その英雄は何者か

 一面砂の砂漠。

 首を回しても砂、砂、砂。オアシスの影すら見当たらない。ギラギラの太陽と足を絡めとる砂がここに生き物が来るのを拒んでいるようだった。

 そんな生き物など住めないような砂漠には、驚くべきことに人影が二つあった。

 一つは汗をダラダラ垂れ流しながらフラフラと頼りげなく歩く、少年から青年に成長している真っ只中の少年だ。暑そうに頭から布を被り体をすっぽり覆うローブを着ている。暑いのに馬鹿なのかといいたいところだが、このギラギラの太陽を直で受けるよりはマシなのだろう。短時間でもこの容赦ない太陽に当たりっぱなしだとミイラになりかねない。

 この今にも死にそうな少年、名をヴァース=シュバルツという。

 こんな幼い外見に反して色々やっちゃっている油断ならない少年だ。

 そして、その隣では汗ひとつかかず涼しい顔で麗しい女性が歩いている。服装はクソ暑そうな妖艶なラインが浮き出ているドレスで顔や手は丸出し、太陽光から身を守ろうともしていない。この状況を見たら誰もが口を揃えてこういうだろう。場違いだ、と。

「あづぅー……まだ砂漠は抜けんのか……」

 今にも死にそうな少年、ヴァースはうだるような暑さにやられてしまっていた。

 何せこの砂漠に入ってから今日で二日になるのだ。もうそろそろ終わりが見えてこないと困る。

「なんだ、甲斐性のない。そんなんでよくわらわを従えたものだ」

 一方、死ぬとかそんな素振りひとつ見せない女性――イルナの方はむしろ呆れたようにヴァースを見た。

「……うるさいな。暑いものは暑いんだよ」

「妾は暑くないけど」

「……(じとー)」

 ヴァースは恨めしいような目で女性を見た。たしかに、涼しい顔で強がっている風ではない。まるでという風に。

「睨むな睨むな。今だけは羨ましいだろうが、この体は不便極まりないぞ?」

「えー、いい事づくめな気がするけど」

「感覚がないというのは辛いものなのだ」

 ふん、とイルナは少し寂しそうに息をついた。

 彼女はもう人間ではない。もう、ということは以前人間であったということだ。その原因は隣にいるあどけない少年ヴァースちゃんにあるのだが、かといってイルナはヴァースを憎んではいない。あくまでそれも因果応報と受け止めているのだった。

「……む。喜べ、もうすぐ次の国へ着きそうだぞ」

 なんのアンテナが反応したのかイルナはピクン、と何かをキャッチしたように言った。おおかた、そういったサーチや探索能力の魔術によるものなのだが。

 ところで、なぜヴァースとイルナはこんな砂漠を渡っているのか。それは簡単でヴァースはテクトニクス各地を旅する旅人であり、イルナはその付き添いだ。旅にあたり国と国を渡る時、砂漠をたまたま渡っていると言えばなんの疑問もないだろう。

 だがあいにくとヴァースはこういった手段を好まない。旅をするなら快適なものがいいというのが彼の信条だ。とにかくこんなクソあつい砂漠を死にそうになるまでジリジリ焼かれながら二日間かけて横断することをよしとするような性格ではない。

 物事にはしっかりと理由がある。たとえ魔術という技術が盛んなこの世界でもだ。

 なぜヴァースたちが砂漠にいるのか。答えは砂漠に入る前、二日前に遡る――。


 ○


 二日前。

 ヴァースとイルナは惰眠を貪っていた。

 宿屋のベッドが思いのほか柔らかく気持ちがよかったからだ。特に仕事があるでもなし、ただ徒然と日々を送る二人には急ぐ理由もない。

 だから、彼らは部屋の扉が叩かれても寝ぼけたままだった。

『すいません、いるんですか、いないんですか、入っていいですか、入りますよ』

 ドンドンとノックをしながら自問自答のような声がしてまもなくキィ、と扉は開かれた。

「あの、もうそろそろチェックアウトの時間なんですけど」

「んあー……?」

 もはや開いてもない目を擦ってヴァースが体を起こした。それに伴い、かけてあったシーツがめくれて隣にいたイルナの姿も露わになった。(なお、なぜ男女の二人が一緒の部屋で寝ているのかについては割愛する)

