第十九話 風間君との遭遇

 年末年始に、民間企業のように一斉に隊員全員が休むことは無いけれど、陸海空で行われている訓練は、訓練納めの日から訓練始めの日まで行われない。早いところでは十二月の中ごろから、遅くても官庁関係の御用納めの日以降はお休みだ。だから基地周辺も普段よりずっと静かな状態になる。


 もちろん防空任務や哨戒任務、その他諸々の国民にはあまり知られていないような任務に関しては、その限りではない。


 基地の入口で警務隊の隊員に身分証明書を見せてから、榎本えのもと一尉に連絡を取ってもらうように依頼した。どうしてかと言えば、中に一尉がいることはわかっているけど、どこにいるのかわからないから。いくら身内でも、さすがに所属基地ではない場所を、私服のままでうろうろするわけにはいかないのだ。


 隊員さんと雑談していると、向こうから一尉がのんびりした足取りでやってきた。ニヤニヤしているように見えるのは気のせいではないはず。


「本当に来たんだな」

「見学したいって昨日から言ってたじゃないですか。ダメなら帰りますけど?」


 そう言いながら立ち去ろうとしたら、腕をつかまれて引き止められた。


「冗談に決まってるだろ。ちゃんと案内するから一緒に来い」


 一尉は警備の人に御苦労さんと言って、私の腕をつかんだまま歩き出す。そして門から少し離れた場所まで来て、少しだけ歩調を緩めてこっちを見下ろした。


「大丈夫なのか?」

「なにが?」

「だから体のほうがだよ」


 その質問に顔がちょっとだけ熱くなる。


「平気に決まってるじゃないですか、この通り元気いっぱいですよ。ちゃんとお洗濯もして干してきたんですからね。大丈夫じゃなかったら来ませんよ」

「あれ、洗っちまったのか」

「当然です」


 最初はなんとも言えない違和感があったけど、ここまで歩いてくる間にそれもな無くなった。今のところ、腰がだるい以外は普段とまったく変わらない。


「ところで飛行訓練はいつまであるんですか? この基地の訓練納めはいつ?」

「今日が年内最後の飛行訓練が行われる日だ。明日からは、訓練生達もほとんどが休みに入って帰省するんじゃないかな。すでに休暇に入っている隊員もいるから、基地内は静かなもんだ」

「飛行教導隊も?」

「一応は。だが気分的にはちはるを乗せて飛んだ昨日が、隊としての飛び納めみたいなものだな。今日は、若い整備員の経験値を上げるために飛ばすようなもんだ」

「へえ」


 そう言いながら、何気なく前を見て視界に入った人物にギョッとなった。あれはどう見ても風間かざま君!


「どうした?」


 私が一尉の陰に隠れるようにして歩き出したので、一尉は不審げにこっちを見る。


「このまま素知らぬふりをして歩き続けて!」

「はあ?」


 なんでだと首をかしげながら前を見て、すぐに事態を把握したらしい。


「ああ、なるほど。お懐かしの風間空曹長殿か」

「笑い事じゃないんですよ! 教育群でどんだけグチグチ言われ続けたと思ってるんですか。奈良ならでまた同じ目に遭うのは御免ですよ。このままシレッと素知らぬふりをして、すれ違っちゃってください」


 見学に来れば、遭遇する可能性があると考えなかったわけじゃなかった。だけど私みたいに、冬期休暇に入っているかもしれないと呑気に考えていたのだ。だけど、イーグルドライバーになることを夢見ている風間君が、訓練納めの前から休暇をとるわけがないとわかっているべきだった。


「同期なんだろ? 声をかけてやれば良いのに」

「イヤです。休みに入ってまでグチグチ言われるのは、真っ平御免です」

「薄情だな」

「そんなことが言えるのは、一尉が風間君のグチグチ攻撃を受けてないからですよ。このまま黙って、私の壁になりつつ歩き続けてください」


 私は風間君から死角になるように、一尉の陰に隠れながら歩き続ける。風間君は一緒に歩いているお友達だか誰だかと熱心に喋っているので、そのままお喋りに夢中なままでいてくれれば、私に気づかずに行ってしまうはずだ。


 そしてすれ違う。やった、気がつかれずにすれ違った!とホッとしながらしばらく歩いて、何気なく振り返ってみた。するとなんと風間君がこっちを見ている、しかも私を見て指さして!! そして次の瞬間には大きな声で叫んでいた。


