ある実力至上主義の国 <2>

ヴァースは不意に振り返った。

だがもう遅い。ナイフの切っ先はもう避けようのないほど近くに来ている。

「あ、そういうことなのか」

こんな時でもヴァースは気楽なものだった。たぶんもうこれから起こることを受け入れているのかもしれない。

切っ先が、服に触れる。

だが、この壮年こそ、見た目に惑わされてはいけなかったのだ。

そのナイフは服を裂き、その柔らかい肉を――。

パキッ、と心地の良い音がした。

ナイフが肉を絶つことはなかった。

なぜなら、刃が少年に刺さろうとしたところで刃が突如として折れたからだ。

「なるほど。たしかにこれは実力至上主義の国だな」

ヴァースは外見で信用するな、というここの国での教訓を頭に入れつつ、

「つーことは、俺がお前を倒したら色々とゲットできるってわけか?」

ニヤリ、と。その少年は笑う。

やはり、外見だけで判断してはいけなかったのだ。

たとえ、年端も行かぬ少年だとしても。

何も抵抗できない、なんてことはわからないのだから。

ぷっくりとした外見で信用を得つつ騙して生き延びてきた壮年は、その時ゾクリと震えを感じた。きっとそれは、壮年が騙してきた者が感じてきたものなのかもしれない。

ともかく、だ。

「今度は俺のターンってことでいいのか」

武器を失った壮年では、絶対にこいつを殺すことはもちろん、倒すことだってできない。そう直感してしまった。

「この国の洗礼を受けたとこで、洗礼返しと行きますか!」

そこからは早かった。間近に迫っていた壮年に手をかざす。

ヴァースはすぐさま『意識飛ばし』を使う。

光が弾け、それに伴って壮年の意識がなくなった。

「……なんだか呆気ないな」

崩れ落ちる壮年を見て、思わずそう呟いていた。

「ま、とりあえず目的地に急ぐとするか。と、その前に」

ヴァースは壮年のポケットをまさぐる。まもなく財布は見つかったが、たいして金は入ってなかった。きっとこんなこともあろうかとと本命はどこかへ隠してあるのだろう。

「……初めての収穫にしてはいいか」

そう自分を納得させてヴァースは教えてもらった酒場への道につくことにした。

もしかしたら、ここでの実力至上主義のシステムが染み付いてしまって、一年後に宝石を取ろうとしたのかもしれない。

「結局、あのおっさんの言ってたことは正しかったってことか。でも、この感じだと酒場のやつも物騒なんじゃ?」



まるで、人が滅亡する黙示録のようだった。

『生物使役』。何をも数で押し潰すそれは相対する人物にとっては生き地獄であった。

「……、」

だが、そんな生き地獄を具現化できるような能力が長時間使えるわけはない。

『生物使役』は、威力こそ最強レベルを誇るものの、幻獣類から虫まで産み尽くすのは、膨大な魔力を消費する。たとえ女帝レベルの魔力保有量とて、馬鹿にはできない消費だった。

そしてこの『生物使役』、厄介なことに幻獣類から虫まで全て産み尽くしてやっと『生物使役』たりうるのだ。コストカットのためにユニコーンのみを生成、なんてことはできない。

「ここばかりは難点だな。これは短期決戦にしか向いていない」

『生物使役』を解いて生き物たちを消したあと、女帝は静かな廊下を歩く。

もう十三人ばかりは始末した。あとはもう片手で数えられるほどの人数だろう。

「むう、やはり手応えが足りんなあ」

イルナは心底つまらなそうだった。

『生物使役』が破格すぎて相手にならないのだ。大きな力で敵を蹂躙するのはひと時のあいだは爽快だが、終わってしまうとただ虚しさが残るだけだ。

だからここからが本番。

『生物使役』を使用しない戦闘こそが彼女の本当の強さを示すものだ。イルナの持つ魔力量は多すぎるため、『生物使役』というものすごくコスパの悪い能力を使ってやっと並の魔力量に引き下げねば生と死をかけた接戦は期待できない。

