小話2

とある日の緊急事態

『こちらグアムAAFB。コビー01、応答してください』


 二週間にわたる日米豪の合同演習が終わり、事務方の隊員達を乗せて帰国の途についていた私達のKC-767Jに、グアムにある米軍基地から通信が入った。


『こちらコビー01』


 めったに話しかけてこない無口な米軍基地からの通信に、首をかしげながら返答をする。


沖縄おきなわ周辺にてアンノウンが日本領空に侵入。現在、那覇なは基地のJASDF飛行隊が対処中です。緊急事態にそなえてチャンネルはオープン、万全の態勢をとるようにとの指示が出ています』

『ありがとうグアム基地。通信チャンネルはオープン、このまま飛行を続けます』


 対処している航空自衛隊の飛行隊とは、那覇基地の第204飛行隊か304飛行隊のことだ。


 沖縄には米軍も駐留しているけれど、この手の事案に関してはよほどのことが無い限り、自分達の飛行隊を空に上げることなく空自に任せている。もちろん戦闘機を上げないからといって、なにもしていないわけではない。その目と耳で、しっかりと事の成り行きを注視し、日米の安保条約に適応されるようなことが起きた場合、即時対応ができるよう引き金に指をかけたままでそなえているのだ。


 今回は那覇基地がそちらに手一杯だと判断して、一足先に私達に連絡を入れてきたのだろう。おそらく、母港を目指して北上中の海上自衛隊の護衛艦隊にも、同じような連絡が入っているはずだ。


「また大陸からの迷惑な客ですか。最近は目に見えて増えてますね」


 副機長の席に座っていた石川いしかわ空曹長が、眉をひそめながらこちらに顔を向けた。


「まったくね。空も海も大忙しだわ」

「機長、進路はこのままで?」


 そう確認してきたのは副機長の森田もりた一尉。本来は私の横で副操縦士として座っている人間なんだけれど、今日は訓練中の石川君にその席をゆずっていた。そしてコックピットの後ろにある席で、昔取った杵柄きねづかを有効利用とばかりに、航法士として計器類の監視をしながら座っている。


 そんな森田一尉の横の席に座っているのは、給油装置のオペレーターの真柴ましば一尉。事務方と一緒にいるとくつろげないとか言って、離陸直後から、使用予定のないオペレーター席に居座り中だ。


「あの空域付近を通過する時間と戦闘機の滞空時間からして、進路を変える必要はないと思うけど下はどう言ってる?」


 護衛艦の指揮をとっているのは、横須賀よこすか基地に所属しているイージス艦艦長の中井なかい一佐。慎重派の艦長はどう判断するだろうか。


「……下はさらに通過時間が遅いので、よほどごたごたと長引かない限りは、影響はないだろうとのことです。どちらにしろ我々が追い越して先行する形になるので、中井一佐は、こちらがどうするつもりか聞きたがっていますが」

「なるほど。だったら進路はこのまま。先行する私達が回避しちゃったら、下が困るでしょうからね。つつしんで斥候せっこうの任務お受けしますと伝えておいて」

「そう言うと思ってました。中井一佐にはそのように伝えます」

「それと、後ろのお客さん達にも説明をお願い」


 私の言葉に森田一尉は大袈裟おおげさな溜め息をついた。気が乗らないのはお互い様だ。だけど私は機長で貴方は副機長。私のほうが偉いのよね。


「ごめんなさいね、副機長。私、操縦するので忙しいから」


 できるだけ可愛らしく言ってみる。


「わかってますよ。ここで一番偉いのは機長ですから、御意のままに」


 そう言って彼は席を立つと、後ろの客席があるほうへと姿を消した。


「大丈夫なんでしょうか?」

「後ろは事務方ばかりだから、暴れることはないわよ」


 心配そうな石川君を安心させるように、笑みを浮かべてみせる。


「いえ。後ろじゃなくて前方ですよ」

「ああ、対処中の飛行隊のほうね。少なくとも、私達よりは相手のあしらい方を心得ているパイロットばかりだから、心配ないと思う。よほどのことが無い限りね」


 何事にも万が一ということがある。だけど、最悪の事態を想定してあれこれ言い出したらきりがない。こちらは、向こうで彼等が事態を収束させることを信じて、飛び続けるだけだ。 


