小話1
緋村三佐の歓迎飛行
ちはるが正式に輸送隊に配属されて初めての新年度を迎えたある日の出来事です。
++++++++++
「新年度一発目の飛行日としてはいい天気だな」
「これがですか?」
空を見上げれば
風は強くないし雨も降っていないから、私達が飛ぶのにはなんら問題のない気象状況だ。だけど、雲が切れる高度に上がるまではかなりの視界不良。とてもいい天気とはいいがたい。
そして気になるのは、そんな空模様より
「三佐、なにを考えてるんですか?」
「なにをってなにがだ」
「あのですね。そりゃあ、私はここのクルーの中では一番つき合いが短いですけど、三佐がそんな顔をしている時は、よくないことを考えている時だってことぐらい、わかりますよ?」
間違いなく良くないことを考えている。はっきり言えば、悪だくみをしている時の顔だもの。こういう時の三佐って、本当にロクでもないことを言い出したりやらかしたりするから笑えない。
「機長、
「あー、なるほど。そうえば、お前とはまだ新年度一発目を飛んでなかったなあ。一緒に飛んで長いような気になっていたんだが」
「新年度の恒例行事ってなんなんですか? そんなの聞いたことありませんよ?」
「そりゃまあ、飛ぶのが仕事の俺達には関係ないことだからな」
そう言って三佐がニヤリと黒い笑みを浮かべた。なんだかイヤな予感しかしないのは気のせい?
「今日の定期便の後ろに乗るのは、航空管制の任務につく新人幹部殿達だ。連中を、小松と浜松にそれぞれに送り届けるのが俺達の仕事だ。そうだったよな、花山?」
「はい」
「つまり今日のお客さんは、防大と一般大卒の幹部学校を卒業したばかりの、ピカピカ幹部自衛官さん達ってことでよいんですよね?」
「その通り」
昇任では、航学出身者とは違って、はるかに恵まれている大卒からの幹部達。もちろん、航学卒のパイロットが将官になれないことはないけれど、その道のりはなかなか厳しい。そのせいもあって、両者のあいだでいろいろと
だけどそれは本人達の努力の結果であって、ねたむ理由にも
「でだな、自衛官は有事の際は、悪天候だろうがなんだろうが、陸路なり空路なりで移動しなくちゃならん。そんな時に飛行機酔いなんてしてたら、任務に支障が出る。そうだな?」
「まあ、そうなんでしょうね」
自衛隊機は、民間航空機なら飛行を取りやめる天候でも飛ばす時がある。例えば、以前に小松基地へ飛んだ時のような悪天候でも、目的地に向けて飛ばなくてはならないことが多い。
「つまり、自衛官たるもの、飛行機に乗ったぐらいで酔うなんざ、あってはならんことだ。そうじゃないか?」
「たしかに。でも、今日は雲は多いですけど風はほとんどありませんよ? だから酔う人なんて出ないと思いますけど」
風が吹かないせいで雲が流れず、いつまでたっても晴れ間が見えないんだから。
「機体を揺らすのに、別に風なんて必要ないだろ」
「え? あの、まさか……?」
ほら、やっぱりロクでもないことだよ! 三佐の頭の中では、私達のC-130輸送機はどんな飛行をしているんだろう?
「別に宙返りをするつもりはないぞ? それと
「かき回すって……」
だけど、それ以外のことならするってことだよね、その言葉。急旋回に急降下急上昇、あとはなんだろう?
