第二十七話 そういう問題じゃない

 私が父親を見送って病室に戻ってくると、二人がなにやら熱心に話し込んでいた。


「なにを話しているんですか?」


 私の質問に二人が顔をあげる。


「ん? さっき見た試作機のことで色々と。操縦はできないが、複座が完成しているなら少なくとも後ろに乗ることが可能だろ? 試してみたいことが山のようにある」

「さすがパイロット脳ですね」

「褒め言葉として受け取っておこう」

「もちろん褒めてるんです」


 なんだか急に元気になったみたいだ。今までも二人は、私の前では冗談を言い合ったりして十分元気にしていた。だけど今の二人を見ていると、それまでの様子と明らかに違う。


「で、どうせ乗せてもらうなら、知っているパイロットが良いよなってことなんだ。だからもしその段階になったら、知り合いのパイロットに声をかけてみようかと話していたところだ」


 あいつ等のことだ面白がって絶対にこの話に乗ってくるぞと、八重樫やえがし一尉が楽しそうに言った。すでに父親の思惑通りに事態が動いているようだ。


「乗るだけなら、榎本えのもと一尉も大丈夫なんですよね?」

「ん? まあそうなんだが、俺は機動性能よりも中身のほうが気になるな」

「中身?」

「榎本は新型が正式に部隊配備されるのにあわせて、そっちの整備員になろうかって考えているらしいよ」


 八重樫一尉がそう教えてくれた。


「そうなんですか?」

「今回の事故が、単なる整備不良なのかシステムの不具合なのかは今のところわからないが、少なくとも機体が原因なのは確かだ。ましてや今回は試作機、それこそなにが起こるかわからない。知り合いを呼ぶなら、可能な限り万全な機体で送り出してやりたいと思うのが、友達ってもんだろ」


 もちろん、開発飛行団にだってちゃんと整備員はいる。だけど一尉の言い分もわからないではない。


「それに、新しい場所で新しい仕事を始めるんだ。せっかくもらったチャンスなら、自分が今までやってこなかったことをしてみたいと思ったんだよ。最初は、ちはるが乗っている輸送機の整備員を目指すのも良いかと思ったんだが、やっぱり俺は根っからの戦闘機乗りなんだよな。乗れなくなっても戦闘機のそばにいたい」

「それはわかってますよ。一尉は戦闘機から離れたら、きっと寂しくて死んじゃいますもん」


 私がそう言うと一尉は顔をしかめた。


「俺はウサギかよ」

「八重樫一尉はどうなんですか? パイロット復帰以外の道、なにか考えているんですか?」

「俺? 俺はそうだな、もともと航空戦術に興味があって、日下部くさかべ隊長の誘いを受けたみたいなものだから、可能なら将来的にはそっち関係の部署に行ってみたいとは思ってる。例えば電子戦支援隊とかね。とはいえ、まずは怪我を治して天音あまね二佐が待っている岐阜ぎふ基地に行くことが先決か」


 八重樫一尉が椅子から立ち上がった。


「しかし考えたらすごいよな。俺達、ちはるちゃんのお父さんの部下になるわけか。榎本、大丈夫なのか? こちらは上司のお嬢さんになるわけだぞ?」

「やりにくいのはお互い様だろ」


 一尉の言葉に八重樫一尉はたしかにと笑う。


「じゃ、俺はそろそろ戻るとするよ。鬼軍曹殿に見つかったら大変だから。じゃあ」


 八重樫一尉が病室を出ていくと、一尉が椅子を片づけている私に手招きをした。


「なんですか?」

「寂しくて死んじゃうってなんなんだ」

「だってそんな気がするんだもの。試作機が戦闘機じゃなくて輸送機だったら、きっと二人ともここまでやる気にはならなかったでしょ?」


 その問いかけに、一尉は一瞬だけ考え込むと、言えてるなとうなづく。


「でしょ? さっきも自分で言ってたじゃないですか。自分は根っからの戦闘機乗りだって。だけど、パイロットから転向して整備員になるのに、どれぐらいの期間が必要なんでしょうね」


 航空機整備員になるには、第一術科学校で学ばなくてはならないはず。ただ一尉の場合は今までの知識や経験もあるから、普通に入学してくる他の人達とはちょっと事情が違う。それでも若い子達と一緒にもう一度勉強するんだろうか? それとも、新型戦闘機の実用化に向けて特例で岐阜基地で学ぶことになるんだろうか? そうなると、将来的には術科学校での教官ってのもあり?


