ある実力至上主義の国 <3>

 この国で一番安全な場所で、老人とヴァースは話を続けていた。

「でも、だな。別に泊めたり匿ったりするのはいいんだが、な?」

 な、と言われてもわからない。

「何かしろってことか?」

「そうだ。さすがに働かざる者食うべからずでやっていかないと俺はやっていけない」

「ていうことは、俺もここで働けと?」

「ここにいる最中だけでいいから、な?」

 もう一度のな、でヴァースの心は決まっていた。

 この善しかないような人には恩返しくらいしなければ、と。

「いいよ。俺家事スキル高いし」

 その返事に老人はホッとしたような表情を浮かべた。

「よかったよかった。じゃあ突然だが軽めでいいんでここ、掃除してくれないか?」

「お易い御用だ」

 すぐさまヴァースは行動を開始した。

 まずそこらにあった雑巾を濡らし一通り床を全部拭く。雑巾は一枚ではなく何枚も床に敷き、魔術を使うことで効率は何十倍にも上がっている。

 次は乾拭きでゴシゴシと汚れを拭い去る。酒場なためか床は少し脂ぎっていたのでこれで脂も拭う。

 次は椅子。足の部分がとても汚かった。これは魔術を使わず丁寧に、一つ一つ掃除していく――。


 日も傾き始めた頃にはピッカピカになったフロアがあった。

「お、お前さんは何者だ……?」

 さすがにここまでの働きを期待してはなかったらしい。老人はたまげた顔をしている。

「ああ、俺さ、故郷では厳しく躾られてきたんだよ。何事もオールマイティにできなきゃ駄目だ、ってさ」

 ヴァースの住んでいた最東端の国は全員が全員、一人でも生きていけるような人間力の高さで有名だ。炊事、洗濯、掃除まであらゆることが一人でできてしまう。実はヴァースが色んな魔術を習得しているのもこの故郷の考え方に影響している節がある。

