第二十四話 私と一尉とお姉さんの気持ち
なにやら、ボソボソと話をする声が遠くで聞こえた。
「あら。ちるはちゃん、気分でも悪くなったの?」
「気が抜けたとか言って、そのまま寝ちまった」
起こすなよって
「かわいそうに。よっぽど
「俺が悪いのか? 事故は俺のせいじゃないし、こっちだって昨日の夜に目が覚めたばかりなんだぞ」
「あんた、まったく反省してないわね」
「だから、反省する以前に俺が悪いわけじゃないだろ? 原因があるとすれば、それは先に翼が吹き飛んだイーグルの、整備不良かなにかの不具合だ」
お姉さんが、勢いよく溜め息をつくのが聞こえた。
「ほんとにあんた達って、よく平気でいられるわよね。ちはるちゃんだってパイロットなんでしょ? えっとたしか去年だったか、どこかの国で遊覧飛行していて墜落したような、プロペラ機に乗ってるのよね?」
「ちはるが乗っているのは、それよりもはるかに大型の輸送機だ。それこそ墜落したら大事故だよ。ってかちはるちゃんなんて気安く呼ぶな。まだちゃんと紹介もしてないだろ?」
一尉が腹立たしげな口調でそう言った。だけどお姉さんは気にしていないようで、おかしそうに笑い声をあげている。
「なにが気安く呼ぶなよ。紹介がまだなのは、あんたがちんたらしているからでしょ。私は自分が呼びたいように呼びます。あんたの指図は受けません。だけど自分の恋人が常に危険と隣り合わせの生活だなんて、私には考えられないわ」
「そういうのは俺達だけじゃないだろ。普通に民間機のパイロットや客室乗務員だって同じだ」
「理屈ではそうなんでしょうけどね。私達からしたらそこはやっぱり、民間の飛行機と自衛隊の飛行機で感じ方が違うわよ」
「だったら少しは弟を慰めようとかしないか? これでも重傷なんだぞ?」
「わかっているわよ。でも、今は心配しすぎで腹が立ってるから、慰める気分じゃない」
「まったく姉貴ときたら……」
頭がはっきりとしてきて、ようやくここが病室だってことを思い出した。そして自分が、突っ伏したまま寝ていたらしいことも。お見舞いに来たのに、呑気にうたた寝している場合じゃなかった。
あわてて体を起こすと、一尉とお姉さんが私のことを見つめていた。
「起こしたか? すまないな」
「こちらこそすみません! 寝てる場合じゃなかったですよね」
「自衛官だって人間だもの、しかたがないわ。だけど顔色がイマイチよね。お昼ご飯は食べたの?」
お姉さんがそう言いながら私の顔をのぞき込む。仕事中にいきなり放り出されたので、お昼ご飯のことなんてすっかり忘れていた。
「いえ、まだです」
「だったら一緒にご飯を食べに行きましょ。私もまだだから」
「でも……」
いきなりの申し出に戸惑って一尉の顔を見ても、なぜかニタニタするばかり。
「でももクソもありません。ここでちはるさんにまで具合が悪くなられたら困るもの。いくら面倒見のいい私でも、二人も病人の面倒をみるのは御免ですからね。行くわよ。ああ、でもその服装はいただけないわね。着替えは持ってきた?」
助けを求めようともう一度一尉の方に視線を向けたけど、一尉は相変わらずニタニタ笑っていて援護してくれそうにない。
「ほら、さっさと支度をしなさい。私もお腹がペコペコなの」
「優しい口調のうちに、おとなしく従っておいたほうが良いぞ。姉貴が怒り出したら手がつけられないから」
「……わかりました。着替えは持って来ているはずなので、すぐに準備します」
そんなわけで私は、一尉のお姉さんに病室から引き摺られるようにして、連れ出されるハメになった。
「ちはる」
出て行こうとした私に、一尉は声をかけてきた。
「なんですか?」
「財布は持って来てるか?」
「はい。バッグの中に一式入れておきましたから」
「だったら飯を食って戻ってくる時に、コンビニでアイスを買ってきてくれ。そこにいる女帝様に頼んでも、聞き入れてもらえないんだ」
「また性懲りも無くそんなことを!」
