その敗北は <1>

 そんな簡単なことじゃなかった。

 ヴァースが涸れに涸れた喉を潤そうとダッシュでサンディスの国に入ろうとした時のことだった。

「おい、何勝手に入ろうとしているんだ」

 服の裾を掴まれて警官らしき人物に足止めされてしまった。

「とにかく死にそうなんだよぉ!」

「うぉっ!? 暴れるなこの、まさかお前侵略者か!?」

「水、水ぅ!」

 無我夢中であった。人間の生存本能とは恐ろしいものだ。ヴァースは警官の足止めを振り切って国へ不法入国した。

「ちょ、待てぃ!」

 その警官は必死に手を掴もうと奮闘したがあと少しのところで取り逃してしまった。

「……、」

 警官はもう小さい点に見えるまで離れた猛ダッシュの少年を一瞥して思案すると、羊皮紙――通信用の礼装で、今で言うメールのようなものだ――を取り出して何か書き込んだ。

『通達。侵入者が一名。姿は少年、頭からは布を被りローブを着用している。見つかり次第即刻』

 ここまで書き込んでから警官はもう一度考え込んだ。

 そして自嘲するように苦笑いしながらも、こう書いたのだ。

『生け捕りにせよ』


「ぷはぁ、生き返るぅー!」

 まさか自分が手配犯になっているなんてつゆ知らず、ヴァースは警官が追いかけてこないかを確認してからついに水にありついたのだった。

「はい、もう一杯サービスだよ。君本当に死にそうだったから」

「マジか! ありがとう!」

 店のオーナーである老店主に心から感謝して二杯目もグイッと呷った。冷たい水が渇ききった喉と体に染み渡って体が喜んでいるようだった。

「……にしても、国の外と中じゃ大違いだよなあ」

 ヴァースは警官から逃げながらも、街並みをチラッとは見ていた。

 このサンディスの地は外が砂漠なんてことを感じさせないような豊かさだった。

 道は石畳でとても整っているし、建築物も頑丈そうだ。大きな噴水も見かけた。青果店も珍しくなかったし、そこらの国よりかは富んでいた。

 とにかく外が砂漠だなんて思えない。自分が見てきたものが幻想だったんじゃないかと感じられるくらいには様子が違った。

「まあねえ、その違いに旅人さんは驚いたろうけどここは王の御加護のある地だからね」

 気になることだった。

「なぜ俺を旅人だと? 王の御加護って?」

 まだ幼さが残る少年はやはり幼く一挙に二つのことを尋ねた。

 だが、この老店主は気にしていないようだった。微笑ましそうに笑みを浮かべながら質問に答える。

「そりゃあ君の服装だね。いかにも砂漠を越えてきました、という身なりじゃないか」

 ヴァースは自分の身なりを見下ろして、なるほど、と納得した。確かに陽射しから完全に守ろうとしているこの装備は砂漠越えを物語っていた。

 そして老店主に注意を向けるとこちらは涼しそうな装いだった。半袖がよく似合っている。

「ということはもうこれ着なくていいか」

 ヴァースは布とローブを脱いで荷物の箱に入れた。

 ……これが幸運にも警官が伝えた手配犯の特徴を脱していたなど知る由もないのだが。

「うん、それがこの国の普通だ。で、王の御加護のことだけど」

 そこで老店主はぐっと声を落とした。それに応じてヴァースは耳を澄ませて顔を近づける。

「ここだけの話、王家には類まれな才能が備わっていたらしいんだ。それも国中を覆い尽くせるほどの魔力がな」

 その事についてはヴァースも聞いたことがあった。バケモノ級の魔力保有量を持つ一族がいるらしいというのはどの国にもあるウワサだ。

「それを使って王は容赦ない太陽からこの国を守り、水を豊かにし、ここまで発展させてきたと。とはいえ、これはただのウワサなんだがな」

 嘘か本当かはわからん、と老店主はかかかと笑った。

「まあ、なんだ、気をつけてくれよ」

「何を?」

「この国は外国人に厳しい。わしはこの老体、差別する気も起きんが他の者がみなそうとは限らんだろ。さっき言ったウワサが本当なのか、確かめる術はないがこの国に王家があることは本当だ。いくら腹が立ってもここの国民に喧嘩を売るのはやめてくれよ」

