第二十話 二人の年末はこんな感じ

 榎本えのもと一尉が、どんなふうに年末をすごそうとしていたにせよ、ずっとベッドの中にいるなんて現実的ではないのは、お互いにわかっていた。だから私は次の日に、一尉宅の大掃除を敢行することにした。もちろん一尉も巻き込んで。


「まったく。今からケツを叩かれていたら、この先どうなるんだ?」

「二人ですれば半分の時間ですむじゃないですか。私がいるうちにきれいにお掃除をしておいたら、後が楽ですよ」


 掃除をすると宣言してから一尉は、ずっと文句を言いっぱなしだ。だけど、そこでほだされるほど私は甘くない。


「大掃除をするほど汚れてないだろ」

「そうですけど気持ちの問題でしょ? 今年の汚れは今年のうちにきれいにするって、テレビのCМでも言ってましたよ? はい、これ」


 そう言って、買ったばかりの新品のブラシとトイレ用の洗剤を差し出した。午前中にいやがる一尉を無理やり外に引っ張り出して、買いそろえたお掃除道具一式だ。ちなみに私は部屋の拭き掃除を終わらせて、今から台所のお掃除にとりかかることにしている。


「まったくなあ……」


 溜め息をつきながら、それを受け取る一尉。


「航学の時を思い出すでしょ? 初心にかえることができてよろしいのでは?」

「ああ、たしかに毎朝みんなで掃除をしていたよな」


 そう言いながら懐かしそうに笑う。


「それに比べれば、一人暮らしのアパートの掃除なんて楽なもんですよ。自分が気になった時に掃除すれば良いんだから」

「ところでちはる、この大掃除の見返りはもらえるんだろうな」

「きれいなお部屋で年越しができる以上の見返りが必要とでも?」


 もちろん私は真顔で答えた。


 しばらく二人で黙ったまま見つめ合っていたけれど、一尉は諦めたのか戦略的撤退を決め込んだのか、首を横に振りながらトイレ掃除に向かった。その背中を見送りよしよしとうなづきながら、私は台所のお掃除を開始する。


 それからきっかり二時間後、捨てるものなんてないだろうなんて思っていたら、意外とゴミもがたくさん出たので、二人でアパートの敷地内にあるゴミ集積場に、ゴミ袋を持っていって大掃除作戦は無事に完了。


「ほら、やっぱり大掃除したらさっぱりしたじゃないですか。やって良かったでしょ? って、わっ」


 ゴミを捨てて戻ってきたとたんな、玄関で抱き上げられた。脱ぎかけていた靴が足元に転がる。


「任務は終わった、見返りをよこせ機長」

「私だって掃除したんですよ、一尉だけ見返りを求めるなんてずるいと思うんだけど」

「だったらそっちもなにか希望を言えよ」

「エッチ無しの平穏な年こ」

「却下」


 言い終わる前に却下されてしまった。


「じゃあせめて」

「却下」

「なにも言ってないじゃないですか!」

「この休みが終われば次に会えるのは当分先だろ。今のうちにしっかりと、ちはるの体に俺のことを覚えさせておかないと安心できないだろうが」


 なにやら不穏すぎて言葉が出ない。


「一尉の言葉を聞いていると、無事に年越しできる気がしないです」

「心配するな。これでもきちんと炊事洗濯はできる男だ、ちはるが寝込んでも問題ない」


 そういう問題じゃないんですがと言った私の言葉は、きれいさっぱり聞き流されてしまったようで、あれよあれよという間にベッドに押し倒されて一尉がおおいかぶさってきた。


「いくら休暇中だからって、明るいうちからエッチするのはやめませんか?」

「暗くなってから始めたら夜通しってことになって、睡眠時間が削られることになるがに。それでも良いなら俺はかまわないが?」

「長時間が前提とか」


 というか今の一尉を見る限り、夜からにしても時間が削られる以前の問題で、寝かせてもらえないのでは?という気がしてくる。


「私、休暇はゆっくりまったりしたいと思っていたんですよね……」

「俺とベッドでゆっくりまったり、ちゃんと思い通りだろ」

「いや、なにか違う気が」



+++++



「ねえ、一尉」


 その日の夜、見たかったドラマがあったので、あれこれしたがる一尉を説き伏せテレビの前に陣取った。CMにうつった時にふと、大掃除をしていた時に冷蔵庫で見つけた、謎の物体のことを思い出した。


「なんだ?」

「冷蔵庫の拭き掃除をしていた時に見かけたんだけど、あの大きなスルメはなに? お酒のおつまみ?」

「スルメ? ああ、あれか」


 そうなのだ。拭き掃除をするために食材を出していた時に、大きなスルメを見つけたのだ。しかも冷凍庫に真空パックされた状態でべローンと。初日に食材を片づけた時には、冷凍庫の下まで見ていなかったから気がつかなかった。