「それに、雑巾がひとりでに動いてたぞ?」

「それは魔術。知らないの?」

 試しに雑巾を指の延長線上に浮かばせながらヴァースは聞く。

 老人は感心した様子で、

「へえ、そんな便利な能力実在してたんだなあ。うちは代々酒場で、使わないしそういうのは学ぶ機会がなかったんだよ」

「まあ、魔術はおまけみたいなもんだよ」

 ストレートに感心されるのが恥ずかしかったらしい。照れ隠しをするようにもう掃除し終わった床を拭く。

「ともあれ、ありがとう。最近はどうも肉体労働が捗らなくてな。掃除もきつかったんだ」

「……なあじいさん、昼間、久々の客人だって言ったよな?」

「ああ、そうだけど?」

「前に客人が来たのはいつなんだ?」

「ええとだな、半年前、くらいか」

「ふうん」

「なぜそれを?」

「いや、別に意味はないよ。ただ気になっただけ」

 さ、片付けるか、とヴァースはさっさと雑巾を洗ってしまう。

 そんなヴァースの勤勉さを見て老人はいたく感動したようだった。

「久々にいい人材が入ってきたなぁ。このぶんなら今日は繁盛するかもしれん」


 オレンジ色の夕日になってからは早かった。太陽はみるみる沈んで夜の帳が落ちる。

「邪魔するよー」

 気軽な声でぞろぞろと人が入ってくる。もちろん酒場の客だ。

 客たちは口々に言った。

「あれ、この坊主は?」

「日雇い従業員、といったところかね」

 坊主、という言葉が子供扱いな気がしてヴァースは拗ねた顔をしていたが客たちはお構いなしだ。寄ってたかってヴァースの頭をポンポン撫でていく。

 そしてヴァースはこんな緩さに少し疑問を感じていた。

「……なあ、ここって実力さえあればなんでもお構いなしな国じゃなかったのかよ」

 昼間襲われた身としては大勢の人間が押しかけてくるのはたいそう不安だった。だが、客たちからは野蛮といった感じは感じられなくて、ただ陽気な者達ばかりな気がする。

「この酒場にはルールがある。戦わない。争わない。みんなで楽しく飲もう。この三つだな。なお、これを破ったものは即刻退場処分だ」

「俺たちはそんなつまんないことでこの楽しい場所を失いたくはないからな。ただ楽しくやってるってわけだ」

 なるほど、話を聞いているとたしかにここは実力至上主義の制度に疲れたもののためのオアシスらしい。この老人はやはりガチ者の善人だった。

「今日は従業員が増えて効率二倍だ。思う存分飲んでくれていいぞ」

 オオーッ! と歓声が店の中に響く。

「じゃあまずは一杯!」

「はいよ」

 老人は手馴れた手つきでグラスに酒を注ぎ込むとお盆に載せてヴァースに手渡した。

「はい、お客さんに渡してきて」

 どうやらお手伝いする他ないらしい。まあここの安全性もわかったことだし手伝うのはやぶさかではなかった。

「へいへい」

 ヴァースは素早くお盆を注文してきた客へ持っていきグラスをテーブルに置く。

「なんか丁寧っつーか、お上品だなあ」

「お国柄、かな」

 老人のもとに戻ると今度はいくつもの瓶と杯がお盆に載せられていく。

「はい、これは窓際のあそこ、一番の机、それは中央、三番の机、こっちは……」

 早口でまくし立てるのをヴァースは一言一句逃さずに聞いていた。すぐにテキパキとやることをこなしていく。

 ほどなくして店は安定期を迎えた。

「はあ、疲れた」

「すごいな、間違いもなくスピーディー。飲食店を経営したらいいんじゃないのか?」

「いやだね。俺は同じ場所に留まり続けたくないんだ。旅は旅でそのご当地の料理が作れるから楽しいし」

「ほう、料理も作れると?」

「まあそれなりには。少なくとも不味い飯は作らない」

「……さらにサービス追加するんで作ってみる気はないか?」

 老人は好奇心を隠せないようだった。

「……口に合わなくても知らないぞ」


「……美味い。なんだこれ、美味すぎるぞ!」

 数十分後。驚異的なスピードで手を動かし切り方も完璧、火の通し具合も完璧な料理を食べた老人はおったまげていた。

「そこまでだよ、俺の故郷のやつらはこんくらい難なくやれる」

「本当か……。そんなら一人調理要員で欲しいくらいだ」

「ちなみに俺はNGな。あくまでここに居続ける気はない」

 ヴァースは言われる前に言うことで釘を刺した。

「はいよ、わかってる。旅人はみんなそんな感じだからな」

 腕を組んで頷きながら、老人は提案する。

「でも、一日限定で料理を作るってのはどうだ?」

「はい?」

「これくらいのクオリティなら即売り出せる。俺も目の前の逸材をみすみす逃がすようなことはしたくない。安全の地に合わせて給料も出してやる。これでどうだ?」

 ヴァースはその提案を吟味するようにうーん、と唸ると、やがて答えを出した。

「……仕方ない。いいよ」

 やはり給料つきがウマかった。

 あくまで上から目線なのは、少しでも自分の位置を高く見せたいのだろう。少年という生き物の気質らしい考え方だ。

「よっしゃ、そうと決まれば。おーいお前さんたち、期間限定料理が食べられるぞー!」

 オオオーッ、と客たちがざわめいた。口々に期間限定料理、という注文をしてくる。

「うわ、くっそ忙しいなこりゃ」

 ヴァースは多忙に多忙をおわれることになった。


「ふ、ふぅ……」

 ヴァースがひと段落つけたのは、夜も深まる頃のことだった。客足は衰えることを知らなかったが、かといって急激に増えるというわけでもなく、店内の席がちょうど満席くらいをキープしていた。

