第十話 ちょっと時間が足りない

 マクファーソン大尉が立ち去っても、一度かたむいてしまった榎本えのもと一尉の機嫌は、なかなか元に戻らなかった。とにかく、そのかたむきを元に戻すには、質問しまくって気を散らすしかないと考えた私は、考えつく限りの飛行教導隊についての質問を、一尉に投げかけることにする。その努力の甲斐あって、最初は口をへの字に曲げていた一尉も、お昼ご飯を食べる頃には、そこそこ機嫌よく、私の質問に答えてくれるようになっていた。


 そしてなぜか私は今、ロッカールームで、フライトスーツに着替えている一尉に背中を向けて、長椅子に座っている。一尉があの大尉さんに、昼から付き合えと怒鳴っていたのは本気だったようで、休暇をさっさと切り上げて、サードフライトで空に上がることにしたらしい。大尉さんも食堂で、受けて立ってやるぞと満面の笑顔で即答したものだから、本日の新田原にゅうたばる基地は『緊急! 日米アグレッサー対決』開催されることになった。突然のふってわいたようなハプニングに、基地内はちょっとしたお祭り騒ぎだ。


「今日まで休みだったんじゃ?」

「隊長からはちゃんと許可をもらったから問題ない」


 一尉はそう言いながら、着替えを続行する。


「私に見せてあげたらって隊長さんに言われた時は、よけいなお世話だって断ったくせに」

「それとこれとは別問題だ」

「どこがなんですか?」


 振り返ると、一尉もこっちを見ていた。


「あいつ、天音あまねにちょっかいを出したんだぞ? あいつの鼻っ柱をへし折らないと気がすまない」

「それって大人げないと言うのでは?」

「人の領空に踏み込んだむくいは、きちんと受けるべきだ」


 そう言ってからニヤリと笑う。


「それにせっかく模擬空戦の許可が出たんだ。いまさら断るなんてもったいないことできるか」

「もったいないんですか」

「ああ、もったいない」


 むくいがどうのとか、もったいないとかあれこれ理由をつけているけど、結局のところ一尉は飛びたいんだろうなってことだけは理解できた。


「私はそろそろブリーフィングが始まるから、見られないんですけどねー」


 腕時計を見ながら足をバタバタさせて、見学できないこと対して遺憾の意を表明する。


「次の機会を楽しみにしてろ」

「次っていつになるのかなあ……うちの基地に教導隊は来ないし」


 小牧こまき基地は、輸送隊と救難隊がメインの基地なので、戦闘機は所属していない。つまりは余程のアクシデントが無い限り、教導隊が立ち寄る基地ではないのだ。つまり、あの基地で教導隊が飛ぶところを間近で見るチャンスは、限りなくゼロに近い。


 それに次に新田原基地に来る時は、きっと何ヶ所か基地を経由してくることになるだろうから、こんな風にノンビリしてはいられないだろうし。しかも、今回は米空軍のアグレッサーとの模擬空戦がおこなわれるのだ。きっとこんなチャンスは二度と無いと思う。そう考えると無念だ……。


「せっかく、日米アグレッサー対決が見られるチャンスなのに残念」


 そう言いながら、ポケットに入ったままのキャンディーをなにげなく触った。そして、あの大尉さんが言っていたことを思い出す。


「あ、そうだ。大尉さんが一尉のことを、ボーンズって呼んでましたよね。一尉のタックネームの由来ってなんなんですか? たしか部隊配属になった時に、初めてついた上官がつけてくれるんですよね、タックネームって」