「あれは雑煮ぞうにを作る時に使うんだよ」

「お雑煮ぞうににスルメを入れるの? そんなの聞いたことない」

「そうじゃなくて、あれで出汁だしをとるんだ。ちはるが遊びに来るって聞いた実家の姉が、榎本家の味を食べさせてやれって送ってきた」

「そう言えば一尉の実家ってどこ?」

小松こまつ


 小松といえば、一尉が飛行教導隊に来る前にいたところだ。


「ってことは、前の所属は地元の基地だったってことなんだ」

「もともとパイロットになりたいと思ったのが、あの基地の航空祭でしたイーグルを見た時だったからな。どうしても、あそこのドラゴンのエンブレムを背負って飛びたかったのさ。だから部隊配属になる時に、あそこの飛行隊への配属希望を出した」


 配属先に関してはある程度、自分の希望が出せるというのは知っていた。だけど榎本一尉にもそんな動機があったなんて、ちょっと意外だった。


「ってことは石川県のご当地お雑煮ぞうにが、スルメの出汁だしを使っているってこと?」

「そういうこと。元旦は俺が雑煮ぞうにを作ってやるから、楽しみにしていてくれ」

「本当? わーい、やったー!」


 予想外の申し出にちょっと嬉しい。


「ちはるの実家は各務原かがみはらなんだよな?」

「そうですよ」


 うちの実家では、すまし汁にお餅と小松菜や白菜を入れたお雑煮ぞうにだけど、一尉の実家のはどんな感じなのかな。


「ってことは、お互いの実家はそれなりに近いってことなのか」

「そう? そりゃあ今の私と一尉が勤務している基地との距離を考えれば、ずっと近いかもしれないけど」


 頭の中に日本地図を思い浮かべてみる。まあ直線距離にすれば近いかな。車で移動するとなると、どのぐらいかかるかな、二時間? 三時間? まあ近いほう、なのかな……?


「実家から小牧こまきまでは、車だと一時間程度か?」

「うん、そんなところ」

「なるほど……俺が小松基地の飛行隊に戻れ、ば随分と楽になるんだよな、お互いに」


 急になにを言い出すのかと思ったら。お雑煮ぞうにの話が、いきなり私達の物理的距離の話になってしまった。どうやら私がお雑煮ぞうにのあれやこれや考えている最中に一尉は別のことを考えていたらしい。


「だからって、そんな不純な動機で転属希望出すなんてダメですからね」

「不純か? これから先のことを考えれば、それなりの動機だと思うんだがな。事実そうやって異動するやつもいるにはいるし。C-130輸送機のパイロットなら小牧一択だ。ってことは俺が動くしかないだろ?」

「でも、せっかくイーグルドライバーの頂点に君臨できるかもしれないのに、それを放り出しちゃうの?」

「トップに君臨するより、防空任務の方が重要だと思うが?」


 それはそうなのかもしれないけど……。


「でもそれが異動したい動機じゃないでしょ? さっき言ったことからして?」

「俺としては、トップ君臨よりもちはるとのことのほうが大事だし、お互いの物理時距離が縮まって防空任務に再び就くことになったら、言うことなしなんだが?」

「この話、日下部くさかべ三佐が聞いたらショックを受けるかも」

「ショックを受けるどころか激怒して、俺のことを日向灘ひゅうがなだに沈めるかもな。だから今の話は内緒な」


 そう言って一尉は笑った。まあ本気で言っているわけじゃないのはわかってた。いや、もしかしたら半分ぐらいは本気が入っていたかもしれないけど。


 その日は遅くまでやっていたドラマを見て、お風呂に入ってベッドに潜り込んだ。もしかしたら一尉は、昼間の続きをする気があったかもしれないけど、私の方が眠くて目を開けていられそうになかった。だから後からベッドに入ってきた一尉にしがみつくと、そのまま熟睡してしまったのだった。



+++++



「だからどうしてさっさと爆睡するんだ、ちはる」

「そんなこと言ったって。だいたいあれは、明るいうちに私のことをベッドに引き摺り込んだ一尉が悪いんですよ。そのせいで疲れちゃって眠かったんだから」


 次の日、朝から一尉がブツブツと文句を言っている。


「それに自前のなんとかさんだって、今朝はなにも文句を言ってないんでしょ? だったら問題ないじゃないですか」


 私はそう言って、なんとかさんの場所を指でさした。だけど一尉はその意見に異議ありの様子だ。


「問題大いにありだろうが」

「そんなことないと思うけどなあ。でも、ここで一尉が我慢してくれないと、今夜も同じことになって悪循環におちいるんだけど」

「俺が我慢するのか? ちはるが眠いのを我慢する選択肢は無いのか?」

「なんでそこで私が我慢するって話に? だいたい睡眠不足は美容によくないです」

「こっちの我慢も体に良くない気がするんだがなあ……」

「もう。一尉の言ってることって、大人の言うことじゃないでしょ……」


 一尉に後ろから抱き枕のように抱き締められながら、溜め息をついた。オフになると神ともあがたてまつられている教導隊のパイロット様も、ただのエロい人になってしまうらしい。


