第九話 タックネームはロリポップ

 誘導された所定の位置に、輸送機をきちんと停止させることができてホッとしつつ、降りた瞬間に頭に浮かんだのは「暑い」だった。さすが南国宮崎みやざき、この時期でも昼間は十分に暑かった。この後、まずは往路のデブリーフィングと言いたいところだけど、肝心の教官は到着までほとんどお昼寝状態だったから、一体どうするつもりなんだろう。


「聞いたぞ。着陸時は、天音あまねが操縦桿を握ってたんだって?」


 荷物を持った榎本えのもと一尉が、機体の横で私が降りてくるのを待っていた。


「そうですよ。パイロットから見て、なにかまずいところはありましたか? って言うか一尉、熟睡してたって聞いてますけど?」

「本当なら、コックピットで見物させてもらいたかったんだがな。さすがにそれはできないって言われたから、不貞寝してた」


 一尉がそう言って笑う。


「だが着陸の時はしっかり起きていたぞ? 三次試験の初っ端に、いきなりバレルロールしたお嬢さんにしては、なかなか静かな着陸だと思ったよ」

「そりゃそうですよ。荒っぽい着陸をして、最後の最後で貨物室で人間と貨物がお団子になっちゃったら、目も当てられませんからね」


 お団子になりたいですか?と尋ねたら、一尉はそれだけはかんべんしてくれと笑った。そうでしょ? 私だって、一尉達と荷物と簡易トイレがお団子になったところなんて、見たくないもの。


「あ。そう言えば降りてくる時に、飛行教導隊の機体も見えてましたよ。それと空自うちにはないい機体も何機か。あれってもしかして、アメリカ空軍のものじゃないでしょうか?」


 ちょっとワクワクしながら質問をしてみる。もしかしたら、たまたま友好と称して立ち寄っただけのことかもしれない。でも、予定外の合同訓練があるなら見てみたいなと、ミーハーな気持ちがムクムクと頭をもたげた。他の基地を経由しないから、こちらに滞在する時間はそこそこ長かったはず。緋村ひむら三佐が許可を出してくれたら、機体だけでも見物に行けるかな?


「緋村三佐、少しの間、あなたの教え子をお借りしてもよろしいですか?」


 一尉は私の頭の中の声が聞こえていたのか、花山はなやま三佐と話し込んでいた緋村三佐に声をかけた。振り向いた三佐は、少しの間だけ考え込むようなしぐさをしてから、横にいる花山三佐と言葉を交わす。そしてニッと笑ってうなづくと、片手を四本指にしてこっちに向けてパタパタと振ってきた。OKの合図にしては中途半端な指の立て方に、首をかしげる。


「四分?」


 もらえた時間はインスタントラーメン並? さすがにそれで見学は無理だ。


「いや、あの顔からして、四時間後に出発で、それまでは好きにしろってことだ」

「四十分でもなく? でも帰りのブリーフィングもあるし。一尉が勝手に解釈してるんじゃないですか? ここに戻ってきたら、三佐達はすでに出発しちゃってましたってことになったら困ります」


 たしかにここを離陸するまでは、そのぐらいの時間的余裕はある。だけどそれはあくまでも目安だ。気がついたらここに置き去りにされた、なんてことになったら一大事。ここは、ちゃんとした言葉で許可をもらうべきでは?


「だから機長の三佐に、おうかがいを立てたんだろうが。四時間で間違いない。出発一時間半前に集合だったな。時間までにはここに帰してやるから心配するな。黙ってついてこい」

「え、でも」

「下りてくる時に見てたんだろ? 間近で見たくないのか?」

「見たいです!」

「じゃあ行くぞ」


 もう一度振り返って三佐達をうかがうと、ニコニコしながら手を振ってくる。本当に四時間なんだろうか? 四十分の間違いじゃない?


「天音?」

「はい、行きます!」


 もうこうなったら、榎本一尉の言葉を信じてついて行くことにする。もし置いてけぼりをくらったら、一尉に責任をとってもらおう。


 滑走路の脇を歩いていくと、何機もの基地所属のF-15イーグルとT-4が並んでいる。そしてその一団が並んでいる奥に、ひときわ目立つ機体。尾翼に描かれたコブラのエンブレム、飛行教導隊の機体だ。


「あれ? えらく早いお帰りじゃないか、榎本」


 その機体の横にいたパイロットが、私達が歩いてきたのに気づいて、こちらに顔を向けた。


「こっちに来る臨時便があったんでな。それに乗せてもらってきた」

「へえ。……まさか、なかなか会えないからって、訓練中の彼女を無理やりかっさらってきたわけじゃなよな?」


 私のことを指さして、首をかしげる。


「そんなわけあるか。このお嬢さんの訓練飛行を兼ねて、C-130をここまで飛ばしてきたんだよ。今だって上官の許可付きの行動だ」

「なるほどね。ってことはようやくとしたってことか」

「その単語はやめておいた方が良いぞ八重樫やえがし。こっちの空曹長殿は訓練中だから、ちる系の単語は禁句なんだと」

「それは失礼した。初めまして、こいつの元相棒、いや、今も相棒か。八重樫だ」

「初めまして。天音空曹長です」


 敬礼しようとしたら、いきなり手を握られてブンブンと上下に振られた。


「榎本がなかなか手を出せない相手と聞いて、どんな人物なんだろうって気になっていたんだが、なるほど。たしかに随分と若いお嬢さんだな。念のために聞いておくけど良いのかい、こんなオッサンで」


