第二十九話 滑走路がなくても空自基地

 航空自衛隊の幹部候補生学校は、奈良なら市北部にある航空自衛隊奈良基地の中にある。この奈良基地は教育目的の施設なので、空自の基地だけど滑走路がない。かろうじて校庭に、ヘリが着陸できるスペースがある程度だ。


 その代わりと言ってはなんだけど、奈良基地には他の基地にはないものがある。それが古墳。正面ゲートから基地内の建物までは、二つの古墳にはさまれた道を通っていくという、古代史好きにはたまらないシチュエーションで、他の基地では絶対に味わえない古代史ロマンの匂い満点なのだ。


 ……ただ上空から見ないと、ただの小山か森かってな感じにしか見えなくて、古墳だとすぐにわからないのが唯一の難点なんだけど。


「はあ、飛べない日が続くのは退屈だよね……」


 梅雨空つゆぞらを見上げながら、溜め息をつく。


 たった三ヶ月飛べないだけで、こんなに空が恋しくなるなんて。私がこんな気分になるのなら、一尉は今頃どんな気分で毎日をすごしているんだろう。それともこんなブルーな気分になるのは、どんよりとした梅雨空つゆぞらのせいなのかな。


「なあに? そんなブルーな顔しちゃって」

「早く小牧こまきの飛行隊に戻りたい」

榎本えのもと一尉のところにじゃなくて?」

「私が戻りたいのは小牧なの」


 私の言葉に、なるほどとうなづく松門まつかどちゃん。


「そこで一尉に会いたいと言わないところが、天音あまねらしいよね。ほんと、パイロットは天音の天職だね。まるで飛ぶために生まれてきたみたい」

「だって半年も飛ばないでいられる? 私、干からびて死んじゃうかも」


 そう言って机に突っ伏すと、松門ちゃんは笑った。


「こんな湿気が多いのに干からびるの? 私は平気だなあ。地面で暮らしていてもぜっんぜん平気な気分。もちろんこの道に進んだのは私自身の希望だし、ずっと地上勤務になるのはイヤだけどさ」

「松門ちゃんてば、輸送機仲間なのに薄情だ」

「だって私はC-130じゃなくて、C-1のパイロットですから」

「どう違うって言うのよう、薄情者~~」


 しかもここはさっきも言った通り、飛行隊がない基地だ。窓から外を見ても、見えるのは校庭と山だけ。ああ、たしかゲートからここに来るまでに、退役した練習機が何機か展示してあるから、まったく航空機成分がないわけじゃない。だけど、滑走路をランディングしていく輸送機や戦闘機の姿を、一瞬でも見ることがないのだ。


 飛んでいるのはカラスやハトやスズメにトンビ、それから校舎の一角に巣を作って子育てにはげむツバメ達。あとははるか彼方の上空を飛んでいく、豆粒みたいな旅客機ぐらいなもの。基地に隣接している古墳に不満があるわけじゃないけれど、物足りなすぎて泣きたくなる。


「でも飛べなくなった一尉のことを考えれば、これぐらいどうってことないんだよね。私は少なくとも卒業すれば、小牧に戻って空に戻ることができるんだし」

「一尉さん達はどうしてるの? ひんぱんに、携帯電話でこそこそ話しているのは知ってるんだぞ?」


 松門ちゃんがさっさと白状しろと、肘で突っついてきた。


 自由時間の間にしていた電話は、できる限り目立たないようにしていたつもりだったけど、松門ちゃんにはしっかりチェックされていたみたいだ。通話料金が高いのもあって訓練中はなかなか使う機会がなく、ロッカーのこやしになっていた携帯電話。毎日のように電話するとまではいかなくても、今はそのありがたさを実感しているところだ。


「うん、それがね。治療とリハビリが一区切りついたから、三沢みさわの病院から岐阜ぎふの病院に転院することになったんだって」

「またどうして?」

「榎本一尉も八重樫やえがし一尉も、実家が石川県なの。で、近いほうが家族の人も楽でしょ? それと岐阜基地に転属になることが決まったから、あっちの病院にってことになったらしいよ。退院できたとしても、当分は通院しなきゃいけないんだって」


 ようやく正式に辞令が出たので、任務についての詳細は言えないものの、転属先については話すことができるようになってホッとする。


「岐阜基地っていうと、天音のお父さんがいる飛行開発実験団があるところだよね。なるほど。教導隊にいたパイロットなら、色々な知識を持っているものね。パイロットじゃなくても、ピッタリの部署なんじゃない?」