「そういうこともあわせて、天音二佐に相談させてもらうことにするよ」


 そう言いながら私の手を取って引き寄せた。


再来週さらいしゅうには実家に戻るんだよな?」

「はい。そろそろ入学準備もしなくちゃならないですしね」

「そうか。じゃあしばらくはまた会えなくなるんだな」

「だけどそこを我慢したら良いこともあるでしょ?」

「どんな?」


 一尉が首をかしげる。


「だって、少なくとも量産機がロールアウトして正式に部隊配備になるまでは、一尉は岐阜基地勤務になるわけだし、新田原にゅうたばる小牧こまきに比べたら、ものすごく近くなったじゃないですか。今度は、お休みのたびに私が遊びに行ける距離だもの。しかも今度は営外に住めるから門限も無いし」

「たしかにそうだな」


 そこで一尉は、なぜか私の手を握ったまま黙り込んでしまった。


「どうしたんですか?」

「ん? いや、そうなると俺の実家とも近くなるなと考えていただけだ」

「ああ、そうでした。新田原に比べれば一尉も帰省しやすくなりますね」


 うんうんとうなずきながらも、一尉がそれとは違ったことを考えているように思えたのは気のせいかな?


「その前に、夏の異動に向けてリハビリを頑張らなきゃ」

「ああ。俺はこっちでちゃんと治療とリハビリに専念して、夏の異動までにはなにがなんでも間に合わせる。だからちはるは奈良ならでしっかり勉強しろよ?」

「もちろんですよ」


 だどパイロットになるために必要なこととはいえ、半年も操縦桿から離れるのは寂しいかな。それと一尉と離れるのも。


「私がいない間、こっちでわがままを言わないでくださいね。私が甘やかしてたって、お姉さんに叱られちゃいますから」

「あの女帝様は、俺がおとなしくしていても怒りそうだけどな」

「でも良かったです、一尉が元気になって」

「俺はずっと元気だぞ?」

「そんなことないですよ。テレビを見ていても心ここにあらずってことがよくありました。それに話を聞いた後の二人の様子は、昨日までと全然違います。そのぐらい私にだってわかりますから」


 半年しか離れない私がこんな寂しいと感じるのだ。二度と空に上がることができなくなってしまった一尉は、もっと寂しいに違いない。


「正直言って、自分でもまだ気持ちの整理がつかない。これが自分の操縦ミスでの事故なら、それなりにあきらめもついたんだろうがな」

「事故からまだ、一ヶ月ちょっとしか経ってないんですもん。そんな短い間に気持ちの整理をつけるなんて、無理な話だと思いますよ。でも、少なくとも次の目標らしきものはできたじゃないですか。岐阜基地に転属になってから、整備員の勉強にチャレンジするって」

「本当に輸送機の整備員にならなくても良いのか? C-130の機上整備員フライトエンジニアになれば、ずっと一緒にあっちこっちに行けることになるかもしれないんだが」

「私としてはそうなってくれたら嬉しいですけど、それじゃあ一尉が寂しくて死んじゃいますよ。やっぱり一尉は戦闘機のそばが似合ってます」


 うん。間違いなく一尉は戦闘機のそばが似合ってる。それが例え飛べなくなってしまったとしても。だけど……。


「でも、逆に辛くならないかってのは心配かな」

「どういうことだ?」

「だって飛べないのに他の人が飛ばすのを見るのは、逆に辛くないのかなって」

「本当に飛べなくなると思ってるのか?」

「だって義足では踏ん張りがきかないから無理なんでしょ?」


 そう私に話してくれたのは一尉だ。


「なんのために複座があると思っているんだ、機長。俺は別に、自分が操縦することにこだわっているわけじゃない。たまに空に行けたらそれで幸せだ」

「そうなの? だったら私が男じゃないのが残念。男だったら今からでもT-4の操縦訓練を受けるのに。そうしたら、いつでも一尉のことを後ろに乗せて飛べるんだけどな」

「ちはるが男になったら変な世界の話になるだろうが。気持ちは嬉しいが、変なことを想像させるな」

「じゃあT-3で良ければいつでもどうぞ?」


 イーグルでないのは申し訳ないけれど、気持ちの問題ってことで。それにたまには、初心に戻って練習機を操縦するのも悪くはないかもしれない。


「そうだな、そっちのほうが良い。最初にちはると乗ったのもあれだし、たまには俺を後ろに乗せて飛んでもらおうか」


 そう言って微笑んだ一尉の表情は、今までとはまったく違うものだった。やっぱり今まで無理していたんだと思うと、少しだけ申し訳ない気がしてしまう。私がもっと大人だったら、きっと話をちゃんと聞いてあげられたんだけどな……。


