神様がやってきた

「ここに、榎本えのもとってヤツがいると聞いたんだが?」


 その日、午後一で上がるためにエプロンで準備をしていたら、小柄な割には声の大きい三佐殿がやってきた。フライトスーツにつけているエンブレムからして、美保基地の輸送隊所属。どうやら、午前中にこっちに着陸したC-1の機長殿らしい。


 普段なら、さっさと荷物の積み下ろしが終われば飛び立っていくのに、どうしてこんなところでウロウロしているんだ? しかも俺のことを探しながら。


「榎本は自分ですが」


 ハンガー奥まで聞こえそうな声を無視するわけにもいかず、手をあげて声をかけた。俺に向けられた三佐殿の目つきが、一瞬だけ険しいものになる。


「ほお、君が榎本か。若いのにアグレッサーなんだって? 取材を受けた広報誌の記事を見せてもらったぞ。ずいぶんと優秀らしいじゃないか」

「らしいではなく、間違いなく自分は優秀なつもりですが、それがなにか?」


 なにか文句でも?と相手をまっすぐみつめた。たまにいるのだ、こんなふうに、広報雑誌に載った人間の顔を拝みにくる物好きが。これで何人目だ? 若い連中ならともかく、目の前にいる三佐殿は、どう若く見ても四十代そこそこ。まったく物好きにもほどがある。


 そんな俺のうんざりした態度に、三佐殿は豪快に笑った。


「なるほど。噂には聞いていたが、なかなかクソ生意気な小僧だな」

「自分がクソ生意気なのは認めますが、重要なのはそこではなく技量です。そちらの輸送隊ではどうだか知りませんが」


 そう言い返すと、三佐殿がニヤッと笑う。


「いいだろう。ここは、謙虚さも大事だか、負けん気の強いヤツでないとやっていけないところだ。階級が上の者に対しての言葉遣いがなってないが、その気概に免じて今回は特別に見逃してやる」

「そりゃあどうも」


 話をしている俺達に、ハンガーから出てきた日下部くさかべ三佐が目を止めた。俺とこの三佐殿でなにやらもめているらしいと察したらしく、警戒感丸出しの顔で足早にこちらにやってくる。


「どうした榎本。お久し振りです林原はやしばら三佐。なにか問題でも?」

「いいや。お前んとこの若いのが、どんなヤツか見にきた」


 どうやら二人は顔見知りらしい。そして隊長の態度からして、階級は同じだが、こっちの三佐殿のほう年上らしかった。


「榎本、お前、無礼なことはいって言っていないだろうな」

「自分は相手が無礼なことを言わない限り、なにも言いませんよ」

「俺がクソ生意気な小僧だと言ったら、さっそく噛みついてきたぞ。若いのに恐ろしいコブラだよな、お前んとこのは」

「まったく榎本……」

「自分は悪くありません。先に撃ってきたのはそっちの三佐殿です」


 日下部隊長は、溜め息をつきながら首を横に振った。


「それで? 三佐、我々になにか御用でしたか?」

「だから、こいつがどんなヤツか見にきたんだよ」

「この三佐殿で十五人目ですよ、物好きな連中がここに来るのは。自分はパイロットであって、見世物じゃありません」


 どうしても受けろと隊長から命じられたから取材に応じたのに、まったく散々だ。広報はブルーの役目じゃなかったのか?


「榎本、お前は黙ってろ。話がややこしくなるから」

「なんでも、うちの子にちょっかいを出しているようなんでな。どんなヤツか見たくなったんだよ」

「……は?」

「おい、榎本、お前なにやらかした」


 隊長が、とがめるような目つきでこっちをにらんでくる。


「俺はナンパなんてしてませんよ。この三佐殿の勘違いでは?」

「まあ、飛行適性大いにありと太鼓判をおしてくれたことに関しては、感謝しておく」


 三佐殿がニヤリと笑った。俺が飛行適性大いにありと判断した人間は、後にも先にも一人しかいない。あの時の天音あまねだけだ。まさか彼女の父親?


「心配するな、俺はあの子の父親じゃない。俺の姓は林原、つまりあの子の母親の兄貴、つまり伯父ってやつだ。別に、姪っ子にちょっかいを出したぐらいで飛んできて、ぶっ飛ばすようなことはしないから安心しろ」

「姪っ子、ですか。……ああ、彼女をアメリカでピッツに乗せて飛んだオジサンとは、三佐のことでしたか」


 だが、どうやら俺の返事は、三佐の期待していたものと違っていたらしい。


「なあ日下部。俺って、それなりに空自の中では有名人だと思っていたが、そうでもなかったみたいだぞ? 若い連中からは忘れられた存在らしい。ちょっとガッカリだ」


 三佐殿は、太い眉毛をハの字にして隊長に言った。


「榎本、こちらは美保基地の林原三佐。C-1輸送機のパイロットだ。C-1の神様と言えばわかるよな?」


 そう言われて、ああなるほどと点と点が結ばれた。たしか美保基地に、C-1を自分の手足のようにあやつるパイロットがいると聞いたことがあった。その技量から、どうして戦闘機のパイロットにならなかったのかと、教官達からおしまれたと聞いている。目の前にいる三佐殿がその神か、なるほど。


