第二十一話 新しい一年の始まり
「これが寮の分、こっちが
「ちはる、ちょっと買いすぎじゃないか?」
「そんなことないですよ。人数分しか買ってませんから」
「そうなのか? しかしそれ、どう見ても酒飲みチョイスだろ」
たった今、カゴの中に入れたおみやげを指でさす。
「だって緋村三佐を筆頭に、うちのクルーは全員が大酒飲みですから。あ、別に袖の下のつもりで買うわけじゃないですよ? 単なるおみやげです」
「わかってるさ」
休めたような休めなかったような、榎本一尉のお宅ですごした冬期休暇も最終日。今日はいよいよ、
行きは定期便を利用したけれど、帰りは運行事情もあって、民間の航空機を使って戻ることにしていた。そろそろお正月休みも終わりということで、空港のあちらこちらでは、大きな荷物とおみやげを両手に自宅へと戻っていく家族連れの姿があった。ちなみに私の買ったお土産は、さすがに機内には持ち込めない大きさになるので、基地付で送ってもらうことにしている。
「これでまた、しばらくは会えなくなるな」
おみやげを送る手配を終えると、一尉が保安ゲートの前まで送ってきてくれた。
「今朝方のことを考えたら、しばらく会えないほうが私にとって、平和な気がしてきましたよ」
「どうして」
「どうしてって……」
最後の夜だからって、昨日の夜から明け方近くまで離してもらえなかったせいで、体のあちこちがギシギシいっている。帰りは、座り心地の良い民間機を利用することにして良かったかもしれない。ここに来た時は男女の営みのことなんてほとんど知らなかったのに、この数日の間でなんと状況が変ってしまったことか……。
「お忘れかもしれませんが、私は明日から訓練再開なんですからね?」
「そうだったか? 自分がまだ休みだからすっかり忘れていたなあ」
すっとぼけた顔をしているけど、忘れていたわけじゃないのはわかっている。
「寂しいからって、他の男と仲良くしようだなんて考えるなよ?」
「一尉の相手をするだけで精一杯ですよ。それに明日から訓練再開ですから、他のことを考えている余裕なんてありません」
「なら良いんだが」
「多分、一尉のことを考える余裕もないんじゃないかな」
「なんてこと言うんだ。だがちはるのことだ、そうなったとしても不思議じゃないか」
一尉が笑った。
「そういう一尉も、寂しいからって他の女の人と仲良くしないでくださいよね」
あんなことやこんなことを他の人にされるなんて、考えるだけでもイヤだ。それと私にしたことようなことを、一尉が他の女の人にするのも絶対にイヤ。だから私からも、しっかりと一尉に釘をさしておかなくちゃいけない。
「この休暇の間に、しっかりと充電させてもらったからな。当分は大人しくしていられそうだ、俺もこいつも」
そう言いながら私の肩に腕を回して、さりげなく体を寄せてきた。朝まで私のことを寝かせてくれなかった某なんとかさんも、今は大人しくしているようだ。
「当分はってどのぐらい?」
「そうだなあ……」
「少なくとも五年は大人しくできるってことが証明されてますよね?」
「おい、本気じゃないだろうな?」
抱き寄せる腕に力が入った。
「まあそれは冗談ですけど。今度はいつ会えるかな。来年度は私も一旦基地を離れますからね。
「オヤジさんには、そろそろ子離れしてもらうしかないんだがな」
二人で笑っていると、私が乗る便の搭乗開始時間を知らせるアナウンスが流れた。
「じゃあ、そろそろ行きます。いつまでもここにいたら、帰りたくなくなっちゃうから」
「頑張れよ、ちはる」
「はい。あともう少しで一尉と同じ飛行幹部ですからね。頑張ります!」
本当の意味で、航空自衛隊のパイロットになるまであと少しだ。
「一尉もくれぐれも安全飛行ですからね?」
「わかっている。そっちも気を抜くな」
「はい。もし奈良に行くまでにどこかの基地で会うことがあったら、その時はできるだけ声をかけるようにします」
「楽しみにしている」