「なんだ深刻そうな顔をして」


 それまで私の手を握っていた一尉の手が、ほっぺたをムギュッとつねってくる。こんな風にほっぺたをつねられるのも、久し振りだってことに気がついた。


「なんでもないですよ。あとの心配事は、各務原かがみはらで一尉とうちの父親が殴り合いにならないかってことぐらいです。あっちに行っても、できるだけ離れていてくださいね」

「また無茶な注文だな、それは」


 一尉はそれ以上のことはなにも言わず、笑うだけだった。



+++++



 完全看護で一尉の怪我も快方に向かっているはずなのに、その日の夜から、なぜか小松こまつのお姉さんがこちらに来るまで、病室に泊まることが許可された。再来週さらいしゅうには実家に戻って奈良に行くことになるから、医官先生の特別な配慮だったのかもしれない。


 それと傷の具合も随分と良くなったということで、一尉達のお友達も、日本全国の基地からお見舞いにやってきた。航空学生時代の飲み会で見かけた人達もいて、私の顔を見ると「ああ、やっぱり捕まっちゃったのか、お気の毒にねえ」と口々に言うものだから、一尉はそのたびに憤慨ふんがいするハメになった。


「はあ。せっかくこれだけ長く顔を合わせていられたのに、結局はなにもできずじまいになりそうだ……」


 見舞客が帰った日の夜、ベッドに並んで座りテレビを見ている時に、一尉が私の膝を撫でながら溜め息まじりに言った。


「あの、聞いてほしそうだから一応は質問してあげますけど、なにをしたかったんですか?」

「そりゃあ、せっかくベッドもあって個室なんだ。あれやこれやとやりたいことは山のように」

「なに言ってるんですが。ここは病院ですよ?」

「それが男のさがなんだからしかたがないだろ」


 ただそうは言ったものの、片足の膝下からを失った怪我の影響は思いのほか大きいようで、私がここに来てから一尉の体はその気にすらなっていないようだった。


 どうしてわかるかって? 傷口が完全にふさがるまでは入浴も控えなくてはならなくて、私が一尉の体を拭いていたから。その時もまったく反応がなかったし、それは今も続いている。私は別になんとも思ってなかったんだけど、男の一尉としてはそれがかなりショックだったらしい。


「あのな、あまりの反応の無さに、このままたなくなったらどうしようとか真剣に悩んでいるんだぞ、これでも」

「別に無理しなくても良いじゃないですか。今のところ困らないんだし」

「困らないってちはる、このまま一生ちはるのことを抱けなくなるかもしれないんだぞ。それでも良いのか?」

「抱ける抱けないで、その人の価値が決まるとは思えないんですけど」


 私の答えに、信じられないという顔をしてこっちを見た。


「……」

「なんですか、なんでそこでそんな顔をするの? 違うの? エッチができるから偉いとかそんなことないでしょ? それに大怪我をしたんだもの、そういう状態が続いてもしかたがないでしょ?」

「いや、そう言ってくれるのはありがたいんだがな、俺としてはちはるを抱きたいわけだ」

「一尉のことだから、きっとそのうち元通りですよ。今はそこに心血を注ぐより、別のところに注がなきゃ」

「せめて奈良に行くまでな、一度ぐらい抱いておきたかったんだがなあ……」


 まだ未練がましくブツブツと言っている。そして私の膝から腰のあたりまで手を這わせた。


「ちはるのほうはどうなんだ? これだけ俺が触っているのにムラムラするとかないのか?」

「ないですね」

「本当に?」

「ないです」


 俺も随分と腕が落ちたものだと溜め息をつく。一体いつの誰とのことと比較しているのやら。


「怪我人がなにを言ってるんですか。たとえ一尉の体が通常通りだったとしても私がムラムラしたとしても、病院でそんなことをするのはダメに決まってるでしょ?」

「じゃあ、なんでここしばらくちはるの泊りがOKになったんだよ」

「こんなことをさせたくて医官がOKしたとは思えませんけどね」


 そう言いながら、腰から上へと移動していた手をピシャリと叩く。


「そんなことないだろ。夕飯の後の回診がなくなったのと朝の回診が遅くなったのを、不思議に思わないのか?」


 だけど一尉はまったくめげた様子もなく、ニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら再び私の腰に手を回してきた。