 いきなりの質問にどう答えたものかと考えていたら、一尉が腹立たし気に口をはさんできた。


「オッサン言うな。俺がオッサンなら、同い年のお前もオッサンだろう」

「現実は直視したほうが良いぞ、榎本。訓練中の彼女からしたら、俺もお前も十分にオッサンだろ。それで? 良いのかな、こんなオッサンで。同じパイロットの中に、もっと若いヤツがいるだろ? えーと同期の風間かざまだったかな? 彼のほうが良くないか?」


 またまた意外なところで風間君の名前。っていうか、どうしてここで風間君の名前が? でも飛行教導隊の人に名前を憶えられていると知ったら、風間君、跳んで喜ぶかもしれない。


「どうして風間君を御存知なんですか?」

「そりゃあ、今年からここで訓練している一人だからね。ってことは同期だろ? たまに、彼が訓練で上がるのを見かけるよ」

「教導隊のパイロットから見てどうですか、風間君の素質」

「おや、気になる?」

「同期ですから」


 結構な時間を一緒にすごしてきた同期の一人なんだもの。それなりに気になる。


「のびしろはあると言っておこうか。そこを発揮できるかどうかは、本人の頑張り次第だ」

「もういいだろ。いい加減にしろ、八重樫」

「なんだよ、少しぐらいおしゃべりを楽しんだっていいじゃないか」

「よくない……っ!」


 軽口を叩き合っていた一尉が急に姿勢を正す。それにつられて後ろを振り返った八重樫一尉も、同じように直立不動の姿勢になった。


「?」


 八重樫一尉が目の前に立っているせいで、誰が来たかわからなくて、顔を突き出して二人の視線の先をのぞきこむ。外国人のパイロットを引き連れた強面こわもての……オジサン、というには若いけど、二人の一尉よりは年上と思しき人がやって来た。


「なんだ榎本、休暇中じゃなかったのか?」


 そしてその人は、自分に敬礼をしている一尉の姿におや?という顔をする。


小牧こまきからの臨時便で、こちらに戻ってきたところです」

「なるほど。……ああ、ということはそこのお嬢さんがアレだな、お前の大事な飛行幹部候補生殿か」


 私を見てうなずいた。もしかして私って、密かに特定の人達の中で有名人?


「飛行教導隊の隊長、日下部くさかべ三佐だ」


 こそっと榎本一尉が教えてくれたので、慌てて敬礼をした。


「小牧基地、第401飛行隊で訓練中の天音です」

「うちのがお世話になっているようで」

「いえ、別になにもお世話はしていません……」


 今のところは、と小さな声で付け加えると、日下部三佐は意外そうな顔をして一尉の方を見る。これまでの流れからして、なんとなく日下部三佐が言いたいことがわかったような気がした。


「せっかくだ。そのお嬢さんに、お前が飛んでいるところでも見せてやるか? お前にその気があるなら、午後からの訓練飛行に入れてやるぞ?」

「お心遣いはありがたいのですが、こちらの輸送機の離陸時間と重なりそうなので、それはまたの機会にしたいと思います」

「途中まで見送るぐらいのサービス精神を発揮しないと、いつまでも進展しないんじゃないのか?」

「いえ、それは余計なお世話と言うやつでして。自分のことは、自分で責任をもって進めます」


 一尉がさり気無く失礼なことを言っても、三佐はとがめることもせずに笑うだけ。それだけ、お互いに信頼関係で結ばれているってことなんだろう。


「なんだ、上官の好意を無にする気か」

「いえ、そういうわけでは……」


 一尉達があれこれと話しはじめたので、少しだけその場を離れて他の機体を見物しにいく。コブラのエンブレムに、ちょっと普通では考えられない迷彩塗装の機体。うん、こうやって見ると意外とかっこいい。


『ハロー』

『は、ハロー……?』


 機体の周囲をグルリと回りながら見物していると、いきなり背の高い、日本人ではない人に話しかけられて硬直してしまった。さっきまで日下部三佐の横にいた人だ。どうやら私の後ろについてきたらしい。飛行中の会話はほぼ英語なので、必要最低限の会話はできるぐらいにはなっていたけど、いきなり頭上から、母国語でない言葉で話しかけられるとやっぱり焦る。


『君がボーンズの噂の恋人か。なかなか姿を見せないから、てっきりヤツの空想の産物だと思っていたよ』

『まだ、恋人ってほどの関係ではないんですけど……』

『へえ。あのボーンズが随分と慎重なんだな』

『ボーンズって? 榎本一尉のことですか?』


 そのパイロットさんの向こう側から、一尉がこっちを見ているのが見えた。「なに喋ってるんだ」って顔をしているけど、逃げるわけにもいかないじゃない? 日米同盟は大事なんだから。


