第六話 束の間の家族との時間

「ところで榎本えのもと一尉」


 最後の立ち寄り先を離陸して三十分ほどしてから、緋村ひむら三佐がポツリとつぶやいた。


「なんですか、あらたまって」


 こんなふうに呼ばれることは、偉い人達の前以外では滅多めったにないので、なんだかお尻がムズムズする。


「お前、俺が退官したら、KC-767への機種転換課程を受けるつもりでいるって話をしていただろ?」

「はい」

「あれ、五年ほど待ってもらえんか」

「はい?」


 いきなりのことに驚いて、思わず三佐の横顔を見た。その顔からして、冗談で言っているわけではなさそうだ。


「どういうことですか?」

「KCも同じ小牧こまき基地所属の機体だから、上は気にせずにGOサインを出しているが、空自うちの輸送の主力は当分の間はC-1とC-130だ。ここで、401飛行隊からベテランがごっそり抜けるのは避けたい事態でな」

「そう言えば、同じ年度内に三佐の他に機長クラス三人が退官でしたっけ」


 だからと言って、残るパイロット達になにか問題があるというわけではない。それぞれが今の機長達について厳しい訓練をし、鍛錬している腕利きのパイロット達なのだから。


「うむ。少なくとも五年あれば、今のコーパイ達がパイロットとして成熟するのと、何人かはヒヨコがやってくる。五年後だと、今KCの一番機を飛ばしている佐久間さくまが退官一年前だ。あいつの下で、課程を受けてしばらく一緒に飛べば、そのまま一番機機長へ引継がスムーズにいくんだが」

「五年後、ですか?」


 頭の中でカレンダーを思い浮かべた。


「五年後お前はいくつになる? 四十そこそこだろ? 輸送機パイロットとしてなら、まだ問題なく飛べる年だ。それに俺としては、あっちに行く前にお前にも、何人かこっちでヒヨコを育ててもらいたいんだがな」

「私が教官をするんですか?」

「できないことはないだろ。今までだって、俺が訓練生を乗せて飛ぶのを横で見てきたんだ。それに教えることでしか、わからないこともあるからな」


 この十年の間に、三佐の元には何人かの訓練生がやってきて、私もコーパイとして彼等の訓練課程を横で見てきた。だけど、自分が教官になって誰かに教えるなんてピンとこない。


「下の過程で訓練中のヒヨコの中に、C-130パイロット志望の女子もいるっていうじゃないか。その子がここに来るまで待っててやっても良いんじゃないか? 自分の後継者を育てて、巣立ちを見届けてやるのも悪くはないと思うんだがな」

「ああ、いましたね。たしか今は、初期訓練課程にいるんじゃなかったかな」


 ふむと考える。KC-767のパイロットになりたいというのは、さらに大きな機体を飛ばしてみたいという気持ちからで、なにがなんでもという出世欲みたいなものからではなかった。ただ機種転換課程の訓練を受けるなら、それなりに若いうちのほうが良いかなと思って、転換課程に志願したのだ。


 それになんと言っても、この六番機には愛着があるし特に残ることに異論はない。


「待つのはかまいませんけど、一つ条件が」

「なんだ?」

「どうしていきなり、禁酒宣言なんてしたんですか?」


 私の問いに、三佐はギョッとした顔をした。その顔を見て、思わずと変な笑いがこみ上げる。


「忘れていると思ったでしょ? あんな不可解なタイミングでの禁酒宣言を、私がうやむやにするとでも思ってました?」

「……あー、うやむやにしたいとは思ってないが……」


 三佐は、後ろにいる花山はなやま三佐に助けを求めるような視線を向けたけれど、綺麗さっぱり無視された。


「直前に、陸自の二佐と話したことが原因なんですか?」

「お前、それを五年待つ条件にするのか? 酷いヤツだな」


 本当に酷いヤツと思っているわけではないのは、その横顔を見れば分かった。それぐらいわかる程度には、長い付き合いなのだ。


「別に私は、三佐の希望を聞き入れなくてもかまわないんですよ、だって上からはすでに、GOサインはもらっているんですから」


 まあこれも本気の脅しではないのは、お互いにわかっている。


「まったくなあ。なんでこんなおっかないカーチャンに、育っちまったのやら」

「そりゃあ、機長の教育の賜物たまものです。いつもありがとうございます」

「つまりは俺のせいだと」

「まあそんなところですね」


 三佐は、やれやれ俺はとんでもないのを育てたか?と笑った。


「つまりだなあ……あの二佐に言われたんだよ、部下の女性隊員をほったらかして飲みほうけているのは、機長としてほめられたもんじゃないと。部下になにかあったらどうするつもりなんだとな」

