第十八話 一夜明けてみて

 そう言えば私のパイロットとしての初飛行も、榎本えのもと一尉とだったんだよなあ。


 目が覚めて、一番最初に頭に浮かんだのはそんなことだった。二回も初めての時を一尉と一緒にすごしちゃうなんて、ちょっとした運命かも。もしかしたらこれからも、私の「初めて」の時は一尉が隣に立っていてくれたりするのかな……?


 そんなことを考えながら、目を開けてお布団の中から少しだけ顔を出してみる。隣にいたはずの一尉の姿はすでになくて、部屋の向こうから電気シェーバーを使う音が聞こえていた。今日も仕事とは言え、私はまだ起き出す気分にもなれないと言うのに一尉は元気だなあと、感心してしまう。


「……」


 そこで改めて、自分の体に意識を向けてみた。よく漫画や小説で初めての夜を過ごした後の朝、は今までの自分じゃないように感じたり、世界の色が変わって見えるなんて描かれていたけどどうかな?


「……」


 うーん、なにか劇的な違いを感じるのかなと期待してみたけど、そうでもないような。私自身も私の世界の色も、昨日と大して変わっていない模様。ううん、それどころかまったく変わっていないような気もする。


「私って、もしかしてその手の感性が欠落してる……?」


 もちろん初エッチに関しては驚きの連続だったし、下腹部にかすかな痛みが残っているから、昨夜のことが夢じゃないというのは理解している。だけど迎えた朝は、自分が使っている部屋じゃないこと以外はいつもと変わらない朝だ。電気シェーバーの音が聞こえてくる以外は、いたって普通。あまりにも普通すぎてガッカリどころか逆にビックリ。あんなことやそんなことを初めて経験したというのに、なんて普通な朝なんだろう。


 あまりにも通常運転気分のマイペースな自分に驚きながら、お布団の中でごろごろしていると、こっちに戻ってた一尉が肩をつかんで軽く揺すってきた。


「ちはる、申し訳ないが、あっちの部屋のベッドに移動してくれるか?」

「んー、ここで寝ていたら邪魔になる?」

「そういうわけじゃないが、こんなリビングのど真ん中で寝ているより、あっちのほうが落ち着いて眠れるだろ? それに、そのままその可愛い尻の下に、それを敷いておくのもまずいからな」

「なにを?」


 お布団の中から半分だけ顔を出して見上げると、ニヤニヤと笑っている顔がこっちを見下ろしていた。


「俺様の勲章」

「オレサマノクンショウ……?」


 なにかそんなものお尻の下に敷いていたっけ?


「ちはるの初めてを手に入れた印だよ。それはウィングマークより貴重だよなあ……」

「え……? っっっっ、あっ」


 一尉がなんのことを言っているのか理解して、慌てて体に毛布を押しつけながら飛び起きた。体を起こした私を、一尉は毛布ごと素早く抱き上げるとベッドへと運んでいく。


「いやあの、私、歩けますから」

「素っ裸のまま部屋をウロウロされたら、俺が困る」

「Tシャツを着る時間をくれさえすれば、問題ないのに」

「さっさとどいてもらわないと、俺にも時間があるんだよ。今はおとなしく運ばれておけ」


 肩越しにお布団のほうを見ると、赤いような茶色いような染みが少しだけシーツについているのが見えた。私がそれを見ているのに気がついた一尉は、ますますニヤニヤした顔になる。


「初飛行の記念に、額縁にでも入れて飾っておくか?」

「そんな変態みたいなこと言わないでくださいよね。さっさと洗濯機に go on しちゃってください」

「そうなのか? 記念にとっておくとかしなくて良いのか? 一生に一度のものだぞ?」

「だから変態みたいなことは言わずにさっさと洗濯だってば」

「了解しましたよ、機長殿。俺としては残しておきたいんだが、ちはるがどうしてもと言うなら、洗濯機に放り込んでおくとしよう」

「どうしてもです!」


 未練たらしくニヤニヤしながら笑っている一尉が、シーツを敷布団から引き剥がして持ち去った。あの様子からして、念のために後でちゃんと洗濯機に放り込まれたかどうか、確認しておいたほうが良いかもしれない。


「そんなに自分が初めてだと嬉しいんですか?」


 戻ってきた一尉に尋ねてみる。


「そりゃ嬉しいさ。ちはるに、あんなことやそんなことをしたのは俺だけなんだからな」


 一尉がどんな〝あんなことやそんなこと〟をしたか思い出させるような意味深な笑みを浮かべたせいで、私は昨晩のそれらをしっかりと思い出してしまった。顔が熱くなってきたのは気のせいじゃないと思う。


「さすがに今から始めると仕事に遅れるから、誘っても駄目だぞ?」

「なにも言ってないじゃないですかっ」

「そうなのか?」


 こっちにやってきた一尉は。ゆかいそうに私の顔をのぞき込む。


「もう、あっち行ってくださいよ。もたもたしていたら遅れちゃうんでしょ? むーっ!」


 いきなり顎をつままれ唇をふさがれると、歯磨き粉の味が口の中に広がった。そしてジタバタしている私をよそに一尉は顔を上げると、昨日の夜に何度も触れられて飛び上がった、首と肩のあいだに唇を押し当ててくる。


