side - 榎本 小話
ちはるとの出会い
滑走路が見える場所に出たところで、飛行適性検査の順番待ちをしている受験生達の姿が見えた。
その中に女子四人組の姿がある。そういえば、数年前から女性も応募できるようになったんだなと思いつつ、女の子独特の楽しげなおしゃべりに、なんとなく耳をかたむけた。しかし、そこはやはりパイロット志望の子達だ、お年頃の女の子達とは、まったく違う話題で盛り上がっている。
「それでね、伯父さんにアメリカにつれていってもらった時にね、ピッツの後ろに乗せてもらったんだけど、あれが一番最高で楽しかったかもしれない。ゴーグルが顔にめりこんで、ちょっと痛かったけどね~」
「ピッツって複葉機だよね? アメリカでは農薬散布でも活躍してるんだっけか」
「そうそう。あとエアーショーでも、民間のチームがあれで飛んでるらしいよ? 前にテレビでやってた」
「あの手の複葉機って、もう映画の中でしか飛んでないと思ってたけど、まだ現役で飛んでるのかあ。さすがアメリカ、やっぱり違うねえ」
そして四人は、やっぱり飛行機はプロペラ機だよねと言い合っている。うむ、戦闘機乗りとしてはちょっと複雑な心境ではあるが、あの手の複葉機が素晴らしいのは認めよう。
「飛んでるって実感したいなら、あの手の機体に乗るしかないよね。風を感じられるのは、あのタイプの飛行機しかないし」
「たしかに。今は、小型機でも大抵はコックピットにキャノピーがついて、閉めきっちゃうもんもんね」
「そうそう。もったいないよね~~せっかく空を飛ぶのにさ」
「ここの練習機も窓が開けばいいのにね。夏、中がすっごく暑くなるらしいよー」
それを聞いて全員が「さいあく~~」と声をあげる。思わず吹き出しそうになって、慌てて
「私も一度は乗ってみたいな~~複葉機」
「あ、そうだ。今度の岩国のイベントに、エアーショーの人が来るみたいだよ。たしか複葉機だった!」
一人の女の子がそう言ったとたんに、他の三人が色めきたった。
「ええええ、いきたーい、乗れないまでもみたーい! さわりたーい!」
「だったらさ、ここで合格できたら、みんなで行かない?」
「行こう行こう! みんなで合格してレッツ岩国!」
「三次まできたんだから、頑張って全員で合格しようね!」
一人の子がそう提案したところで、三人のテンションがマックスになった。女の子の会話って面白いな。いや、この手の話題だったら、男でも盛り上がるか。
「
「でも、ここで落される人はいないらしいから、問題ないんじゃないかな?」
「また呑気なこと言ってるね~~」
たしかにこの適正で落される人間はほとんどいない。自衛官になることもふまえ、筆記試験に合格すれば、よほど体力的に難ありと判断されない限りは、適正有りと判断されるはずだ。まあ、彼女達がこの三次試験に参加しているということは、筆記試験に関しては申し分のない成績だったということなんだが。
「だってさ、今日はいよいよ飛べるんだよ? 今日の飛行で操縦桿を握らせてもらえるんだよ? 嬉しくない?」
「もしかして、適正で不合格になるとか心配してない?」
「そんなことより、飛べることのほうがずっと大事」
「ああ、もうあれだ。すでに三次試験だっていうことが頭から抜け落ちてるよ、この子。もう飛ぶことしか考えてない」
「そんなことないよ。あ、戻ってきたよ、練習機。どんな飛行をしたのかな~~」
視線を横に向けると、ダメだこりゃと笑っている三人の横で、空を見上げている子がいた。着陸態勢に入った練習機を見上げながら、嬉しそうにその場で飛び跳ねている。俺も航学になるための試験を受けた時は、あんな感じだったなあと懐かしく思い出す。
「早く飛びたいな、私達の順番ってお昼からだっけ? お昼ご飯食べなくても良いから、飛ばしたいなあ」
「教官さんだってご飯食べなきゃお腹空いて倒れちゃうでしょ~~」
「え~~そうかなあ……一食ぐらい抜いても平気だと思うんだけどな……」
そんな彼女の言い分に、他の三人の女の子達は呆れたように笑った。