「……わかった」

 真剣な眼差しでそう言われて戸惑いつつもヴァースは頷いた。

「まあ手続きさえしていればそんなことは起こりえないと思うがな」

 反応するので精一杯だったので直後にそうこぼしていたのをヴァースは聞き逃していた。


 ○


「……確かに陽射しがあまり強くないな」

 脱いでみて初めて太陽がジリジリ焼くような暑さを持っていないことに気づく。

 それにしてもさっきから腰に剣を差した警官が目に付く。まるで何かを捜しているようだった。

「何かあったのか?」

 張本人は全く気づいていない様子で街をブラブラ歩く。

 まずは宿屋の確保からだ。今日寝泊まりできる場所を確保できるまではまだ休めない。

「……ん?」

「何トロトロやってんだ!」

「キャッ!」

 宿屋がないかキョロキョロ探しながら歩いていると、路地裏からこんな声が聞こえてきた。

「なんだあれ」

 立ち止まって声が聞こえた路地裏を覗いてみると馬車の傍らに二人の男女がいることがわかった。

 一人は大人の、まだ若さが残るような青年だった。宝石類をジャラジャラさせて富豪というのを言外に示していた。声音からして怒鳴ったのがこちらだろう。

 もう一人はまだ小さい、少女と呼ぶべき女だった。擦り切れた布の服を着ていかにも貧乏そうだ。悲鳴をあげたのはこちらだろう。蹴られでもしたのか膝をついて崩れ落ちて裾がめくれ上がってしまっている。

 覗いている時点ならまだ見て見ぬふりをして知らぬ存ぜぬで通せた。

 だが、ヴァースの人格は少しそこらの人間とは違っていた。

(あの宝石売ったらどれくらいになるんだろう)