「こちら那覇基地。コビー01、こちらの通信は聞こえているな?」


 事務方達の屁理屈の集中砲火を浴びたであろう森田一尉が、げんなりとした顔で戻ってきたところで、那覇基地からの通信が飛び込んできた。普段は英語で通信するのが常なのに、日本語で話しかけてきたということは、それなりに急を要するということだ。


「こちらコビー01、通信感度は良好」

榎本えのもと三佐、長門ながとだ。急なことで申し訳ないが、そっちは補給用の燃料をまだ積んでいるか?」


 相手は、那覇基地の飛行隊の司令である長門一佐。飛行隊司令がじきじきに声をかけてくるということは、あまりよろしくない事態が発生したということだろう。そして燃料の確認ときた。このKC-767Jが給油できる機体は、現状、イーグルかF-2しかない。


「もしかして、空腹な荒鷲あらわしが近くを飛んでいるのかしら?」

「まあそんなところだ。こっちに客が来ていたのは知ってるな?」

「グアムのお友達から連絡は入ってきているわよ。空腹な荒鷲あらわしはそれ関係?」

「ああ。その客とやりあったイーグル一機の燃料が足りなくて、基地まで帰れそうにない。そっちにならたどりつける距離だ、合流して給油を受けさせてやってくれないか」

「お客さんは?」

「お帰りになった」

「そう。ラッキーだったわね、途中でアメリカさんに御馳走ごちそうしなくて良かった。荒鷲あらわし一機分ぐらいなら十分にあるから、安心して寄越して」


 燃料を満載していれば八機のイーグルを満足させることができるこの機体も、今は機体を軽くするために、それほど多くの燃料は積んでいなかった。だけど一機分ぐらいなら、那覇基地に帰還できる程度の量は残してある。


「……ただし問題がある」


 その口ぶりにイヤな予感がする。そうなのよね、この程度のことなら、長門一佐がわざわざ出張ってくるわけがないんだもの。


「ちょっと、まさか給油口が壊れているとか言わないわよね。今のお客さんはクルー以外は事務方ばかりで、外に出て素手で注ぐなんて芸当ができる人間はいないわよ? うちは基本セルフサービスなんだから」


 私の返事に、長門一佐が笑った。


「そこまで君達にしろとは言わんよ。問題なのは、そっちに向かっているパイロットに、コビーとの空中給油の経験がないということだ」

「あらあら……」


 ということは、こっちに向かっているのは若いパイロットということだ。なるほど那覇基地は、相変わらず血の気の多い若鳥達が多いらしい。ん? まさか?


「まさかバンジュニアじゃないわよね?」


 これは正式なタックネームではなかったけれど、長門一佐には理解できるはず。


「いや、彼じゃない。それでどうだ、できそうか?」

「それ、誰に向かって聞いてるの?」

「愚問だったか」

「当り前でしょ? うちのオペレーターの腕をなめてもらっちゃ困るわ」


 このKC-767Jの給油方法は、以前に飛ばしていたKC-130Hのような、受け取る側が位置とタイミングを合わせるプローブアンドドローグ方式ではなく、こちらでオペレーターが、給油管を操作して相手の給油口に差し込むフライングブーム方式だ。だから相手の経験が浅くても、きちんと指定した場所に合わせて飛ぶだけの腕を待っていれば、問題なく給油ができる。


 問題なのは、燃料を注ぐブーム自体の稼働範囲が広くないので、きちんとその場所で距離を維持しながら飛ばなくてはならないことだった。うっかり大きく動こうものなら、給油管が破損しジェット燃料が漏れてそれこそ大惨事だ。


