ある実力至上主義の国 <1>
一年ほど前の話だ。
それはイルナが人間だった時の節目でもあった。
イルナはウェステの国の王家であった。
親はもう没後で、残るはイルナのみ。自動的にイルナが上に立つ立場だったが、この国でそういう肩書きはあまり関係がない。
なぜなら――ここは、実力さえあれば何でもやってお構いなしの国だからだ。だから物陰からイルナの首を掻き殺したとして誰も騒がない。
むしろ、その掻き殺した方の者が次なる王として選ばれる可能性すらある。
そんな世界に生きてきたものだから、イルナはもとより人を信じることはしてこなかった。
どんなに人がよさそうでも、こいつは裏がある――そんな精神で今までやってきた。
だが、そんな生き方をしていてはいつかやけが回る。
いつしか、イルナは自分の命を軽く見るようになっていた。
「……はあ」
イルナは誰もいない広い王宮内でただ一人、ため息をついた。人を信じれないイルナは執事すら雇おうとはしなかった。
「……つまらん」
とはいえ、何も起こらないというのも退屈だった。いや、何も起こっていないわけではない。今日も三人から襲われた。
だが、そこは王家。それだけでやられる質ではない。
この実力至上主義の国でなにゆえに女帝となったのか。それを考えればイルナの実力は容易に推し量ることができるだろう。
今日のやつは骨がなかった。そう言いたかったのだ。
たいていのもの、いや、この国にいる者ではおそらくこの女帝には勝てないだろう。前に立ちふさがった瞬間に瞬殺だ。
それくらいに女帝は強かった。
強すぎたゆえの、退屈。
才能がないから悩むのではなく、ありすぎるから悩む。
贅沢だ、というのは易いがいざ自分がそうなってしまったらどうだろう。何事も上手く行けてしまうのは味気なく、つまらないのではないだろうか。
どちらかといえば、イルナは好戦的な性格ではない。
だが、人間というのは悲しきかな、安全で平穏な日々が続けば続くほど、本能によって自然に争いを求めてしまう。喉が渇いた時に水を求めてしまうように、飢えた時には何でも口にしてしまうように、これは人間でいる限り抗えない欲求だ。
だがイルナが持った欲望は少し違った。
何かを壊したい、それとは少し異なる欲求。
――スリルのある、生き死にに関わる戦い。
持ちすぎた女帝は無性にそんな欲求が湧き出ていた。
「……ふむ」
そして唐突に思いついた。
そんな欲求を満たすいい方法を。
「これは面白くなるぞ」
イルナは生きる喜びを思い出したように妖艶に笑った。
○
その、数日後。
幼さが多く少年というにふさわしい風貌のヴァースはウェステの国へ入る手続きをしていた。
旅を始めたてのその少年にとっては、今回が二個目の国だった。
前はのどかで自然にあふれる国だったが、さて、今回はどうだろうか。
ここから一年後の姿なんて想像できないくらい丁寧に手続きの紙を書いたヴァースは一人で退屈そうにしている検問にそれを手渡した。
「はいよ。久々に旅人が来たかと思ったらこんなガキだったとはな」
子供扱いされた気がしてヴァースは睨みを効かせる。そういうことをした方が幼く見えるのをヴァースはまだ知らない。
検問はすまんすまん、と平謝りしながら、
「いやあ、この国には誰も来ようとしないからな。珍しいと思っただけだ」
「なんでだよ。ここからでもすごそうな城が見えるのに。通りかかったらなんとなく寄りたくなる」
「ああ、そっちのパターンか。じゃあこの国のことは知らないよなあ」
「何かおかしいことでも?」
含みを持たせるような言い方を不審に思ったヴァースは問いかけた。それは暗に見かけ以外で国のことを知ったら寄りたくなくなると言っているようなものだった。
「ガキ、いやすまんすまん、坊主、この国のことを何も知らないお前にこの優しいお兄さんがわかるようにレクチャーしてやるよ」
「全くもって意味わからない」
「ははは、お前は見かけによらず意外と怖いもの知らずなんだなあ。言っておくがここの中でその言葉遣いはやめろよ。お兄さんは優しいからいいけどそれ中でもやったらすぐに弾き出されるぞ。というか、死だな」
検問は物わかりの悪い教え子に教えるようにゆったりとした口調で、
「まずは大前提から。ここ、ウェステはまあ、言っちまえば実力至上主義の国なんだわな」
「はあ?」
ヴァースは理解できてない様子。確かに実力至上主義といきなり言われても何のことだかわからない。
「武力、財力、才能……何でもかんでもその実力だけがものをいう国なんだわ。逆にいえばそれ以外のことは求めない。お前さん、旅してるってことは東の方から来たんだろ? まず第一にそんな常識は捨てることをおすすめするぜ。ここはそんなに甘くない」
今度は怖がらせるような口調で続ける。
「極論だが、人を殺めてもそいつが強かったという証明なんだからそれでいいじゃないか、と流される。そんな国だ。それでもお前はここに入る覚悟があるか?」
検問はここでヴァースが躊躇して、あまつさえ引き返すとまで思っていた。それほどにリスクのある国なのだと説明したつもりだった。
だが、勘違いしていた。
