第八話 離れていても同じ空の下

「なんだか皆さん、お疲れの御様子ですね」


 次の日、出発前のブリーフィングをする部屋に顔を出すと、緋村ひむら三佐以外のお歴々が、コーヒーを片手にまったりとした様子で座っていた。いつもと同じ光景だけど、いつもとちょっと違うと感じるのは、それぞれが心なしか眠そうな顔をしているからかもしれない。


「なんですか。三佐だけならともかく、皆して、私に操縦を押しつけて飛行中に昼寝なんてしたら、許しませんよ?」


 私がそう言うと、井原いはら三佐と谷口たにぐち曹長はちょっと情けない感じで、ヘラッと笑ってみせた。


「それはないけどね」

「だけど俺達は後ろにいるから、寝ていても榎本えのもとにはわからないよな?」

「またそんなこと言って」

「残念だが、それはできないぞ~」


 アクビを噛み殺しながら三佐が部屋に入ってきた。こちらも、睡眠時間がいつも以上に足りていない御様子だ。遅くまで居酒屋で飲んだくれていた次の日でも、しゃきんとして出てくる三佐にしては珍しいこともあるものだと、ちょっと興味深い。


「なんだ?」


 そんな私の視線に気がついたのか、三佐が眉をひそめてこっちを見た。


「いいえ。おはようございます、機長」

「相変わらず榎本は元気だな。旦那を早々に撃沈して御機嫌なのか?」

「撃沈ってなんですか撃沈て。うちは海自じゃなくて空自ですよ。うちの二佐は、元気に子供達と朝ご飯を食べて、私を見送ってくれましたけどそれがなにか?」


 すました顔でそう答えてから、なるほどと合点がてんがいった。つまり、目の前にいる男性陣がそろって眠そうなのは、昨晩はそれぞれの奥様方に、してやられたということらしい。


「ってことは俺達が年寄りってことか……?」


 緋村三佐はガッカリだなあとつぶやくと、よっこらせと椅子に座る。


「それで、後ろの二人がお昼寝できない理由はなんなんですか? 今回は補給物資だけで、人間は乗らないんですよね?」

「その予定だったんだかな。人間が乗らないぶんスペースがあるだろうと、広報の連中を三名と民間のジャーナリスト一名を乗せることになった」

「あらまあ」


 その知らせに、井原三佐と谷口曹長はガッカリした顔になる。二人が、目的地に着くまで本気で昼寝三昧ざんまいを決め込むとは思っていなかったけれど、身内ではない人間と長時間顔を合わせているのは、それなりに窮屈なものなのだ。それが身内ではなく、報道関係者となれば特に。


「ジャーナリストってことは、テレビ局関係ではないということですか?」

「ああ。雑誌を中心に活動しているフリーの記者でな。まあこの手の事情に詳しい人間だから、無茶な取材をして周囲を困らせることもないだろうと、上が許可した」

「もしかして、よく自衛隊や軍関係の写真を撮って雑誌に載せてる、芹沢せりざわさんですか」

「その芹沢さんだ」


 谷口曹長は誰かわかったらしく、これは退屈しなくてすみそうだと喜んでいる。でも、私は誰のことかさっぱりで、首をかしげるばかり。


「榎本のことも取材させてくれと言っているらしいぞ。C-130輸送機の女性パイロットは、まだお前だけだからな」

「そうなんですか? まあこっちの邪魔にならないのであれば、別にかまいませんけど……」

「あっちに向かうまでに、それぞれに話を聞きたいと言っていたから、仕事に支障が出ないようなら時間を取ってやってくれ。さてと、それではブリーフィングを始めよう。いよいよ任務も後半戦だぞ」


 三佐の言葉に全員が了解しましたと返事をし、今日の飛行ルートの打ち合わせに入った。



+++



 私がそのジャーナリスト……芹沢さんとまともに話をしたのは、二つめの中継地に立ち寄った時のことだった。着陸したところで、クルー全員が並んだ写真を撮らせてほしいとのことだったので、機体の前で全員が並んで写真を撮り、その後に声をかけられたのだ。