「ああ、あれな……」


 一尉はなんだかイヤそうな顔をした。


「ボーンズってことは骨、ですよね? もしかして、基地内で骨でも拾ったとか?」

「それって一体なんの骨なんだよ、怖いだろ」


 まあたしかに、そんなものを拾った大騒ぎになっちゃうか。


「だって他に思いつかなくて。じゃあ……お前の骨は俺が拾ってやるぜ的な?」

「そんなかっこいいもんじゃないんだ。うちの実家が寺なんだよ。で、最初はボーズってつけてやると言われて断固拒否したら、ボーンズになった」


 なんとお坊さんのボーズ。意外な由来にちょっとびっくり。ちなみに私達にはタックネームは無い。あるとすれば、それぞれの輸送機に付けられたコールサインぐらいなものだ。


「お坊さんからなんですか、へぇぇぇ。一尉の上官をしていた人って、けっこう面白いセンスをお持ちだったんですね。ちなみに八重樫やえがしさんは?」

「あいつはエイトマン。最初はもっと、変な名前を付けられそうになっていた気がするが。さて、こっちの準備はできた。行くか?」


 その言葉に椅子から立ち上がると、一尉のことをあらためて眺める。


「おお、すごいですね、パイロットっぽく見えますよ、一尉」

「ぽくってなんだぽくって。俺は正真正銘のパイロットだぞ」


 準備ができた一尉と一緒にロッカールームを出ようとしたところで、なにを思ったのかいきなり一尉が立ち止まった。そのせいで後ろについて歩いていた私は、一尉の背中と正面衝突をしてしまった。


「なんなんですか。いきなりすぎて顔が正面衝突しましたよ、鼻が少し低くなったかも。忘れ物ですか?」

「忘れ物というより、心残りっていうやつか」


 そう言った一尉が、振り返っていきなり私の腕を引っ張って引き寄せる。突然すぎて踏ん張ることもできずに、倒れ込むようにして一尉の腕の中に閉じ込められた。


「ますます鼻がひしゃげちゃいますよ。今ので絶対に鼻が低くなった」

「ここを出たらもう別行動だ。お互いに空に上がったら、次はいつ会えるか分からない。少しぐらい充電させてくれも良いだろ?」

「にしては痛かったです。少なくとも今ので鼻が一ミリは低くなった」


 文句を言う私の後頭部に手を当てた一尉は、さらに強く抱き寄せる。


「しまったな、こっちを断ってでも、天音とすごす時間を作れば良かったか。いや、今からでも急げば一回ぐらいいけるか?」

「なにが一回?」


 なにやら良からぬことを思いついのか、私を抱きかかえるようにして部屋の中へと逆戻りする。そして私をさっきまで座っていた長椅子に座らせて、自分も横に座った。


「え、ちょっと、なんなんですか、行かないんですか? さっきの大尉さんをぺしゃんこにするんでしょ?」

「その前に、天音で補給をさせてほしい」

「まだうちの輸送機は、補給機仕様になってませんけど」


 一尉はニッと笑うと、私の体に腕を回して引き寄せると唇を重ねてきた。突然のキスに驚いて、一尉の肩をゲンコツで叩いたけど、まったく無視された。


―― 人生二度目のキスが、こんなにディープなもので良いのかな?! ――


 頭の隅っこでそんなことを考えていたら、チリチリとファスナーの音が聞こえてくる。胸元が急にスースーしだしたところをみると、一尉の手が私のつなぎのファスナーを下ろしているようだ。


「あの、ここでなにをしようと?!」


 左胸を覆った一尉の手に慌てて尋ねた。一尉が触れているところがすごく熱くて、ドキドキしている。


「ダメか?」

「ダメとかそういう問題じゃなくて、初めてのこういうのがこんな男臭いロッカーなんてイヤかなって」


 それまでゆっくりと円を描くように動いていた手が、ピタリと止まった。そして一尉が顔を上げる。


「……そういうことなのか?」


 ジッと見詰められて恥ずかしいけどしかたがないじゃない、こういうことをするのは初めてなんだから。


「そういうことですよ。考えてもみてください、入隊してからこっち、誰かと付き合う余分な時間があったと思いますか?」


 そりゃあ、ゴールデンウィークとかお盆やお正月のお休みはある。だけどそれ以外は、毎日が厳しい規則で縛られた生活だ。入隊する前にすでに相手がいたならともかく、あの二年間で付き合う相手を見つけるなんて、一尉はどうだったのか知らないけれど私には無理。それにその後の飛行訓練課程の間だって、同世代の訓練生はいるにはいたけど、そんな余裕は精神的にも物理的にもなかった。