 ……根っからの善良者ではなく、むしろ悪人の方の考え方だ。

 まあ善良なる心はないわけではない。痛めつけられる少女を見て何も感じないわけもない。

「おい、何してるんだ」

 ヴァースはむしろ自分から進んでいって声をかけた。

「あ? 誰だよ」

「その子が可哀想だろ」

 実際にはヴァースより何歳かだけ下だと思われるのでその子呼びはどうか。

 ともかく青年は気分を害したようだった。

「人の奴隷にいちゃもんつけるんじゃねえよ。こいつが働かねえから罰を与えてるだけだ」

「あ、そうだったの」

 この世界には奴隷制度なるものがある。貧困に貧困を重ねた人々は自分を売ってしまうのだ。残酷だが、そうしないと生きていけない。

 奴隷ということはこの青年、この少女を買ったことになる。人のものに難癖つけるのは良くないことだ。

 ヴァースはそっかそっか、と頷いてから、

「確かにそうかもな。あんたはその子を買ったから何でもしていい」

「わかればいいんだよわかれば。さ、早く帰った」

「ああ、邪魔したな」

 そう言ってヴァースは青年に近づいて手を差し出した。手打ちにしよう、というサインだ。

「ガキのくせにいやにわかってるじゃねえか」

 青年はそれに応じてヴァースの手に自分の手を重ねようとした。

 が、手は重なり合わなかった。

「んなわけねぇだろ」

 ヴァースの手は青年の顔面を捉えていたのだ。

「ガッ、ァ!?」

 どんな人間も不意打ちの顔面パンチはよく効く。青年は顔を抑えてヴァースから距離を取った。

「何しやがる」

 殺気も交えたこの問いかけにヴァースは口笛でも吹きそうな気楽な顔で、

「んー、なんとなく? その宝石とか強奪できたら一瞬で金持ちだろうな、と」

 という理由は薄々あるが本筋は違う。ヴァースが一人自分の国から離れて旅をしていることからわかるように、彼は縛られることが嫌いだった。

 そして縛られているところを見るのもまた、不愉快の極みであった。

 つまり彼は奴隷の少女を助けるためにわざわざ危険を冒して喧嘩を売ったのだ。

 だが彼は決して善人などではない。

「ふざけんなよ、どうなるかわかってんのか」

 青年が構えの態勢を取る。どうやら商人のような身なりのくせに戦闘用の魔術を習得しているらしい。

「わー怖い怖い」

 ヴァースは倒れている奴隷の少女の方へ駆けて立ち上がらせる。その間放たれた『魔弾』はヴァースが防壁魔術で防ぐ。

「ほら早く走れ!」

 だがこれは何も少女を守るためなんかではなくて自分を守るためだけに張ったものだ。

 彼はとことん世話を焼くほど善人ではない。

「自己責任で逃げろ。途中でもし流れ弾が当たったとしても俺は知らないからな」

 それだけ言うと少女の背中を押して逃げさせる。

「さてと。戦うのは久しぶりだけど」

 手の関節をパキパキと鳴らしながらヴァースは目の前の青年を肉食獣のように見据えた。

「怪我しないように頑張るんだな」

 そう、肉食獣のように。

 あの少女を守るためではなく。

 ジャラジャラついてるあの宝石を掴み取るために!!


 ○


 完全に見失った。

 イルナは一人ため息をついていた。

「あの馬鹿……どうなっても知らんぞ」

 検問は霊体化でスルーした。

 そしてこの国に入ったところまでは良かったのだが……。

「どうなっているんだ?」

 先程からヴァースの居所を魔術でサーチしているのに上手く作動しない。

 国に入る前の外まではヴァースが走っていることが察知できたのに、だ。国に入るとそれがぱったりなくなってしまった。

 ――この国は物騒だ。

 そう聞いたことが思い出される。

 ……なーんて深刻そうにイルナは顔を顰めているものの、美味しそうにふわふわの甘いシフォンケーキを頬張っている。言ってることと行動が違うとはまさにこのことだ。

 結局のところイルナの心情はヴァースが心配ではあるものの、大事にはならないと確信しているといったところか。

 はむはむと喉につまらないようにゆっくり食べていると、自然と耳が音を集める。

「このあたりに布を被ってローブを着た少年は来ていないか?」

 イルナはギクリ、と身を震わせた。

 あれ、ついさっきまで隣に太陽を避けるために布を被って体を覆うローブを着ていた少年がいなかったか?

 思わず顔を覆いたくなるが、ここでそんな素振りを見せたら怪しまれる。イルナはあくまで他人事と受け取って平静を装った。

「……なんだか、面倒事が起こりそうな気がする」

 ゴクリと飲み込んだシフォンケーキは甘すぎて口の中に後味が残ってしまっていた。


 ○


 絶賛戦闘中であった。

 奴隷持ちだった宝石ジャラジャラ青年は立て続けに『魔弾』を撃ちまくってくる。

 ヴァースはそれらを避け、当たってしまった場合には『ヒール』で全回復していく。

 結局、戦いでは豊かに生活していくために作られた魔術がものを言う。真理とは残酷なものだ。

 とはいえ、だ。

 ヴァースは攻撃を避けつつも薄々勝利を確信していた。

(どうやら『魔弾』しか攻撃方法ないみたいだな。あの豪華さだと宝石魔術くらいはすると思ったけど)

 そう、青年はさっきから『魔弾』しか打ってきていない。一種類の攻撃方法だと単調になるのでヴァースはほとんどの『魔弾』を避けることに成功していた。

(……もうそろそろ頃合かな)

 さりとて、ヴァースは反撃の術がないから避け続けているのではない。これは戦闘においてとても重要な戦略だ。

 どれだけ自分の魔力を消費せずに勝つか。あるいは相手に使い果たさせるか。それが魔術戦におけるセオリーである。

 ボカスカ変な方向に飛ばしまくっているこの青年は戦いなれしていないらしい。『魔弾』のキレにもムラができてきた。

 外れた『魔弾』が建物に着弾するのを見て避けつつ、心の中で三、二、一とカウントダウンするとヴァースは動いた。

「な……ッ!」

 まず肉体強化で脚を補強、そのまま一瞬にして青年の懐へ飛び込む。その間向かってくる『魔弾』はあえて受けて『ヒール』で処理、最後の一歩で右手に力を込める。右手にはみるみる淡く蒼い光が集まってくる。