「でも特になにも起きてませんよ」


 周辺の治安はともかくとして、基地内はたまに酔っ払い同士の小競り合いはあったみたいだけれど、それなりに平和なものだ。


「そう思っていたのは、俺達だけってことだ」

「はい?」

「その二佐殿がだな、お前さんに部下を貼りつかせて、寄ってくるアホ男の始末をさせていたんだよ。もちろん、この世からあの世にって意味じゃないぞ? 相手に自覚させることなく、素早く排除ってやつだ」


 なんだかそれって、どこかで聞いたような話なのは気のせいだろうか?


「その話を三佐にしたのは、どちらの二佐殿か念のために聞いても良いですか?」

「良くない。怖いカーチャンに育っただけでも十分困るのに、なんであんな連中がそばにいるんだ。まったくもって恐ろしいカーチャンだな、お前は。俺は隣に座っているだけでブルブル震えてきたぞ」


 ……誰のことかわかったような気がする。


「知りませんよ。百里ひゃくりにいる二佐殿のお友達なんですから、文句は彼に言ってください。でもあれですね。お友達の奥さんにまでそんなことするなんて、御本人達の奥さん達はどうしてるんでしょうね。留守番組が寝ずの番でもしてるんでしょうか。過保護丸出しで、さぞかし息苦しく感じてるんじゃないでしょうかね。一度お顔を拝見してみたいものです」


 それからしばらくして、その陸自二佐の奥さんと顔をあわせる機会に恵まれた時、あまりに二佐本人とのギャップがありすぎて、開いた口がふさがらなかったのはまた別の話だ。


「とにかくだ。そういうわけで、五年待ってくれると俺としては安心して退官ができる」

「わかりました。善処します」

「おい、ここまで聞いておいて善処なのか」


 緋村三佐は顔をしかめた。ま、これもお決まりの〆の言葉なので問題ない。



+++++



 那覇なは基地に到着後、後ろに乗っていた全員を送り出してから、私達も機体を降りる。外に出れば、沖縄独特の亜熱帯感がなんとも心地よい。


「この湿気が懐かしいですね」

「まだ一週間も経っていないだろうが」

「乾燥はお肌にとっては大敵ですからね、一日でも長いですよ」


 任務を終えて帰国した隊員達を出迎える人達の中に、見知った顔を見つけておや?と首をかしげた。


「もしかしてあれ、三佐の奥様では?」

「ん? んんん?! なんでだ?!」


 それだけじゃない。花山三佐の奥様や谷口たにぐち曹長と井原いはら三佐の奥様の姿もある。なんでまた? 奥様方は元気よく手を振りながら、こっちにやって来た。


「おかえりなさーい。一日遅れだって聞いていたから、一足先に沖縄観光してきちゃったわよ~。みてみて。豚足とんそくを食べたらお肌がプルプルなの。スッポンは食べられないけど、豚足とんそくならいけるかも!」

「なんでここに来ているんだよ、雪絵ゆきえ


 呑気に笑っている奥様に、ヒソヒソと詰め寄る三佐。


「来ちゃいけなかった?」

「いや、だから、俺が言いたいのはそこじゃなくて」

「夏休みでしょ? どうせなら皆で来たら喜ぶかなと思って。榎本さんのご主人に無理を承知で頼んだの。ああ、もちろん榎本さんのご主人は、日程に関してなにもおっしゃってないわよ。出発日はこの日ぐらいが良いんじゃないですかねって、それとなく言ってくれただけ」