 カウンターに突っ伏して疲れをアピールしていると、苦笑いが後ろからかけられた。

「すまん、まさかここまでになるとは思わなかったんだよ。だが喜べ。今日の収益はすごいぞ。お前さんの給料も弾むだろう」

 そんなセリフと一緒にキンキンに冷えた茶が差し出された。ヴァースはもちろん未成年なので酒は飲めない。

 そんな茶をグイッと呷ってヴァースは微弱ながら疲れを癒した。

 そんな時だった。

「ちょっと注文いいかの?」

 いつからそこにいたのか、ヴァースの隣にフードを目深に被った者がいた。

 その声から女性ということと、成熟したそのグラマラスな体から大人の、いい感じの齢だということがわかる。

「はい、なんでしょう?」

「今日限定のものを」

「はい、ただいま。……お前さん、きっとこれが最後の注文だろう。疲れてるところ済まないが作ってやってくれ」

「は、へい」

 最後の、という一言に動かされるようにヴァースは厨房へ向かった。

「ふうん……」

 そのフードを目深に被った客は、酒場を一通り興味深げに眺め回して、

「なあマスター」

「はい、なんでしょう」

「ここは、いいところだなあ。うむ、素晴らしい。笑いが込み上げてくるよ」

「は、はあ?」

 毎日この店をやっている老人は首を傾げるしかなかった。陽気な者達ばかりで元気なのがこの店の取り柄だが、はたして笑う要素はあっただろうか?


 疲れが出てきたのか、さっきよりかは完成が遅れてヴァースが厨房から戻ってくる。顔は体力を出し尽くした、というやりきった感と脱力感でいっぱいであった。

「へい、お待ち……」

 その客の前にプレートを出すと力尽きたように隣でまたしても机に突っ伏した。

「ありがとう。では」

 客は礼儀正しく礼をしてお行儀よく料理をゆっくりと少量口に運ぶ。

「……美味い……」

 それはまるで、美味いものを初めて食べたような感想だった。

 だが、それでがっつくのではなくあくまでもお行儀よく少しずつ、少しずつ口に運んでいく。

 あっという間にヴァースの料理を完食した客はナプキンで口を拭う。

「……ふむ、これなら最後の晩餐には持ってこいだったな」

 そして、唐突に何やら不穏な単語を発した。

 ヴァースは最後の、という言葉にまたしても反応する。といってもそのまま眠りに移行しようとしていたところから耳を澄ませただけなのだが。

 それにしても、最後の晩餐、というのは引っかかった。まるで、今から死ぬような口振りだ。

「しかもこの賑わい、最後には素晴らしいではないか」

 ゾクリ、と。

 ヴァースの背中に、得体の知れない悪寒が広がった。それは生命の危険を察知して警報をならしているような、そんな感じのものだった。


「ありがとう、そしてさらば」


 動き出さずにはいられなかった。

 ガバッと起き上がったヴァースは隣の客を見る。

 ちょうどフードが外れたところだった。

 やはり女性であった。その妖艶な顔は見るもの全てを誘惑するサキュバスのようだ。

 ヴァースは知る由もないことだが、この客はこの国の女帝、イルナだった。

 その顔には微笑。もはや不穏を通り越して穏やかさを感じさせてしまうような。

 ヴァースは警戒度を最大まで上げて先手を打つ。

 練度を上げに上げた『魔弾』を放つ。これなら相手の被害も最低限で抑えられる。

 だが、実力でトップに君臨する女帝相手にそんな上手く行くわけがなかった。

『魔弾』の行くては数多の生物に阻まれた。

『生物使役』。イルナのみが持つこの固有魔術は無慈悲にも圧倒的力量差を見せつける。ヴァースでもこりゃ駄目だわ、と一目で実感してしまうほどだ。

 だが、だからといって素直に諦めるわけにはいかない。

 魔術防壁の応用でイルナを箱状のバリアの籠の中に閉じ込めつつ、

「早く逃げろ!」

 そう急かすと客は悲鳴をあげながら逃げていく。

 端からこのまま抑えることはできないことくらいわかっている。ならなぜこんなことをしたのか。たぶんヴァースは後で自問してもわからないだろう。きっと、この善人の老人の思想がうつったのだ。善人ではないヴァースがなんの理由もなく人を助けるなどありえない。

