第二十八話 久し振りの同期達

 奈良なら市北部にある航空自衛隊幹部候補生学校。ここには、私達のような航空学生から訓練課程を経てパイロットになる飛行幹部候補生だけではなく、防衛大学校や一般大学からやってきた一般幹部候補生や、空自隊員の幹部昇任試験に合格した三尉候補生など、様々な状況の幹部候補達が集まってくる。


 私達がここで学ぶ期間は四ヶ月ほど。卒業後は、元いた部隊に戻り任務についたり、引き続き訓練を続けたりすることになる。その時は三等空尉、つまりここを出る時は今までとは違って幹部なのだ。



+++



天音あまね、ひさしぶりー!」


 門をくぐろうとしていたところで、美保みほでC-1輸送機の操縦課程を受けている松門まつかどちゃんが、私を見つけて声をかけてきた。松門ちゃんは隣に立っていた御両親になにか言うと、そのままこっちに小走りでやってくる。


「松門ちゃん、おひさー! お父さんとお母さん、おいてきちゃって良かったの?」


 ニコニコしながらこっちを見ている御両親に、会釈をしながら尋ねた。


「うん。うちの親も私についてきたっていうより、私を口実にして奈良市内を観光するつもりでいるから、あのまま放っておいても問題なし。天音んちの御両親は?」

「うちはほら、身内みたいなものでしょ? 教官の誰それによろしくなって父親から言われた程度で、こっちには二人とも来てないんだよ」


 父親は、一尉達の手筈が整った後は試作機のことで頭がいっぱいな様子で、私が自宅に戻っている間も、どこか上の空状態だった。そして母親も、興味があるのは小牧こまきの職場のほうらしく、次のオープンベースの時には絶対に行って、ちはるが飛ばす輸送機に乗せてもらうのと意気込んでいる。体験飛行で私が飛ばすかどうか決まっていないのに、まったく気が早いんだから。


「そうなんだ。やっぱり関係者は違うね~」

「でも良いの? しばらくは会えないんだよ? もう少し話しておかなくても良い?」

「良いの良いの。あっちも早く二人っきりになって、ラブラブ夫婦をしたいんだから」


 松門ちゃんは、じゃあ行ってきまーすと御両親に手を振ると、私と一緒に門をくぐった。


「元気にしてた?」

「うん、お蔭さまで」


 敷地に入ると、それぞれの基地に分かれて訓練を続けていた同期の子達が、次々と声をかけてきた。毎年何名かは後期入学にずれ込んだりするものなのに、今年は珍しく全員が前期入学でそろっているようだ。一尉の事故のことがあってからは、こうやって誰一人欠けることなく一堂に会することができるのは、とても幸運なことなんだとしみじみ感じる。


「ああそうだ。例の事故のことは聞いてるよ。一尉さんの怪我の具合はどうなの? 大怪我をして、パイロットは続けられなくなったらしいって話は、こっちにも流れてきてるんだけど」

「うん。パイロットを続けるのは無理みたい。だけど退官はしなくてもすみそうなの。詳しくはわからないけど、教導隊にいた経歴を買われて、他の部署からお声がかかったみたいでね。相棒さんと一緒に、そっちに異動するみたいだよ」


 内示が出たとはいえ、今の時点では正式な辞令が出たわけじゃない。だから私も、噂話程度の情報しか知らないということにしておく。そこへ風間かざま君達もやってきた。


「久し振りって言いたいところだけど、風間君を含めたにゅーた組のほとんどとは、去年の暮れに会ったばかりだっけね」


 私がそう言うと、風間君がなんとも複雑な顔をした。そして、私の横に立っていた松門ちゃんに目を向ける。


「松門、おまえ、天音が榎本えのもと一尉と付き合っているの知ってたのか?」

「知っていたって言うか、実のところ私もまだ正式には聞かされてないよ。だけど前の居酒屋での二人の雰囲気からして、遅かれ早かれそうなるんじゃないかと思ってた。あれ? もしかして風間君はそんな気はしてなかったの? 居酒屋で天音だけが、榎本一尉におごってもらったって話は聞いてるんだよね?」