一尉の言葉に、お姉さんが呆れた顔をする。
「いいじゃないか。看護師には、食いすぎない限りは大目に見るって言われたんだから。頼むな、ちはる」
「わかりました。そのかわり私が戻るまで、おとなしくしていてくださいよね」
「おう。待ってるからな」
+++
病院内には見舞客が食事をするスペースはないので、基地の外に出て、近くにあったファミレスに入った。平日ということもあって、お客さんはまばらだ。席に案内してくる店員さんの後ろについていきながら、さりげなく店内を見回す。時間が時間だし、マスコミ関係者がいるかもしれない。
「あの、ここの窓側の席でも良いですか?」
奥の席へ案内しようとしていた店員さんに声をかけた。奥のテーブルにはすでに何組かお客さんがいて、その中にはラフな格好をした男性ばかりというテーブルがある。学生というには年をとりすぎているように見えるし、万が一ということもある。離れた席に座ったほうが無難だ。
「あ、はい、どうぞ」
「お姉さん、ここにしましょう」
「??? そう? わかったわ」
お姉さんは首をかしげて不思議そうな顔をしたけれど、そのまま私の言葉にうなづいてそのテーブルについた。そしてメニューを広げる。
「遠慮なく好きなものを頼んでね、ごちそうするから」
「でもそれじゃあ申し訳ないので……」
「良いの良いの。弟がちはるちゃんのことを心配させたお詫びだから、気にしないで」
「お詫びって言っても、一尉は大怪我をしたわけですし」
「弟にしたのと同じように怒鳴って欲しい?」
「いえ、ごちそうになります」
「よろしい。人間、素直が一番だからね」
……お姉さん怖いデス。
「あ。遅くなりましたが、いつぞやはお節をありがとうございました。とてもおいしかったです」
「ああ、あれね。私がデパ地下でパートしてるものだから、お安くしてもらえるの。ついでに売り上げにも貢献できるから、一石二鳥ってやつね」
それぞれ選んだメニューをお店の人に頼むと、お姉さんはグラスのお水を少し飲んで私の顔をジッと見つめた。
「……あの、なにか?」
「私が想像していたのとは、ちょっと違うなあと思って」
「私がですか?」
「ええ。雄介からは怖いもの知らずの、可愛いお嬢さんだとは聞いていたんだけどね。こう、もっと自衛官らしいお堅い感じの子を想像していたの」
お姉さんは、全然普通の子でビックリしちゃったと笑った。
「普段から厳しい規律あると言われていますから、外から見るとそういうイメージかもしれませんね。ですけど、皆さんが思っている以上に普通ですよ?」
「そうよね。私、雄介みたいなのが特異なんだって思ってたの。あの子もどっちかといえば自衛官らしくないでしょ? 呑気だし」
「任務中とオフの時ではまったく違いますから。お姉さんも任務中の一尉の姿を見たら、きっと考えが変わったと思います」
「そうなの? 小さい頃からの飛行機馬鹿のイメージが強すぎちゃってね。
でも、もうお姉さんは、一尉が飛んでいるところを見ることはできないんだなって思うと、なんとも言えない気分になってしまう。私がこんな気分になってしまうんだもの、今ごろ一尉は一人でなにを思っているんだろう。呑気に笑っていたけど、気にしていないわけがない。
「それより、どうしてここのテーブルにしようと思ったの?」
「あっちに座りたかったですか?」
「ううん。別にどこでも良かったんだけど、急に言い出したからなにか理由があるのかなって」
お姉さんの顔が
「今回の事故で、報道関係者が病院を張り込んでいるって聞いたんです。ああ、私は見てないんですけど、医官先生がそんなことを言っていたので。で、ほら、関係者家族だってバレて、しつこくつきまとわれたらイヤじゃないですか」
声を潜めて説明する。お姉さんだったら、そんな人が寄ってきたら喜んで粉砕しちゃいそうだけど、それとこれとはまったく別の問題だ。