「でも、お前さんは」

 だが、老人はあくまで善人であった。すぐには逃げずにヴァースを心配している。

 だが、ここに留まり続けていたら死ぬ。ヴァースは今この時を徒労で終わらせないために言葉を絞り出した。

「俺のことはいい! とにかく逃げろ! あんたはここみたいなみんなが笑える場所を作らなきゃいけないんだ、ここでくたばってどうする!」

「駄目だ、それだけは」

「お前はこの国がなんの笑顔もない、争い合い殺し合い傷つけ合うだけの国になっていいっていうのか!? ふざけんな、よそ者の俺の心配なんかするんだったら自分の国の心配をしろ!!」

「……ッ!」

 振り切るように老人も逃げ出した。心底無念だ、という表情をしながらあとで向かいに行くからな、と言い添えて。

 ヴァースは我ながら意地悪なことを言ったな、と思っていた。だが、こうまでしないとあの老人はいつまでもヴァースの横に引っ付いていただろう。

「やはり匂いはそなただったか」

「何が、だ」

 ヴァースの張った防壁がギチギチ、と音を立てて破壊されていく。

「妾も一人の魔術師だ。手練の匂いはなんとなくわかる」

「そうかよ……っ」

 ついに防壁が完全に突破された。それと同時に『生物使役』の動物たちも消える。

「どういうつもりだ?」

「まずはそなたに賛美を送りたい。その利他的な精神やよし。それでこそ正義の味方じゃないか」

「けっ、いきなり暴れ出そうとして何言ってんだ。それに、俺は善人じゃない。ただ単に、不運に不運が重なって今に至るというだけだ」

「ふふふ、妾は気に入ったぞ。いい性格をしている。実に妾が好きなタイプだ」

「愛の告白はよそでやってくれ」

「おや? これでも結構本気なのだぞ?」

 女帝が動く。それに呼応してヴァースも目くらましの閃光を放った。

 ただの時間稼ぎ。したからといって打開策があるわけでもない。だがやらなければ。

「だから、壊すのがとても愛おしく、惜しいのだ」

 どうやっているのか、ヴァースは傷だらけのズタボロになっていた。その都度『ヒール』で回復を試みるも、手数が違う。回復した頃には傷は二倍に増えている。

「愛おしく、惜しい。ああ、これをなんというのだろう、恋、とでもいうのだろうか」

 劣勢一方の中、唐突にズブリ、と気持ちの悪い音がした。

 魔力で練った槍でヴァースが心臓を一突きされた音だった。

「ごぼ……っ」

 イルナはうっとりとした表情でいて、どこかに憂いのある、そんな顔をしていた。

 崩れ落ちたヴァースを見下ろしてイルナは言う。

「少年、喜べ。そなたが今まで妾が戦ってきた中で一番手応えのある相手だった」

「な、んで、争うんだよ」

 ヴァースにはイルナの行動が理解できなかった。わざわざ平和そうなところに出向いてそれを奪うなんて質が悪すぎる。

「さあな。それが人間だから、ではないのか?」

「……、」

「死にゆくそなたに教えてやろう。人間の本質は争い合い殺し合い傷つけ合うものなのだ。どんなに平和だとしても、いつかこの本質は見えてくる。来世ではそれを心に留めておくんだな」

 それだけ言うと興ざめでもしたようにイルナは踵を返した。逃げたものたちを追う気はないらしい。

 ヴァースにとってはそれだけでも僥倖だった。

(俺の行動も意味があったってもんだ……)

 口は動かない。呼吸も不安定。

 どうしようもない死に直面してなお、少年は恐れてはいなかった。

 結局、人が死ぬのは変わらない。それなら、人を助けて終わった俺の人生は輝かしく終わるんじゃないか? そんなふうなことを思っていた。

(ああ、でも……)

 ものの見事に崩壊した店からくらい無限の星空を見上げてヴァースはぼんやりしていた。

(あんな理不尽野郎に負けたのは……少し、悔しいかもな)

 最後に悔しさから歯を食いしばって。

 それで、もう力は尽きてしまった。


 ――ヴァースは、死んだのだ。

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