 それを見た宿屋の支配人は今ヴァースがしているあくび同様に口を大きく開け黙ってしまった。

「ああ、もうそんな時間なのか。すまん、もう出ていくから少し待て――」

「すまない! まさかサカっているとは思わなかったんだよ! まだ少年だからとか思っちゃってた本当に申し訳ない! 夜までに出発してくれればいいからそれまでゆっくりしててくれ!」

 ヴァースが荷物に手を伸ばそうとすると支配人は大ぶりで手を振ってペコペコおじぎをしてさっさと扉を閉めてどこかへ行ってしまった。

「……ありがたい、俺が長旅でまだ疲れてるとあの人は見抜いて――」

 ……そんな事実はどこからどう見てもないのだが、どうやらこの少年、純粋なところは純粋らしい。感動のあまり出ていった扉に向かってハハー、と拝み始めるほどだ。

「……ん……どうかしたのかヴァース?」

 イルナの方も目が覚めたようで何かを拝んでいるヴァースを眠い目で訝しげに眺めている。変に色気のある吐息混じりで。

「ああ、なんか宿泊期間を延長してくれて……って、イルナ、実体見えてるぞ」

 ようやく焦点も結びついてきたところでヴァースがふと気づいた。すでに人間ではない彼女は人前ではあまり実体を見せない。例えるなら幽霊のようなものだろうか。

「おや、本当だ。どうやら寝ている間妾はどうしても無防備になってしまうらしい」

 んー、とその艶かしい体を見せつけるようにしながらイルナは体を伸ばした。

「で、今日はどこかにでも行くのか?」

「いいや。せっかく気を利かせてくれたんだ。これで寝ない手はないだろ。ほら寝るぞ」

「なぁっ!? いきなり何を言うのだ目が覚めたと思ったら朝っぱらから始めるのかしかも初めてじゃないかそれは待ってくれまだ心の準備が――」

「すー……」

 あの気を利かせてくれた支配人と似通った思考に至ったイルナなどつゆ知らずヴァースは早くもその柔らかいベッドで寝息を立てていた。そしてなぜだろう、すぐに寝返りをしてイルナとは反対方向に体を向けたのは。

「……、」

 一人で赤くなって妄想をさらけ出してしまっていた妖艶な美女は少し腹が立って握りこぶしを握りしめた。こんな話し方をしているが年齢も外見もイルナは現役お姉さんの立ち位置にいるのだ!

「そんな乙女の心をもてあそびやがって。悔い改めろ!」

「ぐほぅ!?」

 その後、何発もの拳が飛んではヴァースを捉えたことは言うまでもない。


「……俺が何したってんだ、ったく」

 女のものとは思えない威力にボコボコにされたヴァースはゴリゴリに削られたHPを回復していた。 初歩中の初歩魔術『ヒール』だ。だが初歩中の初歩とはいえ馬鹿にできない。練度が高ければ高いほどその分HPを回復することが可能だ。

 イルナはヴァースをぶっ叩きまくったあと、霊体化して消えてしまった。どこか街でもブラブラしているのだろうか。

「ま、俺が魔術をまんべんなく覚えててよかった」

 ヴァースは『ヒール』以外にも同時並行で魔術を行使していた。例えば衣類は綺麗に折りたたまれていくし、落としてしまった花瓶も元通りだ。これらは全てイルナが暴れたために生じた面倒事だ。あの馬鹿力、なんとかならないだろうか。

「……にしても便利だよな本当」

 とにかく便利なこの魔術だが、何も無尽蔵に使えるほど美味い代物でもない。当然のことだが魔力、体力とはまた異なる生命力を使う。中には魔力の貯蔵量がとてつもなく少なく魔術を使えない者がいるらしいが、幸運なことにヴァースはむしろ人並みより多い魔力貯蔵量を誇っていた。こんな同時並行で魔術を行使していてもただ気疲れするだけで魔力が空っぽになるほどではない。

