第二十六話 これからのこと

 それから数日ほどしてから、榎本えのもと一尉の病室に、空自の法務と総務人事担当の隊員がやってきた。八重樫やえがし一尉が意識を取り戻したことで、事故に遭った当事者全員が話せる状態になり、三人それぞれと今後のことを話し合うためだ。


 こちらの基地に所属していたパイロットは、怪我が完治しだい原隊復帰することが決まっていた。だけど片足をくした一尉と、片腕がしびれていてままならない八重樫一尉に関しては、このままパイロットとして留まることができないので、通常の手続きとしては、早期退官ということになるだろうということだった。まずは傷の完治だけを考えることにすると一尉は言ってたけれど、周囲はそれを許してくれそうにない。


「まだ怪我も完治していないのに退官の話なんて、いくら決まりでも酷すぎませんか?」


 事務的な話をした後に、書類が入った分厚い封筒を足元のテーブルに置いたのを見て、思わずそんな言葉が口から飛び出した。


「通常の早期退官と違って、今後の補償のことがあるケースだから事務手続きに時間がかかる。だから早めに渡しておかなくてはならないんだよ。再就職先の選定もあるからね」


 書類を持ってきた人事担当官がそう言った。


「それにしたって、まるで追い出すみたいじゃないですか。まだ本人が怪我で大変な思いをしている時に持ってくるなんて、薄情すぎますよ」

「ちはる、言いすぎだ。こういうことは、感情論でどうのこうのすることじゃないんだから」


 一尉はそう言って私のことをなだめた。だけど本当のことじゃない。まだ怪我も治りきっていないし、リハビリだってこれからなのに、まるで追い出すみたいに早期退官の手続きに入るなんて。


「でも悔しくないんですか? 今までずっと、国防と戦闘機パイロットの技量向上に貢献してきたんですよ? なのに怪我でイーグルに乗れなくなったとたんに、この人達は一尉達のことを、空自から追い出しにかかってるじゃないですか」

「誰も追い出すとは言ってないだろ。ちゃんと怪我の補償もされるし、再就職のことも考慮してもらえるんだ。こういうことは自衛隊だけではなく、民間企業でも同じだぞ?」

「ですけど」

「それにこの二人にしたって上から言われてきただけだ。ちはるが食ってかかってもしかたがないだろ。そんなことを言っても二人を困らせるだけだ」

「でも!」


 そこでドアをノックする音がしてもう一人、制服の人が病室に入ってきた。なんとうちの父親だ。人事関係の役職についているわけでもないのに、どうしてここに? ま、まさか居場所がわかったところで、とうとう怪我人の一尉を殴りに来たとか?!


「お、お父さん?!」


 私の言葉に、一尉も驚いてそこに立っている父親に目を向けた。


「お父さん? ちはるの?」

「はい。めったに各務原かがみはらから出てこない人なのに、なんでここに現れたんだか……」


 父親は私をチラリと見てから、事務方の二人に顔を向けた。


「君達、その早期退官に関する話はいったん棚上げとなった。榎本一尉と八重樫一尉関係の書類は、東京に持ち帰ってくれ」

「ですが」

「これは上からの命令だ」


 有無を言わさぬ口調に、二人はいぶかしげな顔をしながらもうなづき、ベッドの横に置いた封筒をカバンにしまい込む。


「それは持ち帰って上官の三谷みたに一佐に渡すように。一佐から改めて指示が出るだろう。そちらに従ってくれ」

「わかりました。では失礼いたします」


 二人が病室を出ていったところで、父親がこっちを見た。


「榎本一尉、怪我の具合はどうかね」

「お陰様で傷口はほぼふさがりつつあります」

「そうか。ここに来る前に、八重樫一尉の様子ものぞいてきたが、ベイルアウトして、飛び散った破片をまともに頭に食らったわりには元気そうだった。君に関しては、まあその、運が悪かったな」


 あれから、海に墜落した事故機を引き上げての事故調査が始まっていた。吹き飛んだ翼は、大きく欠損しているうえに部品が広範囲に飛び散っているので、一つ残らず回収するというのは難しいという話だった。