 もしかして本当の飛行機馬鹿?と言われ、風間君は思いっ切りイヤそうな顔をした。うんうん、こういうやり取りは年を重ねても変わらない。素晴らしい上官や一尉のお友達とお知り合いになる機会に恵まれたけど、やっぱり同期の仲間っていうのは特別な存在だ。


「リーダーは新田原にゅうたばるで天音に会った時に、一尉から言われて初めて知ったクチなんだよ。俺達はその直後」

「でも凄いじゃない。いつもは噂話を聞いて、後からブツブツ言うのがお決まりだったけど、今回はイの一番に知ることができたんだから。教育群にいた時から比べれば、少しは待遇が良くなったんじゃない?」

「そういう問題じゃない」


 松門ちゃんの言葉に、ますますイヤそうな顔をする。


「あの後のブツブツがまた大変だったんだけどな」

「結局はブツブツ言うのか」

「それも盛大に」


 少しだけ天音の気持ちがわかったよと、いまさらながら笑っている男子連中。気がつくのが遅い、遅すぎる。私はそのブツブツを、何年も一人で聞いていたんだから!


「私も久し振りに、風間君のブツブツを聞きたくなっちゃったな。ねえ、天音。なにか風間君がブツブツ言いそうなネタは無い?」

「また無茶なことを言い出すんだから。そんな都合よくネタがあるわけないでしょ? それに私は、入校早々から風間君のブツブツなんて聞きたくありません」

「いやいや、一つ二つありそうじゃない? 小牧で輸送機課程を受けていた男子もいたんだよね? まったく気がつかず? なにか面白そうなネタはないの?」


 どうやら私の意見はなかったことにされそうだ。そもそも、リーダーがブツブツ言うのは、なにも私関係の話でなくても良いんじゃないの?という私の言葉も、まったく無視された。


「うちは戦闘機の飛行隊のいない基地だから、教導隊も立ち寄らないからなあ。それに天音、ほとんどいなかったもんな。天音の教官がすごい鬼教官で、操縦するようになってからは毎日のようにあっちこっち連れ回されていて、顔を合わす機会なんてほとんどなかった」

「そうなの?」


 松門ちゃんが気の毒そうに私を見る。


「他の人は緋村ひむら三佐が鬼教官だって言うけど、そんな風には思わなかったな。たしかにあっちこっちに飛んでたよ。だけどすごく楽しかったし、お蔭様で飛行距離と時間は、同期の中では飛び抜けているんだって」


 実際のところ、松門ちゃんや風間君達がどのぐらの時間と距離を飛んでいるのかは、聞いてみないことにはわからない。だけど花山はなやま三佐いわく、もともとC-130の航続距離が長いのと緋村三佐が飛びたがりなせいで、私の飛行時間と飛行距離はとんでもないことになっているらしい。まあそのお蔭で、一ヶ月近く一尉に付き添っていられたんだから、緋村三佐の鬼教官ぶり?には感謝しなくちゃいけない。


「でも、病院で榎本一尉にしばらく付き添っていたんでしょ? それは大丈夫だったの?」

「うん。飛行時間はとっくにクリアーしていたし、教官の許可つきだから問題ないんだって。だけど一ヶ月も飛ばなかったら、なんだか物足りなくて。一尉にも早く戻って飛びたいんじゃないかって、ずっと言われてた」

「ははーん、ここも相も変わらず飛行機馬鹿なのか」


 うん、馬鹿かどうかはともかく、飛ぶのが好きなのは否定しない。


「もちろん病院にいる間、なにもしてなかったわけじゃないよ。ちゃんと勉強はしてました。一尉にも色々と教わることもあったし……風間君、そんな顔してこっち見ない! ブツブツ禁止!」