 自分の体力と部屋が一通り片付いたところでヴァースは紅茶でも飲もうと立ち上がった。もちろん荷物を持ってだ。夜までここに居座る気はなかった。イルナの荷物はない。人間ではないということは便利なもので手荷物も所持せずに生活できるらしい。

「毎度あり。お楽しみだったかい?」

 部屋でのことを聞いている支配人に対して、

「ええ、まあ」

 こちらは旅自体のことだと思って返答しているヴァース。なんともいい感じに勘違いしているようだが、それをただす者はいない。

 ともあれ宿泊料金を支払いして、さてどこへ行こうかとヴァースが考えていた時に支配人が気になることを言った。

「ああ、一つ忠告が」

「はあ」

「あまり外であの麗しい姫君と会わない方がいいと思いますぞ」

「それはどういう?」

 麗しい姫君という呼び方も気になったが、これはイルナのことを言っているに違いないので聞き返す必要はない。

「まあこの国の特殊性ですかなあ。詳しいことは言わないでおきますが、くれぐれもそれだけは気をつけてください」

 支配人はほっこりしたものを見るように口もとを緩めながらヴァースを見送った。

 宿屋を出ると、手近にあった喫茶に入る。

「アイスティー一つ」

 店に入るやいなや一言そう注文した。いかにも手馴れているように言ったのはただカッコつけたかったから、というのはここだけの秘密だ。こういうところが青年とまではいかず少年と言うにふさわしい点である。

 まもなくして差し出されたそのカップを喉が渇きっぱなしだったヴァースは一息に飲んでふう、と一息つく。

「……次はどこへ行くかね」

 ヴァースは世界地図、と言ってもひとつの大陸にいくつもの境界線が引かれているだけの地図を広げながら呟いた。

 ヴァースは最東端の国出身である。今まで中央に進むように旅をしてきたのだが……。テクトニクスは東西に端が細長く突き出ているのが特徴で、今までは中央に向かって進むだけでひとつの国にぶち当たることができた。だが、これから次に中央に進むと、進むところに国がいくつもあるのだ。言うなれば境界線の上を通ることになる。

 そして境界線の上は少しばかり危ない。今は国ごとに激しく鎖国している状態(大人数での渡国を認めない、だがヴァースのような一人や二人の旅人は可能。何か叛逆したら国力で潰せると考えているのだろう)だ、下手に境界線など通ってしまったら攻めて来たのだと勘違いされて討伐されかねない。

「どっちに行くかな……」

 ここ、アリアトの国を出ると二つの国がある。一つは砂漠を越えたところにあるサンディス。もう一つは川を上っていったところにあるウォーカル。

「何を言うのだ。もちろんウォーカルに決まっているじゃないか」

「やっぱそうだよな、砂漠なんて越えたくないし。……って、イルナ!?」

 いつの間にかヴァースの向かいの席にはイルナが頬をプクーと膨らましてそこにいた。少女ならここで可愛らしいとつくのだろうが、現役お姉さんのイルナには不格好だ。

「突然どこかへ行ったレディを探しもしないとは、やはりヴァースはおかしいな」

 どうやら追いかけて欲しかったらしい。てっきり放っておいて欲しかったのかと思っていたヴァースが人の心はわからないもんだな、と首を傾げているとつっけんどんな態度でイルナは続けた。