「ふひゃっぁ!!」


 思わず色気のない変な声をあげてしまったのは、初心者なので仕方がないと思ってほしい。


「申し訳ないがこれで我慢しておいてくれ。で、俺はもう朝飯を食ったがちはるはどうする? なにか腹に入れるか?」

「もう! 我慢するのは私じゃなくて一尉でしょ?!」

「そうとも言うかな。それで?」


 シレッと答えているところが、なんとも腹立たしくて蹴飛ばしたくなってきた。だけどベッドから飛び出したら一尉の思う壷のような気もするし、ここは大人しく毛布にくるまっているほうが安全そうだ。だって私が寝る時に着ていたものは、リビングの布団の横に置き去りにされたままなんだから。


「そっちに出て行ってまた襲われたら困るから、一尉が出掛けるまでこの部屋にこもってます。それと私のTシャツとジャージを持って来てください」

「わかりましたよ、機長殿」


 悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべたまま部屋を出ていくと、お布団の横に放り出されていたTシャツとジャージのズボンを持ってきてくれた。さっそく身につけようとして、一尉がその場でニヤニヤしながらこっちを見ているのに気がついて手を止める。


「あっち行ってくださいよ」

「なんでだ。いまさら隠すことないだろ。昨晩のうちに全部見たんだぞ?」

「そういう問題じゃないです。さっさと出かける準備をしてください」

「ここは俺の部屋なんだがなあ……」

「今は私の格納庫ハンガーだから一尉はあっち!」


 そう宣言して、部屋に向こう側を指でさす。


「まったく、ワガママな機長殿だな」


 一尉は苦笑いしながら、クローゼットにかけられている制服一式を持って部屋を出ていった。それを見届けてから、そっと体を起こして素早くTシャツと下着とズボンを身につける。そしてお布団の中に避難した。


 それから二十分ほどして、きちんと濃紺色の制服を着た一尉が顔をのぞかせた。


「ちはる?」

「なんですかー?」


 またなにかされるんじゃないかと警戒しながら、布団から顔を出す。


「基地の見学に来たければ遠慮なく来いよ」

「それって、一尉が書類仕事に退屈しそうだから?」


 私の問い掛けにニヤッと笑った。


「それもあるが、ちはるが顔を出さなかったら、しょっぱなから恋人を抱き潰した酷い男って烙印をおされて、一日中冷やかされるだろうからな」

「でもそれって本当のことじゃ? 私、まだ全然起きたい気分にならないですよ?」


 そう言うと一尉はまだまだ甘いなと言って、エロオヤジみたいな顔をして笑う。


「なにを言ってるんだ。初心者様だったからかなり優しくしただろ。抱き潰しただなんてとんでもないぞ? 今夜にでも、どういうのが抱き潰した状態かってのを教えてやるよ、楽しみにしているんだな」

「そんなの遠慮しますよ。なんてこと言うんですか」

「まあまあ遠慮なさらず、機長殿。明日からは俺も休みだからゆっくりできるし、今夜は機長殿のご期待に沿えるように頑張るから、楽しみにしていてくれ。じゃあ行ってくる」


 遠慮しますー!という私の心からの叫びを背中に受けながら、一尉は片手を振りながら出掛けていった。まったく、初心者になんてことをするつもりでいるのやら。


 一尉が出掛けて行くと部屋がシーンとなる。もうちょっと寝ていようかなとも思ったけれど、あれこれ喋っていたら完全に目が覚めてしまった。起きる気にはなれないものの、もう二度寝はできそうにない。


「まずはシャワーを浴びてこようかな……」


 その後は、余力があったら洗濯物を干して晩御飯の下ごしらえをしても良いし、さらに余力があるなら、基地に押しかけても良いかもしれない。あ、でもあまり元気よくしていたら、ものすごく余力有りと判断されて、昨晩以上のことをされてしまう可能性もあるんだろうか? それこそ抱き潰されちゃうとか?


「もうちょっと疲れたように見せかれるべきかな……そんなことしてもバレちゃいそうだけど」


 ベッドから出て立ち上がる。なんだか普段は痛まないところが痛いのは、きっと一尉のせいだ。


「なんでこんなところが痛いかなあ……」


 独り言を呟きながらお風呂場に向かった。そしてお風呂場に入る前に、念のためにと洗濯機の中をのぞいてみる。うむ、ちゃんとシーツは入っている。一尉が変な気を起こす前にさっさと洗ってしまおう。


 そこで何となく、今までの私と違った私がそこにいるのかな?と確かめてみたくなって、洗面台の鏡をのぞきこんでみる。ビックリするぐらい普通の朝だったし、一尉の態度だって大して変わりのない態度だったから、自分の顔を見るまでは今までの私がそこにいるんだろうなって思ってた。


「……あれ?」


 だけど鏡の中にいたのは、いつも見慣れている自分の顔じゃない。なにがどう違うのかって言われると答えられないけど、明らかになにかが違う。世界の色は変わってなかったけど、私は今までと違う私になったのかもしれない。やっぱりそれって、一尉とすごした昨日の夜のせいってこと? なんだか不思議な気分に包まれながら、シャワーを浴びることにする。


 そしてお湯を浴びながらふと考えた。今夜は抱き潰すのがどういうことか教えてやるとか物騒なこと言ってたけど、私、無事に年越しできるのかな……ちょっと心配になってた。


「なにか防衛策を考えなきゃいけいなかも」


 一尉が大人しくしている間に何かいい案でも浮かぶと良いんだけどな……。

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