「C-1のジェットエンジンにはかなわないかもしれないが、この爺さんだって、だてに長いこと飛んでるわけじゃないからな。それなりの芸当はできる。もちろん俺も」
ニッと笑った。うわあ……。
「それが恒例行事なんですか?」
「輸送隊の新任幹部歓迎飛行ってやつだ。榎本も機長になったらしてやらなくちゃならんのだから、しっかり俺の飛行を見ておけ」
「あの花山三佐……?」
「しっかりと見ておくように」
私の問い掛けに、花山三佐は穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
「マジですか……」
「谷口、そういうわけだから、後ろの荷物はいつも以上にしっかり固定しておけよ?」
「お任せください、機長。人間以外の責任は自分が持ちます」
それって、人間のほうはどうなっても知りませんってこと? やっぱりうわあだ……。
+++++
機長がそんな悪だくみをしているなんて知りもしない新任幹部さん達が、後ろの貨物室へと乗り込んでいく。
たまに私のことを見て「あ、女性パイロットだ、珍しい」って顔をしている人もいた。良くも悪くもパイロットはまだまだ男社会。たしかにその気持ちは分かるけど、珍獣を見つけたみたいな顔をしないでほしいかな。
「あの、貨物室がゲロまみれになるってことはないんでしょうね?」
それを眺めながら、井原一尉にこそっと耳打ちをする。
「さてどうかなあ。谷口は、自分の許可なく貨物室を汚すことはまかりならんってポリシーを持っているやつだから、出さずに飲み込めぐらいは言うかも」
「なんだか、無事に小松と浜松につける気がしません」
「なんだ。あの悪天候の小松を、憎まれ口をたたきながら飛んだ人間の言葉とはとても思えないな」
後から聞いたことなんだけど、私が訓練課程中に飛んだ大揺れに揺れた小松基地への飛行、緋村三佐達六番機クルーからしたら、今までで一番の悪天候状態での飛行だったらしい。そんな天候の中での着陸を私に任せたの?!って、その話を聞いた時は開いた口がふさがらなかった。本当に緋村三佐って、色々な意味で大胆な人だ。
「さて、そろそろ離陸の時間だ。榎本もコックピットに戻れ」
「はい。……あの」
途中で立ち止まって振り返る。
「ん?」
「安全ベルトはしっかりしめましょうぐらいは、言いますよね?」
「そのへんは大丈夫だから心配するな。榎本は機長と一緒に飛ばすことだけを考えろ」
本当に大丈夫かなあと首をかしげながら、井原一尉をその場に残してコックピットに戻った。機長席に座っている三佐はなんだか楽しそう。っていうか鼻歌まじり。絶対に恒例の歓迎飛行?を楽しんでいる顔だ。
「御機嫌ですね、機長」
「そりゃそうだろ。後ろの連中の運命は俺の手にかかっている。防大、大卒の幹部様達も、今は俺のてのひらの上でコロコロと転がされているんだからな」
「コロコロですめば良いんですけどねえ……」
どっちかっていうとゴロゴロの間違いじゃ?と思ってしまうのは私だけじゃないはず。
首を横に振りながらコーパイとしての席に座る。私が座ったところで、三佐の鼻歌まじりのニタニタも終了した。だって私達が飛ばすのは大型の輸送機。しかも大勢の命をあずかっているのだ。たとえ心の中でニタニタしていても、離陸準備は真剣におこなわなければならない。
しばらくしてエンジンに灯が入り、井原一尉の問題なしのサインが出された。
『小牧管制塔よりキャメル06。現在の天候は曇天で風は静穏。雨と風の情報は、小松、浜松ともに、事前情報以外に変更された情報はありません』
『こちらキャメル06、了解。飛行計画書の通り、浜松基地へ向かい、その後に小松基地へと向かう』
『了解しました。離陸準備ができしだい滑走路に出てください』
「とろで機長? パーティ会場はどこなんですか?」
滑走路に向かう途中で質問をする。その質問に三佐の口元が楽しげにゆがんだ。
「
「油断させておいてゴロゴロするんですか? 性格悪い……」
「なんだ。いくら俺でも、離陸して安定高度に入るまではなにもできないぞ。それに眼下は市街地だからな。ああ、伊勢湾から太平洋に出る手前で、思いっ切り旋回するかもな東に」
今日は、私もしっかりベルトで固定しておいたほうが良い気がしてくる。だからあらためて座りなおして、安全ベルトをしめなおした。そんな私のことをみて三佐がニタッと笑う。
「楽しみだろ?」
「どうでしょう? 私だって飛ぶのは好きですが、揺れるのが好きなわけじゃありませんから」
