第十五話 タンデムフライト

「おう、来たな」


 年の瀬、輸送機から降りて荷物を手に建物の中に入ったところで、榎本えのもと一尉に捕まった。フライトスーツを着ているってことは、今日は休みではないらしい。


「しばらく御厄介になります」

「しかし年末年始のこのタイミングで、よく休みが取れたな」

「うちの基地、部隊の半数は昨日が飛び納めでしたからね」

「飛ばなくても色々とやることがあるだろ、訓練中だと」

「そりゃまあそれなりに。緋村ひむら三佐が根掘り葉掘り休みの予定を質問してくるものだから、うっかり話しちゃったんですよね、ここに来るつもりですって」


 それを聞いた三佐は「教官と訓練生そして俺達クルーは一心同体の運命共同体」という謎理論をぶち上げて、全員の冬期休暇をむしり取ってくれたのだ。三佐がそう宣言したということは、必然的にこの休暇取得のために動いてくれたのは、超有能執事様なわけであって……花山はなやま三佐には色々と申し訳ない気がしないでもない。


「実家にもちゃんと話をしてきたか? 娘が行方不明だって騒がれる心配は無いだろうな?」

「ちゃんと言ってきましたよ。そのせいで父親が、正体不明なパイロットの身元を突き止めてぶっとばすって、張り切っているらしいですけどね」

「なんでまた」

「知りませんよ。私がパイロットになるのも反対していた人ですからね。とにかく『パ』のつく職業についている人は、誰でも気に入らないんでしょ、伯父のことも含めて」


 それを聞いた一尉が呆れた顔をした。私もその気持ちはよくわ分かる。自分だってその『パ』のつく職業の人に囲まれているくせに、本当にいい年したおじさんが大人げないんだから。


「それで一尉のほうは、今日はお休みじゃないんですね」

「ん? ああ、休みは明後日あさってからだ。天音あまねがずらせと言ったから、わざわざずらしたんだからな」

「じゃあ、明日はここに来て、飛ぶのを見物しても良いですか?」


 休暇中とは言え私も自衛官だから、基地に出入するのは問題ないはずだ。


「そうだなあ。まあ来る気になったら来れば良いんじゃないか? それよりもだ、奄美あまみ上空でトンでもない珍客と遭遇したのは、天音達の輸送機だったんだって?」


 そう言いながら一尉は、私が持っていた荷物をひつたくるようにして持つと、なぜか肩に手を回して歩き出した。


「もうこっちにまで、情報が流れてきたんですか?」

「もちろんだ。こっちの地域も、連中とは無関係じゃないからな」

那覇なはのイーグルがすぐに来てくれたので、至近距離に到達するまでには引き返していきました。処置にあたったのは一尉の後輩の」

長門ながとだろ?」

「はい。……あの、一尉、どこへ行くつもりで? 出口はあちらでは?」


 そう言いながら背後を指さした。いま私達が向かっている先にはロッカールームがあったはずで、建物の玄関口とは逆方向のはず。


「戦闘機とはすれ違ってないんだよな?」

「ああ、はい。直前で転進して引き返したので、私達が見たのは旋回していく機体だけです。あの、出口はあっちでは……?」


 まったく人の話を聞いていない。


「至近距離を音速に近い速度で飛ばれると、かなりの衝撃がある。もちろん気流の乱れもそれなりのものだ。だから俺達も、機体が交差させるようなコースを飛ぶ時には、かなり後ろに気を遣う」

「緋村三佐にも言われました、至近距離ですれ違う時の衝撃波と気流の乱れには気をつけろって。あの、一尉?」

「頭でわかっていても実際どの程度のものかは、体験してみないとわからないだろ。どうだ、どんなものか体験してみたくはないか?」

「え?!」


 一尉の言葉に、驚いて立ち止まった。それってどういうこと?


「したくないのか?」

「それってもしかして、一尉の後ろに乗せてもらえるってことですか?」

「さすがに今度ばかりは操縦桿は握らせてはやれないが、後ろに乗るだけなら問題ない。午後からのフライトで、ちはるを乗せて上がれるように、隊長と司令部には話を通してある」

