第二話 いざ出発

 海外派遣は大抵の場合、那覇なは基地が自衛隊の活動拠点になる。だから出発式も、那覇基地で大々的に行われることが多い。今こうやって目の前に集まってきている隊員達も、全国それぞれの基地で見送りを受けてから、那覇基地にやってきた隊員達だ。


「ねえねえ」

「ん?」


 横に立っていた雄介ゆうすけさんの制服の袖を、ツンツンと引っ張る。そして体を屈めてきたところで、ヒソヒソとささやいた。


「あの一角だけ空気が違うんだけど、何者?」


 私が指をそっとさしたのは、それぞれの隊員達が同僚と歓談している一角。制服からして陸自の隊員だってことはわかるんだけど、なんだか他とはまとっている雰囲気がちょっと……否、かなり違う。


「ああ。拠点基地の警備を任されている……S部隊の連中だ」


 雄介さんも、最後の方は声をひそめて教えてくれた。


「何年か前に、習志野ならしのにできたっていう?」

「それだな」

「でもどうして? 彼等って対テロ部隊よね? 基地周辺は、そんなに危険だって話は聞いてないけど」

「まあ設立されて十年足らずとまだ日も浅いし、訓練の一環というのもあるんじゃないか? 警備に関しては、彼等の知識が役に立つだろうからな。前の中東派遣の時も派遣部隊の中に含まれていたから、派遣されること自体は特別なことではないと思う。なんなら挨拶してくるか? あそこにいる大きいの、葛城かつらぎの友達だぞ? つまりは俺の知り合い」

「そうなの?」


 雄介さんの交友関係の広さにちょっと驚いていると、私の手を取って、そのままその一角へと歩いていく。自分達に近づいてくる気配を察したのか、その大きな人がこっちに目を向けた。さすが他の陸自とは違うと言われている人達、目つきだけで人を殺せちゃいそう。


「よお、久し振りだな森永もりなが。今回はお前も行くのか?」

榎本えのもと。ようやく、拠点基地が本格的に稼働することになったからな。あっちが落ち着くまで、行ってくれないかと上から言われたんだ」

「アゴで使える部下が多くなったというのに、嫁さん置いて海外派遣とは。御苦労なこったな」

「お前にだって嫁はいるだろ」

「いるにはいるが、うちは俺が置いてかれる立場だから」


 そう言いながら、私の肩を抱いて引き寄せる。その人は私を見て、少しだけ表情をゆるめた。もしかしたら、自分の奥さんのことを思い出しているのもしれない。


「……そうか。輸送機のパイロットは、榎本のところの嫁さんだったのか」

「ちはる、紹介しておこう。陸自の森永二佐だ。ここにいる連中の部隊長で、拠点基地での警備責任者、ということで良いのか?」

「最初のうちだけな。ある程度の警備態勢が確立したら、下の隊員に任せて俺はこっちに戻ってくる」


 話している間も雄介さんが部隊名を口にしなかったのは、それなりに気をつかってのことなんだろう。


 通称S部隊と呼ばれている陸自の特殊部隊、特殊作戦群とくしゅさくせんぐん。最近まで、自衛隊内でもその存在が秘匿ひとくされていた部隊で、今現在も、大っぴらに部隊名を口にしないことが暗黙の了解となっていた。とは言っても、自衛官なら制服に縫いつけられた剣ととびのエンブレムを見れば、どこの部隊に人間なのかは、すぐに察することができるというものなんだけど。


「ところでうちの嫁は、自衛官にしては気が小さくてだな、お前達が行くと知って、あっちは危険なのかと震えあがっちまってるんだが。どういうことなんだ?」

「なにが起きたとしても、まだ不安定な中東や、国連でも介入できない紛争地域に比べたら、安全だろ」


 それって、まったく慰めになっていないような気が。そんな私の心の中の声が聞こえたのか、雄介さんが笑った。


「おい、今ので嫁がますます縮み上がっちまったじゃないか。うちの嫁を怖がらせたら承知しないぞ」


 腹立たし気な雄介さんの様子に、肩をすくめてみせる。


「いや、まあ、今のは俺の個人的考えだ。……嫁さん、縮み上がっているようには見えないが?」

「縮み上がってるんだよ、これでも」


 森永二佐は私の顔を見て、疑わしそうな顔を一瞬だけしてみせた。


「とにかくだ。あっちには強盗もいれば過激な政治集団もいる。それに備えて、基地の警備強化をすることは、なにも特別なことじゃない。襲撃されることも警戒しているが、もちろんそれだけでじゃない。窃盗に入られて、武器がられでもしてみろ。それが犯罪やテロに使用されたら、それこそ信用問題に関わる。もちろん俺達の任務にはそれだけではなく、不測の事態が起きた場合のことも含まれてはいるが、メインはあくまでも防犯だ」