「またまたしおらしいことを言って。飛行適性で、いきなりバレルロールをした人間の言うことじゃないぞ?」
「あれはあれ、これはこれ、ですよ、機長」
練習機でバレルロールをするのと、輸送機で曲技飛行すれすれのことをするのは明らかに違うと思う。そのへんのことを、三佐がちゃんと理解していることを祈るばかりだ。
『こちらキャメル06。ランウェイ34より浜松基地へ、離陸準備よし』
所定の位置で機体が停止した。目の前には真っ直ぐとのびた滑走路。パーティがどうのって話は別として、私はこの瞬間この光景を見るとワクワクしてくる。そんな私の気持ちをあらわすかのように、四基のエンジンが唸り声をあげて出力を上げ始めた。
『こちら小牧管制塔。キャメル06、上空オールクリア。ランウェイ34より離陸してください。行ってらっしゃい、緋村三佐。あまり新人幹部達をいじめないように』
今日の管制はベテランの
まあ、忠告されたぐらいでやめるような緋村三佐じゃないんだけどね……。
『了解、小牧管制塔。今日も安全運転で行ってくる』
『……』
『なにか言ったか?』
『よいフライトを、06。以上』
安全運転で行ってくると三佐が応えた時、無線の向こうで「どうだか」というつぶやきが聞こえたのは、気のせいじゃないはず。
「ではテイクオフだ」
「はい」
機体が動きだし滑走する速度がどんどん上がっていく。そして次の瞬間、機体が浮いた。
「?!」
普段とは違った急激な角度で上昇をする。これは通常の離陸ではなく、いわゆる緊急時の離陸方法だ。もう! なにが太平洋に出る手前なんだか! 最初からいきなりじゃない! だけど離陸の途中では文句を言うこともできず、機長である三佐に任せるしかなかった。
「こういうことは、コーパイの私に前もって言ってくださいよね。私だって操縦桿をあずかる身なんですから!」
安定高度に入ったところで横目で三佐をにらむ。いくら一人でも飛ばせるからと言って、うちの機長は無茶すぎ!
「有事はいつ起きるかわからない。なにがあっても冷静に対処できなきゃ、一人前のパイロットとは言えんぞ、榎本」
「だからって無茶ぶりすぎです!」
「やっぱり怒られたなあ。
山瀬一尉に怒られたのにまたしたの? まったく、開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。
「山瀬一尉はなんて?」
「同じように、飛ぶのは良いが前もってコーパイの自分には話しておけと」
「山瀬一尉の言い分は正しいです。次からはきちんと包み隠さず話しておいてくださいよね。飛行に関してのビックリはこれっきりにしないとですね……」
「しないと?」
「上官でもぶっ飛ばします」
「おお、怖い」
これ、絶対に懲りてない……。本気でぶっ飛ばすことを考えておかなくちゃいけない気がしてきた。
「花山、後ろはなんて言ってる?」
「今のところ心配ない、とのことです」
その時の私は知らなかったけど、座っていた幹部さん達は、いきなりの急上昇に慌てて安全ベルトをつかんだそうだ。当たり前だよね、あれだけ急角度で上昇したんだもの。
「さてさて、ではそろそろお楽しみのパーティタイムだ」
「早すぎでは?!」
「そうか? そろそろ海だぞ?」
そう言ったと同時に、角度をつけて旋回した。
普段のふざけた態度のせいで忘れがちではあるけれど、緋村三佐は非常に優秀なパイロットだ。戦術飛行並みの急旋回や急上昇、急降下をする時もその目はまさにパイロットそのもの。さすが海外派遣で、紛争地帯を飛んだ経験があるパイロットだけのことはある。ちょっと尊敬したかもしれない、無茶苦茶な飛び方はしてるけど。
「なんだ、榎本。俺に惚れ直したか? 俺もお前も既婚者だから不倫はダメだぞ?」
「そんなこと考えてませんよ。どうやったら、座ったまま機長のことをぶっ飛ばせるか考えていただけです」
「平時の飛行なんていつでも経験できるんだ。こういう緊急回避時の飛行も、きちんと経験しておいて損はないだろ、幹部自衛官として」
もっともらしいことを言っているけれど、絶対にこれってイヤがらせだよね?
え? 後ろの幹部さん達はどうなっていたかって?
小牧に戻ってきた時に、何人かは青い顔して基地の建物に走っていったと、楽しそうに谷口一曹が井原一尉に話していているのを聞いてしまった。やっぱり、緋村三佐以下六番機クルー全員を、ぶっ飛ばした方が良いんじゃないかって、真面目に考えてしまったのは言うまでもない。
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