「とはいえ」

コツ、と靴を踏み鳴らしてイルナは体を回転させる。

そのまま靴がイルナの足からすっぽ抜けた。

「ガッ」

その靴は影に潜む人影に一直線。短い呻き声を発して地面に倒れる音がする。

「そんな戦いができるのかは、甚だ疑問だがな」

地面に落ちた靴をまた履きつつ首を振ってイルナはため息をついた。

「おい。隠れているもの、出てこい。なんなら一斉にかかってきてもよいぞ?」

言いながら、イルナはため息をつく。

それに反応したのか、はたまた油断した機を狙ったのか。

360度、上下左右が魔法陣で埋め尽くされる。『魔弾』よりも高位の魔術、『スパーク』、『フレイム』、『ヘルウィンド』。見たところ練度も高い。

普通はこんなのを全方向から浴びせられたらひとたまりもない。逃げ道もなし。ゲームオーバーまっしぐらなルートだ。

だが。

「なるほど、そう来たか」

女帝はそう言っただけだった。その顔に恐怖や驚きは含まれていない。ただ、あっそ、とでもいうようなどうでもよさそうな顔だった。

先も言った通り、この女帝は普通ではない。最近では死に対する抵抗もなくなってきている。

だが、女帝は何も避けられない死を受け入れているというわけではない。

そう、彼女は普通ではない。

そんな彼女が普通では対処できない事態に陥ったらどうなるのか。

答えはすぐに出た。

ズドォッッッ!! と城自体を揺らすような大きな音がして、さきほどまでイルナがいた地面がボコボコに砕け散った。

そのクレーターは、半径二十メートルはあるだろう。それだけで今回の襲撃者の手練度がわかる。

普通なら塵も残さず消え去ってもいい火力だった。

「(やったか……?)」「(いや、まだわからない。下手に出るな、確実に確認するまで待つんだ)」「(でもさすがに俺たちの力を結集させたあれを防げはしなかっただろ)」

今回の襲撃者は複数人だったようだ。だとすると、イルナが言った全員まとめてかかってこい、というのは達成されていたらしい。少なくともこの一団以外に城の中に人は見当たらなかった。

やがて舞い上がる粉塵が止み始めた頃、襲撃者たちはそれぞれ自分の目を疑った。

クレーターの真ん中に、ちょこん、と。

何事もなかったように人ひとり立っていられるような足場が残っていたのだ。あそこには最大火力で隕石に相当する衝撃が入ったはずなのに、だ。

そして、驚くべきはそれだけに留まらない。

イルナが、いない。

残った足場にまだ生きているとばかりにわざとらしく足跡を残して。

「!?」「どういうことだ」「あれは誰にも止められないような威力だぞ!?」「いや、受け止めようとして途中で吹き飛んだ可能性も」「それだと、妾がここにいるのはどういうことかの?」

「「「……ッ!」」」

いきなり全く知らない声が入ってきて全員臨戦態勢に入る。その動きは洗練されていて、軍隊にでも入ったらトップを目指せそうだった。

だが、それは軍隊で言ったらのこと。

まだ、遅い。

あの女帝は、異変を察知できるころには、もう止められない。

「うっ」

短い、悪くいえば呆気ない声を出して一人が倒れた。魔術は使っていない。あくまで自力。

女帝は、何も魔術しか使えないというわけではない。むしろ、それ以外の方がよくできる。あの『生物使役』のコスパの悪さがその証拠だ。

純粋な武術によってイルナは襲撃者最後の一団を叩き伏せる。そうして魔術は奥の手のひとつとして取っておく。

「んの、野郎ッ!」

どこから取り出したのか、いつの間にか後ろの者には拳銃が、正面の者にはサバイバルナイフが握られていた。

同時に迫り来る攻撃に、ここでイルナは楽しそうに笑った。

「これでこそ勝負!」

ナイフを持った者の手を駆動方向とは逆に折り、拳銃に対しては魔術で防壁を張って対処する。そして回し蹴りを一発。一撃だった。

「ば、バケモノが」

あと、一人。残されてしまった襲撃者は今にも泣き出しそうな顔で剣幕を張る。ただ、自分は怖がっていますと知らせるようなものなのに。

「それは妾という女一人の命のために武装して飛び込んだそなたらが言えたことか?」

「ひっ……」

怯えた顔を見て、イルナは薄らと唇を左右に伸ばした。

「なあに、別に責めているわけではない。なにせこの国は実力至上主義なのだ。そなたらが妾の首を取ったあかつきにはこの国を治めることができる権利が獲得できる。それについては妾もしっかり了承しているさ。襲撃についてはな」

そこまで言ってイルナは指を拳銃の形にしてその襲撃者に向けた。まるで言外にいつでも殺せると言うように。

「だが言い換えてもみようではないか。実力至上主義ということは、こうともいえるのではないか。自己責任、と。まさに今そなたが置かれている状況のようにな。つまりここで死ぬのも自己責任ということだ。妾を殺して王に成り上がろうとした代償にな」

「く、狂ってやがる……」

「それはそなたらもだろう。きょうび、人は騙し合い争い合い殺し合い憎しみ合う。それが人間の本質だろう。ほとんどルールのないこの国がこうなのだから狂っているのは人間という種族とも言えるだろうな」

