第二十三話 緊急事態
「
「私は飛べていたら幸せなので、別に幹部になんてならなくても良いんですけどね」
私の言葉に、三佐がとんでもないぞと顔をしかめた。
「そうはいくか。パイロットっていうのはだなあ、空の上で戦闘に突入することもあるんだ。下手をすればその一発で戦争状態に突入だ。そんな重要な判断を、幹部ではない隊員にさせても良いのか? 違うだろ? 判断をくだすのはその責任を負える者でないといかんのだ。だーかーらー、パイロットは幹部でないといかんのだ、わかったかあ? んんー?」
「……誰ですか、こんなに三佐に飲ませたの」
いつ間にか、すっかりできあがっている……。
「明日が飛ばない日だからって、飲みすぎですよ、機長」
「一尉、言ってることとやってることがバラバラ……」
「次の日が飛ばない日の三佐は、いつもこんな感じだよ。知らないのも無理はないかな。ここ最近は天音の訓練があったから、ずっと断酒状態だったからね」
そう教えてくれたのは
「そうなんですか? 三佐がこんなにノンベエさんだとは知りませんでした」
「これでも真面目な人だから。今年は女性隊員の教官になると聞いて、俺で大丈夫なのかとそりゃもう大騒ぎさ。天音が一人前の輸送機パイロットになるまでは、一滴も飲まんとか言っちゃって断酒してたんだよ、三佐」
「そうなんですか? じゃあ私、もう一人前あつかいってことなんでしょうか?」
「まあ隊則的には色々とまだあるが、三佐の中ではもう天音は一人前あつかいなんだろうな」
山瀬一尉がうなづく。
「それもあって今夜は、久し振りに飲むかってことなんったんだよ。久し振りすぎてこんな状態だけどな」
「なんだあ、こんな状態とは。常々思っていたんだが、お前達は機長である俺への敬意が足りてないぞー? 今まで一体、どんな教育を受けてきたんだー?」
こういう時にからまれるのは山瀬一尉と決まっているらしく、一尉は肩に腕を回してきてグチグチと言っている三佐の愚痴りを、ハイハイと笑いながら聞いている。
「なんだかイヤな予感がしてきました」
「イヤな予感?」
私の隣に座っている
「だってこっちに戻ってきたら、私が06の副機長ですよね? もしかして飲みに行くたびに、山瀬一尉と同じように
「ほんとーにお前らは俺に対する敬意が無い!」
私達の話を聞いて、三佐が抗議の声をあげる。
「そんなことありませんよ、十分に
「天音、俺ほど物わかりの良い上官はいないぞー? いいか? お前と
「はいはい、天音にあれこれからむのはやめておきましょうね。下手すると本当にセクハラですよ?」
「なんでだー、山瀬! 俺はこんなに天音のことを可愛がってるってーのに!」
「ですから、それはお酒を飲んでいない時だけにしておきましょうね、機長。天音の恋人はかのアグレッサーです、あまりしつこくからむと、それこそ空自の全イーグルドライバーを敵に回すことになります」
「なんでだー、こんな部下思いの俺なのに!」
「ですから~」
からむ三佐となだめる一尉とで、やりとりが堂々巡り状態になってしまった。それでも山瀬一尉は楽しそうなんだから不思議だ。
「あんな三佐だけど、天音のことはパイロットとして本当に買ってるんだからな。その点だけは間違いないから」
「あんなとはなんだー!」
「すげー地獄耳だな……」
私にヒソヒソと耳打ちした井原一尉が肩をすくめた。
そんな呑気な休日前の飲み会の二日後、
+++++
休むのをためらっていた私を、無理やり送り出してくれたのは緋村三佐だった。事故を起こした二機のイーグルから緊急脱出した隊員全員が、三沢の自衛隊病院に収容されたというニュースが発表された一週間後、私のことを三沢基地で、文字通り放り出したのだ。
「ちょっと三佐、私、まだ任務中なんですよ」
その日の定期便で基地に到着して、小休止のために機を降りたところで、いきなりお前はここに残れと言い渡された。
「うるさい。病院はこの基地の敷地内だ。四の五の言わずにさっさと行け。それとお前は幹部候補生学校卒業まで、こっちに帰ってこなくてよろしい」
「えええ?! で、でも!」
三佐の気持ちは嬉しいけれど、自衛官としてそんなことが許されないのは、お互いにわかっているはず。訓練中の身で、そう簡単に長期休暇なんて取れるわけがない。
「輸送機操縦過程に必要な飛行時間はすでにクリアした。教官の俺が許可しているんだから問題ない。俺達からの、遅いお年玉だと思って受け取っておけ。ああ、それとこれも渡しておく」
後から降りてきた谷口一曹が持ってきた、大きなバッグを押しつけられた。奈良に向かうための準備で、自分の着替えを入れておいたバッグだった。
「残りのもろもろは、後日、
「でも」
「ちゃんとこっちで正規の手続きはしてある。天音は自宅に戻る日まで、ここにいても良いことになっているから安心しなさい。なにかあったら必ず連絡が入るようになっているから、心配することはない」
花山三佐が私の肩を叩いた。花山三佐がそう言うってことは、本当にきちんと手配がされているということだ。