ヴァースは、常人より少々考えが斜めにズレていた。
「別に、そんなこと言われてもなあ。中央に行くのを邪魔してるように位置してるここ入らないと旅続けらんないし」
忠告はうわの空であった。
「おい、お前、万が一だが死ぬかもしれないんだぞ? おっかないやつらがうじゃうじゃいる場所だぞここは!?」
右から左に流されたのだと思った検問は慌てて引き留めようとした。当然だ。目の前の年端も行かぬ少年が、言うなれば銃弾飛び交う戦場に飛び込もうとしているのだから。
対して少年の方は事もなげにいう。
「それがどうしたよ。別に結局、そこで死ぬんならそこまでだったってことだ。人生、最後には必ず終わりがある。それが早いか遅いかの違いだろ」
なぜか。
なぜか、検問は自分の常識的な考え方がこの年端も行かぬ少年と齟齬が生じているように思えてならなかった。
そこまで行けば簡単に思考は軌道に乗る。
この少年は、普通ではないらしい。どこか、命を軽く扱っている。それが確かなのか、正しいことなのか、間違っていることなのかはわからない。達観している、とでもいうのだろうか。
誰だって命は惜しい。そんな考えを覆すような振る舞いだった。
この考え方は、イルナに似ているのかもしれない。
持ちすぎてつまらなくなったとはまた違った至り方。
この少年は何事も受け止める姿勢からなっている。
検問はなぜかヴァースを無性に応援したくなった。どうか、死なないでくれと。そんな何事も納得してしまう受け入れ方はしないでくれと。
「……出血大サービスだ」
そう言って検問は紙にペンを走らせて、破き、ヴァースの胸もとに押し付けた。
「これは?」
「俺の知り合いがやってる酒場だ。俺もだが、大した実力がなくても目立ちさえしなければこうしてやっていける。国に入ったらまずここを頼れ」
「おお、サンキュー。っていっても酒飲めないけどな」
「馬鹿が、ここが安全地帯ってことだよ」
さあ行った行った、と検問は手を振ってヴァースをそそのかす。おうよ、とヴァースはそれに従って走り出した。
「ありがとう! じゃあな、おっさん!」
途中、ヴァースが振り返って検問に言った。
検問は何かかけるべき言葉を探したが、今言っても仕方がないだろう、と喉に出てきた言葉を呑み込んだ。
代わりにこう言ってやった。
「――俺はおっさんじゃねぇ!!」
ははは、といたずらに笑って走り去るヴァースを見て、思わず検問は嘆息する。
――どうか、あの少年が生きていけますように。
一瞬天にそう願って、検問は自分の仕事に向かい合った。
国に入ると、別世界に入ったようだった。
やはり旅をしているとこれがたまらない。外と中とで大きく変わる世界。
至って普通な国だった。商店があって、建ち並ぶ建物があって、人の笑い声がある。
「なんだ、全然おっかなくねえじゃん。あのおっさん、俺を怖がらすためにあんなこと言ったのか?」
少し期待外れ、かといって残念というわけでなくホッともしている、という複雑な気持ちであった。
「とはいえまずは」
ヴァースは検問からもらった紙を取り出す。
記載された酒場はここから近いようだった。
だが、わかったのはそれだけで具体的な道はわからない。何せ、初訪問なのだ。
どれ、あのおっさんに言われた通りに丁寧な口調をやってみるか、とヴァースは道ばたの老人に話しかけてみる。
「あのう、ここへの道はわからっしゃいますでしょうかです」
……どうやらヴァースに敬語はまだ早かったらしい。しかもグチャグチャのメチャクチャな言葉は老人の遠い耳をつかなかったようだ。そのまま目の前を素通りされてしまう。
うーん、と頭をかいて反省したヴァースはまた通りかかった今度は壮年と言うべき大人に話しかける。ヴァースとて、どういう特徴の人が優しそうかはわかる。少しお腹が膨れた、柔和な大人だ。
「おや、どうかしたのかい?」
今度は反応してくれた。話しかける時に相変わらず変な敬語だったのは言うまでもない。
「ここに行く道を知りなさりたいと思いましたのでお聞きなさろうと」
さっきの検問が聞いたら『いい。馴れ馴れしい口調でいい。というかそうしてくれ』とでも言いそうなくらい酷い出来だ。
「えっと、どういうことかな、敬語はいいから普通に話しておくれ」
「あ、そう。じゃあここに行く道を教えて」
敬語にするのに頭を使っていたヴァースはこれ幸いとばかりに馴れ馴れしさマックスで小さな地図が書かれた紙を差し出した。
ものすごい変わりように壮年は面食らったようだったものの、それでこそ若者かと納得して親切にも問いに答える。
「ここか。ここは少し紛らわしい場所にあるなあ。そこの路地に入ってすぐある分かれ道を左折、その突き当たりを右に曲がって……」
壮年の細かい説明を頭に叩きつけつつ、書かれた地図と照合させる。
「ざっとこんなもんだね」
一通りの説明が終わった壮年は腕で額の汗を拭った。
「ありがとう。助かったよ」
「いえいえ、どういたしまして」
最後の最後まで人のいい人だった。あの検問が言っていたことはどこへやら。
(なんだよ、結局敬語も意味なかったしからかわれたのか?)