そのままイルナは銃のジェスチャーをした指先をゆっくり、ゆっくりと動かす。その仕草は鉛弾をどこへ撃とうか、と検討しているようだった。

「ではな、妾に楯突こうとした勇気ある者達よ。そして迂闊にも自分が強いと過信した愚かな者達よ」

「待……」

「さらばだ」

言い放ったあと、銃を実際に撃ったように腕を真上へ振り上げた。

実際に撃ってはいない。魔術でも。

だがそのフリだけでも効果的すぎた。最後の襲撃者は気絶してしまったのだ。

「……ふむ。今回も危なげがなかった。なさすぎたなあ」

臨場感溢れるだったが、終わってしまったら終わってしまったで、つまらないものだった。

「妾は逆に自分の力を過信しなさすぎていないのかもしれんなあ」

あくまで勝つためにしたこと。確実に勝てそうな、何かあってもギリギリで死ななそうな、そんな絶妙なバランスを考えてイルナは今回のをセッティングしていた。

「もうそろそろ、自分の殻を破る時期か」

結局、死ぬのに抵抗はなくても、スリル満点のバトルとしたくても、やはり必ず勝てる方を取ってしまう。それがイルナの、いや、ここまで続いてきた王家の者達の考え方なのだろう。そしてそんな考えで生きてきたから今の今まで王家が続いてきたのだろう。

だがイルナは今までの王家とは違った考えを持ったようだ。

――どうかこの退屈という名の地獄を脱したい。

それが今のイルナの率直な願望だった。

イルナが次にすることはもう決めていた。

この、守られている箱庭から、出る。

なんの助けもない地で、思い切りよく生きてみる。

そう決心して城門まで来たイルナは城を振り返って自己を戒めるように言う。

「……妾も、まだまだ甘いな」



なんとか酒場に到着。

「ごめんくださーい」

そう断って店の戸を叩いた。どうやらこの程度の礼儀まではなっているようだ。

「おうよ。少し待ってろ」

奥からそんな声がしたのを聞き届けてヴァースは扉から距離を取った。扉が開いた瞬間にナイフでグサリとかは二度とごめんだ。

「待たせたな……っておい、なんだその距離」

ガチャと扉を開いて出てきたのは眠たそうな顔の老人。無駄に筋肉質なのでとっても強そうに見える。

「ま、いいか。ところで、何の用だ? まだ酒場は開いてねえしお前みたいなのに酒は飲ませれねえよ」

そう、今は真昼間。きっと酒場だから本番は夜中だ。だからこの老人は眠たそうな顔をしているのだろう。

「えーと、なんていえばいいのかな、なんかここを紹介されて……」

「ん? ああ、あいつの差し金だな。ここで話すのもなんだ、中に入れよ」

老人は扉を全開に開いてヴァースを招いた。

ヴァースはさきほどのこともあり、多少は警戒しつつも言葉に従ってその酒場へと入っていった。

酒場というものに縁がなかったヴァースにはよくわからなかったが、とにかく明かりが落とされていて暗かった。

「昼間は寝る時間なんでな。昼夜逆転とはこのことだよ」

自嘲するように苦笑いしつつ老人はカウンターにヴァースを座らせ、自分はその向かいの調理場兼会計のような場所に立つ。

「紙、もらってるんだろ? 見せてくれ」

「ほい」

紙と言われて思い浮かぶのはこれしかない。ヴァースは検問から渡された紙を差し出す。

「やっぱな。久々の客人だ、あまりもてなすことはできないがそれでも身の安全と安住の地は約束しよう」

「えーと、それはどういう?」

「ああ、話を進めるのが早すぎたな。あいつ――お前さんが検問で会ったであろうやつのことだ。あいつはこの国に入るのが心配なやつが来た時には俺にそいつを押し付けてきてな。俺はそんなやつをここにいる期間中守る役割をしている。まあ言ってしまえば俺もあいつも人がいい性格なんだ、この国には合わないにもほどがあるくらいにな」

どうやらマジのいい人らしい。疑心暗鬼に陥っていたヴァースにとって、この存在は大いに助かる。

「でも、なんで合わないってわかってるのにこの国にいるんだ?」

少し矛盾を感じたヴァースが疑問を挟むと、老人は年の功を重ねて重ねてやっとできるような穏やかな表情を浮かべた。

「ここで生まれたから、というのもあるが、まあほっとけなかったんだわな。騙し合い争い合い殺し合い傷つけ合う。そんなズタボロになる状況で黙って見過ごすわけにはいかなかったんだ。こいつらには馬鹿やれる場所が必要だってな。ここをやってて長いことになるが、客の陽気な姿を見る度にああ、俺は部分的にではあるがこの人を救えてるんだ、なーんて傲慢なことを思ってしまうわけよ」

ま、ここの実力至上主義のルールが改正されれば万々歳なんだけどなー、と老人はおどけるように言った。

そんな中、ヴァースは一人思っていた。

――あ、やべえ、この人ガチもんの聖人じゃん。

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