「本当に?」


 冗談だろうって思っていたら、真面目な話みたいだ。


「嘘ついてどうするんだ。で?」

「飛びたいです、乗せてください! ああ、しまった、カメラを持ってこれば良かった」

「あのな、遊びじゃないんだぞ」


 一尉が呆れたように言った。


「わかってますよ。でも、やっぱりカメラ持ってこれば良かったー」

「わかってないじゃないか」

「そんなことないですよ」

「だと良いんだが。とにかくまずは着替えてもらわないとな」


 一尉は前にも入ったことがあるロッカールームへと、私を連れてきた。そして前とは違って、部屋の一番奥の誰も使っていないロッカー群の前まで行くと、ポケットから鍵を取り出して、その一つの鍵穴に挿し込む。そこにはフライトスーツや靴など一式がそろっていた。ロッカーの下に、持っていた私のカバンを押し込むと、かかっていたフライトスーツを出して私に押しつけた。


「着替えろ」

「もしかして、わざわざ用意してくれたんですか?」

「まあな。あまり時間的な余裕はないから、さっさと着替えろ」

「……」

「どうした、早くしろよ」


 そう言いながら、私が首に巻いていたマフラーも取り上げると、それもロッカーに放り込む。


「待ってるんですけどね」

「なにを?」

「あっちに行くのを」

「誰が」

「一尉が、に決まってるじゃないですか」

「なんでだ」


 その顔からして、真面目に尋ねているらしい。


「当たり前でしょ。見られながら着替えるなんてしませんよ」

「だったらあっち向いていてやる。俺の時はそうしていただろ」

「なに言ってるんですか、あっちに行ってください。で、ついでに他に人がこっちに入ってこないように、見張っててくださいよね。そりゃ一尉が男だから、こっちのロッカーしか場所が取れなかったのは理解できますけど」


 使われた形跡の無いロッカーだし、そのへんはそれなりに気を遣ってくれたんだと、好意的に受け取っておこう。


「あのなあ」

「はいはい、着替えますから、とにかくあっちに行っててください」

「この程度で恥ずかしがっていたら、俺の家に滞在する間はどうするんだ」

「ちゃんと一尉の見えないところで、着替えますよ」

「……」


 一尉はやれやれと肩をすくめた。そして背中を向けると、溜め息をつきながら入口の方へと向かう。途中で立ち止まると、こっちに背中を向けながら声をあげた。


「あのな、この前以上のことをするとなったら、着替えがどうのこうのなんて言ってられないんだぞ?」

「その時はその時に考えます。今は少なくとも一尉は仕事中なんでしょ? 仕事中に女性隊員の着替えを見ながら、ニヤニヤするんですか?」

「わかったわかった。サイズが合わないようなら言ってくれ、すぐに代わりを用意するから」

「了解しましたー」


 一尉がロッカーの向こう側に消えるのを見届ける。そして足早にロッカーの角までいくと、顔を出して向こう側をのぞいた。するとこっちの視線を感じたのか、一尉が立ち止まって振り返る。そして私がのぞいているのを見て、思いっ切り不審げな顔をした。


「なんだよ」

「のぞかないでくださいね?」

「さっさと着替えろ。早くしないと無理やり服を脱がせるぞ」

「りょうかいでーす!」


 走って戻ると、コートを脱いでハンガーにかける。急いで着替えたり出掛ける準備をするのは、毎日の寮生活で慣れていたので苦痛じゃなかった。そして自分のではないけど、グリーンのフライトスーツも毎日着たり脱いだりしているものなので、目をつぶっていても着ることができる。


「お待たせしました!」


 それからきっかり十分後には、着替えを終えて一尉が待っているところへと走った。


「なにもそこまで急かしたつもりはなかったんだが」

「特に急いだわけじゃないので御心配なく」

「そうか? だったらここの毛が逆立っているのも、いつものことなのか」


 一尉が私のほうに手をのばして、頭のてっぺんを撫でつけた。


「え、そんなとこはねてました?」


 慌てて頭に手をやった。


「はねてた。さて行くぞ。耐Gスーツはあっちに置いてあるんだが、あれも着たことがあるよな?」

静浜しずはま以来ですね。でも大丈夫です、そんなに前のことじゃないし」

「まあ万が一の時は俺が手伝えば良いか」

「だから大丈夫だって言ってるじゃないですか」

「だから俺も万が一の時はって言ったろ?」

「……」

「そんな不満げな顔をするな。行くぞ」


 諸々の準備を、あーだこーだと言い合いながら終える。そして普段はかぶらないヘルメットを持たされて、ワクワクしながら建物から出た。そこではすでに、何機かのイーグルにパイロットが乗り込んで離陸準備をしている。私達が向かったのは、もちろん以前に一尉が見送りの時に乗っていた緑と黒の迷彩塗装がされたイーグル。ちなみにこの機体の通称は、ガメラというらしい。