「だが周囲は男だらけだったろ?」

「そんな漫画みたいな逆ハーレムはありません」

「よりどりみどりじゃないのか」

「男の思考とものさしで、物事を考えないでください」

風間かざまは?」

「なんでそこで風間君が出てくるんですか。彼は私が一尉と一緒に飛んだと聞いてから、ずっと私には文句ばっかでしたよ。あ……」


 そして、また厄介な事態になるのではと思い至った。


「なんだ?」

「一尉とお付き合いを始めたなんて知ったら、絶対に奈良で顔を合わせた時にあれこれ言われますよ。なにか勘違いしてるんですよね、一尉と話したら御利益がある!みたいな。だからこっちで顔を合わせることがあったら、先輩としてせいぜい可愛がってあげてください。風間君、きっと喜びますから」

「なんだそりゃ」


 一尉は呆れたかえっているけど、私にとっては風間君の愚痴りは切実な問題だった。


「風間君のことはともかく、こんなところで、初めてのあれやこれやはイヤです」

「わかった。だったらこれ以上はいずれまた。ただし五分で良いから、俺に好きなようにキスをする時間をくれ。それぐらいなら良いだろ?」

「五分もキス続けるなんて、おかしくないですか?」


 それとも私に経験が無いからわからないだけで、これって普通なんだろうか?


「それで次に会える日まで我慢するんだぞ。文句を言うなら、ここで最後までやり尽くしても良いんだが」

「それってどういう強迫」

「返事は?」


 まあ一応はおうかがいを立ててくれているのだから、経験の無い私にそれなりに気を遣ってくれている……のかな?


「五分だけですよ?」

「ああ、五分だけな」

「えっと、じゃあどうぞ? っむ……」


 返事をしたとたんに中断していたキスを再開。だけど一分も経たないうちに、長椅子に押し倒されて中に着ていたTシャツをまくり上げられた。そして気がつけば、お腹の辺に一尉に唇が触れている。ね、ねえ、これってキスなの? キスじゃないよね?! それともやっぱり私が無知なだけなの?!


「一尉、これってキスではないのでは?!」

「誰が唇にキスすると言った?」

「それって屁理屈では?!」


 そうこうしているうちに、一尉の背中に回されたと思ったらブラのホックがはずれた。やっぱりこれって、どう考えてもキスじゃない!


「こんなところ見つかったら、絶対に懲罰案件ー!」

「見つかるのがイヤなら静かにしろ」

「それにどうこれは考えてもキスじゃない~~~~っ!」

「気のせいだ」

「うっそだぁぁぁぁ~~~!」



+++



 恋愛小説や漫画で色々と書かれているのを読んでも、いまいちピンとこなかった今までの私。それがどういうことか身をもって知ることになったわけだけど、読むのと実際に経験するのとでは大違いだ。創作世界より、現実世界で起きていることのほうが、当然のことながらずっとエロチックだった。


「五分だ」


 しばらくして、一尉は残念そうにそう言って顔を上げると、今度は本当のキスをしてから服を元に戻してくれた。そして私を引っ張り起こすと、名残惜しそうな顔をしながら、つなぎのフライトスーツのファスナーを上げてくれる。


「…………」

「なんだ、御不満か?」

「今の、どう考えてもキスじゃないですよね?」

「天音が知らないだけで、ちゃんとしたキスだぞ?」


 しれっと答えているけど、絶対に違うと思う。


「嘘だ。絶対に嘘だ……」

「でも良かったんだろ? キスをしている間の天音の顔は、なかなか可愛かったぞ?」


 そ、そりゃ何度か変な声が出そうになっちゃいましたけどね!