「あーーっ!! 天音あまね、お前なんでここにっっっ!!」


 立ち止まった一尉はおかしそうに笑った。


「もうあきらめろ。ちはるが振り向く前から、あっちはこっちを見て立ち止まっていたんだ。あのまま立ち去ろうとしても、遅かれ早かれ絶対に追いかけてきたぞ」

「なんでまだいるかなぁ……。どうして冬期休暇に入って、さっさと帰省しなかったのかなぁ……」

「そりゃあ熱心に訓練しているからだろ」

「すみませんねえ、訓練に熱心じゃなくてぇ」


 私がブツブツ言っている間に、風間君が小走りにこっちにやってきた。一尉が横にいることに直前になって気がついたのか思い出したのか、慌てて敬礼をしてから私をにらむ。


「私、風間君ににらまれるようなことしたっけ?」


 こっちを指している風間君の指を、自分の指で明後日あさっての方向へと向けさせる。


「なんで天音がここにいるんだよ?! お前は輸送機操縦課程で小牧こまきのはずだろ!!」

「訓練飛行で、教官と一緒にあっちこっちの基地に行きますけどなにかー? 今は休暇中だけど、前にも訓練でここに来てるんですがー?」


 あまりのことに口調が棒読みになってしまう。


「その休暇中に、なんでここにいるんだって話だろ!」

「休暇中に私が何処へ行こうと勝手じゃー?」

「だから、なんでその休暇中にここなんだよ?!」

「だーかーらー……」

「天音空曹長は、俺のところに遊びに来ているんだよ。で、今からこの基地を案内しようとしていたところだ」

「……へ?」


 一尉の言葉にポカーンとなって、私と一尉の顔を交互に見つめる風間君。


「それってどういう……?」

「自分の職場を恋人に案内するのも悪くない考えだろ? お互いに空自のパイロットだが、戦闘機と輸送機じゃまったく環境が違うからな」

「コイビト? 天音が榎本一尉のコイビト?」


 風間君の口調がおかしなことになっている。


「コ、恋人ぉぉぉぉお?!」

「だからそんな大きな声で叫ばないでよね、しかも指さして。風間君てば、そういうところは全然変わってないんだから」


 今から、奈良の幹部候補生学校で再会するのが憂鬱ゆううつだ。


「ところで風間空曹長、今日の訓練飛行はもう終わったのか?」


 口をパクパクさせている風間君に一尉が尋ねた。


「……午後からもう一度、教官を後ろに乗せて飛びます。今年のラストフライトということで」

「単独では飛ばないの? 教育隊で使われているイーグルは単座もあるんだよね?」

「あのな」


 ムッとした彼が口を開いたところで、一尉が笑いながら口をはさんでくる。


「戦闘機の操縦課程は、輸送機の過程より三ヶ月ほど長いからな。訓練生が単独でイーグルを飛ばすことが許されるのは、余程のことが無い限り年を越してからだ」

「そうなんだ……」

「お前、今ぜったいに俺のこと遅れてるって思ったろ?!」

「そんなことないよ。単独飛行はいつからなんだろうって疑問に思っただけ」


 私の返答に、風間君はどうだかって顔をした。


「嘘じゃないってば。本当に疑問に思っただけなんだから」

「ちはる、いま風間は教官を後ろに乗せてって言っただろ? 風間はパイロットとしてはもう一人前で、単独飛行も十分に可能だ。ただ教官が後ろにいて、アドバイスをするかしないかってだけだ」

「だから風間君が遅れているとか思ってないですよ。単純に単座にも乗るのかなって思ったんです。それにお忘れですか? 私は一人前になっても機長と一緒に飛ぶんですよ? 別に一人で飛ばせるから偉いとかそんなふうには思ってませんよ」