「何機が上がるんですか?」

「最初に聞いていた時は、俺と八重樫やえがしだけのはずだったんだが増えてるな」


 目の前の現状に一尉が首をかしげた。


「やあ、来たな、おちびさん」


 そこへ、ヘルメットを手にした日下部くさかべ三佐がやってきた。その格好からして、三佐も空に上がるみたいだ。


「本日は格別のお取り計らいをしていただき、ありがとうございます」

「いや、こちらは大したことはしてないさ。君は空自の人間で必要な飛行訓練も受けている。イーグルの後ろに乗り込むことはなんら問題はないんだから」


 三佐は、気にするなと手を振りながら笑う。


「あの、離陸準備をしている機体が多いような気がするのですが……?」

「ああ。榎本と八重樫は君になにか教えたいらしいが、こっちはまた別の思惑があって一緒に上がることにした」

「と言いますと?」

「実際のところ、相手にどうアプローチをするのが一番安全で効果的か、その手のことを考えるのも我々の仕事でね」

「なるほど。追い払うのにもコツがあると」

「そういうことだ。相手を威嚇いかくして撃墜するだけなら誰だってできる。だが俺達は自衛隊だ。そのあたりが軍隊と違うところだからな」


 三佐は一尉を見てうなずくと、今日はしっかりと勉強していってくれと言い残して、自分が乗り込むイーグルのほうへと歩いていった。



+++



「どうした?」


 コックピットにおさまってから、目の前に広がる普段とは違った世界を眺める。私がキョロキョロしているのが気になったのか、一尉がこっちを振り返り気味に声をかけてきた。


「いえ、普段の操縦席まわりとずいぶん違うなあって。いじる計器が少なくてうらやましい」

「そこなのか」

「えっと、あとはちょっと狭い、とか」


 私の安全ベルトの確認をしてくれていた整備員さんが、おかしそうに笑う。


「すまないな、お一人様専用席なもので。自分だって、練習機の時は狭いのに乗ってただろうが」

「ここしばらく輸送機でしか飛んでなくて、この手のタンデムは久し振りだから。ねえ一尉、後ろに座っている相手の顔が見えないのって、困らないんですか?」

「見えないとどう困るんだ?」

「え、いやあ、色々と?」


 今の戦闘機のほとんどは、基本的に一機につきパイロットは一人だ。つまり機内で誰かと協力しながら操縦するなんてことがない。キャノピーの骨格部分に貼りつけられているミラーだって、後ろに座った人間の様子を見るものではなく、空中戦になった時に少しでも後方を見やすくするためのものらしいし。つまり、お互いの声さえ聞こえていたら問題はないってことなのかな。


「さて、そろそろだが……」


『機長、準備はよろしいか?』

『一尉にお任せします』


 滑走路に最初に出て行ったのは日下部三佐が乗るイーグルで、白と黒の迷彩塗装の機体だ。普段とは違うジェットエンジンの始動音に、ちょっとだけワクワク感が沸き上がる。


 まさかイーグルに乗せてもらう日が来るなんて、思ってもみなかった。きっと風間かざま君に話したら、足元で転がりまくって悔しがるんだろうなあ。そんなことされたらうっとおしいだけなので、絶対に話すのはやめておこう。


 滑走路に出ると機体が一旦停止をした。前を他のイーグルが離陸していくのが見える。


『こちら管制。ガット05、離陸を許可する』

『ガット05、了解。離陸する』


 こうやって一尉の操縦する航空機に乗るのは、あの飛行適正検査以来のことだった。記憶にある通りスムーズに上昇をしていく。かなりの高度まで上がったところで、訓練空域に向かうために三佐のイーグルを先頭に編隊を組んだ。


「なんだか壮観ですね、これだけの数のイーグルが編隊を組むと」

「他の基地に向かう時は、いつもこんな感じなんだ」

「へえ。うちの基地には戦闘機部隊がいないから、見られないのが残念」


『05、08、お前達はそのまま当該空域で機長殿に教練をして差し上げろ。こちらはそれに合わせて検討を開始する』

『了解、01』


 私達と八重樫一尉のイーグルを残して、他の機体が離れていく。離れていく機体のパイロット達が、こっちに向けて手を振っているのが見えたので、無視するのも無礼だと思い手を振り返したら、一尉がなにやらブツブツと文句を言った。


