第十四話 コブラの女には気をつけろ

 到着後すぐに私達は司令部に出頭を命じられ、那覇なは基地の一室で、今回のことについて報告することになった。私達クルーも三佐に同行し、時系列順にそれぞれが何をしていたかを併せて、今回のニアミスに関しての説明を求められた。


 そしてその後、井原いはら一尉が撮影した映像と、駆け付けたイーグルの搭載カメラが撮った映像も見ることができた。機体は旧東サイドの某国製の戦闘機。所属は機体にペイントされているマークからして、日本の西隣の大陸にある某国空軍所属のもののようだ。


「想定外のルートでの侵入だな。映像からすると、増槽ぞうそうして南から回り込んできた可能性が大きい。しかし、下手をすれば燃料が底を尽いて墜落の可能性もあるというのに、よくこのルートで飛んできたものだ。こいつらは、こっちに見つかることなくアディズを抜けられるとでも思ったのか?」


 我々も随分と舐められたものだなと、基地司令が腹立たしげな言葉を吐いた。目の前には、テレビ電話のモニター越しの方々を含めて、めったにお目にかかれないような陸海空のお偉方達がズラリと並んでいる。しかも、そろって全員が顔をしかめながら座っているので、自分達が叱責を受けているわけでもないのに妙に緊張してしまう。


「今回の侵入ルートが南経由だとして、どうやって周辺国と米軍のレーダー網を潜り抜けたのかも、気になるところではありますな。米軍と周辺国に問い合わせていますが、今のところどちらも察知した形跡はないとのことでしたし」


 他の周辺国はともかく、あの空域にたどりつくまで米軍のレーダーに引っ掛からなかったというのは、私達にとっても非常に気になるところだ。一体どんなルートを通ったのだろう。


「まさか、レーダーに捕捉されない新たな技術でも開発したのか?」

「そうだとしたら、米国の情報部が早々に察知しているでしょう」

「だが彼等とて、我々に一から十まで情報を渡しているとは限らないだろう。それが軍事技術に関わることならなおさらのこと」

「それはそうですが」

「北と西の両国が連携した可能性はどうだ?」


 テレビ画面に映し出されている海将補が、別の可能性について指摘をした。


「それはない。政財界がどうかは知らんが、昔からの両国の間には国境問題がくすぶっていて、少なくとも軍部同志はいけ好かない連中だと互いに嫌っている。実際、今日の北からの定期便は、北海道周辺をウロウロした程度だ」

「今回の空域は、北からの客人が列島周回で通るルートと重なっている。連中が鉢合わせしていたらと思うと肝が冷えるな」


 空自とは違って、あちらは撃ち落すことをためらわない者同士。しかも片方は、民間機も撃墜することもいとわない集団だ。もしそんなことになっていたら一体どんな事態になっていたことやらと、いまさらながら、その場に居合わせた者として背中が冷たくなった。


「当分は彼等の動向を注視しておく必要がある。レアケースだと思いたいが、今後も同じようなルートで飛んで来るようなら、関係諸国との連携も必要になってくるだろう」


 そう言うと、基地司令はファイルをパタンと閉じる。


「C-130とのニアミスも、結果的にはなにごともなく幸いだった。緋村ひむら三佐、長門ながと一尉、御苦労だった。この件は官邸に報告を上げておく。改めて幕僚総監部から、君達全員に証言を求めることになるかもしれないので、そのつもりでいるように」


 基地司令の言葉に、私達クルーと基地所属の飛行隊のパイロット達は、起立して敬礼をすると部屋を出た。それからホッと息を吐く。


「どうした? 緊張したか?」


 私の様子を見て三佐が笑った。


「だって、普段はあんな風に偉い人に会うなんて、めったにありませんから」

「一応は俺だって、偉い人の一部なんだが」


 もしかして忘れられているのか?と三佐は少し寂しそうな顔をする。


「階級はともかく、三佐は現役パイロットじゃないですか。ああいう人達とは……なんていうか、階級が上でもパイロットと事務方とはやっぱり違いますよ」

「そんなこと言って良いのか? 天音あまねのオヤジさんも彼等と同類だろ」

「まあそうなんですけどね。でもうちの父親はほら、よほどのことがない限り、各務原かがみはらの基地から出てきませんから」

「ああ、そうか。事務方は事務方でも技術屋に近いんだったな、天音のオヤジさんは」

「はい」


 うちの父親は出世レースにまったく興味がない人だ。出世の絡んだ面倒なあれこれよりも、岐阜ぎふ基地で新しい航空機の開発を見守りながら仕事をするほうが性に合っているらしく、めったに基地から出ようとはしなかった。おかげで母親も、転勤であっちこっちについて行かずに済んで助かるわと喜んでいる。