「うん。一尉達も、今までの経験がいかせるから随分とやる気になってた。それと病院のほうにはうちの母親がいるから、二人の主治医として、通院が終わるまで面倒を見てくれるんだって」

「そっか。天音の御両親が、そろって一尉さん達のことをみてくれるなら安心だね」


 おとなしく先生の指示に従わないと、お尻に大きな注射を刺しちゃうわよ?って、ニコニコしながら言っちゃう母親のことだから、きっと一尉のお姉さんと気が合うに違いない。今から、二人にはさまれた一尉のボヤキが聞こえてきそうだ。


 それと昨日の電話では、その件とは別にちょっとしたビックリ情報を聞かされた。それは一尉のことじゃなくて八重樫一尉のこと。



+++++



『ちょっとしたニュースだぞ、ちはる。聞いて驚け。あの鬼軍曹殿が、八重樫について岐阜に来るんだそうだ』


 一尉達が鬼軍曹と呼んでいるのは、八重樫一尉の担当をしている看護師の崎山さきやまさんのことだ。見た目はとても小柄で可愛らしいのに、鬼軍曹だなんて本当に可哀想。まあ確かに一尉達にも口では負けてないし、怒らせたら怖いのは私も認めるところだけど。


「まさかの崎山さんですか?」

『そう。まさかの崎山さんだ』

「本当に?」

『ああ。八重樫がにやけた顔で報告してきたから、間違いないだろう』

「やっぱりそうだったんだ~~」


 私の父親が顔を出した時に、そんなことないみたいなことを言っていたくせに。そういえば私がこっちにくる一週間ぐらい前から、八重樫一尉が部屋に顔を出す回数が激減していたっけ。その時はこっちに気を遣ってくれているのかなって一尉と笑っていたけど、実はあちらはあちらでなにかが進行中だったのかもしれない。


『ここしばらくの八重樫のダレっぷりときたら、ちょっとした見ものだぞ。ちはるにも見せてやりたいぐらいだ』


 一尉曰く、八重樫一尉は毎日病室にやってきては、一方的に一時間ぐらい惚気のろけていくらしい。


「じゃあしばらくは、惚気のろけに一人で対処しなくちゃならないんですね、御苦労様です」

『あいつが言うには、俺達があいつの前で散々惚気のろけてたからお互い様なんだと』

「私達そんなに惚気のろけてないのに」

『だよなあ。そう言ったら無自覚は恐ろしいと言われた』


 一尉はおかしそうに笑いながらそう言った。


「それで義足はどうなってるんですか? どれにするか決まりました?」

『ああ。医官と相談して決めたよ。それを装着して歩くためのリハビリを始めたところだ。作り物の足ではあるが、きちんと訓練をすれば、すぐに日常生活は普通にできるとさ』


 明日からは段を上り下りする訓練が始まるんだと、少しだけ誇らしげに言った。


 だけどお姉さんとこっそり電話で話したところによると、リハビリ用の義足は、オーダーメイド品ほどぴったりと装着できないので、接地面が随分と痛々しいことになっているんだとか。かなり痛みもあるみたいで、傷口から血がにじんだりして薬を塗っているらしい。もちろん私がそのことを知っているのは、お姉さんと私の二人だけの秘密だ。


「階段の上り下りですか。なんだか、あっという間に走り出しちゃいそうな勢いですね」

『さすがに今の義足で走るのは無理だろうけどな。訓練次第ではパッと見、義足だとわからない程度にはなるらしいぞ?』

「へええ。なんだか今から、次に一尉に会うのが楽しみになってきた」

『早く戻ってこいよ。ちはるの親父さんとお袋さんに囲まれて、気まずい思いはしたくないからな』

「大丈夫ですよ。うちの母親は優しいお医者さんですし、父親は職場からめったに出てこないから」

『だと良いんだが。……おっと、そろそろ夜間の巡回の時間だ。鬼軍曹殿に、遅くまでペラペラ喋っていたら携帯電話を取り上げると脅されているんだ」


 声を潜めてそういうと、ゴソゴソとなにやら動く音がした。どうやら少しでも寝ているように見せようと、体を横にしたようだ。


『まったく、酷いあつかいだと思わないか? 自分の彼氏の相棒なのに』

「まあそれが病院の規則ですからね。しかたないですよ」

『呑気なことを言ってるが、これが取り上げられたら、ちはるとも話せなくなるんだぞ?』

「それは困ります」

『だろ?』


 こんな風に電話で話し込んでいるのを見れば、大抵の人は、甘ったるいことを二人で喋っているんだろうって思うかもしれない。だけど、私達の電話事情はちょっとばかり違う。


 話す内容は、その週の学習事項で疑問に思ったところを一尉に確認するのがほとんどで、一尉は私の疑問に答えてくれるというものだった。つまり、私達の会話は予習復習がほとんどで、甘い成分なんてこれっぽっちもないのだ。だから困るっていうのも、そういう意味で困るってことなわけ。


