第十一話 両手に荒鷲

 ここに滞在している間、私達が間借りしている部屋に急いで戻ると、緋村ひむら三佐と山瀬やませ一尉が、向かい合って座り飛行計画書に目を通していた。


「遅くなって申し訳ありません!」


 私が部屋に入ると、三佐と一尉が不思議そうな顔をして、お互いの腕時計を見ている。


「えらく早いな。まだ時間は十分にあるから、急いで戻ってくる必要はなかったんだぞ? 井原いはら谷口たにぐちもまだどこかでのんびりしているし、花山はなやまも、最新の気象データの確認をしに行って戻っていないしな。それで?」

「感激しました」


 三佐と一尉は、さらに妙な顔した。


「なにに感激したって?」

「なかなか見る機会のない、飛行教導隊で使われている機体を見学できました。それと、教導隊の隊長に御挨拶をさせていただきました。それから、こちらの基地に立ち寄っていたアメリカ空軍の、第六十五アグレッサー飛行隊のパイロットのかたとも、御挨拶をさせていただきました……あの?」


 私を見る二人の様子がおかしい。私はこんなにも感激していると言うのに、目の前の二人は、それはそれは良かったねと喜んでくれているようには見えない。何故?


「あの、なにか?」

「やれやれ。せっかくこっちは気をきかせてやったというのに、二人そろって飛行機馬鹿だったか……」


 そこへ花山三佐が戻ってきて、私の顔を見てなぜか驚いている。


「もう良いのか?」

「???」

「教導隊の機体を見学できて御満悦なんだとさ」


 なにがもう良いのかわからなくて私が首をかしげていると、緋村三佐が笑いながら花山三佐に説明した。それに対して花山三佐は、なんとまあと呟いた。ますます意味不明な態度だ。


「そうなんですか。飛行教導隊のパイロットなら、もっと臨機応変に有意義な時間をすごすと思っていたんですがね。そうですか、我々の気遣いは無かったことにされましたか。それはそれは。いやはやどう言ったら良いのやら」

天音あまねの対特定事象回避能力は、アグレッサーを相手にしても、引けを取らないぐらい高いらしい」

「まったくなんとまあ、ですね」


 どう考えても、ほめられている気がしない。


 それにお言葉ですが、一尉は間違いなく時間を有意義に使っていたと思います。最後の五分なんて特に。そのお蔭で私の服の下は、他人にはちょっと見せられない状態になっているんだから。もちろんそのことを、この三人に言うつもりは無いけれど。


「どうしてそんな話になるんですか。ちょっとした日米交流で、間違いなく有意義な時間でしたよ。午後からは、榎本えのもと一尉も含めた日米のアグレッサー同士で、模擬空戦を行うことになったそうです。ゆっくり見学できないのが非常に残念です」


 きっと今頃は、それぞれのイーグルが離陸準備を始めていることだろう。その様子を見学できないのは実に無念だ。


「ああ。そう言えば、午後からの訓練時間にかなりの数が上がることになって、調整が大変だと管制が言っていたな。三佐、こちらには影響はないとのことなので、当初の予定通りの時刻に、離陸してくれとのことでした」

「そうか。日米対決ともなれば、飛行機乗りとして見たい気持ちもわからないでもないが、ここは我慢だな、天音」

「わかっています。それは榎本一尉にも言われましたから。次の機会を楽しみに待つことにします」


 そんな機会が早々巡ってくることはないだろうけどね、と内心呟いた私に、三佐はよしよしとうなづいた。


「聞き分けの良い子には御褒美ごほうびをやらんとな。離陸は天音、お前が仕切れ。山瀬、サポートを頼むぞ。小牧こまきで街中を飛ぶことを考えたら、ここはすぐに洋上に出るから飛びやすいはずだ、気楽にいけ」


 ほんと、うちの教官殿は色々と大胆だ。


「あの、ところで気になっていることが、あるんですけれど」

「なんだ?」

「着陸時の管制塔との通信で、お嬢ちゃんって呼ばれましたけど、あれはどういうことですか?」

「ん?」

「そんな無邪気を装っても駄目です、邪気が両耳から漏れてますよ」


 さっさと白状しなさいと、三佐を軽くにらんでみた。


「知り合いの管制官に、今日は教え子を連れて行くからよろしく頼むぞと、前もって話をしておいたんだ。どんなに腕が良くてもまだ訓練中だ、なにかあるなら早めに指示を出してやってくれという意味で伝えておいた。そしたら、余計な一言を付け加えてきやがったってやつだな。必要のない待機や侵入ルートの変更をさせられなかっただけ、ありがたいと思えよ?」

「まさか、そんないじわるをされる可能性があったんですか?」

「いじわるというよりは、訓練中のパイロットには、色々と経験をさせるべきだと考える人間が、管制にもいるってことだな。なにもされなかったのは、俺の仁徳でもあるんだ、せいぜい教官をうやまえ」


 それって、その点を恩に着せて、帰りもお昼寝三昧ざんまいを楽しもうと言う魂胆じゃ?という考えがよぎったけれど、三佐の返答を聞いたら間違いなく殴りたくなるので、黙っておくことにした。