人目もあることだし、私的にはここでハグをするなんてハードルが高いので、一尉の手をギュっと握った。その気持ちが伝わったのか、一尉はニッコリして手を握り返してくれる。そしてなぜか、ニヤリと変な笑みを浮かべた。
「そんなに恥ずかしがることもないだろ? 自分達のことで忙しくて、誰も俺達のことなんて見ていないさ」
そう言いながら私を引き寄せて抱き締めた。そして
「?!」
「最後の給油完了。さ、行け。これ以上一緒にいると、俺もちはるのことを帰したくなくなるからな」
そして唖然としている私を離すと、保安ゲートのほうへと押しやった。振り返ると、何食わぬ顔でニコニコしながら手を振っている。ゲート横に立っている空港の職員さんが、心なしかニヤニヤしているような気がしたけれど、気のせいだと言い聞かせてゲートをくぐった。
明日から、また全国の基地へと飛ぶ忙しい訓練飛行の毎日が始まる。だけど……。
機内でバッグを棚にしまい込んで、シートに落ち着きながら窓の外を見た。昨日まで隣にいた人がいないのがこんなに寂しく感じるなんて、思いもしなかったな……。
+++++
テレビのニュースで自衛隊の訓練始めの映像が流れる中、小牧基地でも報道関係者を招いて訓練始めが公開された。整列している隊員達の前で基地司令が年頭の訓示をして、飛行隊が今年最初の離陸の準備を始める。
この訓練始めは、報道関係だけに公開されるものなので、民間の人達は見学することはできない。だけど今頃はきっと、空港側にある展望デッキにカメラを持った人達が、今年最初の離陸の写真を撮ろうと押し寄せているはずだ。
「ここに座るのが久し振りすぎて、変な気分になるな」
そんな中、コックピットで不安になるようなことを言っているのは、我らが機長の緋村三佐。そういえば私も、三佐が機長席に座るのを久し振りに見たかもしれない。ここしばらく、は訓練と称して
「やめてくださいよ。操縦のしかたを忘れたなんて言わないですよね?」
「馬鹿を言うな、そんなことあるわけないだろ」
そう言って笑いながらヘッドセットをつけると、真面目な顔をしてコンソールの計器類を見つめた。
「おい山瀬、エンジンスタートのボタンはどれだった?」
「三佐……」
「冗談に決まってるだろ」
笑いながら、正面に立っている
「去年は昼寝ばかりしていたから、本当に忘れたかと思いましたよ。天音が奈良から戻ってくるまでは、
山瀬一尉の言葉にものすごい引っ掛かりを感じる。
「一尉ちょっと待ってください、私があっちから戻ってきた後だったら、三佐が
「年明け早々から、二人そろって失礼にことを言ってるな、おい。
「はい? こっちの作業に忙しく話を聞いていませんでしたが、なにか問題でも?」
「お前もか」
三佐が思いっ切り顔をしかめた。
機外に立って、プロペラが回り始めるのを見ていた井原一尉が、三佐のしかめっ面に気づいてなにか問題でも?と問い掛けてくる。山瀬一尉が問題ないと笑いながら返事を送ると、一尉は安心した様子でうなづいてから他の整備員に指示を出した。今日は訓練始めということで、普段よりもハンガーに整備員がたくさん出てきている。
「さて、飛行初めだな。今年もよろしく頼むぞ、皆の衆」
「こちらこそよろしくお願いします、機長」
クルー一同で改めて新しい一年のスタートの挨拶をかわした。
『こちらキャメル06、ランウェイ16からの離陸に向けて滑走路に出るがよろしいか?』
『小牧管制塔よりキャメル各機へ。現在、民間機一機が上空で最終着陸コースに入った。こちらの指示があるまでその場で待機せよ』
『キャメル06、了解』
他の機からも待機了解の返事が聞こえてくる。しばらくすると、海外の航空会社のジャンボが上空に現れ、滑走路に着陸した。その航空機が滑走路から空港ターミナルの所定の位置に入ったところで、こちらに滑走路に出る許可が出る。
