第二十二話 インターセプト

「今日の最終で立ち寄る小松こまつ基地に、飛行教導隊が来ているらしいぞ」


 出発前のブリーフィングで、緋村ひむら三佐がさりげない口調で言った。三佐がさりげなく言ったので、私もさりげなく返事をすることにする。


「そうなんですか? 日本海側はまだ天気が不安定なのに、御苦労様なことです。こんな悪天候でも、訓練はできるんでしょうかね」

「……」

「なんですか」


 ニヤニヤしながらこっちを見ている男連中の様子に、顔をしかめてみせる。


「そんなすました顔をしてないで、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうだ。せっかく彼氏と会えるチャンスなんだぞ?」

「冬期休暇で顔を合わせてから、まだ一ヶ月しか経ってませんよ」


 そう答えると、またまた~と三佐が笑いながら手を振った。


「恋人に一ヶ月も会えなかったら寂しいだろ。素直に喜べ。んん?」

「まあそりゃ会えないよりは。ですが、毎度毎度のタイトなスケジュールを考えれば、まともに会って話せるかどうかわからないじゃないですか」


 よほど急激な悪天候で離陸できない事態にならない限り、その日のうちに小牧こまきに戻ってくる定期便の飛行ルート。立ち寄った基地でお昼ご飯を食べるにしても、十分足らずでかっ込んで、下手をしたらお昼ご飯抜きで飛び立つことも珍しくない。運が良ければ、ガメラ君が飛んでいるところを目撃できるかもしれない程度に、思っておいたほうが良さそうだ。


「ここで喜んで、機体を見ることすらできなかったらガッカリじゃないですか。ですから、実際に顔を合わせてから喜ぶことにします」

「えらく可愛げがないじゃないか、天音あまね君や」

「お正月明けにあれだけからかわれたら、可愛げもなくなります」


 バッサリと言い切ったら、緋村三佐は申し訳なさそうな顔をするどころか、イヒヒと笑った。


 とにかく、休み明けの三佐のからかいかたは半端じゃなかった。もちろん食堂やそういった他の隊員の目のあるところではなく、ブリーフィング時やコックピットで離陸準備をしている時など、クルー限定時ではあったけれど、緋村三佐と私との間に確固たる信頼関係がなかったら、絶対にセクハラで訴えられていたと思う。これはもしかしたら、年明けの訓練始めでのできごとに対する、三佐なりの仕返しなのかもしれない。


「俺は、教え子が順調に男女交際を続けていることを、純粋に喜んでいるんだぞ?」

「喜びすぎですよ、一歩間違えればセクハラです。同じようなことをお嬢さんに言ったら、嫌われちゃいますよ?」

「んー……たしかに娘達には、もう少しオブラートで包むなりしてマイルドな表現にしなさいと、いつも言われているな」

「もうすでに言われてるんですか。なのに改まらないとは、お嬢さん達の御苦労がしのばれます」

「なんでだー。相手の男をぶん殴ると息巻いている、どこぞの父親よりマシだと思うぞ?」


 まあ確かに、ぶん殴ってやると騒いでいるうちの父親よりかは、平和的かもしれない。


「とにかく、喜ぶのはあっちに到着してからにします。それで今日の貨物についてですけど……」



+++



 山間部を越え太平洋側から日本海側へと抜けると、空の様子も景色も一変した。


 今日は超悪天候とまではいかないものの、そこはやはり演歌な世界の冬の日本海。雪が舞い風も強いし、眼下に見える波の様子から、海もかなり荒れていそうだ。視界も良好とは言い難い状態で、横風にあおられてガタガタと揺れ続ける機体を安定させることに集中しなければならず、普段のような気楽なお喋りも、今日は途切れがちだった。そしていつもだったらお昼寝三昧ざんまいの三佐も、今日ばかりは基地を離陸する時から機長席に着いている。


 つまりは、問題なく飛べるが天候はさしてよろしくない、という状態なのだ。


「この風向きだと、着陸時も横風をまともに受けることになるな」

「そうですね」


 ガタガタと小刻みに揺れ続けながら、三佐は肩越しに山瀬やませ一尉に声をかける。


「山瀬、その席に座ると眠くならないか?」

「なりませんよ。三佐だってこれだけ揺れていたら、さすがに眠るのは無理でしょう」

「そうか? ちょうど良いゆりかご状態で爆睡だと思うんだが」

「マジですか」


 今日は、三佐の指定席になっていた場所に、山瀬一尉が座っていた。もちろん一尉はお昼寝をすることはせず、こちらが機体を安定させるのに手一杯なのを見て、計器類のチェックを手助けしてくれている。


「そろそろ最終着陸ルートに乗ります、三佐」

「わかった」


 三佐が返事をしたと同時に、機体が大きく揺れて一気に高度が下がった。


「おう、珍しく乱暴な操縦だな、天音」

「私のせいじゃありませんよ、気流のせいです。でも今のはちょっと危なかったかも」

「おい、山瀬、花山はなやま、大丈夫か。後ろの谷口たにぐち井原いはらはダンゴになってないか?」


 操縦桿を引いて高度を上げると、三佐が後ろの席にいた山瀬一尉と花山三佐に笑いながら声をかけた。


「今のところは」

「こちらは問題ありません」


 一尉は苦笑いをしながらうなづき、花山三佐は相変わらずの涼しい執事顔のまま返事をする。そして耳元では、俺達をダンゴにする気かと文句を言っている、谷口一曹と井原一尉の声が聞こえてきた。