 隣で雄介さんが、余計なことを付け加えるなとかボソボソ呟いたのが聞こえたのか、二佐は顔をしかめた。


「だから榎本、そこでイヤそうな顔をするな。それは事実だろ。国内で、これだけあれこれ問題が起きているのに呑気に暮らせているのは、日本ぐらいなものだぞ」

「わかっている。俺を平和ボケのジジイを見るような目で見るな」

「ジジイみたいなことを言うからだ」

「つまり?」


 私が尋ねると、二佐はこっちをジッと見つめる。


「拠点基地の場所を考えれば、紛争が起きている場所ではないにしろ、呑気にパラソルをひろげて昼寝を楽しむような場所でないということだ。なにもかもが日本とは事情の違う土地だ。国内での基地や駐屯地警備以上に、気を遣う必要がある」

「ごもっともなお言葉」

「おいこら、そこで見つめあうな。森永、基地の警備をするのは結構だが、あっちにいる間に、俺の嫁になにかしたら承知しないからな。ちはるも、地面を歩いている時も常に緋村ひむら三佐にくっついてろ、こいつらには近づくな」


 雄介さんの言葉に、二佐は呆れ果てたという顔をした。


「まったくお前というやつは……俺にだって妻はいるんだぞ」

「やかましい。野郎共ばかりのところに嫁を行かせるんだ、心配してなにが悪い。特にお前達陸自の連中は、肉食系戦闘員ばかりで信用ならん」


 森永二佐はとうとう笑い出した。と言っても、雄介さんや八重樫やえがしさんが笑うような笑顔全開って感じではなく、薄ら笑い的な笑顔だったけれど。


「お前達、イーグルドライバーに言われたくないんだがな。だったら地面とやらにいる間は、うちの部下を嫁さんの身辺警護につけるか? 自分の嫁が好きすぎて他の女には見向きもしない隊員なら、今回のメンバーの中に何人かいるぞ」


 薄ら笑いを浮かべながらの言葉に、雄介さんはそれもありか?と真面目な顔をして考え込んだ。


「ちょっと雄介さん、そこで真面目に考え込まないで。私はイヤだからね、陸自の人にはりつかれるなんて。ただでさえ暑い国なのに、それ以上に暑苦しいのは真っ平御免だから」

「もちろん、わからないように貼りつくことも可能なんだが。うちにストーキングのうまい奴がいて、今回の任務にも参加している。そいつに任せれば、事前に聞いていてもまず素人しろうとは気がつかないだろう」

「それ良いな」


 黙っていたら本当にその気になっちゃいそうだ。しかも素人しろうとって。これでも私、れっきとした自衛官なんですが!


「だから真面目に受け取らないでってば。森永二佐も、うちの旦那さんをそそのかさないでください」

「ってことは今の提案は却下ということかな」

「はい、却下です。全面的に却下!! ……却、下、で、す!」


 雄介さんがなにか言いたそうな素振りを見せたので、その目を見つめながらキッパリと宣言する。


「……ということらしい。だからお前等はうちの嫁に近寄るな。ああ、嫁に近寄る不届き者を目撃したら、そのままアデン湾にす巻きにして放り込んでもかまわない」

「まったく無茶苦茶だな、お前も」


 〝も〟とは?


「まあそれはともかく、あちらまではよろしく頼むよ、榎本一尉」


 そう言った森永二佐の顔は、最初に見た時よりもずっと人間らしい笑みを浮かべていた。



+++



「怖いだけの人かと思ってたんだけど、そんなことなくてびっくり」


 最初の印象が視線だけで人を殺せそうだと思ったのは、私だけの秘密だ。


「見た目にだまされるなよ? 呑気にしている連中だが、いざとなったら素手でも相手を倒すことのできる連中なんだからな」


「榎本二佐殿、そろそろ奥方をおあずかりしなければならない時間なんだが、よろしいかな」


 私達が森永二佐のもとから離れながら話をしていると、前から歩いてきた緋村三佐に声をかけられた。その後ろには、いつものように花山はなやま三佐がひかえている。ほんとここの二人は十年経っても変わらない。相変わらず、見た目はちょっと頼りなさげな御主人様と有能執事様だ。


「これは失礼しました、緋村機長。もうそんな時間ですか」


 今では雄介さんのほうが階級が上になり、立場が逆転してしまっていたけれど、三佐の態度は変わらないし、それは雄介さんも同じだった。


「ブリーフィングは必要なのでね。俺達はお偉いさんの訓示よりも、そっちのほうが大事だから」

「それはそうですね。自分も御一緒しても?」

「どうぞどうぞ」


 二人して、堅苦しい出発式に参加したくない本音がダダ漏れだ。


「式典に出なくても良いの?」

「ああ」

「本当に?」

「俺が天音あまね空将補にするように言われたのは、ちはるの見送りだけだからな」


 ニヤッと笑う。……まあそういうことにしておこう。


 ちなみに今回の目的地は、C-130の航続距離よりもさらに離れた場所になるので、米軍基地などを経由しつつ三日ほどかけて向かう計画だ。たしか最後は、米軍機からの空中給油を受ける予定になっていたはず。そして私達と入れ替わる形で、現在あちらで輸送任務についているC-130が、日本に帰国して本来の任務に戻ることになっていた。