機体が動き出すと、整備員や普段は基地内で仕事をしている隊員達が、ハンガー前に整列して帽子を振りつ送っていた。そしてその後ろには、カメラをこちらに向けている報道関係者の姿。これも訓練始め恒例の光景だ。ここで撮影された映像は、地元ローカル局のお昼と夕方のニュースで流れることになっている。
「ところで気になっていたんですが、今日の離陸順はどうやって決めたんですか?」
大抵は一番機から飛ぶのに、今日は六番機の私達の機が先頭だ。つまりは編隊を組む時も先頭を飛ぶことになる。
「クジ引き」
「なんと。……それ、本当ですか?」
「それがうちの飛行隊の毎年の恒例行事なんだよ、おおっぴらには言ってないけどな。機長同士で集まってクジを引いて順番を決めるんだ。まあこれも、編隊を組むのに順番を固定しない方が、いざと言う時に素早く編隊を組めるからっていう、ちゃんとした理由があるんだがな」
「訓練始めから一番を引くなんて、
「そうだと良いな」
滑走路の所定の位置についた。外をのぞいて後ろを見れば、他のC-130輸送機が後に続いている。
『小牧管制、こちらキャメル06。ランウェイ16からの離陸準備良し』
『キャメル06、こちら小牧管制。滑走路及び上空クリア、ランウェイ16より離陸を許可する』
『離陸許可確認。ランウェイ16より離陸する』
エンジンの出力が上がり、四基のエンジンが唸り声のような音をたてる。今日のフライトは基地を離陸してから編隊を組み、南下して海に出てから、周辺の空域を周回するようにして飛んで基地に戻ってくるコースだ。時間にして一時間程度。
離陸許可を受けて輸送機が滑走を始める。もちろん、三佐が操縦のしかたを忘れたと笑っていたのは冗談で、さすが教官を任されることだけあって、安定した離陸だった。高度を上げていくと、後ろから続いて離陸した一番機と四番機が所定の位置につく。ここ最近は単独で飛ぶことが多かったけれど、輸送機は基本的に三機一組で編隊を組んで飛ぶことが多いのだ。
「緋村、腕が鈍っていなくて良かったな。ここしばらくは、訓練生と山瀬一尉にまかせっきりだったと聞いているぞ?」
そう話しかけてきたのは、キャメル01の
「まだまだ楽はさせてもらえないらしいですよ、たったいま
「なに言ってるんですか、誤解されるようなことを言わないでください」
こっちは三佐のお昼寝タイムにだって、大人しく輸送機を飛ばしているというのに。
「
「はい、長谷川三佐。肝に銘じておきます。……ということで上官公認のケツ叩きですので、覚悟しておいてください」
緋村三佐がイヤそうな顔をしてチラリと振り返った。
「天音、お前、もう
「うわ、ひどい」
「ひどいのはどっちだ。お前の上官は、長谷川三佐じゃなくて俺だろうが」
「あちらは三佐の先輩じゃないですか」
「だが俺はお前の教官だぞ?」
『こちらキャメル06。キャメル01、そちらの機長のせいで、こっちのクルーが新年早々からもめているぞ』
「おい、山瀬。お前、なに他人事みたいな顔して通信してやがる」
『こちらキャメル03、02、05。三機全クルーの総意として、我々は中立的立場にあると宣言しておく。その紛争に我々を巻き込むな』
『こちらキャメル07、残りの飛行隊クルーの総意を確認。我々もこの件に関しては中立を宣言する』
「そろいもそろって薄情な連中だな。もう少し古参の機長をうやまえ、いじめられているのは俺のほうなんだぞ」
『雑音がひどく、なにも聞こえない、なにか言ったか、06』
年明け早々から小牧上空は、ちょっとしたカオス状態だ。
『こちら小牧管制塔。キャメル各機、基地司令より伝達。君達の通信がダダ漏れである、紛争は地上に戻ってから解決すべし。繰り返す、紛争は地上に戻ってから解決すべし』
「基地司令まで中立かよ」
『なにか言ったか06?』
こんな感じでちょっとしたパイロット同士の紛争はあったものの、無事に訓練始めも終わり新しい一年が始まった。
紛争の調停はどうなったかって? 長谷川三佐にとって緋村三佐は、四年下の
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