第九話 帰国の途

 半年間の輸送任務も、いよいよ残すところこの復路を残すのみとなった。今回は、任期を終えた陸海空それぞれの隊員達を乗せての帰国だ。


 半年ぶりに家族に会える隊員達は、今からそわそわしているようで、彼等の面倒をみている谷口たにぐち曹長は、朝からざわざわしてまったく落ち着けないと愚痴っている。


「言うまでもないが、乗せた隊員達を那覇なはで降ろして小牧こまきに着陸するまでが、我々の任務だ。最後まで気を抜かないように。なんだ、榎本えのもと、なにか言いたげだな」


 珍しく機長らしいことをおっしゃっているわ~などと、感心しながら緋村ひむら三佐を眺めていたら、あからさまに不審げな顔をされてしまった。


「いいえ、なにも言うことなんてありませんよ。ベテラン機長の、最後の大仕事が無事に終わりそうで良かったと思っているだけです」


 ま、いつも往復の飛行ルートの途中で、少なくとも三度は必ず昼寝をさせろとただをこねていたことは、あえて言わないでおいてあげよう。


「復路は三日。小牧で機体が止まるまでは油断禁物だぞ」

「心得ています、機長」


 そこへ航空隊司令の支倉はせくら二佐がやってきたので、全員立ち上がって敬礼をする。


「すみません。出発前のブリーフィングを邪魔するつもりではなかったのですが、あらためて礼を言っておこうと思いましてね。半年間の輸送任務、ご苦労様でした。それと突発的な輸送に関しても、ご協力感謝します。これからも小牧の輸送隊にはお世話になると思いますので、以後もよろしく頼みます」

「心得ております。小牧の司令にもそう伝えておきます。二佐はまだ帰国されないのですか?」


 三佐の質問に、少しだけ残念そうに笑う二佐。


「帰国したいのはやまやまなのですが、あと半年こっちで指揮をとってくれと言われていましてね。私が帰国できるのは、来年の夏ごろになりそうですよ」

「そうなんですか。お疲れ様です」

「いえいえ、私なんて部屋で座っているだけですから」


 二佐は、こっちに着任してすでに一年が経っていた。本来なら長くても半年で交替していくのに、随分と長く留まっていることになる。座っているだけと謙遜けんそんしてはいるけれど、それだけ周囲との折衝をうまくこなせていると判断されて、留め置かれているのだろう。仕事ができるのも考えものかもしれない。


「復路の日程も三日程度でしたか?」

「はい」

「気をつけて帰ってください」

「ありがとうございます」


 こちらの基地に残る整備員達が見送る中、私達の輸送機は、日本に向けて滑走路を離陸した。新たにこっちで輸送任務に就くC-130は、すでにこちらに向かっている途中だ。私達にとっては最初の立ち寄り先になる米軍基地で、すれ違う予定になっている。


「半年間、けっこう色々とありましたよね」

「空を飛ぶ俺達は平和なもんだったが、海の上ではいろいろあったなあ」


 私達の輸送機が、海賊の標的になることは一度もなかった。だけど海上では、民間船団をエスコートしていた海自の護衛艦と米海軍の軍艦が、船団を襲った海賊集団と何度か撃ち合いになっていた。もちろん、装備の関係上あちらに砲弾を撃ち込んだ数は、圧倒的に米海軍の軍艦が多かったのは言うまでもない。


 それでも護衛艦が身をていして、船団と海賊集団の間に割り込んで砲撃から守ったことで、船を所有している企業と国からは随分と感謝されたそうだ。ただし乗組員は無事だったものの、船体には砲撃による穴があいてしまったので補修しなくてはならず、こちらで応急処置をした後に帰国することになり、他の護衛艦と任務を交替することになってしまったけれど。


 私達はあれから、何度か米軍仏軍の依頼で、両軍の人員を別の場所に輸送する任務をおこなった。もちろん上への報告はされているし、報告書にも正式に記載されているので問題はないものの、あれこれという人達もいることなので、私達の口からその話が出ることはないだろう。


