第五話 たまにはタナボタ休暇もあります

「…………」

「おい、榎本えのもと。離陸二十四時間前までなら飲酒は問題ないんだから、そんなににらむな。落ち着かないだろー」

「にらんでませんよ。そう感じるのは、三佐にやましい気持ちがあるからです」

「そんなことあるか。俺にやましい気持ちなんて、一ミクロンも感じてないぞ」


 私の隣で呑気にお酒を飲んでいるのは、緋村ひむら三佐とお歴々。私が呆れた顔をしているのに気がついたのか、顔をしかめてこっちに目を向けた。ちなみに私は、以前ここに来た時に飲んだオレンジジュースが甘すぎて頭が痛くなったので、今夜は万国共通の味であろうコーラを飲んでいる。


「なにが二十四時間前なら問題ないですか。本当なら、すでに二十四時間前切ってる時間でしょう」


 そう言いながらわざとらしく、三佐の腕を引き寄せて腕時計をのぞき込んだ。


「だが、俺達の六番機の御機嫌が悪いんだから、しかたがないだろうが。部品が届くのは明日の昼ごろなんだろ? それから部品を交換して再点検をして、明後日あさっての早朝に出発。支倉はせくら司令だって、それまでは臨時の休暇だと思ってゆっくりしてくれと、言っていたじゃないか。だから」


 今度は三佐が私の手首をつかんで、そこにある腕時計をのぞき込む。


「少なくとも日付が変わって朝になるまでは、隊規的にも飲酒して大丈夫なんだぞ~」

「朝まで飲む気ですか」

「たとえばの話だたとえばの。俺だってうわばみじゃないんだから」


 ここに初めて着陸してから三ヶ月。私達は、ここと那覇なは基地を一週間ほどかけて、ほぼ休みなしの状況で往復していた。その間に一度だけ、アフリカの別の地域に某国の人員を運ぶ任務もあったけれど、それは公にはされることのない任務なので省略する。


 もちろん、休みがまったくないというわけではない。那覇基地に戻れば、補給品の用意と機体整備の名目で、二十四時間の休暇が与えられる。ただし小牧こまきに戻ることはできず、現場待機という状態で那覇基地に留め置かれるので〝ほぼ〟休みなしという状態なのだ。


 そんな中、連日の長距離飛行のせいか、六番機のエンジンに不調が現れた。さすがのC-130輸送機も、これだけ長距離飛行が続くと、通常の整備点検だけでは追いつかなくなったらしい。こちらで点検をしてもらった結果、いくつかの部品の交換が必要ということになった。到着して無事に荷物を降ろしてからだったのが、不幸中の幸いというところだろうか。


 そして、エンジンの部品を急遽きゅうきょ取り寄せることになったので、今はその部品待ちというわけだ。今頃は、C-130の修理を請け負っている民間企業から部品を受け取ったアメリカ軍の輸送機が、こちらに向かって飛んでいるはずで、私達はそれまでは現場待機の状態。


 三佐はタナボタ休暇を喜んでいるみたいだけれど、これはあくまでも休暇ではなく正真正銘しょうしんしょうめいの待機であって、それなりにすることもあった。だけど三佐の様子からして、そのへんのことはアルコールのせいで、すっかり頭の中から洗い流されてしまっているみたいだ。


 とにかくそんなわけで、突然の休暇に我が六番機クルーは、れいのアメリカ軍の娯楽施設で、羽をのばしている最中なのだ。


「まったくもう。だからって飲みすぎですよ、機長」

「そんなことあるか。あっちの軍曹殿の方がよっぽど飲んでるだろ」


 三佐がそう言いながらグラスでさしたのは、カウンター席のはしっこに座っているアメリカ海兵隊の軍曹殿達。まあ確かに、かなりの量を飲んでいるように見える。


「だけどあの人は、三佐みたいに酔っ払ってませんよ。三佐は明らかに飲みすぎて酔っ払ってます。そろそろやめないと、足元が怪しくなっちゃいますよ」

「なんでだ。まだ宵の口じゃないか」


 時刻的には宵の口ではあったけれど、問題はそこじゃなくて三佐が飲んでいる量だ。本人は、こんなの飲んでいるうちに入らないと言い張っているけれど、そんなことはない。これ以上飲んで大虎に変身したら、それこそ空自の沽券こけんに関わるというのに、三佐はまったく気にしていない様子なんだから。