「……そうなんですか?」
「ああ」
「おい、なんで俺じゃなく花山が言ったら早々に納得するんだ」
「積み重ねた日頃の実績というものでしょう。俺達クルーの休暇の調整をしてくれていたのは、間違いなく花山三佐ですからね」
山瀬一尉の言葉に不満げな顔をする三佐。
「私は緋村三佐の言いつけに従って、事務的な処理をしただけだ。礼を言うなら機長に」
「そうだそうだ、俺が言い出したんだからな。感謝するなら俺にしろ」
ちょっと偉そうにふんぞり返った三佐の様子に、思わず笑ってしまう。すると三佐は私の頭に手をやって、小さな子供にするようにぐりぐりと撫でてきた。
「とはいえ、ここに来て残るところまではきちんと手配してやれたが、榎本一尉の怪我がどの程度かまでは、俺達も詳しくはわからない状態だ。病院の知り合いにお前のことは話しておいたが、会わせてやれるかどうかは確約できないと言われている。気をしっかり持てよ」
「……ありがとうございます」
「病院に言ったら医官の
「はい」
それから三十分後、緋村三佐達を乗せたC-130は、貨物を積み込んで
病院の受付で町田三佐をお願いしますと伝えると、こちらにも話が通っていたのか、すぐに内線で呼んでもらえた。しばらくすると、白衣を着た眼鏡の男性がこちらにやってきた。
「天音さんかな?」
「はい。緋村三佐から、町田三佐に声をかけるようにと言われました」
「まったく人使いが荒いんだから、あの人は」
「すみません」
私が頭を下げると、いやいやと笑いながら首を横に振った。
「君が謝る必要はないよ、気持ちはわかるからね。外に報道関係者が張りついていたのに気がついたかい? 連中が、駆けつけた家族にまぎれて院内に潜り込まないように、厳戒態勢なんだよ。前もって僕に知らせてくれて良かった」
エレベーターに乗ると、上の階へと移動する。
「あの」
「全員、医学的に言えば命に別状はない。その点は間違いないから安心しなさい。ただ……」
「ただ?」
しばらく考え込んだ三佐は、申し訳なさそうに私のことを見下ろした。
「僕は彼等の主治医じゃないからね。恋人とはいえ、患者の家族じゃない人間にこれ以上話すのは、
「わかりました。御家族は?」
「来ているはずだ」
「そうですか」
エレベーターが止まって扉が開く。
「右の通路をまっすぐ直進して六部屋目が、君の行くべき病室だ。個室になっているからすぐにわかる」
「ありがとうございます」
「まだ意識が戻って間がないから、くれぐれも患者を興奮させないように。色々な意味でね。もし看護師に呼び止められたら、家族だって言い張れば良いから」
町田三佐は片目をつむって笑うと、私をエレベータから軽く押し出し、自分はそのまま中に残った。
「なにか困ったことがあったら呼んでくれ。できる限りのことはしよう」
「ありがとうございます」
ニッコリと微笑む三佐が閉まるドアの向こうに消えると、足早に病室に向かう。家族と鉢合わせする気まずさよりも、今はとにかく一尉が生きていることを、この目でちゃんと確かめておきたかった。
病室に近づくと、なにやら女性の声が聞こえてくる。
「まったくね! 息子の葬式を出さなくちゃいけなくなったって
「姉貴、声がでかい。それから運転じゃなくて操縦だ」
「でかくもなるわよ、こんなになって! 私の言葉は家族全員の総意だと思いなさい! それと操縦だろうが運転だろうが似たようなもんでしょ!」
「だから声がでかい、頭に響く。こっちは怪我人なんだ、もう少し優しくしてくれよ」
「うるさい! こんなに心配させる親不孝者には、このぐらいでちょうど良いんです!」
「別に俺だって、好きでこうなったわけじゃないんだぞ」
その声は、間違いなく一尉のいるはずの部屋から聞こえてくる。恐る恐る部屋をのぞきこもうとしたところで、カツカツと腹立たし気な足音が近づいてきて、部屋から人が飛び出してきた。
「?! あら、ごめんなさい!」
「あ、いえ、こちらこそすみません」
病室から出てきたのは、背の高い女の人だった。
「もしかしてお見舞いにみえたかた?」
「え、あの、はい、えっと」
その人は私をジッと見つめてから、パッと笑みを浮かべた。
「あなた、もしかしてちはるさん?」
「あ、はい、あの、えー……」
「私、
「は、初めまして……」
あまりの勢いにたじろぎながら、なかばつられるようにして挨拶をする。
「ちはる? ちはるが来てるのか?!」
病室から一尉の声がする。その声にお姉さんは、キッと怖い顔をして部屋の中に顔を向けた。
「おとなしくしてなさい! 雄介は後! 私が先!」
「おい、ちはるは俺の」
「お黙り!」
お姉さんはそう言い放つと、私の方へと視線を戻した。その顔は病室内をにらんだ顔とはまったく正反対の、可愛らしい笑顔。
「ごめんなさいね、聞き分けのない弟なのよ。わざわざお見舞いに来てくれたの? お仕事は大丈夫? あなたも航空自衛隊のパイロットなのよね?」