「それで、なんとなくあっちに座っている人達がそれっぽかったので、離れて座ったほうが無難だと判断しました」
「なるほど。そういうことなのね。納得しました」
注文したお料理がきたので、しばらくは二人でそれをお腹に入れることに専念した。そして食後のコーヒーを飲む時になって、お姉さんが少しだけ深刻そうな顔をして口を開いた。
「ねえ。ちはるちゃんから見て、今の雄介はどう思う?」
「どうというのは? 怪我の具合がどうかってことですか?」
そう尋ねると、お姉さんは首を横に振る。それから声を潜めながら話し始める。
「そうじゃなくて。飛行機馬鹿の雄介は、今回の事故で足を失って飛行機に乗れなくなるわけよね? 普通なら泣かないまでも、落ち込むとか悲観するとかそんな感じになると思うんだけど、今の雄介ってば相変わらず
それは私も感じていた。ただ、
「女の私達に弱みは見せないなんていう、男のつまらないプライドってやつなのかしらね。吐き出したほうが楽になると思うんだけど、私にはパイロットの気持ちはわからないから」
「どうにもならないことですけど、たしかに誰かにぶちまけたほうが、気が楽になるとは思いますね」
「そうよね。同じパイロットのちはるちゃんには、言いやすいんじゃないかしら」
「どうでしょうか。私にだって
それに十歳も下の後輩に泣き言なんて、なかなか言えるものじゃないと思う。ああでも、最初に教導隊で悩んでいたときの話は、飲みながらではあったけど、自分が壁にぶち当たっていることを話してくれたっけ。
「ねえ。私、これから雄介の入院生活に必要なものを、買いに出掛けようと思うの。もうしばらく、弟の面倒を頼めるかしら? もしかしたらちはるちゃんと二人っきりなら、本音の部分で話してくれるかもしれないし」
「私なんかで良いんですか?」
「ちはるちゃんにしか頼めないわよ、こんなこと。もしそんな話をするような気配があったら、黙って聞いてあげてくれる?」
「わかりました」
ありがとうと微笑んだお姉さんの顔は、一尉と良く似ていた。
+++++
「姉貴は?」
レジ袋をさげて病室に戻ると、病室に設置してある冷蔵庫に買ってきたアイスとお茶のペットポトルを放り込んだ。
「お姉さん、入院中に必要なものをみつくろってくると言って、お買い物に行かれました。私はここで、一尉がアイスを食べすぎないように、見張りをしていれば良いんですって」
それは本当のことだ。別れ際にしっかりとそう言われたんだから。
「なるほどな。それで? なにを買って来てくれたんだ?」
「普通にバニラとチョコと、それからストロベリーです。どれが良いですか?」
「そうだなあ、じゃあ王道のバニラで」
私がアイスとスプーンを用意している間に、一尉はベッドの脇にあったケーブルでつながっているスイッチを押す。すると上半身の部分がゆっくりとせり上がり、椅子の背もたれのような状態になった。
「体を起こして大丈夫なんですか? 傷口の具合とか」
「寝たままでは食べられないだろ? 朝飯も昼飯も体を起こして食べたんだから問題ないさ。とはいっても、一週間の絶食状態の後に、いきなり固形物を食ったら胃が引っ繰り返るって言われて、味気のない
早く肉が食いたいとブツブツと言っている。
「それでアイスなんて食べても良いのかなあ。本当に看護師さんから許可が出たんですか?」
「俺が嘘を言っているとでも? 食べすぎるなとは言われたが、問題ないって言われたんだからな」
ベッドの横に立ってアイスとスプーンを差し出したら、受け取ろうとはせずになにか言いたげな顔をして私のことを見上げた。
「なんです?」
「食べさせてくれても良いだろ? 俺は怪我人だぞ?」
「怪我って、手はなんともないじゃないですか。それにご飯は一人で食べたんでしょ?」
そう言ったら一尉はすねるような顔をした。
「なんだよ、優しくないな」
「まったくもう、どうしてそんな理屈になるんだか」
「その椅子だと低すぎるから、ベッドに腰掛けてこっちを向いて食わせろ」