「そう言えば冬期休暇は、少し多めにもらえるとか言ってましたよね?」

「この半年間は、ほぼ休みなしで飛び続けたからな。それなりのボーナス手当みたいなものだ」

「なんだか良心が痛みますねえ」

「なんでだ」


 私の言葉に三佐が首をかしげた。


「だってうちのクルー、三ヶ月前にそれぞれ家族と一日一緒にすごせてますから。他のクルーに申し訳ない気がしてきました」

「じゃあ、榎本は休暇を返上するか?」

「御冗談を。もらえるものはしっかりともらっておきます」


 その返答に、三佐がおかしそうに笑う。


「だろ? あれだって、たまたまこっちに嫁達が旅行に来たってだけの話だからな」

「私達が到着する日に偶然に?」


 お互いに「たまたま」でも「偶然」でもなかったことは、よーくわかっていた。


「偶然だ。おまえんちだってたまたま夏休みだったからだろ? 絵日記はちゅら海水族館のジンベイザメだったそうじゃないか」

「ええまあ、そうなんですけどね」


 だけど、今までこの任務についた他のクルーは偶然にも御家族が沖縄旅行に訪れたということはなかったし、やはり良心が少しばかりチクチクしないでもないかな、なんて。


「ま、うらやましかったら、他の連中だってなんとか偶然を作り出すさ。そこまで俺達が心配することじゃない」

「それってもう偶然とは言わないのでは?」

「いや、偶然だろ。なあ?」


 三佐は、後ろの花山はなやま三佐に同意を求めた。


「そうですね、機長が偶然と言えば偶然なんですよ。世の中には、いろいろと不可思議な偶然というものが存在しますから」

「な?」

「なるほど……」

「規則は大事だか、時には臨機応変に対応することも大切だぞ、副機長殿」



+++++



 到着した那覇基地で派遣部隊の帰国式と解散式が行われ、その式典が終わると、隊員達はそれぞれの所属部隊がある駐屯地や基地に向けて帰っていった。私達はそれを見届けてから、小牧基地へと向かう。基地では那覇基地ほどの規模ではないにしろ、出迎えてくれる人達がいるはずだ。


「あー、懐かしいですね、この景色」


 眼下に広がる四国沖の海。こうやって見ると、インド洋とこちらの海ではまったく色が違う。そして懐かしの紀伊きい半島。お久し振りの景色に、やっと戻ってきたんだなと実感する。


「やっぱり海も空も日本が一番だなあ」

「まったくです。離れてみると、あらためて日本の良さがわかりますね」


 そこへ小牧基地の管制塔から通信が入った。


『こちら小牧基地管制塔。お帰りなさいキャメル06。そちらの現在位置を確認しました。名古屋飛行場では民間機が一機、離陸のタキシングを開始中。中部国際空港は離着陸機無し上空オールクリア。本日はランウェイ16からの着陸コースをとってください』

『了解、小牧基地管制塔。ランウェイ16からの着陸コースをとる』


 二年前に開港された中部国際空港に、ほとんどの国際国内便が移動したので、小牧基地のある名古屋飛行場は随分と静かになった。運行されているのは一日に数本の国内ローカル線だけ。だから今、基地に降りる時に気をつけるのは、伊勢いせ湾ですれ違う、中部国際空港に離着陸する民間機のほうが圧倒的に多かった。それも我がナビゲータ執事様のお蔭で、かち合う本数は運行本数を考えると、かなり少ないといっても良い。本当にありがたいことだ。


 紀伊半島上空を抜け、回り込むようにして着陸コースへと入る。眼下にいつもの街並みが広がり、前方に滑走路が見えてきた。


『小牧基地管制塔、こちらキャメル06。このまま着陸する』

『了解、キャメル06』


 高度をどんどん下げていくと、誘導灯の灯りがいっせいに点灯された。小牧基地のお帰りなさいの合図だ。チラリと横に目をやると、三佐もそれに気づいたらしく口元に笑みを浮かべている。


 そしていつもと同じように、C-130輸送機は大した振動も無く滑走路に着陸した。滑走路脇で出迎えている人達が見ている中を、減速しながら滑走路をUターンする。そして出迎えの隊員達の前でピタッと機体は止まった。


「さすがです機長、ピッタリの位置ですよ」

「当たり前だ、俺を誰だと思ってるんだ?」


 フフーンと得意げに笑う。


「こちら小牧基地管制塔。キャメル06の停止を確認。お帰りなさい、緋村三佐」

「おう。留守番ご苦労だった」


 三佐の返事に、ヘッドホンの向こうで笑い声が聞こえた。


「皆もお疲れさんだった。今日はデブリーフィングはせず、このまま帰宅してくれ。谷口も井原いはらも、諸々の作業はこっちの連中に任せておくように。半年間お疲れさん。以上だ」


 そして三佐は、ヘッドホンをはずすとホッと息をはく。


「やれやれ、本当にお疲れさんだったな。榎本も、明日からの冬期休暇をゆっくりとすごしてくれ」

「デブリーフィングは良いとしても、司令への報告はしなくても良いんですか?」

「俺と花山でしておくからお前達は帰って良し」

「良いんですか?」


 振り返ると、花山三佐もうなづいた。きっと、偉い人同士であれこれしなくてはならない話もあるのだろうと察し、ここはありがたく帰宅させてもらうことにした。


 機体から降りると、あちらこちらから飛行隊のクルー達が集まってきていた。その中には山瀬やませ三佐の姿もある。私の姿を見てニコニコしながら歩いてきた。


「お帰り、榎本。お疲れさんだったな」

「山瀬三佐。お出迎えありがとうございます。機長はまだ中でほうけてますよ」

「禁酒していたんだって?」

「そうなんですよ。きっと今夜は自宅で、しっかり晩酌ばんしゃくするぞって考えているはずです」

「三佐らしいな。ああ、すまない、呼び止めて。旦那さんのお迎えだ」


 横からのんびりと歩いてきた雄介ゆうすけさんに気がついた三佐は、じゃあ年明けにと言って、私が出てきた機体の中へと入っていく。きっと緋村三佐に、お帰りなさいを言いにいったんだろう。別の機体に乗るようになってからも、三人の絆は固いみたいだ。ちょっとうらやましいかも。