「そちらこそ、ジッと我慢できる子なんでしょうね?」

「だから初めてだと言っている。なんとか合わせてやってくれ」

「いくら私が曲芸飛行が得意だと言っても、この機体でイーグルに合わせて飛ぶなんて無理」


 まったく、毎度毎度この人は無茶ぶりばかりしてくるんだから。


「そこをなんとか」

「……しかたがないわね。これは貸しにしておきますからね、一佐」

「恩に着るよ。じゃあ頼む」

「了解、一佐」


 いったん通信を切る。


「さて。いま聞いた通り、お腹を空かせたイーグルがこっちに向かっているそうよ」

「機長、少し西寄りに進路をとったほうが、あっちが使う燃料が少なくてすみますね。給油が初めてということですから、残量の余裕が少しでもあるほうが、イーグルのパイロットも安心できるでしょう」


 後ろの席で、航路図を見つめていた森田一尉がそう言った。さすが我がクルーの執事様、すてべてが近代化された機体でも、こういうところはやはり人間様の頭のほうが柔軟で優秀だ。


「どのぐらい?」

「七度ってところでしょうか」


 その言い草に思わず笑ってしまった。


「七度! それを私に求めるの?」

「機長なら問題ないでしょう。たしかに小さな角度ですが、合流ポイントにつくころにはかなり西に寄りますよ」

「そこを十度って言わないのは何故?」


 気になったので質問してみる。


「十度まで角度をとると、今度はイーグルが進路を変えなくてはならなくなります。つまり余計な燃料を使わなくてはなりません。ですから七度です」

「ほんと、あなたの頭の中を一度のぞいてみたいわ」

「自分はただ計算しただけですよ。あちらに連絡して、イーグルはそのままの進路をとらせます。機長は七度西寄りに進路を変えてください」

「了解」


 まったく七度とはね、と笑いながら操縦桿を心持ちかたむけた。たしかに七度なんて角度は大したことがないように見える。だけど距離が進めば進むほど、そのかたむきによる距離は大きくなっていく。たかが一度、されど一度というやつだ。


「しかし大丈夫ですか? ぶっつけ本番ですよ、できるんですか?」


 長門一佐と私の通信を横で聞いていた石川君が、気遣わし気にこちらを見た。


「できるできないじゃなくて、やらせるのよ。どちらにしろ成功しなきゃ、あっちは燃料が底をついて落ちるしかないんだから。真柴、頼むわね。イーグルへの指示と私への指示を、同時にしてもらわなくちゃいけないけど」

「任せてください、機長。準備に入ります」


 それまで私の後ろでのんびりと座っていた真柴一尉は、座りなおして目の前にある計器類の準備を始めた。


「ところで機長?」

「なに?」

「この件も後ろに説明しなくてはならないんですか?」


 真柴一尉の質問に、森田一尉が憂鬱ゆううつそうな顔をしてみせる。心情的には断固拒否といったところだろう。


「当機がお客が飛び回っている場所に向かっている。その話以上に、なにか悪い状況が増えた?」

「客は帰り空腹な荒鷲が飛んでくる。まあ悪いことではありませんね」

「だったらそういうことで。全部が片づいたら、私が機内放送で後ろに説明するから」

「了解しました」


 真柴一尉が森田一尉の肩をポンとたたいて、再び準備に戻る。


 しばらく飛ぶと、レーダーに明るい光点が映し出された。こちらに向かっていた那覇基地のイーグルだ。


『こちらジャガー05。コビー01、緊急給油を要請する』

「緊急時なので日本語で。那覇基地からの連絡は受けています。そのままこちらの後ろについて、オペレーターの指示に従いなさい」

「了解。……あの、自分はコビーとの空中給油は初めてなのですが」


 少し間があって、パイロットからためらいがちな通信が返ってきた。


「それも長門一佐から聞いています。きちんと指示通りに飛べば問題ないから、肩の力を抜きなさい、ジャガー」

「了解しました」


 了解したと言っても、訓練もしないでいきなり給油をするなんて、不安ではあるわよね。しかも、自分の機体は燃料が底をつきかけている状態なんだから。


「情けない声で返事をしないのよ、坊や。イーグルドライバーなら機体は自分の手足同然、貴方たち那覇基地の飛行隊が評判通りの腕前なら、難なく給油できるはずでしょう。少なくとも今回の合同演習に参加したイーグルドライバー達は、問題な給油できたわよ? 南西の空の防人さきもりは評判倒れだと小牧こまき基地で噂されたいの?」