「ああ、あのC-1の。話は聞いたことがあります。C-1輸送機をまるで戦闘機のように飛ばす、クレイジーなパイロットが美保基地にいると。貴方でしたか、お目にかかれて光栄です」


 わざとらしく敬礼をしてみせる。


「榎本!」


 隊長が慌てて俺の敬礼をやめさせようとしたところで、三佐殿がガハハハハッと笑い出した。


「まったく面白いヤツを引っ張ってきたもんだな、日下部。C-1を戦闘機みたいにか。たしかにそんな感じで飛ばす時もあるな。あいつは航続距離が短いだけで、戦闘機並の機動が可能な優秀な輸送機だ。年よりあつかいは許さんぞ」

「年よりとは言っておりません。単にクレイジーだと申し上げました」


 そう答えてやると三佐殿はさらに笑い出し、その横で隊長がやれやれと首を振った。


+++


「一つ、お聞きしたいことがあります」

「なんだ?」


 それから俺は、林原三佐をC-1が駐機している場所までエスコートするという名目で、二人だけで話す時間を持つことになった。


 隊長からしたら、二人にするのはいささか躊躇ためらいがあったようだが、林原三佐の要望とあってはのむしかなかったようだ。そして隊長は俺に「絶対に無礼はするな。なにかあった時に補給が途絶えるようなことになったら、俺がお前を撃ち落とす」と念押しして俺達を送り出した。


「姪御さんに、バレルロールとエルロンロールを教えたのは三佐ですか?」

「まさか三次試験でそれをやらかすとはなあ……」


 やはりそうか。ということはアメリカに行って飛んだ時に、この三佐殿があれこれ教えたということなんだな。神から指導されたのなら納得だ。


「飛ぶことに対しての熱意を見せろと言ったら、いきなりでしたよ。驚きました、大した度胸です」

「ある程度の課程に進むまでは自重しろと、言い含めておくべきだったな。あの時に飛んだのが君で助かった。その後の処理に対しても感謝している」


 三佐は悪びれた様子もなく、楽し気に笑っている。


「自分も面白いものを見せてもらいましたから」

「君から見てどうだ? あの子の技量は」


 そう質問されて、あらためてあの時の飛行を思い起こしてみる。粗削りではあったが、こちらが指示したことはすぐに呑み込んで、自分の操縦に反映させていた。やはりそれは、本人の持って生まれたセンスというものだろう。そしてなによりも驚いたのは、その思い切りの良さだった。


「戦闘機と輸送機ではまったく違いますから一概には言えませんが、操縦桿を引く思い切りの良さは大したものです。悪天候でも飛ばなくてはならない輸送機パイロットなら、あのぐらいの度胸は必要でしょう」

「合格か?」

「さあ、それはなんとも。自分はあの一回しか、姪御さんとは飛んでませんから」

「そうか」

「ですが、自分でも男でないのがおしいと思ったぐらいです。恐らくは良いパイロットになるのではないかと思います」

「当然だ、俺の姪っ子だからな」


 三佐は誇らしげに笑った。


 そして俺は、そのまま離陸準備を始めているC-1輸送機まで三佐を送っていった。機体の横では、クルー達が腕時計をかざして三佐に向かって時間時間と騒ぎ立てている。


「まったくうるさい連中だよな。少しぐらい遅れても大したことないっていうのに」


 なにやら空自パイロットにはあるまじき発言をしているようだが、自分も人のことは言えないので黙っておくことにする。


「ところで、俺のことをクレイジーと言ったのはお前の言葉か?」


 いきなり質問された。


「いえ。アメリカ空軍のイーグルドライバーです」

「そうか、だったらいい」


 そう言いながらニヤリと笑う。


「じゃあまたどこかで会おう。ま、お前達アグレッサーが、うちの基地に来ることはないだろうけどな」

「神とお会いできて光栄でした」

「クレイジーな神だけどな~~」


 三佐はまたなと片手を振りながら、急かすクルー達のほうへと歩いていった。


「ああ、それと一つ頼みがある」


 途中で立ち止まった林原三佐が振り返る。


「なんでしょうか」

「ここに俺が来たこと、姪っ子には黙っといてくれよな。俺が偵察に来たと知られたら、地球の裏側までぶっ飛ばされちまうから」

「了解しました」


 そして三十分後、離陸したC-1輸送機は見事な90度バンクを披露しつつ、新田原基地周辺を一回りして美保基地へと帰っていった。


 離陸したC-1を並んで見上げていた日下部三佐が「大人げない」と呟いていたところをみると、あのバンクは、俺に見せつけるためのものだったようだ。後ろに積み荷がなかったことを祈るしかないな。

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