「お帰り、ちはる」


 そう言って、雄介さんは私の手を握ってからいきなり抱きしめた。


「ちょっと雄介さん、他の人もいるんだから!」

「だからなんだ。久し振りに女房が帰ってきたんだ、抱きしめてなにが悪い」

「いや、だから、悪いとかそういう問題じゃなくて、せっかくそろそろ卒業式の話が消えかけていたのに……」

「それに関してはもうあきらめろ。今や空自の語り草の一つだ」

「ええええ……せっかく、記憶の彼方かなたに消えてくれることを期待していたのにぃ」

「だからあきらめろって。あの時とは違って、キスをしないだけでも偉いとほめてくれよ? それともしてほしいのか?」


 耳元でひそひそと言われて、顔が赤くなるのがわかる。まったくもう……。


「子供達は? 一緒じゃなかったの?」


 ようやく離してもらえたところで、気になっていたことをたずねた。


「ああ。チビ達は自宅でちはるの帰還式をするんだって、各務原かがみはらの御両親を巻き込んで用意の最中だ。このまま帰れるんだろ?」

「うん。機長の御配慮ってやつでね」


 うなずくと、肩に腕が回されてそのまま歩くようにうながされた。


「それで帰還式って?」

「なんでも前の派遣隊の帰還式をニュースで見て、ちはるが帰ってきたらやるんだって、張り切っていたらしい」

「そうだったの。なんだか楽しみ。すぐに帰っても大丈夫?」

「朝から大騒ぎだったからな。御両親がきちんと統率をとってくれているから、そろそろ準備は終わっているはずだ」


 雄介さんの胸のポケットで、短い着信音が鳴った。どうやら携帯にメールが入ったようだ。


「お義父とうさんからだ」


 そう言ってメール画面を見せてくれた。


―― we cleared ――


「準備万端ってことね」

「それとだ。それが終わったら、チビ達を先に各務原に連れて行ってくれるそうだ」

「……え?」


 驚いて雄介さんの顔を見上げると、ニヤリと笑っていた。なんだかその笑みが非常に黒いんですが?


「あの、雄介さん?」

「夫婦で積もる話もあるだろうからって、気をきかせてくれているらしい。まあチビ達は昨日まで、あっちにいたんだしな」

「でも私は子供達とゆっくり話したい」

「それは休みの間にゆっくりできるだろ? 明日の夜から、俺達も各務原に行けば良いんだし」

「朝じゃなくて、夜に行くことが決定事項なの?」

「ちはるが、朝早くから動けるとは思えない」

「それってどういう……?」


 なんだかイヤな予感が。


「これでも俺は譲歩したんだぞ」

「どう譲歩……」

「帰還式は各務原で明日する予定だったんだ。今夜は、ちはると二人だけですごしたかったんだが、可愛い息子達のために泣く泣く譲歩したわけだ」

「それって譲歩って言わないんじゃ……?」

「三ヶ月も我慢していたのにか」

「我慢はお手のものでしょ? 年単位で我慢したんだから」


 私達が出会ってからのことを指摘する。


「あの時は散々待たされたからな。もう待つのは真っ平御免だ」

「大人げない……」

「なんだ、だったらどこかそのへんで隠れて一度しておくか? そうすれば、少しぐらい我慢できるかもしれないぞ?」

「ちょっと!」


 おとなしくしていたら、本当にそのあたりの誰もいない場所に引きずって行かれそうな雰囲気だ。だから慌てて雄介さんの携帯を取り上げて、父親のメールに「無事に到着しました、今から帰ります」と返信した。こうすればさすがの雄介さんも、おとなしくせざるを得ない。


「うちの父親にぶっ飛ばされたくなかったら、おとなしくしてなさい」

「やれやれ」


 溜め息をつく。それから再び、さっきの黒い笑みを浮かべてこっちを見下ろした。


「だったら我慢した分、今夜はしっかりとその埋め合わせをしてもらうからな、覚悟しろよ?」

「……本当に大人げないんだから」

「なんだ、イヤなのか?」

「そんなことないけど……」


 そりゃあ子供達とすごしたいのと同じぐらい、雄介さんと二人っきりですごしたいって気持ちはある。あるにはあるんだけど……。


「頑張れば、二人が欲しがっている妹ちゃんとやらが、早々に来るかもしれないしな」


 その横顔は本気ですね、雄介さん……? 私、明日の夜に各務原の実家に行けるのか心配になってきた……。

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