「榎本一尉、ブリーフィングがあるのはわかっていますが、少しだけお話を聞かせていただいてもよろしいですか?」


 その問いかけに、おうかがいを立てるように三佐に視線を向けると、三佐は黙ってうなづいた。


「機長の了解が取れましたので、かまいませんよ」

「ありがとうございます。では貨物室の座席で」

「あら、そんな場所で良いんですか? ここの食堂なら使っても良いって、米軍から許可が出ていますよ?」

「そうなんですが、行くとあれこれ食べたくなるじゃないですか。食べたらほら、なんて言うか出したくなるでしょ?」

「……ああ、なるほど」


 つまりはC-130のおトイレ事情ってやつだ。


「谷口曹長にも言われてるんですよ。小さいほうはかまいませんが、大きいほうはしないほうがお互いのためだろうって。ですから立ち寄るだけの場所では、できるだけ飲み食いしないようにしてるんです。もちろん、朝昼晩の食事はきちんと食べてますけどね」

「これだけ積載量があるんだから、トイレのスペースをもう少しとってくれても良いのにって、思いますよね」

「以前に取材した海自の隊員さんも、同じことを言ってましたよ。このトイレ事情だけはいただけないって」


 笑いながら貨物室の空いた座席に落ち着くと、芹沢さんは、荷物の中からテープレコーダーを取り出して、私に録音しても?と確認をしてきた。これは広報からも事前に聞いていたことなので、承諾する。


「録音については堅苦しくはかまえないでくださいね。僕が日本に戻るまで、取材した内容を忘れてしまわないように、あれこれメモ代わりに録音しているだけなので」

「ちなみにあれこれって、どんなことを録音しているんですか?」

「変わったところでは、昼飯のメニューの感想でまずいとか甘いとかそんな感じです。写真も撮っているので、紙面に余裕があったら、穴埋め程度に載せることもあるので。まあ雑記帳代わりですね」


 そう言って「二ヶ所目の米軍基地で、コーパイの榎本一尉さんとお話をしました」と自分の声を吹き込む。 


 芹沢さんは、私が想像していたよりもずっと普通の人だった。もっと色黒でマッチョなザ・戦場カメラマンみたいな人だと思っていましたと感想をのべたら、よく言われますと人なつっこい顔で笑う。


 そこからは定番な感じの質問を受けた。どうしてパイロットを志したのかとか、男社会の自衛隊で女性パイロットは珍しいけど、苦労したことはあるか、とか。山あり谷ありで、もっと苦労していたのなら少しは聞きごたえのある話だったんだろうけど、あいにくと私はそこまで苦労した記憶がない。


「ごめんなさいね。聞いていても普通すぎて、あまり面白くないでしょ?」

「そんなことないですよ。皆さん誰もがそんなに苦労してないとおっしゃるんですが、訓練がどれぐらい厳しいかは僕も取材して知っていますし、派遣任務だって、どれほど過酷なものが多いかも見てきていますから」

「私、恥ずかしながら芹沢さんが、どんな記事を書いていらっしゃるのか存じあげないんですけれど、海外派遣の時はもれなく取材を?」


 少し興味があるので質問をしてみた。


「僕はあくまでも民間人ですから、あまり危険ではない地域に限られていますけどね。中東の時も、派遣が終了する間際に行かせもらいました。あ、その時の記事が載っている雑誌は残っているので、もし良ければ送らせていただきますよ」

「あら、でもそんなことしてもらうのは悪いんじゃないかしら」

「いえいえ。こうやって時間を取ってもらったお礼です。ああ、もちろんこのお礼のことは、オフレコです」


 わざとらしくマイクに向かって声をあげるので、思わず笑ってしまった。


「それで話は戻りますけど、半年の海外派遣任務ということですが、お子さんと離れ離れになるのは寂しくないですか?」


 それは誰もが気になるところよね。


「そりゃ寂しいですよ。子供達もまだ小さいですし、本人達は私よりもずっと寂しい思いをしていると思いますよ。ですけど、私たち夫婦のそれぞれの両親がバックアップしてくれていますし、主人の協力もありますから」