「命が助かっただけでも、良しとしなければならないと思います。下手をしたら死んでいました」

「そうだな。……天音あまね空曹長、君は少し席をはずしてくれないか」


 父親が私のことを階級付で呼んだ。つまりこれは上官としての命令で、父親も自衛官としてここに来たということだ。


「わかりました」

「二佐、彼女にはここにいてもらってはいけませんか。これからの自分のことに関しては、彼女も無関係ではありませんので」


 一尉がそう言うと、父親は複雑な顔をして黙り込んだ。そして、溜め息をつくとうなづく。


「……わかった、良いだろう。ならばまずは、八重樫一尉を呼んできてもらおうか。こっちに呼ぶから準備をしておいてくれと、言っておいたんだが」

「わかりました。あ」


 病室を出かけてから立ち止まり振り返った。


「なんだ?」

「私がいない間に、殴り合うとかよしてくださいね?」

「わかっているから、早く迎えにいきなさい」


 父親は苦笑いしながら手を振って、私を追いやった。


 隣の病室に顔を出すと、八重樫一尉がパジャマの上に教導隊のワッペンがついたジャンパーを羽織って、ベッドに座っていた。


「八重樫一尉、二佐がこっちに来てくださいって」

「わかった。しかし驚いたよ、天音二佐ってちはるちゃんのお父さんなんだろ? ここに二佐が入ってみえた時は、榎本と間違えて殴られるのかと思った」

「私も父の姿を見た時にそう思いました。そのまま歩いていけますか?」


 ベッドから降りて立ち上がった八重樫一尉を、いつでも支えられるようにと横に立つ。


「大丈夫だよ。怖い鬼看護師もいないことだしね」

「またまたそんなこと言っちゃって。まんざらでもないんでしょ? あんな風に言い合いをするの」


 私がそう指摘すると、八重樫一尉は悪戯いたすらっぽい笑みを浮かべた。


 最近の八重樫一尉は、看護師の崎山さきやまさんを困らせては、喜んでいるふしがある。崎山さんも崎山さんで、一尉のわがままになんだかんだと言いながら付き合ってるし、もしかして二人とも、その言い合いを楽しんでいるんじゃないかと思うこともしばしばだ。


「まあ、退屈しのぎにはなるかな」

「またまた~。もしかして、ちょっといい雰囲気になってませんか?」

「そんなことないよ。看護師と怪我人が恋に落ちるなんて、ドラマの中だけの話だよ。だから残念ながら、ちはるちゃんが喜びそうな進展はまったく無しだ」

「そうなんですかー?」


 二人の言い合いを見ていると、そんなことないと思うんだけどな……。


「関係者以外とはできない内密な話だってことだったけど、その間ちはるちゃんはどうするんだい?」

「私も一緒に聞いていても良くなりました。一尉が、自分のこれからのことは私にも係わることだからって」

「あらら、自衛官のくせにいきなり先制攻撃をかましたか。お父さん、ショックを受けたんじゃ?」


 八重樫一尉が気の毒そうに笑う。


「まあそんな感じの顔をしていたかも。でもだからって、怪我人をぶっ飛ばすわけにもいかないでしょうからね。早く部屋に行きましょう。二人っきりにしておいたら、それこそ本当に殴り合いになるかもしれないから」

「了解だ」



+++



 一尉と病室に戻ると、部屋の隅っこに片づ付けられていた椅子が、ベッドの横に置かれていた。どうやら父親が、私達を待っている間に用意をしたらしい。こういうところは、二佐だからって偉そうにふんぞり返っていることがないマメさだ。


「二人はそっちに座りなさい。さてどこから話したものかな」


 そう言いながら、私と八重樫一尉が椅子に座るのを待って、持ってきたカバンの中から分厚いファイルを取り出した。そして私達全員が見られるように、ベッドの足元にあったテーブルを引っ張ってきて、そこに置くとページを広げた。


 そこには、赤と白の塗装がされた航空機の写真。たしかこれは、岐阜ぎふ基地の飛行開発実験団で開発中の戦闘機で、何年か前に実物大の模型が公開された機体だ。開発することが決定されてから、日米間であれこれと問題が起きたこともあり、計画が予定以上に延びていた。テスト飛行が開始された今でも、本当にロールアウトまでたどりつけるのか疑問視されている、次世代型戦闘機だったはず。


