第四話 異国の地は暑かった

 私はただいま低湿度の暑さを大いに満喫中。ただし、暑いのが平気と言っているわけじゃない。


「補給物品に、飲み終わる前に腐るんじゃないかってぐらい、大量のスポーツ飲料が積み込まれるのが、どうしてかやっとわかりました」

「だろ?」


 隊員達と最初の荷物をおろし終わり、機外に出たところでそんな言葉が口から飛び出した。事前に現地のことは聞いていたけど、見ると聞くとでは大違いだ。とにかく空気が暑いというか熱い。立っているだけで、体の中の水分が抜けていくのが分かる。


 外に出て十秒もしないうちにウンザリした顔になった私に気がついたのか、緋村ひむら三佐がこっちを見て笑った。


「なんてざまなんだ、榎本えのもと。ここは海からの風が吹くから、まだましな環境だぞ? 中東の時なんて、内陸部のなにもない平地では、気温が五十度なんて日がざらだったんだからな」

「五十度なんて想像がつきません」

「こっちでは、体が暑さに慣れないうちは、常時水を持ち歩いて熱中症に気をつけろ。自分の体調の異変に気づく前に脱水症状をおこして倒れるからな」


 三佐はそう言いながら私の手に、自分が予備で持っていたスポーツ飲料のペットボトルを押しつけてきた。


「歩きながら飲んだら、お行儀が悪いって言われませんか?」

「そんなことを言ってられる天候じゃないのは、誰もが百も承知だ。偉いさんと報道関係者に会う時以外は、気にするな。いや、報道関係者に会う時も気にするな。派遣任務地で体調を崩したら話にならん」


 それはたしかに言えることだ。


「そういえば、緋村三佐は中東にも行ってたんでしたっけ」

「だから、経験者の言葉は素直に聞いておけよ。さ、覚悟は良いか、行くぞ」


 そう言いながら、基地の建物に向けて歩き出す。輸送機の翼の下にできていた影から出ると、一気に頭がチリチリしだした。


「三佐、帽子がまったく役立ってませんよ、これ。ずっとこんな調子ですごしたら、頭が蒸れてはげちゃいますよ」

「はげ? 俺ははげてないぞ、失礼な」

「はげてるとは言ってないじゃないですか。はげちゃいますって言ってるんです」


 宿舎になっている場所、お風呂はあきらめているけど、ちゃんとしたシャワー設備があると良いんだけどな……。


「地面で玉子焼きが作れそうですね。下手したら靴底が溶けちゃったりして」


 そう言ってから心配になって、思わず足を持ち上げて靴の底を確かめる。


「中東も、ボンネットの上で焼き肉パーティができるだろっていうぐらいの、暑さだったからな。あの時はよくもまあ、体調を崩さなかったもんだと、自分でも感心している」

「もしかして、三佐この暑さが平気とか?」

「そんなことあるか。暑いに決まってる。早く建物に駆け込みたいが走ったら暑いだろ? だから、我慢しながら歩いてるってわけだ。年をとったから走れないってわけじゃないぞ?」

「だから、そんなこと言ってないじゃないですか」


 私が今まで行ったことがあるのは、アジアの周辺諸国がほとんどだ。あとは合同演習で太平洋上のどこか。とにかく今まで行ったところは、湿度が十分すぎるほどある国ばかりだった。こんなカラッカラの地域は生まれて初めてだ。


「だがまあ、俺達はまだ恵まれているほうだよなあ。なにせここにとどまっている時間は、他の隊員達より短いんだから」


 そうだった。私達の任務はあくまでも輸送業務。つまり、ひたすらここと那覇なはとの間を、荷物や人を乗せて飛び続けること。だからとどまるにしても長くて二十四時間程度で、その時間さえなんとかしのげば、再びそこそこすごしやすいアジア圏に戻ることができる。そう考えれば、半年間ここに滞在する隊員達に比べればずっと楽かもしれない。