+++++
「今日の適性検査、昼からは女子が飛ぶんですか?」
三次試験を見にこないかと誘ってくれた
「ああ、そうだ。
「そうじゃありませんよ。実際のところ、女性がパイロットとして本当に使いものになるのか、興味があるだけです」
俺の言葉に一佐が片眉をあげた。
「教導隊のパイロットらしい言い分だな。だが、相手は輸送機と哨戒機のパイロット候補だ。お前の眼鏡にかなうかどうかは、あまり関係ないと思うが?」
「たしかにそうですが。一人、テストしてみたいのですが」
「飛行適正検査をお前がするのか?」
「なにか問題でもありますか?」
一佐はしばらく考え込んだ。
「まあ良いだろう。だがあくまでも三次試験の適性検査だ。相手はまだ自衛官ではない。教導隊のことは頭から抜いて判断しろよ?」
「わかっています」
「女子は全部で四人。受験したはこの四人だけだが、全員ともに筆記試験の成績は申し分のないものだった」
受験票を見せてもらう。当然のことながらその中に、あの早く飛びたいと言いながらワクワクしていた彼女の顔もあった。
「では、この子でお願いします」
「
「特にこれといって。先ほど四人が話しているのを横で聞いていたのですが、彼女が一番飛びたがりのようですので。それが口先だけのものかどうか、確かめてみたくなりました」
やれやれと、一佐が首を振りながら笑う。
「まったくお前達コブラときたら、ひねくれた根性をしているな」
「お褒めの言葉と受け取っておきますよ。ではよろしいですね?」
「ああ、かまわんよ。ただしさっきも言ったが、教導するパイロット達とは違うということだけは、頭に入れておけ。彼女を含めてここで試験を受けている者達は、まだ自衛官ではなく民間人なんだからな」
「わかりました」
昼休みの時間が終わり、本来この適性検査で試験官を務めるはずだった三佐からチェックリストを受け取ると、滑走路脇に駐機してあるT-3のほうへと歩いていく。昼からの飛行準備のために機体点検をしていた整備員が、俺の顔を見て、ニヤッと笑って敬礼をした。どうやら、一佐から話がすでに通っているらしい。
「この機体、二尉も懐かしいでしょ」
「まったくだ。こいつもずいぶんと長く飛んでるよな」
「ええ。そろそろ後継機と交替なんて計画があるんですがね。次のは、コックピットに空調がつくみたいですよ、うらやましい限りです。ま、それもまだ数年先だってことで、若僧どもにはもう少し、悪環境に耐えてもらわなくちゃいけませんが」
彼女達が「さいあく~」と言っていたのを思い出した。
「しかし、教導隊のパイロットが適性検査なんてね。受験生が聞いたら、腰を抜かすんじゃないですか?」
「俺がアグレッサーだってことは黙っといてくれ。ただの教官ってことで」
「了解しました」
そうこうしているうちに、彼女がヘルメットを抱えてやってきた。あの走りっぷりからして、すぐにでも飛び立ちたいという顔だ。だが残念なことに、すぐには飛び立てないのがパイロットだ。飛ぶ前には、色々とやるべきことがある。
「お待たせして申し訳ありません!」
「いや、時間までにはまだある。飛行前の点検をするところだ。一緒にやっておくか?」
「はい!」
すぐに飛び立てないとわかっても、彼女は落胆した表情を見せなかった。それどころか、目視点検をする俺についてまわり、点検項目のことであれやこれやと質問してきて、にぎやかしいことこのうえない。さらには見なくてもいいところまでのぞき込んで、一人で勝手に感激している。
「おいおい、そこは整備員が見るところだぞ?」
「わかっています。ですがこんなふうに翼の中までのぞくことなんて、めったにできないことですから。航空祭でも、外からしか見たことなくて」
「調子に乗って、そこの空曹長殿に質問しまくると大変なことになるぞ?」
あれこれ質問したそうな彼女を止めた。
「え? そうなんですか?」
「T-3を語らせたら止まらなくなる。面倒くさい
「えっと……そうなんですか?」