 にっこりと微笑むと、私のほうを見て安心させるようにうなづいた。


「ここへ入る許可証は、榎本さんのお父さんが手配してくださったのよ。でも貴方、私に会えて嬉しそうじゃないわね、なんだかガッカリ」

「そんなことはない。ちょっと驚いただけだ」

「やっぱりこういう時は、お子さんがいるほうが良いわよね。榎本さんのお宅がうらやましいわ」


 奥さんが後ろを振り返ると、悠太ゆうた颯太そうたが走ってきて、あっという間に二人して飛びついてきた。引っ繰り返りそうになった私を、後ろから三佐達が支えてくれる。


「ママ―、おかえりー!」


 まさか会えると思っていなかったからビックリで、言葉も出ない。


「二人ともパパと来たの?」

「おじーちゃん達も一緒だよ。きのうはママ達がおくれるってなったから、先にちゅら海水族館に行ってきた♪」

「そうなの?」

小松こまつのお爺ちゃんちはオボンで忙しいから邪魔しちゃいけないだろって、しゅん君達も一緒に来たんだよ」

「そうだったの」


 後ろから雄介ゆうすけさんとうちの両親、それからお義姉ねえさんのところの俊介しゅんすけ君と大輔だいすけ君がやってきた。


「ものすごい大所帯ね。こんにちは、俊君、大ちゃん」

「こんにちは~。おばちゃん、すごいね。あんな大きなの飛ばしてきたんだ」

「いま飛ばしてきたのは、こっちの機長さんだけどね」


 緋村三佐を指でさすと、三佐は心持ち偉そうな顔をしてニカッと笑う。


「基地の中は見学できるって?」

「うん。雄介おじさんが一緒に回ってくれるって。おばちゃんも行く?」

「私はこれから、到着後の報告をしなくちゃいけないし、仕事は終わってないから一緒には行けないかな」

「そっか、ざんねーん」

「いっぱい戦闘機や哨戒機がいるから、ゆっくり見学してきて。たいていのことは雄介おじさんと各務原かがみはらのおじいちゃんで答えてくれるから、わからないことがあったらどんどん質問すればよいよ?」


「じゃあ俊君、大ちゃん、先に行ってようか」


 うちの母親がそう声をかけると、二人はまたねーと言って両親の元へと走っていった。どうやら彼等なりに、私達に気を遣ってくれているらしい。


「随分と大所帯でここまできたのね」


 子供達にくっつかれながら、雄介さんの顔を見上げる。


「まあ手配するのは、一人でも十人でも大して変わらないからな。それに俊介も大輔も、沖縄おきなわには来たことがないって言っていたから、ちょうど良いんじゃないかって。ちはるの御両親が、チビ達の面倒を見てくれるから助かってる」


 いくらなんでも俺一人では、四人を統率するのは無理だからと笑った。


「ところで六番機のエンジンが不調だったんだって?」

「そうなのよ。飛行中でなかったのが幸いだった。部品交換のお蔭で、予定外の休暇ができてうちの機長は御機嫌だったけれどね。それよりも、まさか本気で見張りを張りつけてくるとは思ってなかったわよ」

「ん? もしかして尾行に気がついたのか? 大したもんだな」

「ちがーう。うちの機長がどこかの二佐さんに、女性隊員をほったらかして飲んだくれるのはけしからんって言われたみたいなのよね」


 私の返事に雄介さんが笑う。


「あいつ等の仕事は、隊員の安全を守ることだから間違ってはいないだろ。多分あいつ等が張りついているのは、ちはるだけじゃないと思う」

「そうなの?」

「多分ね」


 怪しいけれど確かめようがないので、その言葉を信じておくことにしよう。


「ねえ、ママ~」


 足にしがみついていた颯太が話しかけてきた。


「なあに?」

「いもうとちゃん、まだー?」


 周りの全員が固まったのは言うまでもない。


「い、妹ちゃん?」

「まだー? ここにきてないー?」


 そう言いながらお腹に耳を当てる。


「颯太、さすがにまだ来てないと思うぞ。海外派遣任務が終わってからって話したろ」

「ふーん……まだなのかあ」


 私のお腹に口を当てて「もしもしー入ってますかー? まだですかー?」と言いながら、残念そうな顔をしてみせた。


「なんて言うか……大変だな榎本」

「まだまだ頑張らないとダメみたいですよ、俺も妻も」


 そう言って笑った雄介さんの顔は、心なしかデレていた。そこでデレないでほしい。これからの三ヶ月間、ずっとこの話でからかわれ続けるのは私なんだから!

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