 司令部として使われている建物に入ると、そこそこ冷房がきいていてホッと一息ついた。少なくとも、司令部と隊員達の宿舎は、冷房が完備されているのがわかって一安心だ。私達が着任の報告をするのは、ここで航空隊の司令官をつとめる海上自衛隊の支倉はせくら二等海佐。主に、海上をパトロールする哨戒飛行隊とその整備部隊をたばねていて、輸送業務を受け持つ私達も、ここにいる間は支倉二佐の指揮下に入ることになる。


小牧こまき基地第401飛行隊、緋村三等空佐以下五名、本日より輸送業務の任につきます」

「航空隊司令の支倉です。前任の山瀬やませ三佐には、色々とお世話になりました。その件に関しては、三佐のほうからなにか聞かれていますか?」


 緋村三佐より一つ階級が上なのに、低姿勢で物腰の柔らかい人だった。もしかしたら、年齢も三佐よりずっと若いかもしれない。


「いえ。特にこれと言ってなにも」


 三佐の言葉を聞いて、支倉二佐はかすかに驚いた顔をしてみせた。


「そうですか。随分と無理を聞いてもらったので、申し訳なかったと思っているのですよ」

「ここは日本から離れています。山瀬は、何事も非常時における通常任務の範疇はんちゅうだと判断したのでしょう。こちらにいる間、我々は二佐の指示に従うように言われています。山瀬三佐の時と同様に、なにかありましたら遠慮なくおっしゃってください」

「そう言ってもらえると助かります。護衛艦はたくさんの人間を乗せることはできても、航空機に比べればどうしても足が遅く、緊急の輸送には向いていないのでね。もちろんこちらにいる間は、C-130輸送機の整備もきちんと責任をもって、うちの人間にさせるので安心してください」



+++



「三佐どういうことですか? さっきの」

「ん?」


 司令官の執務室から出ると、三佐に質問をする。


「ですから、山瀬三佐には無理を聞いてもらったって、支倉二佐がおっしゃっていたでしょ?」


 三佐は、ああそのことかとうなづいた。


「まあそうだな。この場合はおそらく、想定外の行き先ができて、飛ぶ距離が増えるというやつか。うちもだが、お隣の米軍もフランス軍も、限られた人員をやりくりして、ここに人間を送り込んでいる。困った時はお互い様ってやつだな」

「つまり、急遽きゅうきょまったく関係ない場所に飛んでくれって、話になることもあるってことですか? そのう、米軍やフランス軍の人達を乗せて……」

「そういうことだ。中東の時もそうだったが、報道されていることがすべてじゃないのは分かっているだろ? こういう時の判断は、現場の司令官の裁量に任される。支倉二佐は、臨機応変に御近所づきあいをしているってことだな」


 防大出のわりには頭が柔らかい人だよなと、ひとしきり感心している。三佐の言葉になるほどとうなづきながらも、お役所仕事的な人間が多い上のことを考えて、少しだけ心配になった。


「勝手なことをして、後から叱責しっせきを受けないんでしょうか? ああ、私達がじゃなくて支倉二佐のことですよ?」

「そりゃまあ、面白く思わない頭のかたい連中は万国共通どこにでもいるだろう。だが、こういう時の軍属同士の結束力の強さもまた、万国共通でだな。上に話が伝わる前に、きちんと迅速に根回しをするのが常だ。相手にこれでもかというぐらい感謝されたら、上も文句を言えないし処分もできないだろ? それこそ同盟関係にヒビが入るかもしれないんだから」


 そう言って、三佐は意地悪い笑みを浮かべる。


「……」

「なんだ、そのなにか言いたげな顔は。すぐそこに自分ちがある場所とは違うんだ、色々あるんだよ。燃料を融通し合ったり補給物資を融通し合ったり。もちろん武器弾薬に関しては協定通りにしなきゃならんから、勝手なことはできないが、それ以外は、案外とお互いに融通をつけ合って成り立っているものなんだぞ、こういう任務ってやつは」