「君がここにいる目的は、飛行適正検査だ。わかっているな?」
「あ、はい。わかりました」
基本的なプリタクは、イーグルも練習機のT-3も変わらない。それは、二つのジェットエンジンと、プロペラのついたレシプロエンジンでも大差はなかった。整備員との動作確認を終えると滑走路に出る。
―― 考えてみれば、こんな風に女を後ろに乗せて飛ぶなんて初めてのことだよな…… ――
そんなことを考えつつ、管制の指示に従い滑走路から飛び立った。そして彼女の度胸を試してやろうと、高度を上げている途中で機体を横向きにローリングさせた。
「わあ」
後ろでゴンッという鈍い音がする。
「大丈夫か?」
「あの、回るなら回ると、前もって言ってもらえませんか。思いっ切り頭をキャノピーにぶつけました」
「すまないな」
どうやら機体を一回転させても平気らしい。
「さて。午前中に君達が話しているのを聞いたんだが、昼飯を抜いてでも飛びたかったんだよな?」
「え、お聞きになっていたんですか?」
「ああ、偶然に。で? 飛びたい気持ちは今も変わらないか?」
「もちろんです!」
俺の問い掛けに、彼女は元気よくうなづく。そうか、だったら話は簡単だな。
「じゃあ、君のその飛行に対する熱意を見せてもらおうか」
「え?」
「ユー・ハブ・コントロール、さあ、どうぞ」
「ええええ?! いきなりですか?!」
「どうした? 飛びたいと言っていたのは、口先だけだったのか?」
「そんなことないですよ! アイ・ハブ・コントロール、操縦桿、おあずかりします!」
彼女が操縦桿を握り、練習機のコントロールを掌握したのを感じた。思ったより早いなと感心する。
「好きに飛んで見せろ。なにかあったらサポートする」
「本当に良いんですか?」
「もちろん」
「本当ですね?」
「だからもちろんと言ってるだろ」
「じゃあ遠慮なく!」
そう言うと、T-3が一気に高度を上げ始めた。
「おい、なにをするつもりだ?」
「熱意ならお任せください!」
なにをする気か聞くまでもなく、機体は大きく弧を描いてバレルロールをした。あまりのことに思わず笑ってしまう。なんてこった、こりゃ参ったな、とんでもないお嬢さんだ。
「おいおい、一体どこでこんなことを覚えたんだ?」
「パイロットになりたい人間の熱意は、こんなもんじゃありませんよ」
そう言うと、次はさっき俺がしたのと同じエルロンロールを連続で始めた。
「わかったわかった、降参だ! 疑って悪かった。君の熱意はちゃんとこの目で見た。だから真っ直ぐ飛べ!」
そう言って両手を上げてみせると、機体の回転は止まり元の姿勢で真っ直ぐ飛び始める。
「まったく、とんだジャジャ馬だな」
「お褒めにあずかり光栄です」
すました声にさらに笑いが込み上げる。
「いやはや、まいりました。たいしたもんだ。飛行適正に関しては、まったく問題ないみたいだな」
「そうですか?」
「だが、さっきのバレルロール、もう少し操縦桿を早く引いても問題ないと思うぞ。やってみせようか?」
「お願いします!」
まさかT-3が曲技飛行を始めるとは思っていなかった一佐には、戻ってきてからそれなりの小言を言われたが、俺の判断でしたことなので、彼女には責任が無いということで押し通した。ま、一佐も、まさか飛行時間の半分を彼女が飛ばしていたとは思わないだろう。そのことは俺と彼女だけの秘密というわけだ。
「それで? どうだった、女性パイロット候補と飛んでみた感想は」
「残念ですよ、彼女が男でないのが。男だったら、素晴らしいイーグルドライバーになったでしょうに」
「まったく榎本、お前ときたら……」
俺の言葉に一佐はやれやれと首を振った。
そして彼女は無事に試験を通過し、防府北基地で、航空自衛隊パイロットとしての一歩を踏み出すことになった。
天音ちはる空士長。これが、後に俺の妻となる女性との出会いだった。
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