しかもなぜか命令形だ。
「わかりましたわかりました。私より一尉のほうが偉いんですものね、上官の命令には従います」
「うむ、良い心掛けだ」
なぜかベッドに腰掛けた状態で、一尉にアイスを食べさせることになってしまった。カップを開けてスプーンでアイスをすくうと、一尉の口の前に持って行く。
「はい、どうぞ」
一尉は嬉しそうにアイスを一口食べた。
「ふむ。やっぱりバニラが一番だな」
「まったく子供みたいなんだから」
「彼女に食べさせてもらうのもなかなか良いもんだぞ。たまに入院するのも悪くない」
「なに言ってるんですか。ぜんぜん良くないです」
片足を失ってパイロットを続けられない状態になってしまったのに、悪くないなんてとんでもない話だ。
「俺はそこそこ本気で言ってるんだぞ?」
「私だって本気で言ってるんですよ。なんでそんなに呑気に笑ってられるんですか。ぜんぜん良くないじゃないですか。足を失くしちゃって、もうパイロット、続けられないんですよ?!」
自分が言ったことに気づいて口をつぐんだけれど、それはもう後の祭りというやつだった。アイスを一尉の手に押し付けてベッドから降りると、一尉に背中を向けてベッドの横のイスに座る。お姉さんに一尉の話を聞いてあげてって頼まれたのに、私のほうが先に感情的になってしまうなんてまったくもって情けない。
「良くないですよ、ぜんぜん良くない……」
「ちはる、こっちを見ろ」
「……」
「ちはる? おーい?」
しつこく呼び続けるので、しかたなく振り返ると一尉と目があった。
「……なんでそんなに平然としていられるんですか。泣くとか暴れるとか物を投げるとか普通はしませんか?」
「平然となんてしてないさ。これでもかなり落ち込んでいる。だがな、ここで暴れたら大変なことになるんだぞ? 忘れているかもしれないが、医師も看護師も自衛官で腕っぷしの強いヤツばかりなんだからな」
「……」
「信じてないな?」
私が一尉の言葉を信じていないのを感じ取ったのか、アイスを持ったまま苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ足を失ったのは確かにショックだ。だが最初に言った通り、当たりどころが悪ければ、首が飛んで死んでいたかもしれないんだからな」
少なくとも俺はこうやって生きているだろ?と笑う。
「それに足を失ったのが、他のパイロットでなくて幸いだったとも思った。
「でも」
「もちろん、だからってまったく落ち込んでいないわけじゃない。これからのことを考えると、落ち込む以前の問題で途方に暮れているというのが正しい。翼を
ま、失くしたのは翼じゃなくて足なんだがと言いながら、アイスを私に押しつける。
「だが落ち込んでいても、
一尉がニヤリと笑った。
+++
「私はついていきますからね」
アイスが半分ぐらいになったところでポツリと呟く。
「ん?」
「一尉がパイロットじゃなくなっても、キルコールした責任はきちんととってもらいますから」
「当り前だ、俺がお前のことを手放すとでも? 片足を
「怪我人がなに言ってるんですか。患者さんはおとなしくアイスを食べてなさい」
カップの中のアイスを多めにすくうと、一尉の口の中に押し込んだ。
「おい、頭にキーンときたじゃないか、少しは優しくしろ、ちはる」
「怪我人らしからぬことを言う一尉が悪いんです」
「なんでだ」
「……教育隊の教官だってできますよね、これまでだって呼ばれていたんですし」
そう言ったら、一尉は少しの間だけ考える素振りを見せた。
「俺が人に教えるのか? 想像つかないがまあそれもありだろうな。とにかく今は完治を目指すことに専念するつもりだ。ほら、溶けてきてるだろ。さっさと食わせろよ機長」
一尉はそう言って私にアイスを催促した。
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