す輩など一人も存在しない。

むしろ進んで邪魔しようとする輩は湧いていた。

「おいネーチャン、そんなに慌ててどうしたんだ――ぐおぉ!?」

最後まで言わせなかった。

こういった輩にはイルナは容赦がなかった。

思いっきり股間に蹴りを入れたのだ。

「百年早いわ。妾は今気が立っている。関わらぬほうが身のためだぞ」

ギロリと睨みつけてからイルナは歩くのを再開する。

こんな最低な輩を完膚なきまでにギッタンギッタンにしないのは少々この女帝らしくないようにも思える。今さっき人を殺めたのだからなおさらだ。

だが、実はこちらの方が本物のイルナの側面だったりする。

もちろん人は争い合い殺し合い傷つけ合うものなのだ、というイルナの持論は本心である。退屈に退屈を重ねて破壊を行ったという経緯も真実である。

ではあるのだが。

結局、行動や言動が過激でも、最終的には甘いのだ。

先の城内での『生物使役』によって蹂躙した者達も一人として誰も死んではいない。ほどほどの威力で昏睡させただけなのだ。

それはさっきの襲撃も然り。壊すのが目的であってしっかり怪我人がでないように工夫さえしていたくらいだ。

……ここまで言及すれば今イルナが何に悩まされているのかは自ずと知れるだろう。

端的に言うとこうだ。

――やっべえ楽しむためだけに戦いに来たのについうっかり殺しちゃったどうしよう。

「……ぐすん。妾はこれから十字架を背負って生きていかねばならぬのか。悪気はなかったのにぃ」

まるで親に怒られてしまった子供のような様子で城への道をイルナはとぼとぼ歩いた。

そしてイルナの精神年齢は外見とは反比例に低かった。言葉遣いとかもう一丁前なのだが、目の前でガチギレされたらたぶん泣き出す。

もしかしたら、世に生きる天才という天才はみんなこうなのかもしれない。他人より突出した才能があることでそれだけに頼れる。そしてそれに依存していき自分が至高なのだという勘違いを起こす。とはいえそれが賢しいとか力が強いとか、そういう一点集中な才能ならばそんな影響はなかっただろうが、イルナはあらゆる才能に恵まれている。何にも頼らなくて良かった彼女のメンタルが弱いのは、当然といえば当然なのかもしれない。

「……もういい。妾は城に一生閉じこもることにしよう。それがせめてもの贖罪というものだろう」

もう誰にも迷惑をかけないように生きていこう、と強く誓って城に帰ったイルナであった。何か悪いことをしてお仕置きに押入れに閉じ込められるのと似た方向性を感じるが、それは彼女には関係のないことだった。

……だが、何の因果か、そんなお利口さんにしていようというイルナの決心はすぐに揺らぐことになるのだった。



「うっ!?」

目の前に広がっていたのは、先ほどよりも一層濃くなった夜の星空だった。

どうやら仰向けになっているようだ。そう考えて起き上がろうと体を動かすも思うように動かない。まるで地面に縫い付けられているようだった。

そうそうに体を動かすのをやめて外界に意識を戻すと視界の端に見知った顔がいた。

「よかった、生きてたか」

あの酒場の老人だった。安堵するようにホッと息をついている。

「ここは……?」

「お前さんが戦ってた酒場のど真ん中だ」

「……! そうだ、じいさん早く逃げないと……ッ!」

「これ、無理をするんじゃない。大丈夫だ、あの女はいなくなっている。そんなことより自分の心配をしろ」

「あ、ああ……」

というかその前に。

ヴァースは不思議でならなかった。


――なんで俺は生きている?