「ここは小牧の居酒屋じゃないんですからね」

「んなこたあ、わかってるよ」


 どうだか。非常に怪しい。


花山はなやま三佐、機長のことは心配ですけれど、私はそろそろ宿舎に戻ってもよろしいですか?」

「ああ。三佐のことは俺達で面倒を見るから気にしなくても良い。谷口たにぐち、榎本を宿舎まで送ってやってくれ。さすがに女性一人ではまずかろう」

「大丈夫ですよ。うちの宿舎はすぐ隣で、敷地の外に出ることはありませんし、私だって制服のままなんですから。私としては、全員が機長のそばにいてくれるほうが安心です」


 椅子から立ち上がりかけた谷口曹長を制止する。真面目な話、私は、クルー全員が緋村三佐にはりついていないと安心できない。


「大丈夫なのか」

「大丈夫です。他の隊員達の話を聞いていても、基地内でなにかトラブルがあったという話もありませんから。じゃあ、後のことはよろしくお願いします。三佐、明日、二日酔いになっていたら指さして笑いますからね」


 ムダだとは思いつつ、三佐に釘を刺しておく。


「まったく。母親になってから容赦がないな、榎本副機長」

「子供達は可愛いですけど、ノンベエのお年寄りは可愛くないですよ。花山三佐達にも、面倒をかけないようにしてくださいね」


 不満げにブツブツと言っている三佐を残してバーを出た。


 まだ夜の十時前とあって、娯楽施設の周りではワイワイとにぎやかに話をしている、兵士達の姿があちらこちらに見える。ここは、海の上では海賊が出没してそこそこ物騒なことになっているけれど、陸地のほうはそれなりに平和だ。


 そして相変わらず暑い。お日様が沈んでかなり経つというのに、地面からはムッとした熱気が上がっている。


「お疲れ様です、一尉」


 向こうから歩いてきた陸自の曹長二人が、すれ違いざまに声をかけてきた。米軍の娯楽施設に出入りできるのは私達だけじゃないようで、こんなふうに宿舎に戻る途中で、他の自衛隊員達とすれ違うことも珍しくない。彼等とも何回か顔を合わせていた。


「そちらこそお疲れ様です。これからの飲みにいかれるんですか?」

「はい。明日が休暇なので」

「そうなんですか。飲みすぎないようにしてくださいね。うちの機長がすでにそんな感じなので」

「心得ています。そちらの機長さんはまだ?」

「明日が休暇あつかいになったから、カウンター席で御機嫌になってました。もし騒ぐようなら、担いで連れ出してくれると嬉しいかな」


 見た感じがっしりしていて力仕事が得意そうな人達だから、万が一の時のために頼んでおくことにした。何事にも保険をかけておくことは大事だものね。


「わかりました。気にかけておきます」

「お願いします」



『ぐえっ』

「ん?」



 その隊員とすれ違ってしばらく歩いたところで、後ろから変な声が聞こえた。立ち止まって振り返ると、米軍の兵士らしい男性が二人引っ繰り返っていて、さっきの彼等に加えて四人の陸自隊員が彼等を助け起こしている。どうやら、休みになると気が緩んで飲みすぎてしまうのは、日本もアメリカも同じらしい。


「大丈夫?」


 手助けが必要かと声をかけると、四人はこっちを見て笑いながら首に縦に振った。


「酔っ払っていて足がもつれて転んだようです。大丈夫です、自分達がきちんと付き添って、この人達の宿舎に送り届けますから。一尉は御心配なく」

「そう? なら良いんだけれど気をつけてね。そろそろ酔っ払った人が増えてくる時間だから」

「わかっています。お休みなさい」


 酔っ払いさん達をそれぞれ両脇から抱え込むようにして立たせると、彼等は私に手を振りながらバーの方へと歩いていった。自分のところの人間だけじゃなく米軍の酔っ払いさんの面倒までみるなんて、うちの隊員達って、本当に面倒見の良い人が多いわよねと感心してしまう。


 宿舎に戻るとホッと息をついた。見た目はプレハブでも、断熱効果もそこそこあってエアコン完備にトイレシャワー付きとあって、今のところ隊員達からはクレームはきていないそうだ。制服を脱いでハンガーにかけると、シャワーを浴びて早々に休むことにする。