「悪循環がなんだ、どうせオフなんだ、だらけてすごせば良いだろ」

「良くないです。ちょっと、なんですかその手は!」


 Tシャツの下に手を潜り込んできた一尉の手をひっぱたく。


「っていうか。よくそんな毎日のようにできすよね? そっちのほうで元気じゃなくなる心配とかないんですか? えーとガス欠とか弾切れとか」

「無い」

「えええええ」


 Tシャツを脱がされたところで玄関のドアチャイムの音がした。


「……」

「玄関のチャイムが鳴りましたよ?」

「鳴ったな」

「誰か来ましたよ」

「来たな」

「出なきゃ」

「出るのか?」

「当たり前でしょ」


『榎本さーん、宅配便でーす』


「ほら、行かないと。こんな忙しい時に再配達してもらうのは気の毒ですよ」

「……しかたがないなあ」


 一尉は渋々といった感じでベッドを降りて部屋を出た。その間にもう一度ドアチャイムが鳴る。一尉がドアを開ける気配がして、お兄さんの「サインをここにお願いします。それとこちらは冷蔵なので!」という元気な声が聞こえてきた。


「なんでした?」


 一尉がなかなか戻ってこないので、ベッドの脇に放り出されていたTシャツを着てから部屋を出る。テーブルにそこそこ大きな段ボール箱が置かれていて、一尉が苦笑いしながらそれを眺めていた。


「冷蔵って言ってましたよね? なにかお取り寄せでもしたんですか?」

「いや。送り主はうちの実家なんだがな」

「一尉の御実家? また一体なにを?」

「こんなことは初めてで、なにが入っているのか想像もつかない」


 とにかく開けてみようということで、ガムテープでしっかりと梱包されている段ボール箱を開ける。箱に腹巻みたいに巻かれていた包装紙は、全国展開している有名どころのデパートの包装紙だ。


「いったい中身はなんでしょう」

「さーてなにが飛び出してくるのやら」


 興味津々きょうみしんしんで横からのぞいていると、箱の中にはさらに発泡スチロールの箱が入っていた。その蓋を開けると、保冷剤と一緒に綺麗な重箱が入っていた。


「ねえ、これ、どう見てもおせちですよね? しかも、これって有名どころの料亭のやつ。前に、デパートで予約を開始しましたってやってたのを見たもの」

「なるほど。つまり正月は、ちはるに楽をさせてやれってことだな」


 箱から出して重箱の中身を確認してみる。やはりおせち料理だった。


「おいしそう。こういう通販のおせちって大したことないと思ってたけど、そんなことないですね」

「冷蔵って言ってたな。冷蔵庫に入れておいてくれるか? 俺は実家に電話しておくから」

「はーい」


 私が重箱を冷蔵庫に入れている間に一尉は電話をする。そして電話の向こうの誰かと、短いやり取りをしてすぐに切った。


「思った通り、ちはるに楽をさせてやれということだったよ。そのうち気が向いたら遊びに来てくれだとさ」

「御実家に気を遣わせてしまって申し訳なかったですね。うちから御実家にも、なにか送ってもらえば良かったかな」

「そんなことをしたら、俺の住所が実家経由でちはるのオヤジさんにばれて、オヤジさんがぶっ飛ばしに来るだろ?」

「あ、それはあるかも」


 「宅配でーす」で玄関を開けたら、荷物を持った父親が仁王立ちしていたりとか。


「まあ気にするな。さて、じゃあさっそく中断していたことをだな」

「え、忘れてなかったの?」

「当り前だ、この程度で忘れるか」


 そういうわけで、私はまたベッドに連れて行かれるハメに。


「お雑煮ぞうにを作る約束は守ってくださいよね?」

「わかっている」

初詣はつもうでも近所の神社に行くんですよね? つれていってくださいよね?」

「それもわかっている。しつこいぞ、ちはる?」

「だってしつこいほど言っておかないと心配なんだもん」

「……」


 とまあ、私と一尉の年末年始はずっとこんな感じ。


 初めて一緒にすごした長期休暇だからしかたがないのかもしれないけれど、一尉のお友達関係はともかくとして、私の知り合いには詳細なことは話さないほうが無難な気がする年末年始だった。

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