とある日の後日談

「ショック~~! せっかく来たのに、黒砂糖味のが売れ切れだなんて……」

「わざわざ本土から来てもらったのに申し訳ないですね、奥さん。明日も朝から並べるので、また立ち寄ってください」


 店員さんの言葉を聞きながら、隣に立っている雄介ゆうすけさんをちらりと見上げた。なにも考えていないような顔をしているけど、その頭の中では私が言い出すであろう言葉の可能性を、あれこれと考えているわよね?


「ねえ、雄介さん。一泊していっていい?」


 私がそう言ったとたんに、雄介さんは笑った。


「そう言うと思った」


 今日の雄介さんは、仕事で那覇なは基地に来ている。なんの仕事なのかは、私には関係ないことなので聞くことはしなかった。そして私のほうは、さも仕事のような顔をしながら輸送機から降り立ったけど、実は休暇だ。


 本来なら子供達と一緒にすごす時間なんだけど、サーターアンダギーがどうしても食べたくて、移動許可をもらって那覇行の輸送機に飛び乗ったのだ。後から乗ってきた雄介さんが「なんでちはるがここにいる?!」って顔をしていたのが、なんとも愉快な瞬間だった。


 子供達はどうしたんだって? 子供達三人は私がサーターアンダギーを食べに行く!と宣言した時点で、父親そっくりの溜め息をつきながら「お土産は紅芋タルトで手を打つよ」と言って、快く送り出してくれた。なかなかよくできた子達でしょ?


「そっちに押しかけるのがまずいなら、別のホテルをとるけど」

「わざわざ別にとることもないだろ。部屋にはベッドが二つあるから、こっちに泊っていけ」


 つまりは、雄介さんが宿泊に使うホテルに押しかけても良いってことだ。


「良いの?」

「ああ、かまわない」

「良かった。……だけどあーあ。今日のうちに食べられると思ったのに。残念」


 明日また来ますねと言い残し、お店を離れてから溜め息をついた。食べられないとわかったとたんに、無性に食べたくなるのはどうしてなのか。他のお店にも立ち寄ってみようかな。だけど、あそこのお店のがおいしいいんだもの、やっぱり浮気はダメよね?


「だから、長門ながとに送るように頼めばいいって言ったじゃないか。確実に送ってくれるんだ。あいつに頼んでおけば、わざわざここまで来たのに空振りなんて心配もないだろ?」

「もちろん長門さんには今回のとは別に、この前の袖の下として、しっかり送ってもらうわよ。だけど私はできたてが食べたいの。わかっていると思うけど、私が言うできたてって言うのは、揚げたての熱々ってことなの。温めなおしたのじゃ意味がないの。おわかり?」

「やれやれまったく。うちの機長殿ときたら」


 苦笑いしながら首を振った。失礼な。私は真面目に、一番おいしくサーターアンダギーを食べる方法について語っているのに。


「なによ。雄介さんだって、デパートの物産展で揚げたてを食べたらおいしいって言ってたじゃない」


 そう言いながらひじで小突いたら、雄介さんはわざとらしくイタタと顔をしかめた。


 まっすぐホテルに戻るには早い時間なので、自分の分はあきらめて、子供達へのおみやげを探そうとお店をのぞきながら歩いていると、前から、ワイワイとにぎやかにおしゃべりしているグループがやってきた。あら、可愛い坊や達だこととながめていたら、なぜか彼等は雄介さんの顔を見て、慌てた様子で立ち止まると姿勢を正した。


「?」


 そしていっせいに敬礼をする。あら、もしかして同業者さん?