+++++



 一時間半後、井原一尉と新田原にゅうたばる基地所属の整備員が見守るなか、C-130の四つのエンジンに灯を入れた。プロペラが回り始めたのを確認すると、前で様子を見ていた井原一尉が異常なしのOKサインを出す。そしてこっちに走ってきて機内に乗り込むと、横の搭乗ハッチを閉めた。他の整備員達が見送る中、機体を方向転換させながら、離陸するための待機位置へと移動を開始する。


 花山三佐が作成した飛行計画書によると、気象は往路と同じく良好。積載する荷物はほとんどなく、機体が軽いうえ、東向きの航路の常として偏西風の助けもあるから、来た時よりもずっと早く小牧に到着する予定だ。定位置につくと、管制に通信をして準備ができたことを知らせる。


『新田原基地管制、こちらキャメル06。ランウェイ28より、小牧基地へ向けて離陸準備よし』

『こちら新田原基地管制。キャメル06、ランウェイ28よりの離陸を許可します』


 定位置について、待機命令が出ることなくすぐに許可が出たということは、榎本一尉達はすでに基地に帰投しているか、ここから離れた場所で訓練をしていて、しばらくは戻ってこないということだ。


『離陸許可確認。キャメル06、ランウェイ28より離陸します』

『またのお越しを楽しみにしていますよ、天音機長殿』

『……ありがとうございます』


 まったく三佐のお友達ときたら。


 エンジンの推力を上げると、いつもの唸るような音がコックピットの中にも伝わってきた。実のところ、着陸よりも離陸する時のほうがずっと緊張する。機体を持ち上げるのにエンジンのパワーは足りているのか、滑走スピードは十分か、上昇角度は問題ないかなどなど、気になりだしたらキリがない。もちろん、目の前の計器ですべて確認はできているけれど、失敗すれば死に直結するだけに、とにかく緊張する。乗務員が乗っている状態で、自分が操縦桿を握るとなれば特に。


 滑走路を機体が走り出し、しばらくして地面から車輪が離れたのがわかった。そしてあっという間に海上に出る。たしかに緋村三佐が言うように、市街地に囲まれている小牧に比べると、ずっと離陸はしやすい立地だ。


 離陸してから十分、高度とスピードを安定した状態に維持したところで、山瀬一尉に操縦桿を返してホッと一息ついた。飛び立ちやすい立地でも、やっぱり離着陸は緊張するものだ。


「満点とまではいかないが、なかなかいい感じの離陸だったぞ、天音」

「ありがとうございます」


 緋村三佐のお褒めの言葉をいただいた直後、接近する航空機有りと警告音が鳴り響いた。ルート的には民間航空機とすれ違う場所でもないし、国籍不明機と遭遇するような空域でもないのに。慌てて正面のレーダーに目をやると、右舷後方から接近してくる機影が二つある。


『さよならの挨拶も無しに行っちまうとは、つれないな、ロリポップちゃん。せっかくだから、俺とボーンズでお見送りに来てやったぞ~』


 ヘッドホンから聞こえてきたのは、なんとも陽気な声だった。この声はもしかして、ペロペロキャンディのマクファーソン大尉?


『もしかして、マクファーソン大尉ですか?』

『あん? なんだって? よく聞こえないなあ、なんて言った?』


 まったく。どうしてもあっちの名前で呼ばせたいらしい。


『……ミスター・ショットガンですか?』

『いい子だ、ロリポップちゃん。ちゃんと俺の名前を覚えてくれて嬉しいよ。だが、ミスターはいらないな。ただのショットガンと呼んでくれ』

『ショットガン、ですね』

『いい子だ、ロリポップちゃん」


「どうやらこっちのことを待っていたようだな。しかし、ロリポップってなんだ」


 緋村三佐が、後ろから覗き込んできた。


 左手側に、一際カラフルな迷彩塗装をしたアメリカ空軍のイーグルが現われて、こちらと並んだ。複座のイーグルで、前に乗っているパイロットが、こっちに向けて手を振っている。多分あれが大尉さんだ。


「あちらの大尉さんが勝手につけた、私のタックネームらしいです。ついでに、ペロペロキャンディーもいただきましたよ」

「それでロリポップか。やれやれまったく。空に上がる連中は万国共通、どいつもこいつも自由すぎて困ったもんだな」


 そう言いながら緋村三佐も呑気に笑っているんだから、実際のところ、本気で困っているわけではないのだ。


『お見送りありがとうございます。ボーンズから黒星は受け取りましたか?』

『ああ。大人げないミスター・ボーンズは、特大の黒星を投げつけてきたよ。まったく困った男だな、君のボーイフレンドは。あんな陰険なやつと付き合うのはやめて、俺に乗り換えないか?』


 つまりは一尉が勝ち星をとったということだ。自分のことではないのになんだか誇らしい。


『黙れ、ショットガン。それ以上うちの輸送機に近寄るな、本気で撃ち落すぞ』


 右手側に、教導隊のグリーンとブラックの迷彩塗装をしたイーグルが並ぶ。こちらも複座。そしてここちらでは、後ろに乗っている人が手を振っていた。たぶん前に乗っているのが榎本一尉で、後ろで手を振っているのは八重樫やえがし一尉だ。