「天音もいずれは昇任して機長になる。その時は、イヤでも今みたいな偉いさん達と顔を合わせることになるんだ。そうなった時のための訓練だと思って我慢するんだな。もちろん山瀬やませもだぞ。機長になったら、こういう機会は今まで以上に増えるんだからな」


 三佐は私の頭をグリグリとなでまわすと、ニカッと笑った。


「さて、昼飯を食ったらさっさと家に帰るか。俺達が持ち帰る積み荷を、首を長くして待っている連中がいるからな」


 谷口たにぐち一曹はここに到着するとすぐに、機長命令でこちらにいる某部署の人のところへと向かっていた。今頃は用意された荷物はすべて、貨物室に運び込まれているはずだ。


「しかし今年最後の長距離飛行訓練が、とんだハプニングに見舞われたもんだな」

「たしかに、とんでもない大ハプニングでしたね」

「帰路はなにごとも無ければ良いんだが。こんなことばかり続くとおちおち昼寝もできやしない」

「またお昼寝ですか?」

「するに決まってるじゃないか。お前達二人のおかげで、ここしばらくは本当に楽をさせてもらっているよな。良い部下と教え子をもったもんだ」


 ありがたやあがたやと呟きながら、三佐は私達を引き連れて食堂へと向かった。



+++++



 そしてクルー全員がそろってお昼ご飯を食べていた時、私の目の前に、油染みのできた紙袋がいきなり現われた。突然現われた紙袋をどうして良いのか分からず、目の前に浮かんでいるそれを見つめながら、食べかけだった付け合わせのパスタをツルリと口の中に吸い込む。だけどこの甘い匂いからして、間違いなく紙袋の中身は沖縄御当地スイーツ代表、サーターアンダーギーだ。うん、間違いない。


「これ、食べるか?」


 声がしたほうを見上げると、どちら様?な人がサーターアンダーギーの袋を手に、ニコニコしながらこっちを見下ろしていた。この人は基地司令に報告をしていた時に同席していた、那覇基地のパイロットだ。たしか長門一尉と呼ばれていたはず。一尉はポカンとしている私に、紙袋の中身を見せてくれた。やっぱりサーターアンダーギー、しかも凄く大きくてなぜか黒い。


「長門、そいつにちょっかいを出すとコブラにまれるぞ」


 三佐がニヤニヤしながら一尉を見た。


「そうなんですか? 今回のことに冷静に対処できた、訓練生への御褒美ごほうびのつもりで買ってきたんですが」


 今日の御褒美が、こんなに大きな揚げドーナツだなんて幸せすぎる。しかも黒砂糖独特の甘い匂いが漂っていた。これは是非とも食べてみたい。


「こいつに小さなペロペロキャンディを一つ渡しただけで、威嚇いかくされてみつかれたパイロットがいるんだからな。コブラの女には気をつけろよ」

「ああ、なるほど。この空曹長殿は、あそこの誰かの恋人ってやつですか」

「そういうことだ」

「あの、じゃあそれはもらえないんですか?」


 私の目の前に宙ぶらりんのままになっている、サーターアンダーギー入りの紙袋を見上げながら、長門一尉に尋ねた。


「……と、こちらの空曹長殿は、実に物欲しそうにおっしゃっていますが?」

「天音、あとでお前の彼氏にお仕置きされても知らないぞ?」


 三佐がニヤニヤしながら言う。


「皆さんが黙っていればわからないのでは?」

「こういうことはだな、なぜか黙っていても相手に伝わるものなんだよ。しかも、余計な尾びれ背びれがついて厄介な話にひん曲がって」


 たしかにそれは言えているかもしれない。


「でも、おいしそうじゃないですか。食べたいです、黒砂糖味のサーターアンダーギー」


 おいしそうな匂いまでかいでしまったのに、いまさら食べられないだなんてつらすぎる。


「長門、その袋を俺に渡せ。俺がありがたくいただいておく」

「え、ちょっと三佐、それって酷くないですか?!」


 三佐は長門一尉から紙袋を受け取ると、今度はそれを私の前に差し出した。


「???」

「少なくともこれで、教官からの御褒美という体裁はとれるだろ。相手が俺なら、お前の彼氏から文句を言われることもないだろうしな。女が原因でパイロット同士が殴り合うなんて御免だぞ」