「もっと他のところも舐めたいし吸いたいんだが、場所も悪いしちょっと時間が足りないからな。俺も少なからず欲求不満で爆発しそうだから、その不満は全部まとめてショットガンにぶつけてやる」


 一尉の浮かべた笑いは、限りなく黒かった。


「俺もって、さりげなくそこに私を含めないでくださいよ。私は欲求不満になってないんだから」

「この嘘吐き機長め」


 そう言いながら、一尉は私のほっぺたをムニムニとつまむ。


「嘘じゃないですよ! ところであの大尉さんは、なんでショットガンなんですか?」

「ところかまわずぶっ放すから」


 あまりにもサラリと言ったものだから、一瞬その言葉は耳を素通りしていった。


「なにをぶっ放すんですか? サイドワインダー?」

「だから、あっちこっちに女を作ってやりたい放題なんだよ、あいつ。で、ぶっ放す。わかるか?」

「ああ、そっちのほうをぶっ放すんですか……」

「そう。だから」


 一尉は、私が胸のポケットにさしていたキャンディーを取り上げると、ブンブンと振りながら私を見つめる。


「これは没収。俺がどうしてあいつを近づけたくないか、わかっただろ? あいつに関わるとロクなことがない」

「私のペロペロキャンディー……」

「どうしても食べたいなら、コンビニに行って自分で買え。人の女にロリポップなんてふざけた名前をつけやがって、まったく腹の立つ。やはりあいつは、本気で撃ち落しておいたほうが良い気がしてきた」

「一尉が言うと、冗談には聞こえないからやめてください」

「そりゃ冗談じゃなくて本気だからな」

「なお悪い~~!」


 一尉が笑いながら、私の腕をつかんで腕時計を覗き込む。そろそろ時間だった。


「さてと、行くか」

「頑張ってくださいね。まあ本気で撃ち落さないまでも、白星はきっちり取って欲しいから」

「任せておけ」


 椅子から立ち上がるとドアに向かう。あそこを出たら、一尉はハンガーのある左に、私は輸送機が待機している場所がある右に、それぞれ別々の方向へと歩いていくことになる。


「あ、そうだ。冬期休暇、遊びに来て良いですか?」

「なんだ急に」

「だって、約束を忘れて好き勝手に飛び回っているなんて言われたんですからね。ここはきちんと、私も名誉挽回をしておかないと!」

「だったら早めに知らせてくれ。そっちに合わせて休みを取るから」

「駄目ですよ、それじゃあ意味がないんですから」

「は?」


 一尉が首をかしげる。


「だって私は、一尉が飛ぶところを見たいんですから。決まったら知らせますから、せめて一日ぐらいは休みをずらしてください」

「名誉挽回と言いつつ、もしかして飛ぶのが見たいだけなのか」

「そんなことないですよ。いや、そっちのほうが大事かな」


 私の返事に、しかたのないヤツだなと苦笑いをした。


「ま、俺は天音の操縦する輸送機に乗ったからな。わかった、知らせてくれたらなんとか合わせるようにする。そっちは良いのか? 実家に帰らなくて」

「実家は各務原かがみはらで、それなりに今の基地に近いですからね。通常の休みの日に顔を出すようにしているから大丈夫です」

「それと遊びに来るってことは、さっきの続きもさせてもらえると期待して良いんだよな?」

「え……」

「おい」


 私が答えるのをためらうと、あっという間に不機嫌な顔になった。


「そこまで考えてなかった……」

「こりゃ先は長そうだ」


 溜め息混じりの苦笑い。


「すみません、まったく頭にな無かったです」

「まあ良い、その時になったら考えよう」


 そしてロッカールームを出ると、素早く一尉が持っていたキャンディーを奪い返した。


「あ、これはこれで、やっぱりいただいていきます! じゃあ、次は冬期休暇ですからね! では失礼します!」


 そう言うと、追いかけられないうちに敬礼をしてダッシュして逃げた。なんか後ろで言っていたような気がしたけど、聞こえなかったことにする!

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