第二十五話 相棒
洗濯した衣類を入れた紙袋を手に
「八重樫さん、おはようございます。もしかして、一尉の意識が戻ったんですか?」
医官とすれ違ってから、お母さんに声をかけた。
「ああ、
こんなに心配したのに、目が覚めるきっかけが空腹だなんてねと、お母さんは呆れたように笑った。でも、とても嬉しそうだ。
「良かったですね。それで怪我の具合はいかがなんですか?」
「海に落ちた時の衝撃が強かったせいで、
「そうなんですか。じゃあ、私から榎本一尉に話しておきますね。それからってことで」
「そうね、お願いできるかしら。もうやいのやいのうるさくって」
一緒に飛び続けてきた相棒として、相手の安否が気になるのは当然のことだ。病室に入ると一尉はすでに朝ご飯を食べ終わっていて、イヤホンをつけてテレビのニュースを見ていた。
「おはようございまっす!」
どこかボンヤリとした横顔だったので、いつもより大きめの声で挨拶をする。私の声に驚いたように体をビクッと震わせると、こっちを向いて微笑んだ。
「おう、早いな。今日も御苦労さん。洗濯もありがとうな」
こうやって私が声をかけると、一尉はニッコリといつものように微笑んでくれる。だけど一人の時は、テレビを見ていても心ここにあらずといった感じだったり、窓の外をぼんやり眺めていたりする時が多いので、その点だけがちょっと心配だ。
「どういたしまして。そうだ、良い知らせですよ。八重樫一尉の意識が戻ったみたいです。今そこで、お母さんと話しました」
「それで廊下がざわざわしていたのか。それで? ヤツの具合はどうだって?」
一尉はイヤホンをとると、テレビを消して私の方に顔を向けた。
「お母さんと話しただけなんで、詳しいことはわからないんですけど、右腕にしびれがあるらしいです」
「そうか。やはり意識を失ったまま着水したせいで、衝撃をまともに受けたんだろうな。頭の怪我は?」
「特になにもおっしゃっていませんでした。お母さんから聞いたのは腕のことと、八重樫一尉が一尉のことを気にしていたってことぐらい」
「そうか。医官から許可が出たら、病室に顔を出せるんだが」
「じゃあ、できるだけ早く医官に確認をとります。それまでは、勝手にお見舞いに行かないでくださいね」
心の状態はさておき、片足を切断という大怪我をしたわりには、一尉は日に日に元気を取り戻している。先週から筋力を落とさないようにするリハビリも始まっていたし、今ではトイレにも一人でさっさと行ってしまうほど。あまりに活動的なので、傷口が悪化しないかそっちのほうでハラハラしている状態だった。
「お姉さんから言われてますよね、私を困らせないようにって」
一尉が意識を取り戻してからしばらくして、お姉さんは実家に戻っていた。というのも、実家のお寺のことやお子さん達のこともあるからで、一尉の入院生活は当分の間続きそうだったし、私がここを離れるまでは、そちらを優先してもらうことにしたのだ。予定では、私が実家に戻る二日前に戻ってくることになっている。
「もちろんお利口さんにしているさ。だが、できるだけ早く許可をとってくれ」
「わかってます。あれ? これってなんですか?」
足元のテーブルに置かれている、分厚い本のようなものが目についた。
「ああ、それな。義足のカタログで、回診に来た医官が置いていったんだ。リハビリも義足をつける準備段階に入りつつあるから、そろそろ選んでおいたほうが良いだろうって言われた。なんでもオーダーメイドで作るらしいぞ?」
「へえ。でも、これをつけて普通に歩けるようになったとしても、パイロットは続けられないんですよね?」
洗濯物を片付けてから、カタログを開いてパラパラと見てみる。一口に義足と言っても色々あるようだ。
「残念ながら無理だろうな。乗れたとしても、通常の飛行なら問題ないだろうが、戦闘時の加速がつくような飛び方をする時は、いくらシートベルトで体を固定していても、足で踏ん張らないと上体が安定しない。昔、義足で戦闘機のパイロットをしていた人間がいるって話はあるが、今の航空機の性能からして、どんなに義足が素晴らしくても、戦闘機に乗り続けることは難しいだろう」
「昔ってどれぐらい昔?」
その話に興味をひかれて質問してみる。
「太平洋戦争時」
「あー、それは戦闘機の性能が違いすぎ」
「だろ? その時でさえ、加速時には足が踏ん張れず、上体がシートで滑ったって話だからな」
「へえ……」
そう言いながらページをめくっていく。最後の方になると、足というよりバネかブレードみたいなものになってきた。
「わあ、すごいですよ、競技用の義足ですって。走ることもできるんだ」