「いいえ、コビー」

「だったらやることは一つ。わかっているわね?」

「了解」


 葛城かつらぎさんのところのかける君もそうだけど、負けん気が強いのが、ここ最近の若いイーグルドライバー達の傾向だ。古参パイロット、しかも女性にここまで言われたら、やっぱりできませんなんて泣き言を途中で吐くことはないだろう。


「機長、こちらの機体はこのままを維持」


 後ろにイーグルがついたタイミングで、真柴一尉からの指示がきた。


「了解。こっちはちゃんと安定させておくから、安心なさい」


 こちらからは、後ろがどうなっているかわからない。あとは真柴一尉と、イーグルの彼の腕次第だ。


 こちらが計器をにらみながら飛んでいる間も、耳元では真柴一尉の指示が聞こえてくる。彼は、この機体が調達されてから、ずっと給油のオペレーターとして乗り続けているベテラン中のベテラン。イーグルへ出す指示も、落ち着いていて的確だ。


「あのパイロットにとっては、忘れられない日になるでしょうね」


 その指示を聞いていた森田一尉が言った。給油が終わるまでの間、副機長が那覇基地から手に入れた、今回の詳細な情報を聞かせてもらう。招かざる客人はこちらのイーグルを相手に、随分と危険な挑発行為を繰り返したようだ。本当に最近の南の空も海も騒がしい。いや、もうこれは騒がしいどころの話じゃないのではと思う。


「私だったら間違いなく相手をぶっ飛ばしていたわね。よく我慢したものだわ」

「大したものですよ、空自うちの連中は」

「私が若いころ、この周辺空域でお客さんと遭遇したことがあったけど、あのころに比べると、ずいぶん行儀が悪くなったものだわね」


 それは航空機に限ったことではない。海自や海保が遭遇する船舶の挑発行為も、年々歳々ねんねんさいさいエスカレートしているし、海の中に至っては見えないだけで、それこそ数年前から一触即発いっしょくそくはつ状態だ。


「航空戦術教導団なんてのが組織されるのも当然よね……」


 雄介ゆうすけさんが、八重樫やえがしさんに引っ張られるようにして小松こまつの飛行教導群の司令の椅子に座らされたこと、葛城さんや桧山ひやまさんが、横田に無理やり引きずられて行ったことを可哀想にと笑っていたけど、実は笑いことじゃないのかもしれない。


「給油完了しました、機長」

「お疲れさま、真柴」

「相変わらず、微動だにしない機長の操縦技術には感服いたしました」

「おだててもなにも出ないわよ」


 そう言って笑っていると、横にイーグルが並んだ。


「初の空中給油、成功おめでとう」

「ありがとうございます、助かりました」

「どういたしまして。帰ったら貴方の司令に、榎本三佐がそでの下をよこせと言っていたと伝えてちょうだい。それで通じるから」

「必ず伝えます」


『では気をつけて、ジャガー。以後はあまり無茶はしないように』

『ありがとうございました、コビー。那覇に来る時は声をかけてください』

『名無しの坊やをどうやって探すのかしら?』

『スワローです』

『わかったわ、スワロー。その時はよろしく』


 イーグルは翼を振ると、大きく機体をかたむけて旋回しながら離れていく。それを見届けてから、こちらは本来の航路に戻るべく北東へとコースを切った。


「良い腕ですね」


 後ろからイーグルの機動を見ていた森田一尉が、感心したように言った。


「そう? まだまだ若くて粗削りって感じがしたけど」

「機長は、ご自分の旦那さんを基準にしているから見る目が厳しいんでしょうが、彼は十分に良いパイロットですよ。ただし、今の会話は誰にも言わないほうが無難ですね。小松から鬼が出てきます」