「雄介さん、お知り合い?」


 答礼をした雄介さんを見上げる。


「第204飛行隊のパイロット達だよ。ちはるがグアムからの帰りに給油した、イーグルが所属しているところだ」

「どうしてわかったの?」

「ジャケット」

「ああ、なるほど。はじめまして」


 よく見れば、彼等は飛行隊のエンブレムが縫いつけられたジャケットを着ていた。


 雄介さんのイメージが悪くなっては申し訳ないので、ニッコリと微笑んで奥さんらしく挨拶をする。これでも榎本えのもと三佐は年のわりには(年のわりにって余計な一言よね)可愛らしいって言われているんだから、愛想よくしておいて損はないわよね?


「あっ!!」


 私が挨拶をしたら、そのグループの子達がワタワタと動き出して、後ろに立っていた男の子が、前にいた子達を押しのけて出てきた。なんだかこういうのを見ていると、昔の風間かざま君達を見ているみたいだ。


「あの時はありがとうございました!」

「?」


 いきなりそう言って最敬礼をしてきたその子を見て驚いたものの、すぐに誰だかわかった。この子があの時の若鳥君だ。


「あら、貴方があの時の?」

「はい!! 沖田おきた千斗星ちとせ一等空尉であります!」


 空で会った時はバイザーを下ろしていたから、はっきりと顔を見ることができなかった。こうやって改めて見ると、あらあら、本当にハンサムで可愛い坊やだこと。


「沖田一尉、あれから空中給油訓練は受けた?」

「はい。航空団の未訓練パイロットは全員受けました」

「そう。だったら次は安心ね。ま、あんなことは二度とないほうが、良いに決まっているけれど」


 次に私が行った時はよろしくねと言うと、全員が元気よくはいと答えてうなづいた。その様子を見ていた雄介さんが、おかしそうに笑う。


「そんな顔をして呑気にうなづいているがお前達、うちの嫁はとてつもなく鬼教官だぞ? 彼女の下についたら、そんなふうに神をあがめるような顔なんかしていられないから、イテッ、なにをするんだ、ちはる」


 なにやら失礼なことを言い出したので、思いっ切り肘鉄ひじてつを食らわしてやった。


「お言葉ですが一佐。私、今まで一度も鬼教官だなんて、言われたことないんですけれど? それにこの子達だって、そんな顔をして私のこと見ていませんから。神をあがめるようにというのは、風間三佐が一佐を見る時の顔みたいなのを言うんです」


 本当に。あれからずいぶん月日が経って風間君もベテランとなり、現在は教官をつとめるほどだ。なのにいまだに雄介さんと顔を合わせると、あがたてまつる雰囲気になってしまうのだから、積み重ねてきた習慣?っていうのは恐ろしい。


 とにかく、ああいう顔を「あがたてまつる顔」というのだ。この子達の顔は断じて違う……多分、違うはず。


「航空学生時代の同期が、小牧でC-130の訓練課程を受けたのですが、榎本三佐の指導を受けたかったと言っておりました。諸先輩方からは、訓練生の自主性を大事にしてくださる、神のような教官だと聞いております」


 なんだかお尻がムズムズするのは気のせい? 面と向かってそんなことを言われて、少しだけ居心地が悪い。私はただ自分が教わった時と同じように、少しでも訓練生が空を楽しく飛べるようにと考えているだけなのに。


「なるほど。ちはるは、自分の教官だった緋村ひむら三佐と同じことをしているわけだな」


 モジモジしていると、雄介さんが愉快そうに口元をゆがめて、こっちを見下ろした。


「だって、飛びたいって言う子を飛ばさないのは可哀想じゃない。それで技量が上がれば言うことないし、飛行時間と飛行距離がのびるのはしかたのないことでしょ? 別に私は、お尻を叩いて空に追いやっているわけじゃないわよ? それに今まで教えた子は皆とても優秀だったし、私は普通に教える以外には、なにも特別なことはしていないんだから」