たしかに心臓を貫かれたはずだった。胸から背中に抜けるようにして。

人間ならそれで即死だ。

だがヴァースは今こうしてこの場で息をしている。これはどう説明すればいいのだろう。

「ちょっと、じいさん」

「なんだ?」

「魔力を使わせてくれないか、俺のはもう底をついてるんだ」

「ああ、いいぞ。どうせ使うことがなかった魔力だ、そしてこれからも使わないだろう。存分に使うといい」

そういって老人はヴァースの手を握った。

ヴァースは魔力に意識を集中させる。

『ヒール』。『ヒール』、『ヒール』、『ヒール』『ヒール』『ヒール』『ヒール』。

老人に支障を残さない範囲で『ヒール』を連続して使用することで一通り体力を取り戻したヴァースは今度こそ自力で起き上がる。

そして驚愕する。

ヴァースの周りには放射状に大きな赤い円が描かれていたのだ。言わずもがなおびただしいほどの血だ。

その黒めの赤は、今ここで息をしていること自体が幻想なのではないかと錯覚させる。

だが、今こうして老人と話せているし、過呼吸気味な自分の呼吸が聞こえている。

「なん、だ、これは」

「それは俺が聞きたいくらいだよ。お前さん、どんな戦いがあったんだ?」

実はあの女性が手心を加えていたとか? いいや、それはない。あの時、たしかに胸を貫く熱くて激痛が走る感触があった。心臓を貫かれたのは決定的だ。

では、なんだろう。ヴァースは人間と人間から生まれてきたただの人間だ。神とのハーフで不死だとか、そんな事実は一切ない。

殺されたという事実は真実で出生も関係がない。他にこれを説明する手段はどこにあるだろうか――。

そこでヴァースは閃いた。

あるではないか。一つ。

「本当に大丈夫か? とりあえず包帯は巻いておいたんだが」

見ると、たしかに全身に白い帯が巻き付けられている。そしてそれは痛々しくもところどころ血が滲んでいた。

「ああ、たぶん」

気づいた事実に釘付けでヴァースの返事は気持ちのこもっていないものになる。

「なんか駄目そうだな。そりゃそんな血を流せば当然か。待ってろ、足りない血を補うために何か作ってやる」

それだけいうと老人は奥の厨房(こちらは崩れていなかった)に入っていった。

ぼんやりとそれを見送ると、ヴァースはまた仰向けに倒れた。別に最後の気力を出し尽くして今度こそ死ぬということではない。ただ単に血が足りない。血が巡らないと体は動いてくれないのだ。

だが、頭だけはまわっていた。

(何がなんだかわからないが、事実として俺は一度死んだ。今生きてるんだから死んだっていうのはおかしいんだろうけど、さっき死んだのはほぼ確実だろ。じゃあ今俺が生きてるのって……)

少年は天の御加護とか神からのギフトとかではなくあくまでも論理的な結論を導き出していた。

(……魔術、しかないよな)

ヴァースは以前、魔術には呪文や印を覚えれば誰でも使えるようなものと他に、固有でその一個人でしかなしえないものがあるということを聞いていた。ともすれば、今のこの不可思議な現象をこれに当てはめたら辻褄が合う気がするのだ。

(俺の固有のものなのか? だとしたら効果はなんなんだろう。不死? それはないな。それは魔術的にもありえないことだし俺は今頃ピンピンしてるはずだ。だとすると……)

絶対的に死んだ状況から生きていること。だが決して全快ではなくむしろ重症のままだということ。

(名前を付けるなら、『命繋ぎ』といったところか。死にはせんが元気になりもしない。不死よりも辛い気がするな)

ふぅ、と小さく息をついて寝返りをうつ。が、砂利が肌に食いこんで痛かったのですぐにやめた。

(ああ、これはこれで地獄だな……)