 空自のC-130輸送機の保有数がもう少し多ければ、ここまでカツカツの運行状況にはならないんだろうけど、今は現状で頑張るしかない。


「ルート上にある国々とは友好的な関係だから、ほぼ問題はないと思うが、あっちに駐留しているアメリカの空軍だったか海軍だったかの戦闘機が、俺達をお迎えが来てくれるそうだぞ」

「空軍ですよ、三佐」


 緋村三佐の報告に、雄介さんが口をはさんだ。


「おや詳しいな、榎本二佐。俺はさっき聞いたばかりなんだが」

「私も今、初めて聞いた」

「アメリカ空軍の知り合いが、聞いてもいないのに知らせてきましてね。六番機を歓迎してくれるそうですよ」


 溜め息まじりに言った雄介さんの様子に、誰が知らせてきたかわかった。緋村三佐も誰のことかわかったみたいで、ニヤニヤと笑う。


 新田原にゅうたばる基地で初めて会ってからも、ショットガンことマクファーソン少佐とは、何度か演習で顔を合わせることがあった。そのたびに、あの恥ずかしいタックネームを陽気に口にするものだから、雄介さんはいつもカンカンになって怒っている。


「ああ、あのなんとかっていうイーグルドライバーか。相変わらず元気だな」

「ねえ、でもあの人は確かアグレッサーよね? この手の任務には参加しないんじゃ?」

「あいつ等は、他国に駐留している空軍パイロットへの教導で、全世界を飛び回っているからな。たまたま近くにいるからエスコートしてやるだと。これも日米友好なんだそうだ」


 たまたまだなんて嘘っぱちに決まってる、なにが日米友好だとブツブツと文句を言っている。


「ちはる、ショットガンから言い寄られても相手にするなよ?」

「大丈夫。しつこいようなら奥さんに言いつけるわよって脅すから」


 私がそう言うと、雄介さんはよろしいと重々しくうなづいた。



+++++



 滑走路の脇に並んだ関係者達に見送る中、C-130の四つのエンジンにが入った。


『キャメル06。こちら那覇空港管制塔です。現在、那覇上空及び滑走路内に離着陸待機中の航空機はありません。このまま待機せず、離陸態勢にはいってください』

『こちらキャメル06。了解した』


 コックピットから外をうかがうと、たくさんの人が見送っている。雄介さんもどこかにいるはずだ。


「榎本、もう旦那のことが恋しいのか?」


 外をうかがっている私に気がついた緋村三佐が、ニヤリと笑った。


「なに言ってるんですか、そんなことないですよ。どのあたりでこっちを見送っているのかなって、思っただけです」

「ほうほう、どう思う? 花山?」

「榎本夫妻には倦怠期けんたいきの心配はなさそうです。うらやましいいことです」

「それは俺に対する当てつけか?」

「おや、倦怠期を乗り越えて、退官する日が楽しみだと言っていませんでしたか?」


 緋村三佐と奥さんがラブラブなのは、私達クルーだけでなく輸送隊の皆が知っていることだ。お子さんもすでに独立しているので、退官したら奥さんとこじんまりとしたカフェでもするかなあと、嬉しそうに話すのを何度も聞いている。


「うるさいぞ、お前達。今回のフライトでは昼寝ができないから、俺は機嫌が悪いんだからな」


 そう言いながら、機体を滑走地点へと向ける。


「なあ、榎本」


 機体が一旦止まり、エンジンの推力を上げ始めたところで、三佐が声をかけてきた。


「なんですか、機長」

「あれだけ後ろに人間がいるんだ。一人ぐらい、輸送機の操縦ができる人間がいても良いと思わないか? 一人もいないなんてあんまりだろ」


 まったく緋村三佐ときたら……。


『こちらキャメル06。離陸準備よし。いつでも飛び立てます』


 三佐がこれ以上わがままを言い出さないうちと、管制塔に声をかける。


『こちら那覇管制塔。上空クリア、離陸してください』


 私の考えが伝わったのか、三佐はこっちに視線をちらりと向けて笑みを浮かべると、管制塔からの通信に応えた。


『了解。このままランウェイ36より離陸する』

『お気をつけてキャメル06。無事の帰還をお祈りしています』

『ありがとう、那覇管制塔』



 こうして大勢の関係者達が見送る中、私達は日本から遠く離れた派遣先に向けて離陸したのだ。

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