「こういう義足は、パラリンピックなんかでたまに見かけるよな」
「すごいですね、これ。でも痛くないのかな、生身の部分と義足の合わせ目」
かなりの力がかかりそうだし、こすれて痛そうだ。
「それもあって、準備のリハビリとオーダーメイドなんじゃないか? きっちり合わせれば、ずれたりすれたりすることもなく、そこそこ快適なんだろう」
「なるほど。ただ重たそうだしメンテナンスも大変そうですね、お風呂に入ってゴシゴシってわけにもいかないし、どうするんだろ。洗車みたいな感じで全体を水洗いとかできるのかな。どう思います?」
「さて。それは技師に聞いてみないことにはな」
「いつ話をするんですか?」
「俺よりも
俺の義足なんだぞと笑った。
「だって気になるじゃないですか。一尉の義足ってことは、私にとって無関係のものじゃないですし。ああ、そうだ。そろそろリハビリを見学しに行っても良いですか? ここで足のマッサージをするだけなのも飽きてきちゃった」
「ダメだ。リハビリルームには立入禁止。ちはるはここでのお世話係だろうが。筋肉が硬くならないようにマッサージするのも大事なことだと、医官から言われているだろ?」
実際のところ、そのマッサージをすることを認めさせるのだって
『なに言ってるんですか。別に大したことないですよ、それぐらい』
『俺だってうわあってなる傷口だったんだ。それをちはるに見られるのは気まずいんだよ』
『なにが気まずいんですか。自前の操縦桿さんをまじまじと見ること以上に気まずいことなんてないでしょ、お互いに!』
とまあこんな会話をしたせいか、渋々ながらも一尉は私のマッサージを認めることになった。
そして先週から始まっているリハビリ。私は病室でマッサージをして、リハビリの延長みたいなことのお手伝いをするだけで、一向に見学させてもらえる気配がない。理学療法を担当している医官にたずねても、一尉がダメと言っているから来ないようにと言われていた。気まずいわけではないらしいのに、どうしてそんなにイヤがるのかさっぱりだ。やっているところを見せてもらわなきゃ、お手伝いできないじゃないですかと言っても、相変わらず却下ばかり。その点は相手も自衛官なのでなかなか厳しい。
「他になにか手伝えることがあるかなって思ってるのに」
「そういうのはもう少し先になってからだ。今は医官から言われた以外のことはしなくて良いから、ここでおとなしく待っていろ」
「えー……あ、まさか可愛い理学療法士がいたりとか」
「ないない。がたいのでかい男ばかりで鬼軍曹の
「それは是非とも見たいです」
「だめ」
「えーーー」
実のところ、リハビリ室で行われていたれハビリが思いのほかきつく、一尉は随分と苦労していたらしい。そういうところを見せたくなくて、私に来させなかったんだと知ったのは、随分と後になってからのことだった。
+++
その日の夕方、リハビリを終えた一尉が病室に戻ってきた直後、八重樫一尉が車椅子に乗せられて病室を訪ねてきた。医官に話したら、一尉があっちに行くより、八重樫一尉がこっちに来るほうが良いと判断されたからだ。
「なんで車椅子なんだよ。お前の足は無事なんだろ?」
「この看護師嬢がだな、病院の決まりだからと無理やり俺を車椅子に乗せやがった」
そう言いながら、車椅子を押してきた看護師さんを指さした。指でさされた看護師さんは、とんでもないという顔をする。
「無理やりだなんて人聞きが悪いですよ。八重樫一尉はちゃんと自らお乗りになりました。それと車椅子での移動は規則で決まっているんです。榎本一尉だって、リハビリ室に行くまでは車椅子を使っていますよ」
「でも俺の足はなんともないんだぞ?」
看護師さんはまったく意に介した様子はなく、すました顔のままだ。
「ずっと眠りっぱなしだったから、自分で考えるより筋力が落ちているんです。せっかく目が覚めたのに、転倒して怪我でもしたら一大事ですからね。よけいな怪我が増えないように、しばらくはおとなしく運ばれてください」
「……というわけだ。看護師嬢の前では俺の尊厳はないに等しい」
八重樫一尉が悲しそうに言った。
「なるほど」
「では私はこれで。相棒さんと久し振りに顔を合わせたからって、はしゃぎすぎないようにしてくださいね。
「分かりました」
その人が病室から出ていくと、二人してやれやれと笑っている。
「お前の担当はなかなかの
「怖い鬼軍曹だろ? さすが自衛官」
「お二人ともまだ聞こえてますよ!」
廊下から腹立たし気な声が飛んできたので、二人して首をすくめた。
それからちょっとの間があって、八重樫一尉は一尉の足があったはずの場所に目をやった。膝から少し下のあたりからパジャマのズボンがヒラヒラしていて、あきらかに今までそこにあった存在が消えているのがわかる状態だ。