「しかしどうにもこうにも、操縦桿を握ってないと落ち着きませんね」

「修行が足りんな山瀬。落ち着かないなら自前のでも握っとけ。おっと失礼」


 山瀬一尉にそう言った三佐が、私を見てニヤリと笑った。


「もうその手の会話には慣れました。それで? こんな風の状態ですけれど、どっちが着陸させるんですか? 三佐ですか? それとも私ですか?」

『こちら小松基地管制。キャメル06、応答せよ』


 その問いかけに、三佐が私を指さした。つまり、私が仕切れということらしい。


『こちらキャメル06。現在、当機は最終着陸コースまで十マイル』

『キャメル06、現在位置を確認。ランウェイ24より着陸を許可する。現在の基地周辺の風向きは北東方向より風速11メートル。滑走路の積雪、凍結は無し。ただし突風には気をつけたし』

『了解、小松基地管制。ランウェイ24より着陸します』


「上空待機はギリギリしなくても良さそうですね」

「ちょうど低気圧が南を横切って行く時間帯で着陸は難しそうだが、離陸する時間にはもう少し風もおさまっているだろう」

「つまり、一番厄介な時間の着陸を私に押しつけたと?」

「まさか。これも訓練のうちだ。しっかりやれよ、積んでいる貨物がグチャグチャになったら、谷口がここまで怒鳴り込んでくるからな」


 向かい風ならば、この程度の風の強さはさほど気にはならない。だけど、横から機体をあおってくる突風には注意が必要だ。


「今のうちに謝っておきます。滑走路で機体が横転したらすみません」

「おいおい、この機体がいくらするのか知ってて言うのか? 中古でもかなり値がはるんだぞ。いくらトイレ環境が気に入らないからって大事に扱え」


 高度を下げていく途中、横からの突風で何度か機体が大きくあおられた。機体がかたむくたびに、三佐がこっちに視線を向けてくる。


「そんなに心配なら、今からでも変わりましょうか、機長?」

「突風であおられるより、お前にあおられるほうが怖いのはなぜなんだ」

「それはどうも。じゃあ、いい子にしてお口をつぐんでおいてくださいね、舌を噛かんでも知りませんよ?」

「どっちが機長か、わかったもんじゃないな」


 三佐がそう言って笑った。


 突風が吹く合間を縫いながら、なかば強引に突っ込んで着陸させると、車輪が滑走路に着いた振動が伝わってきた。それと同時に一段と強い横風が吹いて機体が横を向いた。機体の方向を立て直すと、機体にいつもとは違った変な振動が走ったのを感じて、三佐のほうに目を向けた。


「もしかして今、機体がジャンプしました?」

「今の振動、間違いなく浮き上がってバウンドしたよな?」

「ハンガー前で止まるまで、重石代わりに五人で右の翼の端っこに座ってもらえると、安心なんですけどね」

「なんてことを言うんだ、俺達を殺す気か?」


 とりあえず無事に着陸成功ということで、緋村三佐もやっと緊張をといた。


「大した度胸ですよ、貴方の教え子は。まったく恐ろしげなパイロットに育ちそうでなによりですね、緋村三佐」

「花山、それは天音を褒めてるのか?」

「もちろんです」



+++++



 貨物がダンゴになることもなく無事に到着できたことにホッとしながら、クルー全員で食堂に向かった。その途中でトイレに行くと断りを入れて、一人でキョロキョロしながら歩いていると、いきなり腕をつかまれて人のいない部屋に引っ張り込まれる。


「?!」

「なにやってるんだ、こんなところで。まさか迷子になっていたのか?」


 突然のことになすがままにされていたら、頭の上から笑いを含んだ声がした。


榎本えのもと一尉?!」


 見上げれば榎本一尉が、呆れたような顔をして私を見下ろしていた。


「俺以外に誰だと思ったんだ? 他の男がここにいるんだったらさっさと白状しておけよ? 俺がこっちにいる間に、そいつをイーグルの後ろに乗せて飛んで、日本海で捨ててきてやるから」


