第三十話 ガミガミ教官殿、現る

 梅雨が明けて夏空がひろがっても、私の気分は超低空飛行気味だ。昨夜はとうとう訓練飛行の夢まで見てしまった。気分がジメジメしているのは、別にここが盆地だからだけではないはず。


「なんだかこの周辺だけ、異常に湿度が高い。風間かざま君が二人いるみたいで、困るんですけどね~~」


 午前中の講義の合間に、そんなブルーな私を見て松門まつかどちゃんが言った。


「だって~~……飛びたいんだもん……」

「まさか天音あまねが風間君化するなんて」

「別に私は、風間君みたいにブツブツ言ってないじゃない。ただ飛べないのが寂しくてブルーなだけで、普段は元気にしてるから問題ないでしょ?」

「脳内でブツブツ言ってるのがダダ漏れだよ」

「教官に対してハキハキとした受け答えをして、元気が良くて大変よろしいって、お褒めの言葉をいただいているんだけどな」

「教官が気づいていないだけで、ダダ漏れです」

「えー……」


 ひときわ大きな溜め息が出る。あ、この溜め息がいけないのか、気をつけないと。


「なにか、気がまぎれるようなことでもあれば良いんだけどね。こう、スカーッとするようなこと」

「基地祭はとっくに終わっちゃったしねえ。納涼会とかは駄目なのかな。炭酸水でスカーッとか」

「駄目なんです。それに炭酸水はスカーッじゃなくてプハーッだと思うの」

「うーん。天音の気がまぎれるのって、飛ぶこと以外でなにかあるの? 一尉さんと電話で話すのは別として」

「思いつかない」


 松門ちゃんはしばらく考え込んでから、ポンッと手を叩いた。


「そうだ思い出した。ほら、飛行準備過程の時にさ、習志野ならしのの教官につれていってもらったバンジージャンプ。あれなんてどうかな? この近くにも探せばあるかも」

「あれは飛ぶんじゃなくて、飛び降りるじゃ……?」

「ダメか」

「ダメですね~~」


 他になにかないかなあと二人で考えていると、風間君達が教室に戻ってきた。


「あ、ブツブツ一号が戻ってきた」


 いつの間にか、風間君がブツブツ一号で私がブツブツ二号という、うれしくない呼び名が定着しつつある。


「そっちも相変わらず梅雨明けせず?」


 松門ちゃんの問い掛けに、風間君以外の子達が笑いながらうなづいた。


「ってことはそっちもか」

「まさかリーダーとサブリーダーが二人そろって、飛行禁断症状発症中とはねえ」

「笑いごとじゃありません。パイロットは飛んでなんぼですから」

「よりによって天音と同じ思考だなんて」


 風間君がイヤそうな顔をするので、私も対抗して思いっ切りイヤそうな顔をしてみせる。


「それを言いたいのは私のほうです、風間君。まさか風間君と一号二号でまとめられるなんて、はなはだ遺憾いかん

「なんでだ」



「ちょっと目を離したらすっかりたるんでいるな、お前達」



 いきなり鋭い声が飛んできて、条件反射で椅子から飛び上がるようにして全員が立つと、直立不動の姿勢になった。まったくもって習慣というのは恐ろしい。声がした場所に顔を向けると、懐かしい御仁ごじんが立っていた。航学時代の教官、岩代いわしろ教官、ガミガミさんだ。


「ガ、」

「なんだ?」

「いえ! 岩代教官がどうして、こちらにおられるのかと驚いているだけです!」


 こちらの返答にフンッと鼻で笑うガミガミさん、じゃなくて岩代教官。こっちがなにを言いかけたかなんて、お見通しだと言いたげだ。


「航空学生課程を終えたお前達が、きちんとやれているかを確かめるのも、送り出した人間の勤めだからな。これも、俺達が無責任に馬鹿を空に放ったと言われないようにするためだ」


 つまり岩代教官は、私達の様子を見にきたってことらしい。


「毎年こんなことをされているのですか?」

「今回はたまたま俺がここに派遣されただけで、この手のことは珍しいことじゃない。ここだけではなく、お前達が訓練課程を受けているそれぞれの基地にも、今後の指導方針の参考にするために、定期的に俺達は出向いている。なんだ、ここに俺が来ることに不満でもあるのか」

「「「いいえ!!」」」


 じろりとにらまれ、あわてて全員で首を横に振る。


「それで? 今のところ、操縦訓練課程ではどこの基地でもなにも問題はなかったようだが、ここでは大丈夫なんだろうな。部隊から離れてたるんでいるように見えるが。特に天音、お前だ」