やっぱり子供扱いされてたのか、と小さく舌打ちして指定された酒場の道を歩み出した時だった。
違った。
検問は、嘘などついていなかった。
この酒場もトラップなのでは……と疑心暗鬼なヴァースの背中に近づく影。
実力至上主義のこの国において、騙すなんてことは日常茶飯事だ。
迫る影は、今さっきの壮年だった。
その片手には、ナイフが。
この国では、いくら外見が良くても、簡単に信用してはいけない。
心の中で、何を思っているかは、本人にしかわからないからだ。
「――、」
スーッとその壮年はヴァースの背後に忍び寄り、手に持つナイフを振り上げた。
その、鋭い切っ先が、ヴァースに迫る。
○
「ざっとこんなものか」
イルナは指を鳴らした。それに呼応するように扉がゴゴゴ、と閉まる音がする。
わざとこの城の城門を解放した。平素であれば何者も寄せ付けない加護が付与されているのだが、イルナは自分の欲求を満たすため、あえて解放したのだ。
その目的はもちろん、戦うためだ。
自分が王になりたいという野心家はこの国には掃いて捨てるほどいる。そういう者達は守りが堅い平時にはじっと機会を見計らっているものだ。この無防備だった時間を逃すはずがない。
「せいぜい楽しませてくれよ?」
くれぐれも期待外れなんてことにはならないように、と言外に語りながら、イルナは舌なめずりをした。
言わずともわかると思うが、イルナが持った才能の内、一番有能だったのが魔術だった。魔術はあれこれ色んなことに使うことができる。家事の自動化から敵を薙ぎ払う武器まで。今の時代、武力なら銃や剣よりまず魔術というのが常識だった。
それに、女帝には特別なギフトもあった。
「くくく……」
コツコツと足音をわざと立てながら女帝は部屋から外に出る。
薄笑いしていたのはこれを予期していたからか。
部屋の扉から出ると、すぐそこに襲撃者の男の姿があった。すでに火薬を詰めた銃をこちらへ向けている。
「ふっ」
女帝がそう笑うのと、銃声がしたのは同時だった。
その銃には改造が施してあるようで、着弾すると大きな煙と爆発が巻き起こった。
襲撃者はニヤリと笑って歓喜を露わにしていた。
(通常の火薬の十倍は入れた弾だ、しかも魔術の強化込み。いくら女帝と言えどもこればかりは防げまい)
だが、念の為、用意周到にも襲撃者の男はもう一、二発、その煙に向かって叩き込んだ。
「……ハッ、これで、今から俺が王だ」
拍子抜けしたように半笑いになりながら男は自分で宣言する。
だが。
「くくく……」
どうして。
「ふふふ……」
銃弾の何発かで女帝を仕留められると思ってしまったのだろう。
これでも十年はこの国のトップに収まっていた者。こんなものでくたばるほどやわじゃないことくらいは誰にでもわかるだろうに。
「邪魔だな」
ビュオッッッ! と見通せないほど濃い煙が一瞬にして吹き飛ばされる。
やはり、女帝は健在だった。そもそも、傷一つついていない。
彼女の持つ魔術の才能。そして生まれ持ったギフトによって、彼女は相手に絶望を与える。
彼女の周りには、ユニコーンなどの幻獣類から、熊、鹿、果てには巨大蜘蛛まで、あらゆる動物が寄り添うようにして集まっていた。
「『生物使役』。そなたらには一生かかっても習得できないであろう術だ」
女帝の持つギフトのひとつ。それは、固有魔術と言って差し支えないようなものだった。世界には、このように一個人以外に再現不可能なユニークな能力を持つものが存在する。イルナもその一人だった。
「あ、へ、ひ……」
男は尻餅をついてへたりこんでしまった。数の威圧もさることながら、得体のしれないものに対する恐怖の割合が大きいだろう。
「妾を襲うくらいなのだから、当然、このような決着も覚悟しておるのよなあ?」
「ひ……ッ!」
邪悪な瞳で男をじろりと睨みつけて怯えきったところで。
様々な動物の奔流が、その男を呑み込んだ。
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