 そこでふと思いついた。


「ねえ、風間君が飛ぶところ見物、じゃなくて見学しに行っても良いかな?」

「はあ?!」


 風間君に尋ねても答えはまともに返って来そうにないので、一尉に確認することにする。


「一尉、飛行教育航空隊の訓練飛行、離陸だけでも見学させてもらえないでしょうか?」

「ちはるは民間人ではないし、好きに見物させてもらってかまわないと思うがな。念のために確認しておくか」

「お願いします。じゃあ風間君、あとで見に行くからね。ガンバ!」


 ブツブツと「ちはるって呼ばれてるぞ」とか言っている風間君にガッツポーズをして励ますと、一尉に連れられてその場を離れた。


「あいつ、大丈夫か?」

「なにがですか?」


 一尉が気遣わし気に後ろを振り返った。


「お前が見学に行ったら、変に力んでとんでもないことをやらかすんじゃないだろうな」

「それはないですよ。だって私が静浜しずはまに行くまでは、ずっと一緒だったんですよ? 私が見るぐらいで緊張するんだったら、今までに何度とんでもないことをやらかしてたかって話になるじゃないですか」

「だったら良いんだがなあ」


 もう一度振り返ってから笑う。


「見学、させてもらえるでしょうか?」

「さっきも言ったが、ちはるも空自の人間だ。基地のどこに行っても邪魔さえしなければ問題ない。しかし、どうして急に見学したいだなんて言い出したんだ?」

「さんざん一尉とのことでグチグチ言われましたからね。それだけ言い続けたイーグルドライバーへの熱意がどれほどのものか、確かめたくなりました」

「なるほど。俺が三次試験の時にちはるに言ったことと同じだな」

「そういうことです」


 それぞれの操縦過程に進んでから、戦闘機要員志望の同期が飛ぶのを見るのは初めてだから楽しみだ。


「一尉は風間君が飛んでいるのを見たことあるんですか? 八重樫やえがし一尉は何度か見ているようにおっしゃっていましたけど」


 八重樫一尉は風間君の技量について好意的なことを言っていたけど、実際のところはどうなんだろう。


「俺達が教導するのは、部隊配属になったパイロットだけだからな。訓練中の風間と上で顔を合わせることは無いな。飛んでいるのを目にしているかもしれないが、風間が飛んでいると意識して見たことは今のところないな」

「私より一尉がいることで力んじゃったりして」


 フフフッと意地悪く笑う私に、一尉は呆れた顔をした。



+++



「本当に天音だ!」

「天音、C-130の乗り心地はどうだ?」

「どこまで飛んだ?」

「風間がまたブツブツ言ってたぞ」

「久し振りに風間のブツブツを聞いた!」


 そんなわけでお昼から風間君の離陸を見物しに行ったら、まだ休みに入っていない同期の男子連中に囲まれることになった。


「もう、皆してうるさい。私は風間君が離陸するのを見に来たんだってば。そんなに寄ってこられたら見えないでしょ? 暑苦しいから離れて!」


 その場で足踏みをしながら威嚇いかくして、全員を遠ざける。少しは大人になっているかと期待していたのに、学校にいた頃からまったく変わってないんだから。あまりの勢いに、一緒にいた一尉も呆気にとられている。


「おーい風間ー、俺達同期の沽券こけんにかかわるんだから醜態さらすなよー! アグレッサーの大先輩も見てるぞー!」


 ハンガーに出てきた風間君に、全員がやいのやいのと野次をかけ始めた。風間君と一緒にいた教官はゲラゲラと笑い出し、風間君はこっちに指を差し向けてきてからハンドサインを送ってきた。なんだか物騒な言葉を私達に投げつけている。


「なんか最後、死ねとか言ってなかった?」

「だよな。我等がリーダーはお怒りだ」


 そのハンドサインに、教育群で同じ班だった男子が笑う。


「まさか天音が訓練納めの日に顔を出すなんてな」

「そういう皆は? もう今年の訓練は終わり?」

「俺達は昨日の午後で終わりだった。教官も休暇に入るからさ」


 だから風間君が本当のラストなんだと教えてくれた。


「なるほど」

「フライトシミュレーターは使わせてもらえるから、帰省するまではそっちを使ってるよ」

「皆、熱心だね」

「天音は? もう全国の基地に訓練飛行で連れて行ってもらえてるんだろ?」

「うん。ここにも何度か立ち寄ってるんだよ」


 それを聞いて、輸送機の操縦過程はやっぱり早いなあと口々に感心している。


「声をかけてくれれば良いのに。薄情だなあ、サブリーダー殿は」

「だって一日に何箇所も回るから、滞在時間なんて一時間にも満たないんだもの。皆に声を掛けてる時間なんて無いよ」


 飛行前点検を終えた風間君と教官が、コックピットに乗り込んだ。


「すごーい、ちゃんとパイロットに見えるよ風間君」


 私の言葉に、皆が天音は相変わらず容赦がないと笑う。


「相手の上官が目の前にいる時に言うのもなんだけど、天音が早々に彼氏持ちになるとはね。一年の最後に天音のデレたところを見ることができるなんてな。ギリギリまでこっちに残っていて良かった」