「一発目に、まずはどの程度の衝撃が来るか体感してもらおうか。それから奴等がターゲットを補足した時に、取るであろう行動パターンもいくつか」


『エイトマン、準備を頼む』

『了解、ボーンズ』


 飛行教導隊のパイロット達は、自国の空中戦セオリーだけではなく、他の国の戦闘機が戦闘状況に入った時の戦術パターンを再現することができるのだ。私は戦闘機乗りではないからその手のことは詳しくないけど、一尉達はよく頭の中がゴチャゴチャにならないものだと、感心してしまう。


 そこからはしばらくの間、一尉の説明を受けながら八重樫一尉の乗るイーグルと共に飛行を続けた。その間も時々頭上を、日下部三佐達のイーグルが翼を振りながら通過していくのが見えていた。


「あっちはなにをしているんでしょう?」


 上を見上げながら一尉に質問をする。


「駆けつけた時にどう介入するかの実働テストだ。最悪のパータンとなった場合、輸送機も緊急回避の行動をとっている。その動きを阻害することなく、相手と友軍の間に割り込むのは意外とタイミングが難しい。下手をすればお互いに回避行動が止まって、撃墜される危険性が出てくるからな」

「なるほど」

「戦術飛行に関しては、すでにしっかりと学んでいるだろうから改めて言う必要もないだろうが、念のために言っておく。万が一相手の戦闘機にロックオンされたら、まずは慌てず騒がずさっさとレーダー照射から回避することだ。相手にもよるが、ロックオンイコール即撃墜というわけではないんだから」


 C-130には、相手がミサイルを発射した時に備えて、ミサイルを回避するためのフレアが装備されている。ただ最近のミサイルには、そのフレアを回避する優れものが現れつつあるので、安心はできないのだけれど。


「相手が撃ってくる意思は無いって、どのあたりで判断するんですか?」

「すべてがそうだとは言わないが、この近辺に限って言うなら連中がこの周辺を飛行するのは、政治的な思惑によるものだ。相手との交戦が目的じゃない。だが棚ぼた式に、こっちが戦略的なミスを犯すことを狙っている。つまり、自国の軍が介入する口実になる事件が起きることをだ」


 つまり政治的な意図に加えて、こちらからすきを狙っているということらしい。


「スクランブル発進をする時、すべてのイーグルはミサイルの安全装置をはずして上がる。だがギリギリの最後まで撃たない。それが何故だかわ分かるか?」

「自衛隊は専守防衛だからでしょ?」

「それもあるが、相手がこっちに先に撃たせようと狙っていることを知っているからだ。もちろん空自だけじゃない。それは日本近海を哨戒している海自の哨戒機や護衛艦も同様にな。相手の挑発に乗ることなく状況に対処する。そのために訓練を続け、有効なアプローチ手段を模索するのも、俺達の任務ってわけだ」


 そのための仮想敵機アグレッサー部隊だからなと付け加える。


「そこまでいくと、すでに戦術じゃなくて戦略の一部ですよね」

「たしかに。こんなギリギリの挑発が何度も続けば、いずれどちらかがやらかしてトンでもない事態に発展する可能性が高くなる。それを防ぐためにも、目に見える対処方法を確立しておく必要があるわけだ。まあ不測の事態なんていうのはしょっちゅうだし、マニュアル通りにいかないのが現実なんだがな」


 そこで「さてと」と一尉が何故か楽しそうに言った。


「これで一応は教練は終了。では、本日のメインイベントといこうか、機長?」

「はい?」

『こちらガット05、こちらのプログラムはすべて終了』

『了解、ガット05。こちらガット01、全機、スタート位置につけ』

「なんですか?」


 なにがスタート位置? しかも全機って?


「なんなんですか、一尉? なにが始まるんです?」

「せっかくなんだ、俺達が普段どんな模擬空戦をしているか体験してみたいだろ?」

「え?! いや、別に私は体験したくは」

「またまた御冗談を。遠慮することはないぞ、飛行教導隊の技量を心行くまで堪能していってくれ。上がった全員が、機長殿にお見せしようと張り切っているらしいからな」

「いやいやいや、あの、そんなことしてもらわなくてもですね! ぎゃあああああ!! いきなりスプリットエスとかしなくてもいいですからぁぁぁぁ!!」


 いきなり機体が背面状態になって降下したので、思わず色気もなにもあったもんじゃない叫び声をあげてしまった。あっちこっちから笑い声があがったのは、驚いたせいで聞こえた空耳だと思いたい。




■補足■


※スプリットエス … 戦闘機の機動の一つでVFA(米国海軍の戦闘攻撃飛行隊)の動画などではよく見かける動きです。回避行動ではなく敵機を追いかける時に使う飛行パターンです。どんな機動をするのかはwikiで御確認ください。

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