 知らぬとは言え機長を口説こうとするなんて、なんて怖いもの知らずなんだと笑っている。


「自分の子どもと大して変わらない年の子に、ヤキモチをやくほど大人げなくはないわよ、うちの人」

「いやいや、現役を退いたとはいえ、貴方の旦那もイーグルドライバーですから油断がなりません」


 まさかと森田一尉の言葉を笑い飛ばした。後に、それが笑いごとじゃなかったと思い知らされることになるのだけれど、それはまた別のお話。



+++++



「やっと日本の防空識別圏に入りましたね、あと少しで我が家です」


 管制との通信が日本側とのものに切り替わったところで、石川君が嬉しそうに言った。私達、404飛行隊のホームベースである小牧基地まではもう少し飛ばなくてはならないけれど、気分的にはすでに我が家到着の心境らしい。


「遠足は家に帰るまでって言うでしょ? まだまだ油断は禁物よ?」

「わかっています、機長」

「そんなに早く帰りたいの? 私は石川君の様子からして、もっと飛んでいたいのかと思っていたけれど」


 私がそう言うと、少しだけ恥ずかしそうに微笑んでこっちに目を向けた。


「飛ぶのは良いんですけど、そろそろ自宅の味噌汁が飲みたいです」

「ああ、なるほどね。奥さん、とってもお料理上手なのよね?」

「そんなことないですよ、いたって普通の味噌汁です」


 そう言いながらも、顔がデレデレになっているところがなんとも可愛らしい。


 石川君は、高校時代から付き合っていた一つ年上の女性と、二ヶ月前に結婚したばかりだった。彼が訓練課程途中だったこともあり、新婚さんを二週間の演習に連れ出すのは可哀想かしらと、最初は参加させるかどうするか迷っていた。だけど、話を聞いた本人のたっての希望で、参加させることにしたのだ。訓練課程は、教官の裁量と訓練生の自主性に任されるという点では、私が訓練していた時となにも変わっていないのだ。


 そんな自主性モリモリの石川君だったけれど、小牧を飛び立って二週間、やはり奥さんの元に早く戻りたいらしい。当然と言えば当然よね。


「三佐はなにか食べたいものはないんですか?」

「そうねえ……」


 アメリカ本土での演習に参加した時は、鮭茶漬けが食べたくて仕方がなかった。そんな私の私の頭に今浮かんでいるのは、基地近くの居酒屋で出される裏メニューの一品だ。


「卵かけご飯。お醤油はたまり醤油でね、きざんだ焼き海苔と白胡麻をトッピングしたものが良いな」

「それはおいしそうですねえ……」

「でしょ? 森田と真柴はなにか食べたいものある?」


 後ろの二人にも声をかける。


「たくわんが食べたいですね。塩分過多になるぐらい食いたいです」

「俺は普通の河童かっぱ巻きが食べたいです。奇をてらったなんとかロールじゃない、シンプルイズザベストで河童かっぱ巻き」


 それぞれが食べたいものを次々とあげて、コックピット内がちょっとした飯テロ状態になるころには九州きゅうしゅう四国しこく沖を抜け紀伊きい半島南端に達していた。


『こちら小牧基地管制塔。お帰りなさい、コビー01。現在は民間機のアプローチはありません。そのままのコースを維持し、ランウェイ16より着陸してください』

『了解、小牧基地管制塔。当機はこのままの進路で、ランウェイ16より着陸します』


 伊勢いせ湾には、私が操縦過程を受けていたころには存在しなかった中部国際空港が建設され、国際線の本数も以前より増えている。空港が別々になって滑走路の共有はしなくてもよくなったものの、上空は時間によってはそれこそ大渋滞だ。


 滑走距離が短くても問題ないC-130や、小回りのきくC-1なら合間を縫って強引に離着陸に持っていくことができるのに、大型のKC-767Jはそれができないところが実に悩ましいところだ。なにごとにも一長一短はあるものだと、この機体を操縦するようになってからしみじみと感じている。