 模範的な解答と言われるかもしれないけど、我が家は事実そうやってきたのだから、それしか言いようがなかった。


「普段は単身赴任で関東にいる主人も、私がこっちに来ている間は、可能な限り戻ってきてくれているそうです。そして子供達に、同じ空でつながっているのだから離れた場所にいても家族は一緒なんだぞって、話して聞かせているんですって」 

「離れていても同じ空の下ってことですか」


 芹沢さんは、私の言葉に興味深げな顔をする。


「ええ。もちろん遠距離なのはどうしようもないですし、国内ならともかく今は海外ですから、電話で話すことなんてめったにできませんけどね。ですけど、少なくとも私たち家族は、同じ空でつながっているから寂しがる必要はないんだぞって、言い聞かせてくれているみたいで」

「それでお子さん達は納得しているんですか?」

「私よりも主人のほう口がうまいので、今のところはなんとか」


 そのうちその父親譲りの達者な口で、主人を言い負かす日が来るかもしれませんねとつけ加えたら、芹沢さんはおかしそうに笑った。


「旦那さんも自衛官で、元戦闘機のパイロットさんでしたね。実にパイロットらしいお言葉です」

「私の一番の理解者ですからね。本当に感謝しています」


 ま、たまに暴君になってとんでもないことをしでかしてくれるけど、それは芹沢さんには関係ないことだから、黙っていても問題はないわよね?



+++++



『離れていても同じ空の下 家族と離れて海外派遣任務にはげむ空自パイロット達』



 一ヶ月後、私達の元に届けられた雑誌に、そんな見出しをつけて芹沢さんは記事を書いていた。その手の特集がよくされる雑誌らしく、インタビューだけでなく機体の写真や、立ち寄った先で米軍の許可をもらって撮った戦闘機や軍艦の写真など、様々なカラー写真も掲載されている。中には私達が出向いたことがないような場所の写真まであった。


「一体これだけの写真を、いつの間に撮ってきたんでしょうね、芹沢さん。そんなにあちこちに行きまくっていた時間なんて、ありましたっけ?」

「彼はこの分野ではそれなりに有名な人間だからな。独自の伝手つてもあるだろうから、意外と簡単だったんじゃないか?」

「へえ、もしかしたら私達より、情報通じょうほうつうだったりして」

「かもなあ」


 私達が話したことや芹沢さん自身が取材したことに関しては、白黒ページに載っている。広報でも検閲ってほどの大袈裟おおげさなものではないものの、事前に目を通したらしく、担当官からはそれほど突飛とっぴな記事にはなっていなかったとの話だった。私が読んだ限りでは、写真は若干、ミリオタ愛に溢れすぎる感じがしないでもないけれど、記事に関しては随分と真面目に書いていると感じられた。


 まあ米軍関係の写真もあるってことは、防衛省だけではなく国防総省も事前に目を通しているということだ。ジャーナリスト魂がムズムズしても、今後のことを考えれば、さすがに大それた冒険はしないだろう。


「榎本のことを随分とほめてるじゃないか。401飛行隊のおっかさんだと」


 三佐がそのあたりを読みながら、ニヤニヤしている。


「美化しすぎですよ」

「好意的に書いてもらうぶんには良いんじゃないのか? 読んでみたが、左右どちらか極端にかたよったものでもないし、今回は政治的な記事というよりも、隊員目線からの記事として書かれているからな。しかし、ここでもトイレが不評か」


 そうなのだ。芹沢さんは余談ではあるけれどという内容で、C-130のトイレ事情をしっかりと書いていた。今後も私のような女性隊員が増えていくのだろうから、せめてカーテンではなく壁にしてあげてほしいものだと締め括っていた。


「よくぞ書いてくれましたって拍手喝采はくしゅかっさいですよ、きっと。でも……」


 トイレの写真をながめながら少し考えてしまう。


「ん?」

「そのトイレと同列で、余談に入れられちゃった米海軍の青いケーキが気の毒ですよね……」


 そう言いながら、その横に掲載されていた青いケーキの写真を指でさす。


「どちらも、一般人には理解できない存在だってことだな」


 そして芹沢さんは約束通り、中東などを取材した時のバックナンバーを、小牧こまき基地の私宛に送ってくれているとのことだった。残念ながらそれに目を通すことができるのは、二ヶ月ほど先になる予定だ。

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