「本当に足を海に落としたんだな」
八重樫一尉は、それまでのふざけた表情を消して無念そうな顔をする。
「そうなんだ。いまごろはどのへんを漂っているのやら」
「なにも、どこのどいつかわからないような魚のエサにしてやることもないだろうよ」
「それはそうなんだが、とにかく落としたのが頭でなくて良かったと思っておくことにした」
「頭で思い出した。俺が意識を失ったそもそもの原因は、頭にぶつかったキャノピーらしいぞ」
「そうなのか? てっきり着水時の衝撃のせいだと思っていたな」
「ヘルメットがこんな具合にへこんでいたらしいぞ。キャノピーの骨格部分がこのへんに食い込んだらしい」
そう言いながら、手でへこみ具合と場所を再現してみせる。二人とも、まるで今日のお天気の話をしているような口調で会話をしているけど、中身はとんでもない内容だ。
「下手したら俺のほうこそ、頭が
「おお痛い。ヘルメット様様だ。俺もかなりやばかったが、そっちも危なかったんだな」
「まったくだ。俺達はそれなりに運が良かったわけだ……あれ、異議ありって顔をしているのが約一名いるな」
八重樫一尉が私を見てかすかに笑った。
「笑えませんよ、二人とも」
「ここしばらく、機長殿はこんな感じで御機嫌ななめだ」
「当たり前です。知り合いが二人も大怪我したのに、呑気に笑っていられるとでも?」
それに今回の怪我人の中には、さらに知り合いじゃないパイロットも加わっているのだから。
「俺は、そこまでの怪我じゃないんだけどな」
「こういう時は逆らわないほうが良いぞ。さっきの鬼軍曹より怖いから」
ふざけた口調で八重樫一尉に忠告する一尉をにらんだ。
「怖くもなります。一尉ってばまったく安静にしてないんだから。見てくださいよ、病室にいつの間にやらダンベルを持ち込んでいるんですよ? どう思います?」
ベッドの横に置かれた小さな鉄の塊を指さす。なのに八重樫一尉はそれがなにか?と言う顔をした。
「ああ、これな。俺も、リハビリ室をのぞいたついでに借りてきた。筋力が落ちないようにするのは大変だよな」
「そうだろ? ほら見ろ、ちはる。俺だけじゃないだろ」
「まさかの類友……」
呆れてしまって言葉が出ない。
「少しでも早く元気になろうと頑張っているのに、この機長殿はそれが気に入らないらしいんだ」
「そうなのか? もし本当にダメなら医官が止めるはずだろ? 止めないんだから問題ないんだよ。そんなに心配しなくても大丈夫だから」
そんなこと言われても、病室にダンベルを持ち込むなんてありえないと思う。
「まったくもう。相棒同士ってやることまで似るんですか?」
「んー、どうだろうな、これは相棒とかそういうのじゃなくて、自衛官だからってほうが正しいような気がするな。だけどこれはどうやら男限定らしい」
「呆れちゃって注意する気も失せました。もう二人で仲良く好きなだけ筋トレしてください」
そう言うと、二人はお許しが出たぞと無邪気に喜んでいる。そんな二人を眺めていたら、怒っているのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
「なんだかちょっと、うらやましいですよね」
「ん? 筋トレがか?」
私の言葉に一尉と八重樫一尉がそろってこっちを見た。こんなところでもシンクロしているなんて。
「違いますよ。パイロットになってずっと一緒に飛んできた相棒なんでしょ? 私にはそういう人いませんから」
「またまた~そんなことないでしょ、ちはるちゃん」
「おい、ちはるちゃんだなんて気安く呼ぶな」
八重樫一尉の「ちはるちゃん」に即効で反応する一尉。
「他に呼びようがないんだから良いだろ。それともロリポップちゃんとでも呼ぶか?」
「ダンベルでその頭を殴ってやろうか?」
一尉の顔が物騒なものになった。
「お前がそう言うと本気に聞こえてシャレにならんな」
「本気だからな」
放っておいたら、本当に横にあるダンベルに手をのばしそうな雰囲気だ。
「まあとにかくだ。これからはちはるちゃんは榎本の人生の相棒になるわけだろ? だからちはるちゃんにとっても榎本は相棒ってやつだ。ん? ってことは俺は相棒の相棒だから、俺もちはるちゃんの相棒になるのか?」
「おい」
「そんな怖い顔をするな。とにかくこいつの相棒同士、これからもよろしくな」
私にそう言ってから一尉に「これなら文句はないだろ」と八重樫一尉が笑った。
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