「日本は今頃は夕方かあ。おチビさん達、ちゃんと良い子にしてるかな……」


 那覇基地に到着して時間があれば、こちらの無事を知らせることも兼ねて、実家に連絡を入れるようにしていた。だから、子供達の近況はそれなりに把握できている。たしか今週は夏休みを利用して、小松こまつのお義姉ねえさん達のところに遊びに行くと言っていたっけ。イトコ同士が集まって、大変なことになっていなければ良いんだけれど。任務が終わったら、あらためて御両親のもとにお礼に出向かなければ。


「そう言えばお義父とうさん、本堂の雑巾がけさせるとか言ってたわよね」


 雄介さんの実家はお寺だ。広い本堂があって、夏休みなどの長いお休みの時は、毎朝お義姉ねえさん達のお子さん達は、本堂の雑巾がけをするようにお爺ちゃんに言われているんだとか。それは遊びに行った悠太ゆうた颯太そうたも同じあつかいで、遊びに行くと、四人の男の子達が毎朝わいわい言いながら雑巾がけにいそしんでいるのが、いつもの小松の家の風景だった。きっと今日も朝から仲良く本堂で、バタバタと雑巾がけをしていたに違いない。


「あと三ヶ月かあ……」


 出発した時はまだ温かい季節だった。小牧に戻る頃にはすでに十一月。あっという間に、クリスマスとお正月がやってくる。


「今年のクリスマスは、お留守番をしてくれていたお礼も兼ねて、盛大にしなくちゃね」


 雄介ゆうすけさんにも話をして、どうにか帰ってきてもらえるようにしておこう。そんなことを考えながら眠りについた。



+++++



 次の日、緋村三佐は二日酔いにはなっていなかったけれど、なにやら浮かない顔をしていた。


「おはようございます。どうしたんですか、機長」


 いつもなら、お酒も飲めて休暇だから御機嫌なはずなのに、そうは見えないので谷口曹長にこそっと聞いてみる。


「ん? いやね、昨日あれから陸自の二佐がやってきてさ。俺達のこと追い払って、二人だけでヒソヒソと話してたんだよ。それからずっとあんな感じ」

「もしかして、陸自からなにかクレームでも?」

「それはないと思う。そういう話だったら俺達の耳にも入ってくるだろうし、荷物に関しても破損は出ていないからね」

「そうなんですか。謎ですね……なにがあったんでしょう」


 陸自の二佐ってことは、現場の責任者クラスの人ってことだ。一体どんな話をしたのだろう。


「俺はこの任務が終わるまでは禁酒する」


 いきなりの言葉に全員が目を丸くした。


「はい? 急にどうしたんですか」

「禁酒だ禁酒。せっかく米軍さんからフリーパスをもらったが、やっぱりやめておく」


 三佐の宣言に全員で顔を見合わせる。


「……もしかしてお腹でも痛くなったんですか?」

「胃が痛いとか?」

「二日酔いが怖いとか?」

「それって、私に指さして笑われるのが怖いってことですか?」

「あ、飲みすぎだと米軍からクレームが来たからとか? ジャパニーズウワバミとか言われてたりして。うちの酒を飲み尽くすつもりか?!とか」

「それが一番可能性としては高いかも!」


 私達があれこれと可能性をあげはじめると、三佐は思いっきり顔をしかめた。


「お前達、ほんとーに失礼だな。もう少し機長の俺に敬意をはらえよ」

「十分にはらっていますが」

「ええ、十分すぎるほど」

「ですよねー」

「まちがいなく」

「…………」


 それは本当に。私達は、401飛行隊の中で一番機長に対して敬意を払っているクルーであると、自信をもって言える。


「ま、それはともかく禁酒は良いことですよ、ええ。三佐の肝臓のためにも」

「本当に敬意を払ってるのか?」

「もちろんですよ。ねえ?」


 私の問い掛けに、緋村三佐以外のクルーが真面目な顔をしてうなづいた。


 結局どうして三佐がそういう心境に至ったのか、それから三佐と陸自の二佐がなにを話していたのかは、アメリカ軍が空輸してくれた部品が予定よりも早く届いたことで、そのままうやむやになってしまった。




 そして次の日の早朝、私達は任期を終えた陸自海自の隊員達と在日米軍の海兵隊員を乗せて、一日遅れの日程で日本に向けて飛び立ったのだ。

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