「現在、我々が開発を続けている国産戦闘機のXF-2、いや、すでにF-2支援戦闘機と正式に命名されたものだ。君達もパイロットなら一度は耳にしているな」

「数年前に実物大模型モックアップが報道関係者に公開され、試作機がテスト飛行を開始したと報道されたあれですね」


 一尉が写真をのぞきこんでから父親を見た。


「そうだ。ようやくテスト飛行が軌道に乗り、来年度秋頃には正式に量産に入る予定になっている」


 さすがパイロットだけあって、二人とも単発なのかとか尾翼がどうのとか興味津々きょうみしんしんといった感じで、ファイルの写真を見ている。


「とはいっても、すぐに各基地の飛行隊に配備されるわけではない。量産に入るまではさらにテストを重ねる予定だ。我々の予定では、試作機の初飛行から部隊配備まで三年と見ているが、これだけ延び延びになっている計画だから、さらに遅れても驚きはしないな」


 そう言いながら、ファイルの他のページを開く。そこには、試作機仕様ではない洋上迷彩の塗装を施された単座機と複座機の写真と、概要が掲載されていた。


「もうここまで進んでいたんですか」

「やっとここまで進んだ、というのが我々の本音だよ」


 一尉の言葉に、父親は苦笑いを浮かべる。


「ねえ、お父さん。これって部外秘のファイルなんじゃ……?」

「だからお前は席をはずせと言ったんだ。ここで見たことは他言無用だぞ」


 父親は、怖い顔で私のことをにらんでキッパリと言った。そして、ファイルを食い入るようにして見ている一尉達に、声をかける。


「どうだね。しばらくのあいだ、うちでこれのテストを手伝う気はないか? 君達が望んでいるような形で残ることは不可能だが、少なくとも、戦闘機の性能テストに携わることはできる。そこからどういう道に進むかは、君達次第だ。それこそ部隊配備が開始されれば、新たな整備課程と操縦過程が必要になる。早くから携わっていれば、F-2の機体整備員として、または新たな飛行訓練課程の指導教官として、有利な道もひらけるだろう」


「どうして自分達に? まさか彼女のことが関係しているんですか?」


 一尉が私を見て父親に質問をした。


「まさか。君が娘と付き合っていなかったとしても、私はこの話をここに持ってきたはずだ。飛行教導隊のパイロットにまでなった人間二人を、ここで放り出すのは愚かなことだと私は思っている。それまでつちかってきた経験と知識を無駄にするのは、それこそ税金の無駄遣いだ。違うか?」


 少しでも予算を削れと背広組からうるさく言われている、飛行開発実験団の人間らしい言葉だ。


「もちろん、まずは君達が怪我を治すことが第一条件だ。特に榎本一尉、君は片足を失っている。少なくとも、日常生活に支障が出ない程度にまで回復してもらわないと、私としても君を呼び寄せるのは難しい」

「夏までにはなんとかします」


 つまり、八月の異動時期までには間に合わせるということだ。一尉の言葉に父親がうなづいた。


「そして八重樫一尉、F-2の操縦桿はサイドスティック方式になり、操縦には微妙な力加減の操作が求められることになる。君も腕の症状が改善しないようなら、飛ばすことは無理だと覚悟しておいてほしい」

「わかりました。ですが、テストパイロット以外のことで、お手伝いさせていただきたいと思います」


「つまり、二人ともテストパイロットになれないことは承知の上で、開発実験団に来る気があるということだな?」


 父親の言葉に二人が同時にうなづいた。


 一尉達が八月の異動で、飛行開発実験団に行くことをその場で了承したということで、父親は人事に掛け合って、早々に内示を出す手配をすると言って席を立った。


「父を送ってきますね」


 私は一尉にそう言って、病室を出た父親の後を追う。


「お父さん、どうしてあんなことを?」


 病室から出てエレベーターホールまで来たところで、父親に質問をした。


「どうしてとは?」

「さっき二人に話したこと」

「どうしたもこうしたも。これは上で決まったことで、私はそれに従って動いているだけだ。防空任務とは違うが、パイロット経験者としてはやりがいのある仕事だと思うが?」

「テストパイロットはそっちにもたくさんいるでしょ? それに現役のパイロットだってたくさんいるじゃない。榎本一尉も八重樫一尉も、自分がもう空には上がれないってわかってる。なのにどうして、その二人に声をかけたの?」