「でも一尉はその気にならないんでしょ? 私だってその気にならないですし。それに、その気になれたとしても私はイヤですからね」

「その気にならないのは俺の附属物であって。俺のほうは十分にその気なんだぞ?」


 そんなことを言いながら、私を自分の膝の上に引っ張り上げた。


「無茶して、せっかくふさがった傷口が開いたらどうするんですか~」

「もうそんな心配がないのは、わかってるだろ」


 たしかに傷口はきちんと閉じている。だけど手術のあとはまだ生々しく残っているわけで、それを見ているからやっぱり心配だ。それに一尉はすっかり忘れているみたいだけど、ここは病院です!


「だったら整備員としての予行演習なんてどうだ?」

「はい?」

「機体の隅々までチェックするのが航空整備員だ。細かい傷を一つとして見逃すことなく点検して、機体を空に送り出す。ふむ、なかなかいい考えだよな。今日から毎晩きちんと点検して、奈良に送り出してやるよ」

「ちょ、ちょっと!」


 毎晩?! 止める間もなくパジャマのボタンをはずしだす。何度も言うようだけどここは病院なの! 夜の回診が無くても朝の回診が遅くなっても病院なの!


「あっちでは、これまでとは違ってほとんどが机上学習になる。午後は運動できるだろうが、それだけですまさず、きちんと自分でトレーニングをして体力をつけておくようにな」

「それは一尉も同じでしょ? 病室にダンベルを持ち込んでいても、できることなんては限られているんだし」


 パジャマ越しに一尉の体にペタペタと触れた。やっぱりせているというか、それまでついていた筋肉が落ちているのというか、以前よりも確実に体が細くなっている。


「あ」

「?」


 一尉が変な顔をして私のことを見つめた。


「なに?」

「今ちょっと反応したかも」

「え? なにが?」

「ここが」


 私の手を取ってズボンの前の部分に押しつける。んー……そう言われればいつもと違うような? 今までそんなにしっかりと触ったことがあるわけじゃないので、いまいちピンとこないけれど。


「すごいな。やっぱり精神的なものもあったわけだ」

「えっとそれって、退官しなくてすんで各務原に行くことが正式に決まったってこと?」

「ああ」


 一尉と八重樫一尉に、岐阜基地転属の内示が届いたのは今朝のことだった。父親が一尉達を自分のいる飛行開発実験団に誘ったのは二日前。たった二日で内示が出るなんて、一体うちの父親はどんな魔法を使ったんだろう。


「どこまで回復したかは、実際に試してみるしかないな」

「だからここは病院だってば!」

「俺が回復したことが嬉しくないのか?」

「そういう問題じゃなくてー!」


 そりゃあ、一尉が精神的にも肉体的にも立ち直りつつあることが証明されたのは嬉しいことだ。だけどそれを、病室で試すのはいががなものかと思う。しかもエッチすることで。


「だからここは病院なんだって何度言えば!」


 パジャマを脱がされそうになりながらも抵抗する。すると急に一尉が顔をしかめた。


「うっ」

「え?! どこか痛かった?!」


 もしかして何処か痛いところをつっついちゃった?と慌てて顔をのぞきこんだとたんに押し倒された。私を見下ろす一尉はニヤニヤと笑っている。


「油断大敵だな機長。片足の膝から下がなくても、大して困らないことがこれで分かっただろ?」

「こっちは痛かったのかって心配したのにっ!」

「油断したちはるが悪い。あきらめろ」

「ここは病室だって言ってるのにぃぃぃぃぃ!」


 ……本当にイーグルドライバーは元イーグルドライバーになってもあなどれない。


 そんなわけで、次の日から足をマッサージするたびに一尉がその気になってしまい、リハビリどころじゃなくなって少しばかり困った事態に陥ることになってしまった。


 それとあと一つ疑問に思ったことがある。一体いつのまに一尉は避妊具を入手したんだろうかってこと。私は限りなく、八重樫一尉が疑わしいと思っているんだけどどうだろう?

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