死なずに苦しんで生きていることを幸運なのか疑問に思いつつ、じっと老人が来るまで待つことにした。


「ほら、血が足りないといったら肉だろ。持ってきたぞ。……って、大丈夫なのか!?」

再び仰向けにコトリと倒れているヴァースを確認した途端に血相を変えて近寄ってくる。

「……く……」

「なんだ、苦しいのか? 俺の魔力を使っていい、とにかく治せ!」

「……に、く……」

「憎いのか? それは後で聞く、それより今はお前さんの容態を安定させないと」

「肉!! 早く食わせろそれわざとじゃねえのか!!」

ヴァースはついにブチ切れた。

あ、そうかと老人はさらに乗った肉料理を差し出した。ボロボロに壊れた屋内で食べる飯とは不思議な感じである。

ヴァースは老人に背中を支えてもらって起き上がりつつ大してナイフも使わずに口に運んだ。

「熱っ! 俺をやけどさせるつもりか!!」

「いや、作りたてなんだから当たり前だろ」

老人に呆れられながらハフハフ口の中を多少やけどしながら咀嚼する。

「元気そうで何よりだ」

「はひははほ」

「……飲み込んでから話しなさい。お行儀が悪いぞ」

「ゴクン。死んでないだけで決して元気じゃない」

「そうだ、こう言っちゃ不謹慎だが、なぜあの量の血を流して平気なんだ?」

だから平気じゃないって、と力なく反論してからヴァースは自分の意見を述べる。

「きっと、死にはしないっていう能力が発現したんだと思う」

「死にはしない、か」

「そう、だから実際今すごくキツかったりする」

そうか、と老人は頷いて少し思案してから、

「じゃあ今日は早く寝な。お前さんの寝室は辛うじて無事だったんだ。詳しい話はまた明日にしよう」

「そうだな……」

料理を食べ終わったヴァースは老人に肩を貸してもらって寝室まで行くと、ドスン、とベッドにダイブするように飛び込みみるみるうちに寝てしまった。

「さてと」

老人はそれを見届けると壊れた店を見渡して、

「まあ、いずれはこうなることはわかっていたさ。何せこの国は実力至上主義なのだから。いやあ、備えって大切だよなあ」

とか何とか呟きつつ夜の街へくりだしていった。



次の日の朝。

ヴァースはいつも通り元気に目覚めた。

「んー、よく寝た!」

昨夜の『ヒール』連発と血の補給のための肉が効いているのか、体は昨日なんか嘘じゃないかと思えるほどよく動いた。

手を握ったり開いたりして体が自由に動く幸せを噛み締めていると、ドアがノックされた。

「具合はどうだ?」

「好調だよ。休めばなんとかなるもんだな」

「寝室にいると憂鬱な気分になる。フロアに来てくれ」

それだけいうと気配が遠ざかっていくのを感じた。

「え、でもフロアってボロボロなんじゃ……?」

不審に思いつつも指示通りにヴァースは寝室から出る。

そして感心した。

フロアがだいたい元通りに直っていたのだ。

「ああ、これはな」

ヴァースが何か聞く前に老人は説明を始める。

「こんな物騒な国だからな、しっかりと保険に入っていたんだ。いつかこういうことが起こると予測してな」

……ヴァースの思っていたのよりも現実的で生々しかった。てっきり、この老人が覚醒して魔術で全てを元通りにしたと思ったのだ。

「ちぇー……」

「なんで不貞腐れてるんだ?」

「少年の夢が壊れたからだよ……」

「?」

少年とかとっくの昔に終わってしまっている老人には理解できなかったようだ。

代わりに、新たな情報を提供する。

「昨日の襲撃者だが、なんだか見たことあるなー、なんて思ったんだ。それで記憶を探っていくとこりゃびっくりな事実が出てきてな」

「その事実って?」

ここで、時間によって自然に切れようとしていた縁が再び繋がった。

「あの女は、ここの王というべき存在。女帝イルナだったんだよ」

「……ふーん?」

「でもあの人はあんまり外に姿をさらさない主義だった気がしたんだがなあ。俺が知っているのは幼少期の頃の写真だから結びつけるのに時間がかかったし」

ふむふむ、とヴァースは頷きつつ自分の荷物を確認している。

「その女帝ってあそこの馬鹿でかい城にいるのか?」

「そうそう、あの城は一番強いやつに与えられるものだ。といっても女帝の家系が強すぎて一強化している節はあるがな」

「よし、決めた。じいさん、少し厨房借りていいか? 朝飯を作りたい」

「おお、いいぞ。なんなら手伝う」

「頼む」

厨房で超人の二倍スピードで朝飯を作り終わり、食べる時はゆっくりと済ませる。

「ふう、腹も膨れたことだし、そろそろ行くか」

「どこかへ行くなら荷物置いていけよ。その方が楽だろ」

「いいや、もうこの国からは出るつもりだし」

「ああ、そうか。こんな物騒な国にはいられないんだな。ま、一度殺されかけたんだしそれは妥当か」

「ああ、それもあるんだけどその前に」

ヴァースは振り返って老人との別れを惜しむような顔をしてから、じゃあな、と手を振った。

そしてとてつもない爆弾を投下する。


「ちょっと今からあいつ、ぶん殴ってくる。女帝」


「……は。ちょっと待て、それは!」

「じゃーな!」

老人の制止も虚しくヴァースは荷物を手に駆け出していた。常人ではない速さで移動しているから魔術を行使しているのだろう。当然老人の七十センチほどの腕では届くはずがない。

「……もう、勝手にしろ」

そう諦めるような声の老人には、だけどたしかに笑みがあった。

「その場の感情で動けるとは、若さっていいなあ」

そして確信するように言うのだ。

「今度こそはなんとかなる気がする」


一度負けてからが本番。

これが、ただの旅人が英雄になるまでの初陣になるであろうことは、言うまでもないだろう。

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