「それはわかってますけどね」

「お前だって、たくさん飛べるのは嬉しいだろうが」

「でも、うちのほうからなにか頼むって、あんまりなさそうじゃないですか」


 もちろん損得勘定そんとくかんじょうじゃないのはわかっている。だけど、一方的に協力するのもなんだかなって思うのは、まだまだ私が大人になりきれていないってことなんだろうか。……もう私だって、三十代で立派な大人なはずなんだけど。

 

「たしかに、うちはなんでもかんでも自己完結したがるからな。でもだな、多少は融通をきかせてもらっているものがあるんだぞ」

「どのへんで?」


 三佐がニッと笑った。


「アメリカ軍の娯楽施設の使用権とかな。あっちの基地内にあるバーなんだが、うちの連中も、なぜか出入りが許可されている。もちろん身分証明は必要になるんだが。すごいらしいぞ、色んな酒が飲めるし、そこそこ遊べるそうだ。こういう施設はうちでは絶対に用意しないだろ? だから、ここにいる若い連中にとってはありがたいことだよな」


 嬉しそうな顔をしているところを見ると、三佐も行ってみたくてうずうずしているらしい。だけど、あいにくと私達は、明日の昼にはここを離陸しなくてはならない。つまりは飲酒をしてはいけないのだ。三佐は都合よく忘れているみたいだけど。


「言っときますけど、二日酔いの機長なんて私はイヤですからね」

「なんだよ、顔を出すぐらい良いじゃないか。雰囲気を楽しむ程度なら問題ないだろ」

「なにが顔を出すぐらいですか。行ったら絶対に飲みたくなるに決まってるんです。いやいや、三佐のことです、顔を出すだけで終わるわけがないじゃないですか、絶対に飲むに決まってる」


 三佐は反論しかけたけど、先回りして断言する。雄介ゆうすけさんが大怪我をする前に、三佐がものすごいノンベエだってわかってからこっち、本当にその点でだけは、油断がならない人だと思い知らされた。


 もちろん酔っ払ったまま操縦桿を握ることはしないし、二日酔いでグデングデンになりながらも、コックピットに押し込まれた某戦闘機のパイロットみたいなことだって一度もない。だけど、明らかに遅くまで飲んでいましたね?というボーダーラインすれすれなことは、この十年の間に何度かあった。だから今回も油断はできない。


「任務中の機長には絶対に酒を飲まさない、これが私のモットーです」

「なんでだー……そんなことを言ったら、一年のほとんどが飲めないじゃないか」

「少なくともこの半年間は禁酒ですよ、国内の定期便とは事情が違いすぎるじゃないですか」

「榎本ぉ、本気で言ってるのかー? せっかくアメリカ軍のバーに大手を振っていけるんだぞー?」

「そんな悲しそうな顔をしても、ダメなものはダメです。その手の顔には、子供達のおねだり攻撃で免疫ができてますから、山瀬三佐と違って私には通じませんよ。子供のおねだりならともかく、三佐みたいなオジサンにおねだりされても、気持ち悪いだけじゃないですか」

「母親になってからますますおっかなくなったなあ、まったく……」


 ブツブツいっているけど、聞こえないふりをする。とにかくダメなものはダメなのだ。そこへ花山はなやま三佐達がやってきた。


「機長、米軍の事務局で身分証明代わりのVIPカードをもらってきましたよ。これでこっちにいる間はフリーパスです……どうしました?」


 緋村三佐の渋い顔に気がついた花山三佐が、首をかしげた。


「うちの副機長から禁酒命令が出たんだがな」

「榎本のぶんもあるから心配ないぞ」

「そういう問題じゃなくて。それ、没収です。なんでフリーパスなんて都合のいいものがあるんですか。いくら花山三佐でもやりすぎ」


 ええええ?!と、谷口たにぐち曹長と井原いはら三佐の絶望的な声が廊下に響き渡った。



 ……ただね、このぐらいで大人しく引き下がるような人達だったら、私だってここまで厳しく言わないし、苦労しないのよね……。

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