 なにか言いたげな顔をした風間君に、ビシッと人差し指を向けた。風間君はビクッと少しだけ飛び上がる。そして胡散臭うさんくさげな顔をした。


「輸送機パイロットの天音に、飛行教導隊のパイロットからのアドバイスが役に立つのか?」

「そりゃあ役に立つよ。だって輸送機で飛んでいる時に、国籍不明機と鉢合わせをすることだってあるんだもの。風間君達が追い払うために駆けつけるまでは、自力でなんとかしなくちゃいけないでしょ? あっちの飛び方やとりそうな行動に関しては、教えてもらっておくに越したことはないの」


 お蔭で万が一のことが再びあっても、きちんと対処できそうな気分にはなれた。もちろんできることなら、二度とあんなことには遭遇したくないけど。


「そういえば訓練中に、招かざるお客さんと遭遇したんだっけ?」

「そうだよ。だから風間君も、スクランブルになったらさっさと空に上がれるように、ちゃんと訓練しておいてよね。私が見学させてもらったのは通常訓練だったから、そのへんが大丈夫なのかわからないし、そっちが駆けつけてくれないと、戦闘機相手に武装の無い輸送機は逃げるぐらいしかできないんだから」

「言われなくてもわかっているし、ちゃんとその辺も訓練中だから心配すんな」

「慌てて走って、イーグルにたどりつく直前で派手に転ばないか心配だよ、私……」

「なんでそんなに具体的なんだよ!」


 私が溜め息をつきながら呟くと、速攻で風間君の鋭いツッコミが返ってきた。


「二人のやり取りを聞くとホッとするよね」


 松門ちゃんが笑いながら歩き出すと、皆がそれに合わせて移動を始める。そして皆の後ろをついていく途中で、風間君が私の横に並んだ。


「なあ、天音」

「なに?」

「本当のところ、榎本一尉と八重樫やえがし一尉の具合はどうなんだ?」


 やっぱり風間君も気になるらしい。


「リハビリが始まって、二人とも頑張ってるよ。榎本一尉は義足をつけるための訓練に入ってるから」

「退官しなくても良くなったのはわかったけど、その後のことは決まっているのか?」

「風間君達と合流する前に話してたんだけど、今までとはまったく違う部署で働くことになりそうってことだった。そのへんのことは、私もまだ詳しくは知らないんだ」


 とたんに風間君が疑わしげな顔をする。


「なんでそんな顔するの」

「絶対に他にも聞いてるだろ?」

「そんなことないよ」

「いや、絶対に聞いてるだろ?」

「仮になにか聞いていたとしても、正式に決まったことじゃなければ口にできないのは、わかってるよね?」

「噂じゃ……一尉達は、新型戦闘機の開発に携わる部署に行くらしいって」

「ふーん、そうなの?」


 さすが一尉のことをあがたてまつっていることだけはある。風間君の情報ルートは、なかなかあなどれないかもしれない。


岐阜ぎふ基地には、天音のオヤジさんがいるんだよな?」

「いるよ」

「……」

「……」


 お互いに黙ったまま歩き続ける。やがて風間君が溜め息をついた。


「榎本一尉がどこに配属されるかは別として、退官しなくてすんで良かったよ」

「ねえ、風間君」


 ふと気になったことがあって、それを風間君に質問してみることにする。


「ん?」

「風間君は榎本一尉がパイロットじゃなくなっても、やっぱりあがたてまつり続けるつもりなの?」

あがたてまつるってなんだよ、尊敬と言えよ尊敬と。俺は榎本一尉のことを、パイロットとしても自衛官としても尊敬しているんだよ。一尉がパイロットじゃなくなっても、その気持ちは変わらない」