 だから神様って言われるようなことはしてないのよ?とつけ加える。


「……と、うちの嫁は言っているんだが?」

「いえ、神のような教官殿です。少なくとも自分は三佐に救われましたから」


 沖田一尉がそう言った。あの時にハッパをかけたことを彼がそう感じてくれているのなら、言った甲斐かいがあったというものだ。


「そうか。じゃあその彼女が安心して領空を飛べるように、これからも空を守ってやってくれ。そう言えば明日は模擬空戦だったな。妻は休暇中だからその訓練を見ることはないが、俺はその場で見させてもらうつもりでいる。訓練だが気を引き締めていけよ」


「はい!」


 元気な返事がいっせいに返ってくる。そして彼等はピシッと見事な敬礼をして、その場を離れていった。


 「司令に会えたことを、小松こまつから来た隊長に自慢してやろうぜ!」と楽しそうに話しているのを聞いていると、ますます風間君達のことを思い出してしまう。あ、そうだ、風間君にもおみやげを買ったほうが良いかな。今は新田原にゅうたばるにいるんだっけ。定期便であっちに飛ぶ、山瀬やませ三佐にお願いすれば良いわよね。そんなことを考えながら、彼等を見送る雄介さんを横目でチラッと盗み見する。


「なんだ?」

「なんでもありませんよ」

「嘘をつけ嘘を。なにか言いたいんだろ?」


 すまして答えたけど、これだけ長いつき合いなんだもの、私がなにを考えているかなんて丸わかりよね。


「なんだか雄介さんが、偉い人みたいな顔をしているなって思った」

「そりゃ、若いパイロットの前でデレデレしているわけにもいかないだろ。教導群の司令が、嫁にデレデレしているなんて話がひろがったら、目も当てられない」

「あら、そうなの? 可愛いと思うんだけど」

「それは、ちはるが俺の嫁だからだろ」

「じゃあ、私に可愛いって言われるのはかまわないんだ?」

「嫌だと言っても散々言うくせに」


 そう言って雄介さんは、私の頬っぺたをムギュッとつまんだ。


「うらやましくなってない? 危険な任務についているけど、彼等はイーグルドライバーだもの」

「あいつ等と一緒に飛ぶには年をとりすぎたよ。今の俺は、たまに空に連れて行ってもらうだけで十分だ」

「それって私も年寄りってこと?」

「まさか、とんでもない」


 雄介さんは首を振りながら笑った。



++++



 夕飯を長門一佐おすすめのお店でとると、おみやげを手にホテルに戻った。


「でも残念だなあ。明日、一緒に行けたら、雄介さんの制服姿をじっくりと堪能できるのに」


 荷物の中におみやげを押し込みながら呟くと、雄介さんはあきれたように笑う。


「見たいのは模擬空戦じゃなく、俺の制服なのか?」

「だって百里ひゃくりにいた時は、ほとんど作業着ばかりだったでしょ? 帰ってくる時は私服だったし、ほとんど制服姿は見てないんだもの。たまには旦那様の、ちゃんとした航空自衛官らしい姿を見たいです」

「そんなこと言ったら俺だってそうだろ。ちはるはいつもフライトスーツで、制服姿なんて数えるほどしか見てないんじゃないか?」

「女性隊員の制服姿より、男性隊員の制服姿のほうが萌え萌えなんだから」


 私がそう言うと、飲みかけた水を途中で噴き出して笑い出した。


「なんだ、そのモエモエって」

「ひなたが言ってたのよ。制服は萌え萌えなんだって」


 最近の子の言葉といったら宇宙語だなと、雄介さんが笑う。


「その理屈でいくと、俺のじゃなくても良さそうじゃないか」

「私は旦那様の制服姿にしか萌え萌えしないの。おわかり?」

「それはそれは。嬉しいことを言ってくれるじゃないか、奥様。そこまで言われたら、夫としては妻にきちんと御奉仕しなくちゃな」


 あら、なんだか変な雲行きに。


「……明日も仕事では?」

「そうだな」

「年をとりすぎたとか言ってなかったっけ?」

「そうだったか? 最近忘れっぽくてなあ……年だな」


 そう言った雄介さんの笑った顔は、なんとも不穏なものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る