「さてと。渋滞していないようだし、演習最後の着陸は石川君、貴方にやってもらおうかしら」

「え、自分がですか?!」

「あら、そんなに驚くほどのこと?」

「いえ、演習最後の〆は、三佐がするだろうって思っていたものですから」

「そんなことないわよ。なにごとも経験でしょ? やりたくないの?」

「いえ、やりたいです! 是非やらせてください!」


 やります!と言った石川君の顔は、とても嬉しそうだった。


 管制塔と通信をしながら、横で操縦桿を握る石川君の様子をそっと見守る。最初のころは、あまりにも生真面目すぎて大丈夫かしらと思ったものだけど、最近はようやく空を楽しむ余裕が出てきたように思う。


 それにまだ本人には言ったことはないけれど、私よりもずっと丁寧に着陸させる腕を持っている。これなら、政府専用機のパイロットに推薦すいせんすることも可能じゃないかと密かに考えていた。もちろん今そんなことを話したら、テンパって訓練どころじゃなくなるから、当分は私の胸の中だけにしまっておくつもりだ。



+++



「よう、お帰り、機長」


 飛行後のデブリーフィングを終えて会議室を出ると、雄介さんが立っていた。


「どうしたの? なにかこっちに急用?」


 壁にもたれて立っていた彼のところに駈け寄る。


「用がないと来ちゃいけないのか?」

「そんなことないけど、飛行教導群の司令ってそんなにヒマな仕事じゃないでしょ?」

「長い演習を終えた妻をねぎらうために出てきたのに、なんという扱いだ。俺は悲しいぞ」


 そう言って、雄介さんはわざとらしく悲しげな顔をしてみせた。


「冗談抜きで、なにか用事がこっちにあったわけじゃないのよね?」

「違うに決まってるだろ。本当にちはるのことをむかえにきたのさ。それより、こっちに乗ってきた定期便のC-130のパイロットなんだが、メチャクチャ操縦が荒っぽかったぞ。輸送機のパイロットとして大丈夫なのか、あれ」


 誰のことを言っているのか、すぐにわかった。さすが元パイロット、チェックが厳しい。


「ああ、あの子ね。うん、大丈夫……大丈夫だと思う。うちの伯父があんな感じだったらしいから、そのうち神と呼ばれる男になるかも」

「そうなのか?」

「保証はできないけど」


 疑わし気に言われて、正直に言っておくことにする。私がそう言うと、雄介さんはおかしそうに笑った。


「ねえ、むかえにきてくれたんなら、いつもの居酒屋に卵かけご飯を食べにつれていってくれる?」

「卵かけご飯? 俺がせっかく来たのに、卵かけご飯のほうが大事なのか。しかも居酒屋の」

「今はそっちのほうが大事なの。すごく食べたい。あそこは雄介さんだって、おいしいって言ってたじゃない」

「それはそうだが……」

「きざんだ焼き海苔と白胡麻をトッピングするの」

「……」

「お醤油はたまり醤油でね」

「…………」


 しばらく、なにか言いたげな顔でこっちを見下ろしていた雄介さんは、やがて溜め息をついた。


「わかったよ機長。それを食べない限り、俺の話も聞いてくれそうにないからな」

「話? 話って?」

「本日のハプニングの経緯」

「聞きたい、聞かせて」

「だったら」

「でもまずは、卵かけご飯が先だから」

「……だよな」


 そういうわけで、心行くまで卵かけご飯を食べて満足し切った私に、雄介さんは今回の大陸からのお客さんの話を聞かせてくれた。でも、まさかその日のうちに若い荒鷲あらわし君との会話が耳に入っていただなんて。


 ほんっとーに油断した!





■ 補足 ■


佐伯瑠璃さんの書かれた『スワローテールになりたいの』内のエピソード「そして、悪魔到来」「震える心と身体」の裏話的なお話です。ヒーローの沖田おきた千斗星ちとせ君がどんな感じで給油をして帰還したのかというのを感じていただければ幸いです。それぞれの設定があるのでコールサイン、タックネーム、司令などの設定には若干の差異があります。


※佐伯瑠璃さんには許可を頂いています。

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