「私はデレてなんていません」

「間違いなくデレてるでしょ」


 その言葉にウンウンとうなづいている他の子達。


「デレてませんてば。ほら、我等がリーダーのテイクオフですよ! ちゃんと後学のために見る!!」

「こんな調子で天音空曹長は、航学の頃から自分達のケツを叩きまくっていたんですよ」


 その言葉に、一尉は同感だと言いたげな顔で笑みを浮かべた。


「油断していると俺も同じ運命をたどりそうだな、気をつけておこう」

「ちょっとー、叩いていませんてば! 一尉、私は皆のお尻なんて物理的にも精神的にも叩いてませんからね」

「わかったわかった。ほら、風間が滑走路に出るぞ。ちゃんと見送ってやれ」


 そう言われて男の子達は帽子を、私は手を振って空に上がる風間君を見送った。



+++



「教導隊のパイロットから見て風間君はどうでした?」


 離陸した風間君のイーグルをしばらく目で追った後、皆とは奈良でまた会おうと約束してその場を離れた。そして歩きながら、一番気になっていたことを一尉に質問する。


「そうだな、マニュアル通りにきちんとしていた。教官である宇佐美うさみ三佐の指導が行き届いている証拠だな」

「それって良いことなんですよね?」

「もちろん。ある程度の経験を積めば自分なりの離陸ルーチンができあがるが、それまでは基本が第一だ。そこが身についていなければなんにもならない。だから、風間は指導されたことをきちんと身につけた優秀な訓練生と言える」

「パイロットじゃなくて訓練生?」

「部隊配属されるまでは、階級つきの自衛官であっても幹部候補であっても訓練生だ。ちはるも含めてな」

「そっかー」


 一尉は首をかしげた。


「なんだ、不満なのか?」

「そんなことないですよ。ただ、緋村ひむら三佐があまりにも自由にやらせてくれるから忘れちゃうんですよね、自分がまだ正式に部隊配属された身じゃないってこと」

「たしかにあれだけ全国を飛び回っていれば、そんな気になってもしかたがないな。飛行時間も飛行距離もすでにかなりなものだろ?」

「操縦過程で必要な時間はクリアーしました。緋村三佐に言わせると、私に必要なのは知識よりも経験なんだそうです」


 私は意識したことないけど、これだけの距離と時間を訓練生に飛ばさせる緋村三佐は、鬼教官の部類に入るそうだ。ここ最近の机上学習は寮でする予習と復習ばかりで、寮を出ればもっぱら訓練飛行と称して全国基地を飛び回る日々。よくそれでイヤにならないねとは、他の上官達の言葉だ。


「で、次はなにを見たい?」

「イーグルの整備員の話を聞きたいです。それを一通り話を聞かせてもらったら、家に帰って晩御飯の準備をして一尉が帰ってくるのを待ってますよ。昨日のお買い物でおでん種はしっかり買い込みましたからね」

「わかった。その話に関しては、教導隊の方で話をつけてあるからそっちで見学してくれ。俺が飛ばしているイーグルの機付長をしている佐伯さえき曹長を呼べば、ガイド役を引き受けてくれるはずだ」

「わかりました。一尉は?」


 私の質問に一尉は残念そうに肩をすくめた。


「隊長から押しつけられた仕事が思いのほか多くてな。さすがに見学すべてには付き合ってやれそうにない。すまないな」

「隊長命令は絶対ですもんね。わかりました。一人で見学させてもらったらまっすぐ帰りますね」


 正直言って、イーグルの整備の見学は教導隊の方でしろと言われてホッとした。だって飛行隊の方に行ったら、絶対に風間君にはりつかれて、ブツブツ攻撃を受けることになるに違いないんだもの。


「上がる機体が少ないとは言え整備員はまだ勤務中だ。邪魔にならないようにな」

「了解です」


 私は一尉と別れて教導隊専用のハンガーに向かった。

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