 そのまま顔面を殴り飛ばすかと思いきや、違う。

 ヴァースの右手は青年の顔を掴んだ。

「俺より全然戦いがなってないから言わせてもらうがな、魔術戦ってのはだいたい数秒で片がつくものなんだぞ?」

 右手にあった光が弾けた。

 青年の体は跡形もなく滅した――という事実はない。

 あくまで光が弾けただけで外界になんの変化もなかった。

 あるとすれば一つだけ。

 青年の意識が吹っ飛んでいた。

 ヴァースが掴んでいた手を離すと路地裏に膝から崩れ落ちるような音がこだまする。

「……ふぅ」

 さもなにか大事をやりきったかのように腕で額を拭う。実質、ヴァースが動き始めてから片がつくまではせいぜい数秒単位だったし、『ヒール』はあまり魔力を使わないのでそこまで大事というわけではないのだが。

 なお、今の光の爆発の魔術はヴァースが自分でそのまんまの『意識飛ばし』という名前をつけている。

 近くからガシャガシャと大勢の足音が聞こえる。おそらく青年が放った『魔弾』の被害を誰かが通報したのだろう。ヴァースが見計らっていたのはこのベストタイミングだ。早く倒しすぎると意識を取り戻してどこかへ逃げるかもしれなかった。

「じゃあ俺はずらかるか」

 と言いつつしっかりと忘れずに青年から宝石を強奪してからヴァースはその場を去った。

「それにしても久々だったなあ」

 以前戦ったのは一年ほど前か。その時は苦戦を強いられていたが今回は気持ちよく快勝できた。

 と、心地良さを堪能して周囲への注意が疎かになっていると曲がり角で鎧とぶつかった。

「おっと」

 運命の出会い、なわけがない。ぶつかったのは腰におっかない剣を携えた全身を鎧や兜でフル装備にしているガタイのいい大男だったからだ。

「あ、すいません」

 さすがにヴァースとてこんなフル装備な騎士と一戦交えるつもりはない。そうそうに立ち去ろうとしたその時だった。

「いや、いいんだが、ねえ君、ローブに布を被った少年を知らないかな」

 見た目に反して柔らかい接し方に面食らいながら、ヴァースは内心ギクリとしていた。

 ……それ、さっきしてた服装なんだけど。

「し、知りませんけど、その人が何か?」

「いやあ、それが不当入国者でねえ、いつ事件を起こされるかわかったもんじゃない。早く捕らえたいのだが」

 ギクリギクリギクリ。完全にヴァースのことを言っている。彼は見えないところに大量の冷や汗をかいた。

「へ、へー……早く見つかるといいですね」

「ああ、ありがとう」

 あからさまに不自然な口調だが、人を見る目がないのか。幸運にも気づかなかったようでそのままどこかへ行ってしまう。

 早くイルナと合流してさっさとこんな国出よう。そう決めて一歩歩き出したその時だった。

「いてっ」

 またしても人とぶつかった。今回も男。

「ああ、済まない、少しよそ見をしていて」

「ああ、こちらこそ……っ」

 先に向こうから謝ってきたので素晴らしい人徳者だな、と感心して謝り返すとなんだかその声に聞き覚えがあることに気づいた。

 ヴァースは俯いた視線をギリギリとその男の方へ向ける。

「……あ」

「……あ!」

 唖然とするヴァースとびっくりして声を出す男。セリフは同じだが感じる印象は正反対だ。

 世の中は、今回の場合は国か、ともあれそれは案外狭いものだ。

 それは今回ヴァースにとって、一番の不幸を示していた。

 なぜなら。

 その男は水に飢えたヴァースを一度堰き止めたあの検問の男だったのだったからだ!

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