 テストパイロットは、通常任務につくパイロットとは違う訓練を必要としている。技術者としての知識も必要となるため、戦闘機のパイロットとして優秀だからといって、すぐになれるわけではないのだ。


「彼等の経歴は私もじっくりと読ませてもらった。そのうえでさっきも言った通り、今まで蓄積した知識を無駄にすることはないと思っただけだ。配備に向けてテストパイロットとは別に、現役パイロットを何人かよこしてくれと各方面に頼んでも、実用化できるかどうかいまだに不透明な機体のテストに、優秀なパイロットをよこしてくれる飛行隊はなかなか無いからな」


 全国の飛行隊には、それだけの余裕人員もないことだしなと付け加える。


「でも一尉達は、パイロットとしてはもう空には上がれないじゃない」

「だが彼等が飛行開発実験団に来れば、おのずと彼等と親しいパイロットとのパイプが手に入る」

「呆れた。まさか本当の狙いはそこなの? それって二人を踏み台にしているってことじゃない。ひどいと思わないの?」

「二人を踏み台にするつもりなんてないぞ」


 私の言葉に、父親はとんでもないという顔をしながら、エレベーターに乗り込んだ。私も逃がすものかと後を追う。


「イーグルとはまったく違った機体だ。部隊配備をするまでには、様々な事態を想定してのシミュレートが必要になるだろう。実際に量産初号機を空に上げるまでは、二人には机上のパイロットとして働いてもらうことになる。飛行教導隊としての経歴に嘘がなければ、十分に可能な任務だと思っている。他のパイロットに関しては二次的産物だ。二人なら、あの機体に適したパイロットを推薦してくれるに違いないだろうと、期待しているだけだ」


 そうなれば父親としては、パイロットを探す手間がはぶけて、非常に助かるということらしい。


「まさかお父さんが各務原から出てきて、じきじきにスカウトしにくるなんて思わなかった」

「私もまさかこんなふうに、ちはるの相手と顔を合わせるとは思ってなかったぞ。やっぱりぶん殴れば良かったか……」


 真面目な顔をしてなにをおっしゃいますやら。


「そんなことをしたら、お母さんに言いつけるからね」

「……まあなんだ。彼等があの若さで無職にならなくて良かったんじゃないのか?」

「本当に私とは無関係?」

「当り前だ。この手のことに私情ははさまない。事故の話を聞いて気の毒だとは思っただろうが、優秀でなかったら声はかけなかっただろう」


 一階でエレベーターを出ると、父親は私を見下ろした。


「足を失って、自暴自棄になっているのではないかと心配していたが、そうでなくて安心した。これからはこっちで忙しくなる。将来的に、榎本一尉と八重樫一尉がどの道を選ぶかはわからないが、うちにいる間はその選択肢が少しでも多くなるように、できる限りのことはしよう」

「ありがとう」

「だから私情ではないと言っているだろ。優秀な頭脳を使わないのは」

「税金の無駄遣い、でしょ?」

「そうだ」


 重々しくうなづく。


「でもありがとう。二人とも落ち込むところを見せないから、心配してたんだ。でも、今日からはちゃんとした目標ができたんだもの、もう大丈夫よね」


 少なくとも二人は父親の申し出に興味を持っていたし、いやいやというわけでもなさそうだった。空に上がることはもうできないけれど、戦闘機のそばにいられるなら、退官するよりはずっと良いんじゃないかと思う。


「彼等が本物の空自の男ならな。じゃあまた。奈良ならに行く前にちゃんと顔を出せ。母さんが、いい加減に奈良に行く準備をしないとダメなんじゃないかと、やきもきしているぞ」

「うん。再来週さらいしゅうにはちゃんとそっちに帰るから」


 病院の玄関で待っていた車に乗り込む父親を、手を振りながら見送った。エレベーターホールに戻ろうとして、ふと立ち止まる。


「自転車じゃない公用車を待たせていたなんてすごーい。やっぱり偉いんだ、お父さん」


 そんなことを、いまさらながら気がついた。

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