『とまあ、ボーンズはさっきからずっとこんな調子で、おっかないったらありゃしない。コマキまで俺がエスコートしてやりたいんだが、そうもいかないようだ。残念だがここでお別れだな。また会える日を楽しみにしている。ガンバレよ、おチビさん』

『ありがとうございます』


 こちらにグッドラックの意味のハンドサインを送ってくると、マクファーソン大尉は機体を左へと大きく傾けて、そのまま旋回して離れていった。そして右に目を向けると、一尉が操縦するイーグルはまだ並んで飛んでいる。ヘルメットで表情は見えないけど、一尉の顔がこっちに向いてるのが分かった。


「そろそろガス欠に注意したほうが良いのでは?」

「そのぐらいちゃんと見ているから心配するな。さっき離陸の様子を見させてもらったが、なかなか見事だったぞ、空曹長」

「ありがとうございます」


 まさか見える距離にいたなんて知らなかったから、ちょっと驚いてしまった。


「その調子で頑張れよ。次に会う時を楽しみにしている。じゃあな」

「ロリポップちゃん、またなー」

「黙れ、八重樫。お前もショットガンと一緒に海に放り出すぞ」

「なんだよ、俺はお前の相棒じゃないか、相棒のカノジョと仲良くしてなにが悪いんだ?」

「黙れ」


 にぎやかな八重樫さんの笑い声を残して、右へと旋回しながら離れていく機体を見送る。


「なんとも特別待遇だな、天音。両手に花ならぬ、両手に荒鷲とは」

「こっちは叱責されないか、冷や冷やものですよ。あんなに近くを飛ばれて」

「実際のところ海外派遣先の危険空域では、ああやってアメリカ空軍にエスコートされることもあるからな。何事も良い経験だってことで問題ないだろ」


 つまるところ、緋村三佐は特になにも言うつもりはないということだ。そして良いものを見せてもらったと笑いながら、俺は昼寝をするぞと言ってシートにふんぞり返って目を閉じる。


「おやすみ、諸君」

「またですか? もう昼はすぎてますよ」

「じゃあ夕寝に訂正する」

「これって私の飛行訓練ですよね? 教官がお昼寝して良いんですか?」

「初めての場所での離着陸はきちんと見届けただろ? 俺には特に問題は無いように思えたぞ? 他になにか確認しなければならないことがあったか? ああ、小牧の着陸は山瀬に任せる、お前はやらんで良し。山瀬、あとは任せた、以上」


 ってことは、本当に格納庫に到着するまで起きるつもりはないってことだ。山瀬一尉が肩をすくめた。


「了解しました機長。おやすみなさい」

「ああ、それとだ天音」

「なんでしょう」


 三佐が片目だけ開けて私を見る。


「ちなみに今みたいな場合、こっちは下手に動かないほうがいい。小回りがきくあっちが、勝手に間合いを取ってくれるからな」

「わかりました」

「じゃあおやすみ。なにかあったら起こしてくれ」

「今度こそエアポケットにはまりまくって、ガタガタ揺れれば良いのに」

「なにか言ったか、天音?」

「いいえ、機長。おやすみなさいませー」


 そして約二時間後には、ホームタウンである小牧に戻ってきた。なんだかんだ言いながらも、やっぱり地元の空が一番落ち着く。


「民間機とのかち合いも、なさそうですね」

「それはそうだ。花山三佐の飛行計画は、そのへんも考えて作られているからな」


 来年度から違うナビゲーターと組むことになる山瀬一尉としては、ここまで完璧な飛行計画書に慣れてしまうと、色々と心配のようだ。


「褒められるほどのことじゃない。この程度のことは、ナビゲーターとして当然の仕事だ。他のナビゲーターも同様の仕事をしている」


 三佐の言葉に、一尉はいやいやと首を横に振った。


「さすが完璧執事様、言うことが違います……」

「なにか言ったかな、天音空曹長?」

「いえ、なにも!」


 格納庫に着いてエンジンの灯を落としたところで、ようやく緋村三佐があくびをしながら目を覚ました。


「おう、お疲れ。今日は実にいい飛行日和だった」


 のびをしながら呑気なことを言っている。


「寝ていたくせに」

「これまでは、ロクに休むヒマもなく飛び続けてきたんだ。たまには役得があってもいいだろうが」

「デブリーフィングはどうするんですか? 寝ていたらなにも分からないでしょ」

「花山、航行中に何か問題はあったか?」

「いえ、特に。問題があるとすれば、少しばかり緋村三佐のいびきがうるさいぐらいでしたかね。これ以上酷くなるようなら、耳鼻咽喉科で診察を受けることをお勧めします」

「……そんなに酷かったか?」

「それなりに」


 やっぱりこの二人の会話は、御主人様と執事としか思えない。もしかして前世では、本当に御主人様と執事だったのかも……。



 こうして、私の初の遠距離飛行訓練は無事に終わったのだ。

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