「卒業できなかったら困ります。頑張って携帯電話を死守してください」

『その卒業ができないと困るってのも、俺に会えなくなるからじゃないんだろうな?』

「半分はそうですけど、半分は飛行隊に早く戻りたいからに決まってるじゃないですか」

『ま、ちはるらしいと言えばちはるらしいか』


 一尉は溜め息まじりに笑う。


「早く飛行隊に戻りたいですよ。一尉には申し訳ないけど、一日でも早く小牧に戻りたいんです。半年も離れていたら腕がびついちゃいますよ」

『体で覚えた技術は、そうそう忘れることはないから安心しろ』

「だと良いんですけど。いざコックピットに座った時に、エンジンスタートのボタンがどこにあるか忘れちゃったらと思うと怖いです」

「そんなことあるものか」


 一尉は笑っているけど、私のほうはそこそこ真面目に心配しているのだ。それが怖くて、寝る前にはいつも頭の中でコックピットに座ったところをイメージしながら、操縦手順を頭に思い浮かべてイメージトレーニングを続けている。だけどシミュレーターじゃないし、頭の中のイメージだけでは限界がある。緋村ひむら三佐じゃないけれど「エンジンスタートボタンはどこだ?」なんて事態になったらシャレにならない。


「そんなことを言ったら、そこにいる全員が、操縦を忘れてとんでもないことになるじゃないか。大丈夫だ、俺もそこから戻ってすぐに空に上がったが、忘れてなかったぞ?」

「そうですか? 私はさらに、それより一ヶ月ほど空白が長いんですけどねえ……」


 ちはるは心配しすぎだと笑われながら、その日の電話は終わった。



+++++



「なにニヤニヤしてるの気持ち悪い」

「ああゴメン。もう一人の一尉さんがね、病院で看護師さんのカノジョを作っちゃって、その人が一尉達の転院に合わせて、一緒に岐阜についてくるんだって」


 松門ちゃんはおお~と感心したように笑った。


「さすがイーグルドライバー。ロックオンも早いし、あっというまに相手を撃ち落としちゃったのか」

「で、榎本一尉はその惚気のろけをまともに食らって、困ってるんだって」

「それは思いのほか気の毒な事態じゃ?」

「かもしれない」


 二人で笑っていると、風間君達ファイター組が教室に入ってきた。風間君はいつにも増して浮かない顔をしている。


「どうしたの? もしかして教官から叱責しっせきでも受けた?」

「違う違う。飛べないのがつらいんだとさ」


 風間君のことをさして他の子が言った。


「あー……天音と同じこと言ってる。良かったじゃない天音、少なくとも同志が一人いて心強いんじゃない?」


 そう言われても、素直に喜べないのは何故なんだろう……。


「自分が乗ることができなくても、飛んでいる戦闘機を見られればそれなりに満足なんだ。なのにそれすらないんだぞ、ここ。あるのは古墳ぐらいじゃないか」

「お前それ、奈良県民にケンカ売ってるから外では絶対に言うなよ?」

「そうだぞ。それに古墳に囲まれた基地なんて、ここしかないんだからな。それに、ここに来るまでに退役した練習機は展示されているじゃないか」

「古墳はどうでも良いんだよ。それに展示されている練習機にも興味はない」


 古墳は一個二個じゃなく一と数えるらしいぞと他の子が言っても、まったく聞いていない。


「俺が見たいのはそういうのじゃなくて、ランディングしている生きたヤツなんだよ。飾られているのを見ても元気は出ない。ここで飛んでいるのは、カラスかスズメぐらいじゃないか。物足りなくて死にそうになる」


 風間君の言葉を聞いて、あまりのシンクロ率に吹き出したくなった。


「……まさかの同じ思考」

「なにか言ったか、天音?」


 風間君がムッとしたままの顔で私に目を向ける。


「いえいえ、なんでもありません。風間君はパイロットのかがみってことで尊敬します、うん」

「それ、褒めてないだろ?」

「褒めてますよ、リーダー。風間君も立派な空の男になったんだなあって、感心しているんです」


 いたって真面目に、イメージ的には花山はなやま三佐の執事顔な感じで答えた。


「なんか褒められている気がしないのは何故なんだ……」


 私の返答に風間君は顔をしかめながら、いつものようにブツブツと文句を言った。

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