『骨っぽくないのに、なんでそんな名前になったのか謎なんだ、あいつはどうしてその名前になったのか教えてくれないし。そのうち聞き出して、俺に教えてくれると嬉しいなあ。あ、その調査の前金を払っておくか』


 そう言って、その人はニコニコしながら、星条旗柄のセロハンで包まれたペロペロキャンディーをくれた。あまりにも自然に差し出されたので思わず受け取ってしまったけれど、受け取ってしまって良かったんだろうか、これ……。


『おい、なに人の恋人に餌づけをしようとしてるんだ、ショットガン!』


 それを見た榎本一尉が、とうとう三佐との会話を切り上げてこっちにやってきた。えええ、怒ってるよ、一尉が怒ってる! なんで?! ペロペロキャンディーを一つもらっただけなのに!


『餌づけなんてしてないだろ。人聞きの悪いことを言うなよ、ボーンズ』

『これ、返します』


 どうも返したほうが良さそうな気がして、相手にキャンディーを差し出した。


『いいからいいから。日本人でもおいしく感じる甘さだって言ってたから、もらっておいてくれ』

『それは誰情報ですか?』

『日系人の知り合いがそう言ってたから、間違いないだろ?』

『そうなんですか……じゃあ、遠慮なくいただきます。ありがとうございます』


 返そうと差し出したキャンディーを押し戻されたので、しかたなく受け取ることにして胸のポケットに差し込む。無理に返したら日米同盟の危機だものね。


「おい、天音」

『なんだよ、細かいことを気にするなよ。これも日米友好だろ?』

『お前がそういうものを渡すとロクなことが無い』


 そして一尉は私をにらんだ。


「天音、それをこいつに返せ」

「え……でも」

『いいじゃないか、たかがキャンディー一個でカリカリするなよ。お前達の関係は、これ一個で危うくなるような、薄っぺらい関係なのか?』


 そう言いながら、その人が私に肩に腕を回す。とたんに一尉の目が吊り上がった。怒ってるよ、マジで怒ってますよ?! えーと、なにさん? ショットガンっていうのはきっとタックネームのことだよね。本名は……マック、マク、マクファーソン大尉? とにかく、目の前の本気で一尉は怒ってますよ、大尉さん!


『俺はトーマス・マクファーソン。米国空軍のパイロットで、ボーンズと同じアグレッサーだよ、よろしくな』

『さっさとあっちに行けよ、うちの隊長に案内してもらっている途中なんだろ』

『ひどいな。せっかく、お互いの技量向上のためにわざわざ立ち寄ってやったのに。こんなんだったら、まっすぐミサワに向かえば良かった』

『だったら、さっさとその重いケツをあげて飛び立てよ。っていうかそいつから離れろ、今すぐ」

『おお、怖い怖い。マジで怒ってるのか、ボーンズ』


 ヒヒヒッと人の悪い笑い声をあげると、私の肩から手を離す。すると、すかさず一尉が私のことを自分のほうへと引き寄せた。


『こいつに手を出したら、冗談抜きで撃ち落とすからな』

『わかったわかった、手は出しません、誓って』


 そう言ってマクファーソン大尉は、胸のところで十字を切ると、指をクロスさせながら片手をあげた。


『じゃあまたな、ロリポップちゃん。……ボーンズに飽きたら俺に声をかけてくれよ。第65アグレッサー飛行隊のショットガンって言えば、俺ってすぐわかるから!』

『ショットガン、お前、昼から付き合え、絶対に落とす!!』

『きゃー、ボーンズちゃんてば、マジになってこっわーい!』


 厳つい顔に似合わない甲高い声で『キャー』と悲鳴をあげて笑いながら、その人は私達から離れていった。


「ロリポップちゃんですって。いたーい、なにするんですか!」


 そして私は、一尉の腕の中に閉じ込められたまま、例のごとくほっぺたをつねられた。


「変なタックネームをつけられやがって」

「私のせいじゃないですよ、あの人が勝手につけたんですから。あ、駄目ですよ、このキャンディは私のです!」

「こんな物を受け取るから、変な名前をつけられたんだぞ。よこせ」


 ポケットからキャンディを奪い取ろうとするのを阻止する。


「いやです、食べ物には罪はありません。小牧に戻ってからゆっくり味わうんだから駄目!」


 一尉はチッと舌打ちをする。


「それで、本当に撃ち落としちゃうつもりなんですか?」

「大きな黒星をつけてやる」


 ニヤリと笑った一尉の顔を見上げながら思った。これは本気だ……。



■補足■


※タックネーム … タクティカルネームの略。アメリカ海軍などでコールサインと言われているので機体識別に使われている『コールサイン』とごっちゃにされがちですが別物です。簡単に言えば仲間内の通信で使うあだ名みたいなもの。分かりやすく短い名前が望ましいです。ここではキャメル06(ゼロシックス)がコールサインでショットガンやボーンズがタックネームとなります。

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