「まあそれは後々たっぷり追及することにすることにして。妾はサンディスの方には行きたくないぞ。あそこは最近物騒らしいからな」

「そうか、ならやっぱり次行くのはウォーカルだな」

 その後もう一杯紅茶をお代わりしてゆっくり飲み干し、よし、と決心したように勘定をしてヴァースとイルナは外に出た。

そしてすぐに、

「……、」

「おや、不穏な空気だな」

 店を出ると、二人は襲撃者の気配を感じた。

 五人、十人、いや十五人はいるか。それらの気配は屋根の上、看板の裏、あらゆるところから感じることができた。

 金品を狙う賊にしては少々度胸がないようにも思える。

 じゃあなんなんだ、とヴァースが考えたあたりで次の動きがあった。

 四方八方から弓矢が放たれる。もちろんただのではない。魔術のかかった、炎やら氷やらの効果を付与したものだ。

「ッ!」

 心臓が止まるかと思った。ヴァースは魔術こそ使えるがそれは大半が戦闘用ではない。戦闘用のもあるにはあるのだが、それは対大人数には向かないものだった。

 だからヴァースは飛んで避けるしかなかったのだが、

「馬鹿者。妾がおるだろう」

 イルナに引っ張られて元の位置に戻される。だが弓の軌道は変わったわけではない。数十本にもなるそれらはイルナの方向へと殺到する。

 対してイルナの表情は涼しかった。

「舐めるなよ」

 薄く笑いながらイルナの周りに複数の魔法陣が展開され弓矢を防いだ。いや、弾き返した。それらの矢は逆再生をするように持ち主の方へと帰っていく。

「くそ、作戦変更だ!」

 男のそんな声が聞こえたかと思うと、十五人程度の襲撃者はひとかたまりになってヴァースたちの道を塞いだ。

 今度は弓矢ではなかった。次々と襲撃者たちの手元に魔法陣が形成されては何かが放出される。魔術のシンプルな攻撃方法である『魔弾』だ。一つ一つは大したことはないのだが、それが何個も集まるとどうなるか。

「だから、妾を――」

「馬鹿か、魔力のムダ使いすんな!」

 正面から向かい打とうとしたイルナを今度はヴァースが引っ張って、道を塞いでいるのとは逆側に走る。

「なんでだ、あんなやつらすぐに仕留めることができるのに」

「お前一発一発相手にするつもりか?」

『魔弾』はとにかくコスパがいい。対して先程イルナが使った防壁の魔術はコストがかかる。いちいち守っていたらどちらが先に尽きるかは一目瞭然だ。

「……だが」

「やめとけやめとけ。あんな連中に魔力を消費するのは本当にただの無駄だって」

実際、弓といい『魔弾』といい練度はあまりよくなかったのでさほどの手練ではないように思えた。

「だが、まだ追いかけてくるぞ?」

『魔弾』がヴァースの頬を掠めていく。襲撃者の集団が立て続けに撃ちまくってきているのだ。

「ああ、もう! なんで俺たちは追われてるんだよ!」

 どうにもならないことだが予想外なことに答えは後ろから返ってきた。

「てめぇが女と逢引してるからだよ!」

「こちとら法律で外じゃ女と会っちゃ行けないのに羨ましい!」

「その美女俺にくれ!」

 この時、ヴァースの脳裏には宿屋の支配人のセリフがリフレインしていた。

『あまり外で姫君と会わない方がいいと思いますぞ』『この国の特殊性ですかなあ』

 それはこういうことだったのか。ヴァースが呼んでもいないイルナと鉢合わせてしまったことでこの国の男どもから恨まれてしまったと。

 ……それにしても。

「――くっだらねぇ!」

 そう悪態をつきつつもヴァースは逃げ続けた。


 ○


 そして国を出るまで逃げた末にいつの間にか砂漠に入ってしまい、今に至るというわけだ。地図によると当初の目的地、ウォーカルとは真逆の方向に進んでいたらしい。

「あ、あれは……」

 そしてついに砂漠の果てに建物のようなものが見え始めた。早くここを抜けたいという願望が見せた見間違いではないかと目をゴシゴシと擦ったがどうやら本物らしい。

「よかったな。二日目にして国へ到着だ」

 ヴァースが目に涙を浮かべそうな感激をしているのに対してイルナはあくまで他人事の口調だった。

「早く……早く水が飲みたぁいっ!!」

 希望が見えると、人は頑張れるものである。ヴァースはどこにそんな力があったのか、全力で駆け始める。

 水というのは不可欠だな、と強く思った今日この頃であった。

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