「はい?!」


 なんでとこで私の名前が? まさかいまだに三次試験のことを根に持っているとか? まったく岩代教官も風間君並みにしつこい。ん? ってことは、風間君は将来はすれちゃって目つきが悪くなったら、岩代教官みたいになるってこと? うわあ……。


「ここしばらく、操縦桿を握っていないそうじゃないか。しかも他の連中より、その空白期間が長いらしいな。腕がにぶっているんじゃないのか?」


 自分が心配していることをズバリと指摘され、思わず黙り込んでしまった。三沢みさわ緋村ひむら三佐に放り出されてから、病院ですごした期間は一ヶ月ちょっと。さらにここで数ヶ月。操縦方法を忘れるとまではいかないものの、随分と飛んでいないのは事実だ。


「それはそのう……」

「初心忘れるべからず。初っ端にしたような馬鹿げた曲芸飛行をするのも論外だが、常に初等訓練で学んだことを忘れるな」

「わかっています」

「だと良いんだがな。そのたるんだ様子からして、本当に忘れていないか試したほうが良いかもしれないな。天音、お前の夏期休暇はなし。俺と一緒に静浜しずはま行きだ」

「えええ?! なんで?!」


 いきなりのことに、目の前の教官が上官だということを忘れてしまった。そして岩代教官は、私の言葉に超絶不機嫌顔になってにらんでくる。


「なんだ不満か」

「不満とかそういう問題ではなくてですね」

「一人ではイヤか。だったら……この中に、天音と一緒に静浜基地に行く気のあるヤツはいるか」


 こんなことを尋ねられて、ここにいる人間が手を挙げないわけがない。その場に居合わせた全員が挙手をした。その状態に、さすがの岩代教官も呆れたように目を見張った。


「全員をつれて行けるはずがないだろう。もう少し考えてから手を挙げろ」


 そんなことを言われも困る。なんだかんだと言っても、全員が飛びたいと思っているんだから。


「岩代教官、ちなみにあと何名……」

「お前を含めて二名だ。それ以上わらわらと引き連れていくなんてとんでもない。俺は幼稚園児の引率じゃないんだからな。なんとか一名にしぼりこめ。決まらなければ、この話は無かったことにするぞ」

「え?! それって私も行けなくなるってことですか?!」

「当り前だ。連帯責任だ」


 それは一大事だ。ここは是非ともあと一人、きちんと決めてもらわなければ!


「皆、頑張って決めて!」


 すると男の子達が顔を見合わせてうなづきあった。


「じゃあ決まりじゃないか」

「そうだよ、決まりだ、一人ならこいつしかいない」


 視線を交わし合った子達全員がうなづくと、風間君を前に押し出した。


「卒業までブツブツ言われたら困るからな。我らがリーダーをもう一人の代表で!」



+++



「あの、岩代教官!」


 教室を出ていった教官の後を追いかける。


「なんだ、まだなにか不満でもあるのか」

「不満はありません」

「ああ、そうか。夏期休暇を利用して小牧こまきに戻る計画があったのなら、その予定はなかったことと諦めるんだな。それとも岐阜ぎふ榎本えのもとに会いにいく予定でも立てていたか?」


 榎本一尉のことを言われてちょっと驚いた。まさか一尉と私のことが、岩代教官の耳にまで届いているなんて。


「え。いえ、それはありません。あちらに戻ることができるかどうか微妙でしたし、一尉と顔を合わせるのは、卒業してからになるだろうと話していましたから」


 そうかとうなづく岩代教官。


「ここに来る前に、少し足を伸ばして岐阜に寄ってきた。二人とも思っていたより元気そうで安心した」


 岩代教官はぶっきらぼうな口調でそう言った。


「一尉とお会いになったんですか?」

「ああ。これでもあいつらとは同期だからな」

「そうなんですか?!」


 そういえば学校で顔を合わせた時は、いつも二人ともため口で話していたっけ。


「なんだ、文句でもあるのか?」

「いいえ!」

「もっと落ち込んでいるかと思っていたが、そうでもなかったな。新しい任務につくことを喜んでいるようだった」


 相変わらずぶっきらぼうな口調だけど、心なしかホッとしている様子だ。


「その任務についての内容は……」

「聞かなくても岐阜基地に転属になったんだ、想像はつく。天音、お前の父親は飛行開発実験団の責任者の一人だったな?」


 教官がなにを言いたいのかピンときた。


「私の父が声をかけたのは事実ですが、それと私とは無関係です。父は榎本一尉と八重樫一尉の経歴から、相応ふさわしいと判断しただけのことです」

「わかっている。他ではどうか知らんが、自分の娘のために人事にあれこれ口を挟むような人間は、空自にはいない。天音二佐が声をかけたということは、それ相応の理由があるということだ」