「そっか」

「なんだよ」

「一尉が聞いたら喜ぶかなって思ってた」


 とたんに風間君はうろたえた顔になった。


「言うなよ」

「えー、聞いたら喜ぶと思うんだけどな」

「言うなって」

「風間君てば恥ずかしがり屋さんなんだから~」

「そういう問題じゃないんだって。絶対に言うなよ?」

「それって言ってほしいってこと?」

「違う。マジで、言うな、頼むから」

「ざんねーん」


 私と風間君のやり取りに気がついた松門ちゃんが振り返って、相変わらずだねと笑った。



+++++



 幹部候補生学校で、一番長くすごすことになるのは一般大学からやってきた候補生さん達で、その期間は約十カ月だ。それまで隊にいた人間や防大出身者は、ここに至るまでの生活で自衛官がなんたるかを学んでいたし、生活環境にもそこそこ慣れていた。だけど一般大学から入ってきた人にとっては、なにもかもが新しいことばかり。最初のうちは、随分と戸惑っている様子が目についた。


 規律正しい生活、教官の命令は絶対、そして厳しい訓練。とにかく私達にとっては当たり前の生活が、彼等にとってはこれまでとまったく違う環境なのだ。航学時代に私達が経験した銃火器の取り扱いや戦闘訓練も行われるし、色々と苦労しているのが傍目はためからも見て取れた。


「まあ、ここでの生活に耐えられないような人間は、卒業して部隊配属されたらもっと耐えられないからねえ。ついていけない人は今のうちにリタイアしたほうが、本人のためなんじゃないかなあ?」


 グラウンドをフラフラしながら走っている人達を教室の窓から眺めながら、松門ちゃんが言った。


 あの様子からして、彼等は恐らく一般大学からやってきた幹部候補生さん達。十キロでフラフラしていたら、三十キロとか六十キロとかどうなるのよと、松門ちゃんは容赦がない。そういえば彼女の持久力は、うちのグループでも抜きん出ていたような記憶がある。


 そして松門ちゃんの言葉は、もちろん私達にも防大卒の人達にも言えることだ。


 私達だって防大生だって、入学して寮生活を始めた時は、こことは比べ物にならないぐらいのそれはそれは厳しい指導と生活が待っていた。なんでそんなに厳しいかというと、それは単に規律を守る生活を叩き込むというだけではなく、生徒達をふるいにかける作業も兼ねているからだ。航学としての二年間、防大生としての四年間に耐えられないようなメンタルなら、自衛官としてやっていけない。そのための厳しさでもあるわけだ。


 どの時期でこの関門があるかはそれぞれだけど、自衛官になるためには、必ず通らなければならない道とも言えた。


「だけど、いまだに理解できないんだよね。なんで朝っぱらから上半身裸で走らなきゃいけないんだか。Tシャツぐらい着たって、なにも変わらないんじゃないかと思うんだけどな」


 松門ちゃんが言っているのは、毎朝のランニングのことだ。女子はTシャツを着て走ることが許されるけど、男子はなぜか上半身裸。あれは目のやり場に困るんだよね……と松門ちゃんがぼやいた。


「まあ、あれはいまだに謎な伝統ではあるよねえ……」

「そりゃ、天音は男の裸なんて見慣れているだろうけどさ」


 さらりと、松門ちゃんが聞き捨てならないことを言う。


「え、見慣れてるわけないじゃない。私だって目のやり場に困ってるよ」

「またまたそんなこと言って。一尉さんのを見てるからすっかり慣れっこでしょ?」

「そんなことないよー」


 たしかにベッドに入れば、一尉も服を脱ぎ捨てていた。だけどそんなにまじまじと見た記憶がない。


「お風呂とか一緒に入ったことないの?」

「またそんなことをいきなり」

「ないの?」

「……あるけどさあ……」


 一尉の体を見ている余裕なんて、ほとんどなかったような気がする。


「あー……なるほどね」

「なにがなるほど?」

「うん。まあアレだ。経験豊富な一尉には、我らがサブリーダーも太刀打たちうちできないってことだよね。うんうん、経験って大事だねえ。技量も大事、うんうん、ほんとーに大事」

「どういうことー?」

「そういうこと」

「意味不明すぎて笑えなーい」

「安心して。このネタは、風間君には言わないでおくから」


 それを聞いても安心できないのは何故ー?!

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