 ニヤニヤしながら言っているけど、半分ぐらいは本気のような気がする。


「違いますよ、探してたのは一尉です。今日は悪天候で、訓練は中止になったって整備の人が言ってたから、この辺にいるだろうと思って」

「それで天音は? 定期便でこっちに来たのは聞いているが、こんなところでうろついていて良いのか? まさか本当に迷子になったわけじゃないよな?」

「違いますよ。三佐達はちょうどお昼ご飯を食べている時間なので、トイレと称してこっちに出てきました。まだ三十分ぐらいは平気ですよ」


 私の言葉に、一尉は笑いを引っ込めた。


「待て。じゃあ飯を食う時間をつぶして、うろうろしていたのか」

「だってほら、同じ基地に来ることがあったら声をかけるって、約束したじゃないですか」

「まったくちはる。そこまでして俺のことを探してくれるのは嬉しいが、飯は食べておかないとダメだろ」

「大丈夫ですよ。ちゃんと朝も食べてきたし、一食ぐらい抜いても平気です」


 そうは言ったものの、さっきからお腹が小さくグーグー鳴っているのは、無視できない事実だ。


「ここは上官として、さっさと昼飯を食いに戻れと命令するのがスジなんだろうが」


 溜め息をつきながら、一尉は私のことを抱き締めてくる。一ヶ月ぶりに戻ってきた一尉の腕の中に嬉しくなって、私も抱きついて顔を上げると短いキスをされた。


「さすがに、自分の縄張りの基地じゃないこんな場所では、これ以上はなにもできないな。見つかったらそれこそ大問題だ」


 一尉が顔を上げて笑うと、両肩に手が置かれて体が押し戻された。


「?」

「よし。飯を食いに行くぞ」

「え?」

「食堂まで戻って、少しでもなにか腹に入れろ。腹が鳴っているのが丸分かりだったぞ」

「……わかりました?」

「ああ」


 自分のお腹に手をやって見下ろした。体をくっつけた時にお腹がグーグーと震えていたのがわかったらしい。一尉に連れられて食堂に行くと、三佐達がこっちを見て手を振ってきた。


「あの顔は、絶対に面白がってますよ」

「いい教官じゃないか」

「そうかなあ……」


 私としては離れた場所に座りたかったのに、一尉は私を後ろから押して三佐達のもとへと歩いて行き、なぜか緋村三佐の横に座らせた。


「三佐の教え子殿が、建物内で迷子になっていたようですよ。昼飯を食えずに離陸することになりそうだったので、お連れしました」

「それはそれは。わざわざすまない、榎本一尉」

「あの」

「適当に持ってくるから、お前は教官の横でおとなしくしていろ。また迷子にでもなったら、かなわないからな」

「さすがに食堂では迷子になんて」

「なにか言ったか?」

「……お手数をおかけしまして申し訳ありません」


 私が渋々座ったのを見届けて一尉がテーブルを離れると、三佐達のニヤニヤ顔がこっちに集中した。


「俺達って、本当に教え子思いの良い上官だろ?」

「なにがですか?」

「だからこうやって、お前達がゆっくり会えるように、余裕を持った飛行計画を立てているんだから。普通だったら、十分足らずで昼飯食ってとんぼ返りだもんな」

「今日の飛行計画で時間的余裕ができたのは、悪天候になった場合を想定して、時間的余裕を持たせたからだという話だったと思うんですが」


 出発前のブリーフィングでもそう言っていたし、途中で立ち寄った基地でもそれを見越して、天候が安定している間にさっさと離陸しようって話だったはずだ。


「ここで天候が急激に悪化して足止めされれば完璧だったんだが、さすがにそこまではこっちの思い通りにはならなかったな、花山。さすがにお前でも、そこまでは読み切れなかったか」

「まあ我々は晴れ男集団ですからね。よほどのことがない限り、これ以上は天候の崩れはないと思っていましたよ」


 花山三佐がさらりと言いながら、コーヒーを口にした。


「な? 俺達って、本当に思いやりのある上官集団だろ?」

「……えっと、こういう時は、感謝の意を述べたほうが良いのでしょうか?」

「いんや。ただの〝偶然〟なんだから気にすることはない。そうそうこんなことはないけどな」


 一尉がトレーを持って戻ってきた。私の前にそれを置くと自分も横に座る。


「さあ食え」

「ちょっと、こんなに食べれませんよ……ご飯、山盛りじゃないですか」


 ご飯茶碗にはご飯がてんこ盛りだ。いくらなんでもおかずに比べてご飯が多すぎる。


「とにかく食えるだけ食え」

「こんなに食べたら、小牧につくまでに胃が引っ繰り返っちゃいますよ、今日はよく揺れる日なんだから」

「天音の胃袋がそんなにやわなものか。揺れたら消化が良くなる程度だろ。さっきの着陸を見てもわかるだろ」


 なにやら緋村三佐が失礼なことを言っている。その言葉に一尉が愉快そうな顔をした。


「それほどだったんですか?」

「それほどだ。かなり強引に突っ込んで、ワッパが横風で浮いて機体が踊ったんだぞ。お前さんの恋人は大した度胸の持ち主だ」

「彼女の操縦ぶりを、一度、コックピットで見てみたいものです」

「そのうち乗せてやるから遊びに来い」

「是非に」


 二人で勝手に話を進めている。


「なに勝手に二人で決めてるんですか」

「なんだよ、かまわないだろ? パイロットとしては興味があるよな、榎本一尉?」

「そうですね。自分はすでにこの機長を後ろに乗せて飛びましたから、次は自分が乗せてもらう番です」

「そういうことだ」

「どういうことかさっぱりです」


 男同士で盛り上がっている会話を複雑な気分で聞きながら、ご飯を口に押し込んだ。

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