 ムスッとしたままの顔。


 一尉と同期という言葉を使ったってことは、岩代教官も航学卒ということだ。だけど、今はパイロットではなく防府ほうふで教官をしている。もしかして教官も、事故かなにかで、パイロットを諦めなければならない事情があったんだろうか? そういえば一尉も最初の時、教官にも事情があるみたいなことを言っていたような気がする。


「もしかしてそれが面白くないとか、言わないですよね?」


 私の質問に教官は顔をしかめた。


「どうして榎本と八重樫が退官せずにすんだのに、それを俺が面白くないと感じるんだ。自分の同期が隊に残ることができたんだ、普通は喜ぶだろ。どこからそんな考えが出てくる」

「いえ、あの、その……」


 岩代教官がなにか思いついたのか、ははーんという表情になる。


「もしかして俺のことで、榎本になにか聞いたのか」

「いえ。ただ……」

「ただ?」

「ただ、岩代教官にも事情があるんだよ、ぐらいしか」

「それだけか」

「はい」


 それまで立ち止まることなく廊下を歩いていた教官が、足を止めて私を見下ろした。


「お前には関係ないことだから詳細ははぶくが、少なくともイーグルドライバーが空に上がれなくなる辛さも、パイロットが空に上がりたいと思う気持ちも、俺にはよくわかるということだ」


 教官は、それ以上の詮索は受けつけないという顔をする。なにをどう質問しても、教官はきっと答えてくれないだろうし、それは榎本一尉も同じだろう。そしてそれは恐らく、私達が知る必要のないことなのだ。ここは大人しく引き下がるしかない。


「あの、今回のことは、まさか一尉が無理をお願いしたとか、そういうことではないんですよね?」


 電話で散々、飛びたいと泣き言を言ったことを思い出した。


「まさか。さっきも言った通り、教育群で課程を終えた教え子達が、ちゃんと技量向上と机上学習を続けているかどうか確かめに来ただけのことだ。そこで〝問題あり〟と判断した元生徒がいれば、静浜につれていく。これは以前から決められていることで、なにも特別なことではない」


 教官の人さし指が私に向けられる。


「そしてその問題ありな生徒筆頭がお前だ。少しは反省しろ、俺達に〝問題あり〟どころか〝たるんでいる〟と判断された人間は、今まで一人もいなかったんだぞ。前代未聞だ」


 言っていることは叱責しっせきなのに、なぜか口調は面白がっているというか楽しそうというか。そう感じたのは、絶対に気のせいではないと思う。


「私は別に、たるんでいるつもりはありませんが」

「パイロットが半年も操縦桿を握らず、空も飛ばずの状態のどこがたるんでいないんだ? なんのために、一年ごとの資格更新テストがあると思っているんだ。寝言は寝ても言うな」


 そして、いつものガミガミさんの顔つきに戻る。


「小牧の緋村三佐の評価は高いようだが、それが本当なのかしっかりと確かめさせてもらうぞ。俺に再教育が必要だとの判定を受けないことを、祈っておけ」


 そう言うと岩代教官は立ち去った。



+++++



「天音、めちゃくちゃ喜んでない?」

「うん、喜んでる!」


 午後からの体育実習でグラウンドを走りながら、顔がニマニマするのがやめられない。C-130ではないけれど、夏期休暇に入ったら静浜で操縦桿を握って飛ぶことができる!


「たるんでるって言われたのは納得できないけど、ガミガミさんバンザイ! 一尉と同じとまではいかないにしろ、愛しちゃうかも!」

「まったくもう。だけどなんで、ガミガミさんがこのタイミングでここにやって来たんだか。すっごい謎だよね」

「だよね~」


 それは私も疑問に感じていた。訓練課程を終えた元教え子達の様子を見に来たというのは、本当のことだと思う。だけど操縦訓練中ならともかく、なんでこのタイミングにガミガミさんがここに来たのかは、ものすごく不思議だ。本当に、榎本一尉がなにか言ったわけじゃないんだろうか?


「それは良くわからないけど、飛べるならそのへんのことはどうでも良いよ。あえてツッコまないでおく」

「うわあ、本当に飛行機馬鹿……」


「天音! 松門! それ以上の無駄口をたたくと、追加でさらに十キロ走らせるぞ! そっちもだ風間! ニヤニヤしながら走るんじゃない!」


 教官の叱責しっせきが飛んできたけど気にしない。


「はい、教官殿! あと十キロ走ります!」

「すみません、教官殿! 自分達もあと十キロ走ります!」

「ちょっと勝手に私達まで巻き込まないでーーーっ!」


 私と風間君の返事と、それに対して口々に文句を言いながらも走り続ける他の子達の様子に、教官はやれやれと首を振っていた。

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