「あ、はい。ここには上官から許可をもらって来ていますので、問題ありません」
「そう。だったら良いの。私、ちょっと下で実家に連絡を入れてくるから、その間、弟がおとなしくしているように見張っていてくれるかしら」
「わかりました」
お姉さんが廊下を足早に行ってしまうのを見送ってから、病室に一歩踏み込んだ。ベッドはカーテンがひかれていて、一尉がどんな状態になっているのかここからではわからない。だけどさっきの声からして、普通に喋ることができる程度には元気だってことだ。
「ちはる? そこにいるんだろ? さっさとこっちにきて顔を見せてくれ」
荷物をドアの横に置くと、足早にベッドに歩み寄る。カーテンをよけながらのぞき込むと、一尉の目がこっちを見つめていた。
「訓練はどうしたんだ? 奈良に行く直前で、休暇が取れるようなタイミングじゃないだろ?」
腕は点滴でつながれていてあちこちに包帯が巻かれているというのに、最初に口にしたのは訓練のことを心配する言葉だった。心配するのは一尉じゃなくて、私のほうなのに。
「私のことより一尉のことですよ。おとなしくしててくださいねって言ったのは、こういう意味じゃないのに。それに無茶な飛び方をするから、くれぐれも安全飛行でとも言ったじゃないですか」
「すまないな」
呑気に笑っている一尉の怪我の状況を、少しでも理解しようと頭の先から爪先までを注意深く確認していく。そして、膝のあたりにきたところで目が止まった。右足があるべきところに、なにも無いように見るのは気のせい?
「一尉……?」
「ん? ああ、その部分はだなあ、魚のエサになっていなかったら、今頃はきっと千島海流から日本海流に乗り換えて、太平洋を横断中だろうな。海自もビックリだ」
私が何処を見ているのか気づいた一尉は、呑気な口調のままでそう言った。
「……」
「そんな顔をするな。下手をすれば、文字通り首が飛んでいたかもしれないんだ。片足の膝から下だけですんで、ラッキーだったんだからな?」
「首が、飛ぶ……?」
声が引っ繰り返る。
「教導中に、一緒に飛んでいたイーグルの翼の一部が吹き飛んだんだ。その吹っ飛んだパーツがこっちの翼を吹き飛ばして、どちらともコントロール不能になった。で、全員がベイルアウトしたは良いが、二機分のパーツがあっちこっちに飛び散って、ちょっとした大惨事ってやつだ。おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
「大丈夫です。それで? パイロットは三人だって聞いてますけど?」
なんだか耳鳴りがして気分が悪くなったけど、深呼吸して気持ちを落ち着ける。
「基地のパイロットが一人、それと俺の後ろには
「八重樫一尉は?」
「あいつはまだ意識が戻らないって話だ。パラシュートも破片のせいで破れたりしたからな。かなりの高度だったし、着水の衝撃が強すぎたんじゃないかって話だが、俺も昨日の夜に目が覚めたばかりで詳しいことはわからん、おい、大丈夫か?」
足の力が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「もう……イヤですよ、次に会うのが一尉のお葬式だったなんてのは……」
「少なくとも、命に別状はないんだから心配するな。おいおい、泣くなよ、泣きたいのはこっちなんだから。そんなふうに床に座ってないで、そこの椅子に座れ。そうしないと、ちゃんと顔が見えないだろうが」
そう言われて、ベッドに横に置いてあった椅子にのろのろと座る。
「ちはるがそこに居座っている限り、耳元で姉貴に怒鳴り散らされることはないからな。しばらくはそこに座っていてくれ。それでいつまでいられるんだ?」
「三佐には、卒業するまで戻ってくるなって言われました」
私の返事に驚いた顔をした。
「ってことは、四月いっぱいはこっちにいられるってことなのか。せっかくそれだけ長く一緒にいられるのに、身動きできないとは無念だな」
「そういう問題じゃないです。でも良かった、一尉が無事で。もちろん、八重樫一尉と飛行隊のパイロットさんもですけど」
「まあ片足の先っぽは、太平洋のどこかに消えちまったけどなあ……」
それでも一尉はちゃんと生きていた。だけど、これだけ大きな怪我をしてしまったら、もうパイロットとしてイーグルに乗り続けることはできない。今は
「そうでした、ごめんなさい」
「謝るヤツがどこにいる。少なくとも俺はちゃんと無事に生きてる。大事なのはそこだ。おいおい、どうした」
ベッドに突っ伏した私の頭に、一尉の手が置かれた。
「生きてる一尉の姿を見たら気が抜けました」
「それが普通の反応だよな。姉貴なんて目が覚めた途端に怒鳴り散らすんだぜ? あんまりだと思わないか? おい、ちはる? 聞いてるかー? おーい?」
■補足■
※ベイルアウト … 航空機から緊急脱出することです。
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