「いくらなんでも榎本えのもと一尉だって、私がよその基地の人からサーターアンダーギーを御馳走になったからってそこまでしませんよ。しかもくださるのは同じ空自のイーグルドライバーじゃないですか。いわば身内の兄弟みたいなものですよ?」

「いや、お前はわかってないぞ天音。イーグルのパイロットは、自分の伴侶に対してはそりゃもう独占欲丸出しで、手に負えないヤツが多いからな」

「そうなんですか?」


 長門一尉を見上げる。ってことは、この一尉も独占欲のかたまりってこと?


「いや、俺はまだそういう相手に巡り合ってないから、なんとも言えないな。っていうか三佐、こちらの空曹長は榎本さんのカノジョなんですか?」

「だから言ったろ、コブラにまれるって。俺が言ったことを聞いてなかったのか? まあ座れよ。お前みたいな大男に見下ろされながら喋るのは落ち着かない」


 三佐の言葉に、長門一尉はすみませんと謝りながら私の横の椅子に座った。


「飛行教導隊の誰かってのはわかりましたが、まさか榎本さんとは」

「榎本一尉を御存知なんですか?」

「航空学生時代の対番たいばんの先輩だったんだよ」

「へえ、そうだったんですか」


 対番たいばんとは、一年生一人一人に二年生の先輩がそれぞれ一人ずつ付いて、公私ともにマンツーマンで様々な指導をする制度のことだ。これは航空学生だけではなく、防大生にも存在する自衛隊独自の決まり事だ。この時に結ばれた対番関係は、卒業して一人前の自衛官になってからも決して消えることはない。たとえ途中で互いの階級が逆転したとしても、対番たいばんの先輩後輩の上下関係だけは変わらずに続くものだった。


 なにが言いたいかというと、どんなにベテランになっても偉くなっても、その時にお世話になった対番の先輩には頭が上がらないということ。つまり、長門一尉にとって榎本一尉は、永遠に頭の上がらない一つ上の先輩ってことになる。


「それならますます大丈夫じゃないですか、御褒美のサーターアンダーギー。対番の先輩後輩で、榎本一尉と長門一尉は知らない間柄じゃないんだから」

「そうなのか?」


 三佐が長門一尉に尋ねると、一尉は曖昧あいまいな笑みを浮かべながら首をかしげた。


「どうですかね。先輩としては頼りになる心強い存在でしたが、実際にみつかれた人間がいるなら、自分は大人しくしていたほうが良さそうです」

「まあそういうことだ。周囲に被害を拡大させないためにも、天音は自分の彼氏のことを良く知っておいたほうが良いぞ?」

「そうかなあ……」


 そう言いながら紙袋の中を覗き込む。おいしそう。


「まあそのことはともかく、先輩パイロットからの御褒美なんだから、遠慮なく食べれば良い」

「では遠慮なくいただきます。ありがとうございます、長門一尉」


 それを一つ摘まみながら、色々なお土産を頼まれはしたけれど、自分のぶんをすっかり忘れていたことに気がついた。しかたがない、この御褒美のサーターアンダーギーを自分のお土産にしておくことにしよう。機内には持ち込めないから、ここで食べるしかないのが残念だけど。


 そしてここで喜んで頬張ったのは良いけれど、欲張って食べてたせいか、途中からシャックリが出始めて止まらなくなってしまった。ブリーフィングの最中も飛行前点検の時も、ずっとヒックヒックと止まる気配がなかったので、那覇からの離陸シークエンスは山瀬一尉にお任せするしかなかった。


 ヒックヒックとシャックリが出るたびに、隣の一尉が吹き出しそうになっているのが申し訳ないやらムカつくやらで、なんとも微妙な気分の復路だった。もちろんそんなことをまったく気にすることなく、離陸する前からお昼寝を始めてしまった、なんとか三佐っていう人もいたんだけれど。



 まあ一年の締め括りとして飛んだ那覇基地への訓練飛行は、ここで学んだ七ヶ月間の訓練結果の集大成としては、色々な出来事がてんこ盛りなものだった。もちろんその出来事っていうのは、なかなか止まらなかったシャックリのことではなくニアミス事件のことなんだけど。

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